201 追い風
「はぁ、はぁ……や、やっと船に戻ってこれた……! 助かったぁ……!」
偶然通りかかったミスラの空飛ぶ救助ボートに乗せられ、イネスを抱えたダンダルグはどうにか、と言う様子で出航後の船にたどり着いた。
空飛ぶ小舟が幾つも離発着している大きな倉庫のような部屋で、他の救助員と一緒に降ろされたダンダルグはそこで待ち受けていた【六聖】の二人と顔を合わせた途端、気が抜けたようにへなへなとその場に崩れ落ちた。
「ご苦労だった、ダンダルグ。イネスは無事なようだな。あとは俺がセインのいる医務室まで連れて行く」
「あ、ああ、助かる、カルー」
「とはいえ、情けないのう? あのダンダルグが女子を肩に担いで走るだけで息切れとは。最近、運動不足なんじゃないかのう?」
「無茶言うなよ、爺さん。この状況で。外見てみろよ?」
「……ホッホウ、確かに。ちょっとの間に、ひどいことになっとるのう?」
ダンダルグの視線を追ってオーケンが大きな船室の窓を見やれば、外では激しい砂嵐が吹き荒れ、瓦礫が強風に舞っている。
「にしても。この中、なんでこんなに静かなんだ?」
「そりゃ、ミスラの『飛空艇』じゃからのう。迷宮由来の設備で至れり尽くせりじゃて」
「あの空飛ぶボートと言い、マジで理屈がわかんねぇよな……だが、助かった。拾ってくれてありがとうな?」
「いえ。我々には「全ての生きとし生けるものを救うべし」との猊下の御下命がありますし、聖都を救ってくださったクレイス王国の方とあっては恩を返さぬわけにはいきません。では、私はこれで」
白い鎧を着込んだ顔も見えない聖騎士は、そう言って颯爽と別の部屋へと去っていった。
一仕事終えたダンダルグは一息ついていたのだが、程なくして船が大きく揺れ、船内に大きな混乱が起きた。
「な、なんだ!?」
船内が騒がしくなる中、ダンダルグたちは自分の目で様子を窺うために甲板へと急いだ。
すると、
「────は?」
ダンダルグとオーケンの二人が甲板で目にしたのは、片腕で弓から何かを放つ男の姿だった。
轟音と共に船を大きく揺らす衝撃が襲い、激しい揺れに思わず船体にしがみついていると、気づけば地上に昇った星がイネスの『光の盾』ごと砕けていた。
「な、何じゃあ、ありゃあ……?」
あまりの出来事に二人が呆然としていると、ミアンヌが甲板に飛び乗ってきた。
「……どうやら、間に合わなかったようね」
「ミアンヌ? 今のって……?」
「メリジェーヌが作った『透明な弓』よ。案の定、とんでもない代物だったわ」
「い、今のが弓の衝撃だってのかよ!? っていうか、あれ、ノールに渡したんじゃ?」
「あいつ以外に引ける奴がいたみたいね。たまたま」
「たまたま、って。そんな……?」
合流した三人は弓を撃ち終え、力尽きて膝をつくシャウザの横顔を眺めた。
「でも────たぶん、まだよ。届いてない」
ダンダルグはミアンヌの声で砕けた星を見返した。
すると、嵐の中央にある『青い石』が明るく点滅している。
「さっきより静かになってるけど……また動き出しそうだぞ?」
「ええ、きっと、しばらくすれば何事もなく復活する」
「ど、どうすんだよ。あれ、一つっきりしかないんだろ?」
「大丈夫よ。たぶん。あそこまで入れば」
見れば、再び強くなり始めた嵐の中には大量の矢が舞っている。
そうして、それらの矢が一つの巨大な生き物のように群れをなし、その先端で『黒い石』を持ち上げたように見えた。
「……何だよ、あれ? 矢が嵐の中を生き物みたいにうねってるけど。あれは、お前が?」
「私じゃないわよ。あんなの、私にできるわけないじゃない」
「え?」
ダンダルグが嵐の中に蠢く矢の群れから下に目を移すと、そこには弓を構えるシレーヌがいる。
