200 星穿ちのリゲル 4
「これで終わり、か。呆気ないものだ」
シャウザは空虚な面持ちで光る星の出現を迎えていた。
突如、砂の巨人の代わりに商都の空に現れ、不吉に輝き出した歪な星。
それできっと、商都はじきに終わるのだろう、と思った。
だが不思議と何の感慨も湧かなかった。
かつて、あれほど憎んだ街が終わろうとしている。
父を殺し、同胞をただの血の湖に変えた者たちが支配した街がなすすべもなく滅びようとしている。
自分が何を手を下すまでもなく。
何もかもが空虚だった。
馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しい。
それなら、自分のここまでの生にどれほどの意味があったのだ?
────仲間を必ず守り抜く、と誓った父との約束も守れず。
必ず会いにいく、と言った妹と母との約束も果たせず。
ただ十余年を無為に過ごし、心に誓ったはずの同胞たちの復讐も成さなかった。
結局、何一つ、成し遂げられなかった。
それも、最後のものは自分の意志で放棄した。
ラシードとの契約も切れた今、何者でもないただ生きているだけの存在。
誰にとっても無意味な存在。
そう、何もなかったのだ。
そもそも意味などはありはしない。
あの時、自分が生き残った過去にも。
この街がこれから滅びていく現状にも。
そうして、全てとの関係が断たれたこれからも。
「……さっさと、終わってしまえばいい」
シャウザは風に揺られるまま星から目を外し、何をするでもなく街を眺めていた。
耳に入る全ては雑音だった。
風に混じってまた雑音が聞こえる。
「さあ、早く! あちらの船まで、落ち着いて行動してください! 船室の空きはまだまだありますからね〜!」
そこでは見慣れぬ白い鎧を着込んだ兵士たちが何やら大声を出し、異変に逃げ惑う人々を巨大な船に誘導していた。
彼らは商都の人々をただ懸命に助けようとしている様子だった。
空虚なシャウザはただ無為に、そこで大量に流れる人を眺めているだけだった。
だが、ただ無意に路傍に立っていた結果。
「ちょっと、そこの人! 何ぼーっと突っ立ってるんですか! 列の途中で立ち止まらならないでください! ほら、歩いて歩いて!」
「いや、違う。俺は────」
白い鎧の騎士に押し切られ、シャウザは巨大な船の中に群衆と共に流し込まれた。
人混みに押されるようにして船の中へと入っていくと、そこに居たのは我が目を疑うほどの数の人々だった。
(なんだ、これは)
それが全て、商都の避難民だとはわかっている。
奴隷風の人間も商人風の人間も富豪風の人間もただごちゃ混ぜに詰め込まれ、外からは想像もできないほどに理不尽なまでに広い船室の中に力なく座り込んでいる。
その中には不安な面持ちで我が子を抱える母親や、乳飲み子もおり、その脇では家族と離れ離れになったであろう人を慰めている若い男がいる。
それはただの属性を失った生き物の群れだった。
「は〜い! 立ち止まらず、この奥に進んでください! それと、甲板の上は強風で危ないですから上がらないでくださいね。では、この列から順番にご案内を────」
また新たに入ってくる人々に対する誘導の声で船に甲板があることを知ったシャウザは、その場から抜け出した。
行き先はどこでもよかった。そこはただ、居心地が悪かった。
足音を消して階段を上がり、細い廊下を抜けていくと大きな扉のある部屋の中から話し声が聞こえる。
「猊下、よくぞご無事で……我々、『十二使聖』は猊下の御身を案じておりました」
「私は全然大丈夫ですよ、シギルさん。ティレンスくんもリーンさんもいましたし。それより、街の皆さんは?」
「は。御下命通り、この街区に残った民は概ね収容したので、予定通り出航を行います」
「でも、まだ余裕ありますよね? この船広いですし」
「は。おっしゃる通りかと。では……?」
「はい。この際、出航後も付属の小舟を使って限界ギリギリまで入れちゃいましょう。子猫一匹残さず掻っ攫うって方針でお願いします」
