204 二度目の約束
「……結局、何だったんだ、あれは?」
「……俺に聞かれても知らねえ、って言ってるだろうがァ?」
俺は細かな光の粒となって消えゆく人型の何かを、ザドゥと一緒になってぼんやりと眺めていた。
無数の光る粒子は見渡す限りの廃墟と化した街の上に散ったかと思うと、しばらくふわふわと粉雪のように舞い、やがて何事もなかったのように消えていく。
たまたまザドゥがいてくれたから何とかなったようなものの、あの人型の何かはとんでもない強敵だった。あれの最期はどういうわけか、笑っているようにも見えたが……ともかく、今は別の問題がある。
俺は背後に立つ不気味な男に向き直る。
「……で。これから、まだやるのか? 正直、疲れたし気が進まないんだが」
「それは俺も同じだなァ。モタモタしてるうちに、余計な奴らもぞろぞろと寄って来ちまったみたいだしなァ?」
見れば、ミスラの空飛ぶ船から小舟が一隻、こちらに向かって来るのが見える。そこには俺の見知った人物の姿があった。
「それに、ソレがお前の手にある時点でもう、依頼の前提が違うっぽいんだよなァ……?」
「どういうことだ?」
「無駄な仕事はしたくねェし、一旦、依頼人に手順を確認してくる。お前を殺すのはそれからだなァ」
「……できれば、もう二度と来ないで欲しいんだが?」
「依頼人の要望次第なんで、何ともなァ? じゃあなァ、変な奴。約束通り、コイツは貰って行くぜ」
そう言うとザドゥは『黒い鏃』を手に笑い、煙のように消えた。
「ノール先生!」
砂まみれの廃墟のどこかから何度となく聞いた少女の声がして、振り返るとリーンたちが歩いてくるのが見える。
リーンの後ろにはシレーヌと狩人の教官、そしてシャウザもいる。
「リーンか。シレーヌと教官……シャウザも?」
「ノール先生、ご無事で。お怪我などは?」
「ああ。俺は全然、なんともない」
「そうですか……彼、ザドゥは?」
「さっき、ようやく帰ってくれた。まあ、あの怪物はほぼザドゥがやってくれたし、助かったと言えば助かったんだが」
「あの怪物を、ザドゥが? では、先生は彼と和解を……?」
「いや。次は俺の首を狙いに来ると言っていた」
「ノ、ノール先生の……?」
「それも今後の成り行き次第らしいが。俺としては、もう二度と会わないことを願うばかりだな」
「そ、そうですか」
半ば安堵する様子のリーンの横で、教官が何やら周囲を見回している。
「探し物か?」
「ええ。アンタ、どこかで『黒い鏃』見なかった? あれ、貴重なものだからちゃんと回収しなきゃなんだけど」
「ああ、それのことなんだが……実は、人にあげてしまった」
「あげたって。いつ。誰に」
「さっき、ザドゥに」
「────は?」
俺の答えを聞いた教官はしばらく、固まった。
「やっぱり、まずかったか?」
「────あ、あげちゃった……!? あれを、ザドゥに!?」
「正確には、協力してもらう代金として渡したんだが。すまない、あの時はそれしかないと思ったんだ。まずそうなら、次に会った時に返してもらおうか?」
「……返せって言われて、すぐ返すようなタマじゃないでしょ」
「いや、金さえ渡せば交渉の余地はありそうな感じだったが」
「本当に? まぁ、それで皆が助かったんだし、結果オーライと言えなくもないけど。渡った相手がザドゥとなると……ああ、もう。ややこしいわね。王子が責任取るとは言ってたけど」
悩ましい表情の教官の脇から、シレーヌが顔を出した。
「お疲れ様でした、ノールさん」
「ああ、シレーヌも。もう歩いて大丈夫なのか?」
「はい、さっきは集中しすぎて疲れちゃっただけですから……というか、すみません。実は私、ノールさんに謝らなきゃいけないことがあって」
「何をだ?」
「さっきのアレのことで。ロロから聞いたこと、ノールさんに伝え損ねてて……さっきのアレって、実は本当にスゴいらしいんですよ。それはもう、モノすごくやばい、なんていうか神様的なアレなアレで────」
「??? なるほどな???」
「……ねえ、シレーヌ。流石にもっと言い方あるでしょ? それじゃ、伝えたところで大して意味なかったわよ?」
「……う、うぅ?」
「────少し、いいか?」
シャウザが不意に歩いて来ると、手にした『透明な弓』を俺に差し出した。
「どうした? 」
「俺はお前から預かった弓を返しに来ただけだ。これはお前のものだろう」
「いや、別にそういうわけじゃないと思ったが……そうなのか? 教官」
「確かに、元はアンタ用に持ってきたつもりだったけど。ちょっと事情が変わったわね。こんなところに、あの『【星穿ち】のリゲル』がいるなんて」
教官はそう言って目を細めると、シャウザに視線を向けた。
「リゲル? だが、コイツはそんな名前じゃないぞ」
「今の名前なんて、知らないけど。あんな矢を放てる奴なんて、あのリゲル以外に誰がいるっていうの?」
シャウザは教官の疑問には何も答えなかったが、代わりに意外そうな表情で疑問を口にした。
「……なぜ、貴女がその名を?」
「そりゃあ、私たちの業界じゃ、国を跨ぐほどの有名人じゃない。「サレンツァには天の星を射落とさんばかりの強弓の使い手がいる」ってね。聞いた話があまりにも荒唐無稽すぎて現実にいるとは思わなかったけど……それ、アンタでしょ?」
