21 山の街への馬車の旅
翌朝。
俺たちは馬車に揺られていた。
あの後、リーンのお兄さんに「旅費と報酬は十分に出す──頼む、今頼れるのは本当に貴方しかいないのだ」と、頼み込まれてしまったのだ。
「──何事もなければ旅行のようなものなのだが……」とも。
なんでも、人手不足で俺以外にすぐに確保できる適役は居ないという。
他にいくらでもいそうなものだが……ヒマなのは俺ぐらい、ということだろうか。
確かに、迷宮前の工事現場は暫くお休みらしいし、「ドブさらい」依頼で掃除する側溝も、貰った「黒い剣」のおかげで思っていた以上のペースで綺麗になった。
おまけに今朝はあまりに調子が良かったので、十日分の依頼予約分を一気に掃除してきた。
当分、掃除の必要はないだろう。
それを考えると、タイミングとしては本当に丁度良かった。
俺たちは馬車で王都の北西──山岳地帯の街トロスへと向かい、しばらく滞在することになるらしい。
その後、特に何も異変がなければそのまま山を越え、隣国『神聖ミスラ教国』へ向かって欲しい、と言われた。
馬車に同乗するイネスが、その為に必要な書状を持っているという。
俺が頼まれた仕事の内容としては、ただリーンについていくだけでいいという。
俺は何をするでもなく、何事もなければ、本当にただの旅行になるらしい。
なんとも奇妙な依頼だが、俺はそれならば、と承諾した。
「兄が無理を言ってしまって、すみません……行く先で本当に何事もなければいいのですが」
「いや、なんでもないことだ。依頼料も貰ってるしな」
今回は、冒険者ギルドを通しての依頼となっている。
その場で話し合い、それがいいだろうということになった。
俺の今の冒険者ランクは「F」なので、王都外の素材採取や討伐依頼の受注はできないのだが、ただの付き添いや荷物持ちなら、別にいいという。
つまり今回、俺はリーンの世話をするお供、お手伝いさんという扱いだ。
冒険者としてはあまり取り柄のない俺だが、重いものを持ったり運んだりすることだけには自信があるので、その点、確かに適役かもしれない。
リーンのお兄さんには報酬は言い値で出す、と言われたが、相場がよくわからないので冒険者ギルドのおじさんに任せておいた。
おじさんには「相当にいい条件で受けてやったから、安心して長旅してこい」と言われたが──正直、金額を言われてもピンとこなかった。
リーンにも「一緒に来てもらえたら嬉しい」と言われたこともあるし、俺は彼女には昨日のゴブリン退治の借りもある。
彼女の頼みでもあるなら断る理由はないだろう。
とはいえ、俺がこの依頼を受けた本当の理由は別にある。
リーンにも、おじさんにもまだ言ってはいない。
別に秘密というほどのことはないのだが……まさか依頼を受けた動機が──馬車というものに乗ったことがないから、乗ってみたかっただけ──とは、中々言いづらいのだ。
でも正直なところ、それが俺にとっての一番の報酬だ。
俺は王都の他の街も、山を降りるときに通りすがった村ぐらいしか見たことがない。
他の街も、見たい。
そして今回、運が良ければ他の国へも行けるという。
そこにも、是非とも行ってみたい。
俺はとにかく、いろんな場所を旅して回ってみたいのだ。
本当は、ちゃんと冒険者になって自力で旅して回りたいのだが……それはまだまだ先になりそうだ。
でも、誰かの付き添いであっても、見聞を広めておくに越したことはない。
きっといつか一人前の冒険者として旅立つとき、役に立つだろう。
そんなわけで、今回の旅は俺にとっては願ったり叶ったりの仕事だ。
出発前に食糧や荷物を積み終えると、俺は何もすることがなくなったが、何の気兼ねもなく、ゆったりとした気持ちで馬車の旅を満喫していた。
馬車の窓からの風景はのどかだ。
辺り一面に小麦畑が広がり、収穫の時期を迎えようとしている。
そういえば、この辺りは住んでいた山から降りてきたときに通った道に近いが、あの頃はまだ、麦は植えられたばかりで青々としていた。
季節が変わっただけで、見違えるものだ。
今は見渡す限り、黄金色の平原──そうとでも言うのがふさわしい。
この風景だけでも、この土地が肥沃で、この国が豊かなのだということを実感する。
俺も『冒険者』になって冒険をすれば、こんな風景を、いや、これ以上に凄い風景を他にも沢山見ることになるのだろうか。
──見てみたい、な。
馬車から身を乗り出す俺の姿は、傍目には浮かれてはしゃいでいるように見えるかもしれない。
実際、そうだからだ。
だが、御者席に座っている人物は浮かない顔をしていた。
護衛役のイネスだ。
馬車には彼女と俺とリーン、三人が乗っている。
「ノール殿──巻き込んでしまって本当に済まない」
目が合うと、謝られてしまった。