「もしかして、シレーヌ?」
「それ以外に誰がいるっているの?」
「嘘だろ? 普段、お前に怒られてばかりいる可哀想なイメージだったんだけど」
「……そりゃそうでしょ。だって、あの子、普段から自分が追い詰められないと実力の片鱗も見せないし。状況判断とかもまだまだだし、まだ余裕があると思えばすぐに手を抜こうとするし。しかも、朝寝坊の常習犯だし、しょっちゅう遅刻はするし集合場所すら間違えるし、他にも、色々と……ああ、なんか思い出したらイライラしてきた」
「お、おいおい」
「要するに。私があの子に指摘してたのは弓以外のことなの。弓の技術に関していえば、あの子、もう私よりレベルがずっと上」
「は?」
「ともかく、そういうわけだから。オーケン。貴方もあの子に手を貸してあげて」
「ホウ? ふむ、わかった。あの嵐を弱めるんじゃな?」
「何言ってるの、逆よ。弱くしたら意味ないじゃない。強めるの」
「ホウ? じゃ、じゃが、危なくないかのう? あそこにはまだノールとシレーヌがおるわけじゃし。もし、巻き込んだら……?」
「そもそもアイツはそんなにやわじゃないし、シレーヌなら絶対に大丈夫」
「しっ、知らんぞ……? 風の魔法のコントロールって難しいんじゃからな?」
「オーケン。自信がないなら私が代わりにやりましょうか?」
そう言って甲板に姿を現したのはアスティラだった。
その横にリンネブルグ王女もいる。
「……貴女は、ミスラの?」
「風の魔法なら私たちも得意ですよ。ね、リーンさん?」
「はい。お話を伺って、微力ながら私もお手伝いさせていただければと思いました」
「ありがたいわ。オーケンだけじゃ不安だったから」
「でしょう? 私もそう思って。オーケンだけじゃ頼りないですから」
「お、お主らァ……!?」
「じゃあ、早速。あの風を強めて欲しいの。それが助けになるから、最大限ね」
「わかりました。って言っても。この船の近くでそれやると、ちょっと危なそうなので……シギルさん。今の、聞こえてました?」
『は。では、我々は直ちにこの空域から離れます。おい、貴様ら。猊下のお声が聞こえたな? 面舵一杯! その後、全速で離脱だ!』
『『『はっ!!!』』』
空飛ぶ船は進路を商都の外に向け、そのまま急速に加速した。
「じゃ、行きましょうか、リーンさん。【浮遊】」
「はい」
「────ホウ?」
アスティラの【浮遊】に続いて風で身体を浮かせたリンネブルグ王女だったが、その様子に驚いたのはオーケンだった。
「お、お嬢? そっ、その【浮遊】は? まだ、基礎の理論しか教えとらんじゃろ」
「はい、以前に見せていただいたオーケン先生の【浮遊】を見よう見まねで。まだ完全とはいかず、お恥ずかしいかぎりですが……」
「い〜え! そんなことはありませんよ。変な独自術式入ってるオーケンの【浮遊】よりずっと良い感じです。じゃ、張り切って行きましょう!」
「はい」
「……ホウ? ま、待たんかい! あっ、本当にまって? マジで追いつけないんじゃけど? ねえ!? ちょっと〜〜〜!?」
オーケンが必死に二人を追いかけていくとようやく、と言った様子で追いついた。
「この辺りで良いんじゃないでしょうかね。船からも離れましたし。ほら早く早く! オーケン!」
「はぁ、はぁ。お、お主ら? なんでそんなに速いの???」
「え〜っと。とにかく、あの風を強くすればいいんでしたよね? リーンさん、前に【二重詠唱】とかやってましたよね。あれ、ちょっと教えてもらえます?」
「はい」
「お主ら、何をこんな土壇場で……? あれは相当難しい技術じゃぞ。一朝一夕ではなんともならんわい」
「こうですか?」
「はい、できてます! 流石です、アスティラさん!」