「────貴様ら。聞いたな? 往け! 猊下の御慈悲を一滴たりとも無駄するな!! ネズミ一匹の命とて、逃さず救えッッッ!!!」
「「「はッッッ!」」」
突然、扉が勢いよく開き部屋の中から一斉に白い鎧の兵士たちが飛び出していく。
見つからぬよう物陰に隠れていたシャウザは彼らが全員走り去るのを見届けると、また上へと向かって廊下を歩いていく。
同時に船が動き出したのか、大きく船体が揺れて浮遊する感覚がある。
(そうか、これはミスラの船か)
しばらく歩いていくと、続く廊下の部屋から隣国の王女たちの話し声が聞こえるが、シャウザは立ち止まらず、急いでそこを離れた。
ラシードとの契約も切れた今、もう会う理由はない。
それに彼女の周りにはもう二度と会うべきでない人物が複数いる。
そうして突き当たりの階段を上ると、シャウザはすぐに甲板に出た。
船員らきし白い鎧の男の説明通り、砂混じりの強風が吹き抜けるそこには人は誰も居ないようだった。
そして、まだ動き出したばかりだというのに船は既に相当な高さに昇っており、空に輝いていた『星』がもう下に見える。
「……シレーヌ?」
だが、浮遊する船の甲板の淵まで歩き、輝く星形の物体を見下ろしたシャウザの目に、四人の人物が映る。
その一人はいつも重たい黒い何かを持っているあの男であり、シャウザの妹シレーヌであり、砂漠で襲撃をかけてきた男ザドゥ、あと一つは知らない顔の獣人の女性だった。
彼らは皆、星の真下に立っている。
てっきり、シレーヌは王女がいた部屋に一緒にいると思ったが。
「シャウザさん」
不意に背中から声をかけられ、その瞬間、シャウザはしまった、と思った。
それは王女と共に行動をしている少年、ロロだった。
心のうちが手に取るようにわかり、おそらくシャウザの事情の全てを知っている少年。
この少年に会うのが一番、怖かったのだ。
ロロは顔を背けようとするシャウザに優しげな笑顔を見せた。
その穏やかな表情にシャウザは一旦、全てを諦めて少年に問う。
「……ロロか。シレーヌはなぜ、あそこにいる?」
「ミアンヌさんと一緒にノールに風の読み方を教えにいくって。あいつの周りにおかしな風の網目みたいのが視えるから」
「風の網目? そうか、あの妙な歪みのことか。それに……あれがシレーヌの師、ミアンヌか。想像より小柄な人物だ」
聞きたいことだけ呟くように聞くとシャウザは沈黙した。
しばらく地上の四人を眺めると、ロロに視線を向ける。
「なぜ、お前はこんな危険な場所に?」
「僕が中にいると、思わぬトラブルになっちゃうかもしれないから。それに、もしかしたら『時忘れの都』から連れてきた魔物を出さなきゃいけない事態になるかもしれないし……」
「そうか。……あいつらは、あそこで何をしようとしている? さっきから空にいる、あれはなんだ?」
「それはボクにもわからない。でも、あれはとても危ない存在、ってことだけ」
「そんなモノと妹が戦おうとしている時に、兄の俺はここで呑気にお前と会話か。笑いたければ笑え」
「笑わないよ。シャウザさんが無事でよかった。シレーヌさんもそう言うと思う」
そう言って笑う全てを知る少年から目を背け、シャウザは地上に視線を向ける。
すると、その中心にいる男と目が合った。
そうして、男はじっとこっちを眺め、何事かを隣の二人と話すと突然、その手に持っている何かを投げてきた。
「……何だ? ────ッ!?」
とてつもない勢いで回転しながら向かってきたそれを、シャウザは片手で受け止めた。
想定より強い衝撃で甲板から身体が持っていかれそうになる。
見れば、それは『弓』だった。
それも自分がかつて手にしたものと瓜二つの、『透明な弓』。
「……まさか、『引けずの神弓』? ……いや。違うな」
だが、触れると全くの別ものだということがわかる。
シャウザの記憶にあるそれより、もっとずっと洗練されている。
「……一体、これは何なのだ? こんなものを投げつけて、あいつは一体、何をさせたい……?」
受け取ったシャウザは困惑するばかりだった。
片腕もない、利き目を失った人間にこんなものを渡して、一体、何の意味がある?