旅行ぐらいで大袈裟な、とは思うが、責任感の強そうな彼女のことだ。
こんな風に他人と接するのが当然のことなのかもしれない。
でも、今日の彼女はだいぶ顔色が悪いような気がする。
「……体調でも悪いのか?」
「いや、少し考え事をしていただけだ……すまない。これから、貴方のことは私が責任を持って護る。あまり心配はしないでくれ」
いや、俺自身はあまり心配はしていないというか……どちらかというと彼女の様子が心配ではある。
さっきからどこか思い詰めたような顔をしているし、
それに、イネスは俺のことも護衛してくれるとは言うが、彼女の主な役目はリーンの護衛だろう。
それに、馬車を引く馬の手綱も彼女が握っている。
少人数の旅で、役割が重なっているのだ。
なんだか具合も悪そうだし、これ以上無理をさせるわけにもいかない。
「いや、なるべく迷惑をかけないように、出来るだけ自分の身は自分で守ろうと思っているが……」
あまり腕には自信がないが、逃げ足には多少の自信はあるからな。
山で狼の群れに囲まれてからでも、無傷で逃走が可能な程度には。
「いや──私には【盾】があるからな。周りにいる人間を護るのは私の役目だ」
「盾、か?」
そう言われて俺は隣に座るイネスの格好を、まじまじと見つめた。
彼女は前にあった時と同じ、メイドのような服の上に銀色の甲冑を身につけている。
頭に兜のようなものはなく、金色の髪がサラサラと風に揺れている。
だが今、彼女の周りに盾らしきものは見当たらない。
そういえば、武器の類も見当たらないな。
「何も持っていないように見えるが……?」
「なくてもいいんだ。私の場合は。むしろ、無い方が色々と都合がいい」
「そうか……?」
そうか、とは言ったものの、正直、意味はわからない。
そんな俺の表情を察したのか、イネスは少し笑った。
「そうだなーー実演して見せようか……【神盾】」
イネスが片手を宙にかざすと、突然、空中に輝く巨大な光の壁が現れた。
それはただの光にも見えたが、確かにそこに『壁』を作り出していた。
走っている馬車の前方から来る風が、完全になくなったのだ。
「すごいな……つまり、これが君の『盾』か」
「ああ、何かあったら、この光の盾の後ろに身を隠してくれ。大抵の武器や魔法は通さない」
「そうだな、そうさせてもらおう」
たった三人での旅行に多少の不安もあったのだが……イネスがいれば、安心だろう。
彼女はリーンの家の訓練場で俺に訓練をつけてくれたあの槍の男ーー確か……アル……ギル……? そうだ、思い出した。
あのランバートと同じぐらいの強さだという。
リーンが教えてくれた話によると、彼はなんと竜を単騎で仕留められる程の腕前だという。
ゴブリン一匹相手に四苦八苦している俺とは全く格が違うのだろう。
だとすれば、彼女も相当な強者に違いない。
俺如きに気遣いされる必要はない、ということだ。
では、言葉に甘えて存分に頼らせて貰うか。
そうして俺は安心して、旅客気分で馬車から見える広大な麦畑の風景を楽しんでいた。
だがーー
俺は眺めていた広大な麦畑の風景に、ふと違和感を覚えた。
「……ん?」
よく見ると、麦畑に奇妙な道が出来ている。
たまに強風で作物が倒れて被害が出ることがあるという話は聞いたことがあるが、そういう感じでもない。
まるで、踏み均された道のようになっているのだ。
「なんだ、あれは」
「なんだ……? どうかしたのか?」
俺の声に、イネスも麦畑を見回したが、見つけられないようだ。
だが、畑の随分奥の方なので見えづらいが、確かに見える。
あれは、何だ?
俺たちの会話を聞いていたのかリーンが馬車の中から顔を出し、小麦畑を眺め回した。
彼女には、何かが見えたようだ。
そして、驚いたような表情になった。
「あそこ……確かに何か、います──ッ! 【隠蔽除去】!」
リーンが、スキルを使った。
昨日ゴブリンに使った時と同じように、その微妙な違和感のある場所から透明なヴェールが剥がれるようにして、何かが姿をあらわす。
そこには──
ぺたり、ぺたりとゆっくりとした足どりで歩く巨大な黒いカエルのような生き物と、その傍に立つ一人の小柄な少年がいた。
麦畑の中に突然現れた少年は、辺りを見回して何か驚いているようだった。
カエルと少年の視線が合った。
するとカエルは太い前脚を振り上げ、少年を襲おうとしているように見えた。
危ない、と思うより先に足が動いた。
「待て、あれは──!!」
──背後からイネスの声が聞こえる。
だが俺はすでにその時、渾身の【身体強化】を使ってカエルと少年の所に全力で走り出していた。
感想ありがとうございます!
気まぐれにしか返信出来てませんが、嬉しいコメントたくさんいただきまして嬉しいです。