「やった〜!」
「────ホ?」
己の耳を疑ったオーケンがアスティラの手元を見たが、今度は己の目の方を疑った。
オーケンから見ても、本当にできている。
「────マ?」
「すごいです! こんなに短時間で……」
「ふふ、いいお手本がそばにいるからです」
「……ぐぬぬぅ!! こ、これだから本物の天才という奴はァッ!」
「あれ? オーケンも自分は天才だって言ってませんでしたっけ?」
「……そ、そうじゃよ? っていうか、わしが一番天才じゃし? 全然、お主らにも才能では負けておらんし? 真正なる天才ゆえに、ちょっと最近努力をサボっちゃたかな〜とか……そういう系の話じゃし?」
「ではやりましょう、リーンさん」
「のう? 今のわしの話、聞いてた?」
「自信無くしてる場合じゃないですよ、オーケン」
「ぐぬぬぅ、わかっとるわい! よぉく見ておれ! ……コホン。では、二人とも。風の魔法の合成はタイミングと強度が重要じゃ。わしの掛け声に合わせ、だんだんと力の調整を────」
「前置きが長い! せ──のっ!!」
「「「【竜神風】」」」
三人は一斉に風の魔法を発動させた。
すると、『青い石』の周囲に発生していた激しい嵐が、さらに激しく荒れ狂う。
その場から離脱しようとする空飛ぶ船にまでその衝撃は届き、ダンダルグは揺れる船体に必死にしがみついた。
「おいおいおい!? やりすぎじゃねえのか!? こっちまで飛ばされそうだぞ!?」
「大丈夫よ。あれですら、あの子にとってはただの追い風だから」
「え?」
「あの子は弓の技術だけじゃなく、風を読む力にかけても文句なしに一級品よ。というか、そっちは私ですら出会った時点であの子の足元にも及ばなかった。そのまま事実を伝えると気が緩むから、絶対に言わないようにしてたけど」
「そ、そんなに?」
「でも、あの子の本当の凄さはそこじゃない」
「……まだあるの?」
「あの子を【狩人兵団】の副団長にした時、【雷迅】って二つ名は私がつけたんだけど……どうしてだと思う?」
「俺に、お前が考えてることなんてわかるワケねえだろ……? そりゃあ、撃つ矢が雷みたいに速いから、とかじゃ?」
「不正解。それぐらいならウチの団員なら誰でもできる」
「お前の業界の、非常識な常識なんて知らんから」
「正解はその矢と同じぐらいの速さで走りながら、同じぐらいの速さの矢が打てるの。それも静止時と全く変わらない正確さで、延々と撃ち続けられる。何千、何万とね」
「……悪い。ちょっと何言ってるのかわからん」
「私だって、自分で言っててわけがわからないわ。要するに、あの子も異常なのよ。アイツとは別の方向性で」
ミアンヌの視線の先にはノールの脇で、飄々とした表情で頭上の嵐を眺めているシレーヌがいる。
「だから本当はウチの【狩人兵団】の設立時に決めた「上手い奴が上に立つ」ってルールからすれば、あの子が団長になってなきゃおかしいの。でも、他に教えなきゃいけないコトが多すぎて。本当はルール違反なんだけど、まだ、私が団長を代理でやってるって感じ」
「う、嘘だろ。お前がそんなに……謙虚になるなんて?」
「何よ、事実を言ったまでじゃない……本当に、手のかかる子。あそこまで追い詰められないと、まるでやる気にならないんだから」
暴風の吹き荒れる甲板から地上を眺めていた二人だったが、いよいよ嵐が強まり、船が軋む音が聞こえる。
「……マジかよ。って、やべえぞ!! 本当にやりすぎだ! これじゃ、船ごと吹き飛ばされちまう!!」
「ええ。これでようやく、見られるわね。あの子の本気」
そうして追い風によってさらに巨大なものへと膨れ上がって行く嵐の中に、シレーヌが一人、飛び込んで行くのが見えた。