至極当然の、素朴な疑問だった。
その問いかけに答えるはずもないであろう男が再び、力を込めて振りかぶる。
そうして男は黒い何かを投げた。
それは先ほどの弓と同じように全ての風を切り裂きながら、まっすぐシャウザの方に向かってきたのだが。
「────ッ!?」
シャウザが咄嗟に弓を置き、何気なくそれを掴み取った瞬間。
手のひらから予想外の衝撃が身体を襲い、咄嗟に船体に足をかけて踏ん張ると、巨大な船体が大きくぐらついた。
その異常な揺れに、甲板に備え付けられている拡声器から混乱した声が響く。
『────なんだァ!? 今の揺れは!? 砲撃か!? 各部門、報告しろ!!』
『せ、船体の反重力維持装置に異常アリ……! あ、戻りましたが、今度は左右のバランスが大きく右に偏ってます!』
『や、やっぱり、定員オーバーじゃないですかぁ!?』
『い、いえ! 単に補助推力機構の不具合のようですが……ま、まずいです! 出力全開にしても、落ちてます! 航行不能!!』
『な、何ぃ!? 早く原因を探せッッッ! このままだと────』
上空に浮かぶ船の中に混乱が広がる中、シャウザは手の中の黒い小石に手をやった。
「……これ、か?」
小さな石程度のサイズにはとても見合わぬ理不尽な重さ。
この材質には覚えがある。
「これは、あいつの黒い看板と同じ。本当に、何のつもりだ? これで、俺にどうしろと?」
ただただ困惑ばかり募るシャウザは、それを投げた男の顔を眺めた。
だが、男はじっとシャウザを見据えるだけで何もしない。
その頭上には煌々と輝く星がある。
おそらく、言いたいことは理解はできる。
状況から明らかだった。
要は、あれをなんとかしろ、と。
だが、人選が明らかに間違っている。
これは決して、自分に引ける代物ではない。
何故なら、自分の利き腕はもうないから。
あの日、自分の利き目と一緒に潰されてしまったから。
だから、自分はもう二度と弓を引くことなどできはしない。
弦の引き方だってとうに忘れた。
だから────
『────嘘をつけ』
シャウザの耳に、せせら嗤うような少年の声が届く。
だが、声の主は見当たらない。
ロロではない。
振り返ったところで、そこに声の主がいないのは知っている。
何故なら────
『お前は本当に、昔からどうしようもない大嘘吐きだ』
その断定的で確信を持った少年の声は続ける。
そうして、ひたすらシャウザに繰り返す。
嘘吐き、と。
シャウザはその少年が誰か知っている。
その声はこれまで何度となく聞いているから。
「────消えろ。お前はもう、存在しない」
シャウザは心の声でその少年に強く言い返した。
だが、少年は黙らない。
『嫌だね。今日という今日はきっちり言わせてもらう、この大嘘吐き』
少年はかつてのシャウザそのものだった。
『【星穿ち】のリゲル』と呼ばれ、英雄と持て囃された少年時代の虚像。
それが、未だにシャウザの心の中を漂っている。
シャウザの内面から、声が響く。
『いい加減にしろよ? ────自分にはもう、何もない、だって?』
────『嘘をつけ』。
暇さえあれば弓のことばかり考えていた癖に。
それをお前がいつ、棄てられた?
と、シャウザが覆うことのできない耳に、少年の声が届く。
『────自分は空虚?』
────『嘘をつけ』。
格好をつけるのもいい加減にしろ。
未だに弓のことばかり考えている癖に。
いつもそれだけで頭がいっぱいで。
それを押し殺そうと毎日、必死だった癖に。
ただそれを他人に知られるのが、怖かっただけの癖に。
『────もう二度と弓を引けない?』
『────引き方すら、忘れている?』
────『この、大嘘吐き』。
口でも何でも、引こうと思えばどうにでも引けるだろう?
お前が弓の引き方を忘れるなんて、あり得ない。
それを想像しない日など一日もなかったのだから。
俺はずっと、嘘だらけだ。
人の目を気にして。
人のことを気にかけすぎて。
臆病さから、人の期待に応えようと必死だった。
他人のことを気にするフリで、自分の本質を晒すことを避けていた。
そのために自分にも嘘を吐き、周りにも吐き続け。
嘘で塗り固めた自己を己だと信じ込もうとする、愚か者。
そうして逃げて、逃げて、逃げ続け。
その結果。
『お前は────嘘と、現実逃避の塊だよ』
そんな過去の自分の遠慮のない物言いを聞きながら、シャウザは手の中の弓を眺めていた。
「……そうだ。お前の言っていることは、いつも正しい」
シャウザは少年の言葉を反芻しながら、手の中で美しく輝く弓を握った。
それだけで、わかる。
自分が見た中で最も崇高で、完璧なもの。
触れた瞬間、全身を懐かしい感覚が貫いた。
そうして改めて、自分は未だにあの頃と何一つ、変わっていないこともわかる。
あれほどのことがあっても何一つ、学ばず。
仲間の悲惨な血を見た後ですら何一つ、進歩がなく。
つまり、この弓を手に取った、あの日から。
自分は何一つ成長していないのだ。
……こんな馬鹿が、どこにいる?