度重なる追求に、シャウザは黙ったままだった。
教官は小さくため息をつく。
「……ま、言いたくないなら別にいいわ。とにかく、その弓は貴方が貰ってあげて。その弓にとってもそれが一番幸せだから」
「……いいのか?」
「ああ、俺もその方がいいと思う。俺が貰ったところで上手く使えないしな」
「わかった。そう言うなら、とりあえず俺が預かっておく」
シャウザが改めて手にした弓を眺めていたところ、横にいたシレーヌがシャウザの顔をじっと無言で見つめている。
「…………なんだ」
「いえ、別に。でも……何か、私に言うことはないですか? 『【星穿ち】のリゲル』さん」
自分の横顔をジト目で見守るシレーヌに、しばらく気まずそうな表情をしていたシャウザはやがて諦めたようにため息をつき、こう言った。
「すまない。リゲルは、俺だ。ずっと嘘をついていた」
「……でしょうね。実を言うと、前から知ってました」
俯くシャウザに、シレーヌは特に驚く様子もなく苦笑した。
「……やはり、ロロから聞いていたのだな?」
「いえ。ロロは何も言ってませんでしたけど」
「何も言っていない?」
「はい。というか……私、実はシャウザさんに出会った瞬間からなんか怪しいと思ってて」
「……まさか、そんなに前から?」
「だから、何か証拠がないかなって、ずっと探してたんです。そしたら、あの勝負の最中、消した刺青の跡が首の後ろに残ってて。話してみたら案の定っていうか……そもそも、経緯から何から詳しすぎません? あんなの本人以外あり得ないですって」
寂しそうな笑顔を向けられると、シャウザはすまなさそうに俯いた。
「……お前の兄は本当の愚か者だな。そんな無様な姿を見せられ、さぞ失望したことだろう。恨んでくれてもいい」
「そんなふうに思うわけないじゃないですか。本当に……無事に生きててくれて、よかったです」
時折、シレーヌの頬から水滴がポトリと砂の上に落ちている。
俯いて隠そうとしているが、シャウザの前で泣いているようだった。
「俺はお前の母────いや。母様との約束を守れなかった。大事な仕事をやり遂げ、必ず迎えに行くと約束したというのに。そのどちらも守れなかった」
「……それ。私とも約束してたやつ」
「ああ、そうだな」
「……母さん、会いたがってましたよ? ずっと、心配してました」
「母様は元気か?」
「ええ。昔よりはちょっと、痩せてると思いますけど」
「そうか。苦労をさせてしまったのだな」
しばらく俯いていたシャウザは不意に顔を上げ、シレーヌに言った。
「────俺は必ず、お前と母様に会いに行く。今度の約束は破らない」
「……本当に?」
「ああ。俺がしなければならない仕事を終えたら……いや。その途中でも、必ず」
「絶対、ですよ?」
シレーヌは首飾りを手に顔を上げると、約束を口にするシャウザに笑顔を向けた。
「それにしても。シャウザはリゲルって名前だったのか。となると、これからどう呼べばいい?」
「好きな方で呼べ。俺はどちらでも構わない」
「じゃあ……シャゲル」
「…………混ぜていいとは言ってない」
「本当に助かった。お前がいてくれなかったら今頃、どうなっていたことか」
「助けられたのは、こちらの方だ。この弓も本来、お前に渡るはずだったというのに」
「俺には『黒い剣』があるからな。それに、その弓のおかげで長年の夢も叶ったし、それで十分だ」
「夢?」
「一度でいいから弓というものを引いてみたかった」
「……お前も相当、難儀しているな」
シャウザは少し表情を緩ませると透明な弓を片手に、教官に向き直る。
「【弓聖】ミアンヌ。貴女の逸話は国を渡り、聞こえていた。貴女はずっと俺の憧れだった。こうして会え、そればかりか俺のことを知ってもらえていたとは光栄だ」
「……ふん。そんなのどうせ碌でもない噂話でしょ? 私は他人の評価なんてどうでもいいけど……そんなに気になるなら、【狩人兵団】に来れば? シレーヌもいるし、聞くより見る方が断然早いわよ?」
「いつか、そうさせてもらう」
いつになく満更でもなさそうな教官を見て、シレーヌはシャウザと目を見合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
「貴女には妹が本当に世話になった。すまないがこれからも頼む」
「別に言われなくても、そのつもり。それより……その弓、大事にしなさいよ? それ、一つっきりしかないんだから」
「ああ。今度は絶対に壊さない」
「……。そうして」
────なあ、教官。
シャウザが壊さない、と言った瞬間になぜ嫌そうな顔で俺を見る?
まあ、心当たりはありすぎるほどあるんだが。
「では、俺はそろそろ行く」
「行く? ああ、ラシードのところに戻るのか」
「いや、奴との契約はもう切れた。もう顔を合わせることもないだろう」
「じゃあ、どこに?」
「それはまだ、わからない」
「……わからない?」
「これから、俺はそれ自体を己の目と脚で探さなければならない。これまで俺は時間を無駄にしすぎた。今後は迷わず、ただ為すべきと思ったことを行う。お前のように」
「……? よくわからないが、頑張れ」
シャウザは俺の問いかけに満足に答えぬまま、そこから歩いて立ち去った。