事実を認めるのが怖くて変わった演技を続けていた。
変わらなければ、自分を頼った皆に顔向けできないと思っていた。
でも、真実は────
『いい加減、認めろ。お前は────』
未だに、弓を撃ちたいだけの馬鹿。
そう、本当にそれだけなのだ。
笑えてしまう。
この期に及んで────
この『弓』が手の中にある状況がただ、嬉しいなどと。
他の全てを捨てられても、弓だけは残ってしまう。
もう今更、誰に隠す意味もないのに。
この期に及んで自分を晒すことに臆していた自分にも笑える。
自分には昔からこれ以外、何もないのに。
元からこれ以外、あり得ないのに。
心の底から呆れて、もう、笑うしかない。
「俺は、正真正銘の愚か者だ」
……自分が英雄?
本当に聞いて呆れる。
自分は本当に弱いのだ。
過去から、未来から、ただ逃げ続けただけの人間だ。
本物の英雄とは、あのような者のことを言うのだ。
無思慮にも、自分にこの弓を投げて寄越したあの男。
全ての渦中にいながら、我関せずといった表情で飄々とし。
己が都合に全てを巻き込んでおきながら、呑気に他人のように振る舞っている。
そして、既に全てを持っていながらも、それでも尚、人の為に何かを成そうと突き進む。
それが見知らぬ人間か、自分に利するかどうかはなど全く勘定に入れない。
手当たり次第、片っ端から何も考えずに救っていくのだ。
そこには迷いや葛藤など微塵も存在しない。
本来、そのような存在を『英雄』というべきだ。
英雄とは常に、あのような男のことを呼ぶべきだった。
やはり、あれと違い臆病な自分には、母から言われたこの『弱い者の為にある道具』がよく馴染む。
シャウザは静かに目標を見据え、ゆっくりと弓を構えた。
その姿勢は少年の頃と何一つ、変わらず。
だが、本来あるはずの、弦を引くはずのもう一方の腕は存在しない。
だから────
『それが、なんだ? 代わりに牙で『黒い石』を咥え、弦を引けばいい』
……だが。
対象を見定めるべき目が、もはや存在しないのはどうしようもない。
だから────
『それが、どうした? 代わりに心で視ればいい。母様からそう教わった』
その時、シャウザは母親から教わっていたことを思い出した。
「風を読む」とは、つまり、「自分の心」を読むことなのだと。
そこにある捉え切れない事象を感覚だけに頼らず、ただ、なんとなく先を想い描き。
そして、それを最後まで信じ切ることだ、と言っていた。
でも、シャウザはそれが昔から苦手だった。
優れた五感に頼り、己の目で見たことしか信じない自分が、見たこともないものを信じる、という感覚がわからなかった。
「────ああ、そうだな。確かに視える」
だが、シャウザはようやく信じることにした。
母の言葉と、未だおぼつかない自分を。
すると嘘のように視界が開け、少しの未来が視えてくる。
その幻想がはたして、真実かどうかはわからない。
だが、信じる。意志を持って。
すると不確かなそれはいかにも真実らしく見えてくる。
「こういうことか」
シャウザは己が信じる未来を見定めた。
そうして美しい弓を引くと、全身が軋み、背骨が軋む音が鳴る。
生命の危機を告げるサインだったが、それでも構わず引く。
この一矢に、己の全てを込めると決めているからだ。
そうでなければ釣り合わないから。
この期に及んで、己の欲を追求する愚か者には何か代償があって然るべきだから。
だというのに……背骨が割れる音を耳にして感じたのは、ただの「快楽」だった。
己の生命を弓に捧げる行為を、至上の悦楽として感じている。
そんな状況を、変だとも思わない。
やっと認めたからだ。
────そう。
自分は本物の馬鹿だった。
血を分けた妹が危機に瀕する状況で愉しむという、あってはならない享楽者。
認めてしまえば何と言うことはない。
自分は、最初から最後まで愚か者なのは明白だからだ。
……むしろ、自分に何を期待していた?
これ以外に取り柄など何もないと言うのに。
自分には、何もない。
これ以外には。
シャウザはそう考え、また笑う。
己の変えようもない本質が、そこにまだあると言う現実に笑いながら、限界まで弓を引き絞り己が破壊されていく音を耳にする。
体はとうに限界を超え、悲鳴を上げている。
だが────
『そんなのじゃ、全然、足りない』
あれを撃ち抜くには『まだ足りない』。
と、自分の声がひたすらに訴えかけてくる。
既に全ての肋骨は砕かれ、背骨も砕け、背中の肉すら裂けかけている。
それでも、『全然、足りない』。
あれを撃ち抜くには己が骨肉を全て弓の部品として差し出すだけでは、『全く』、『十分でない』と、リゲルは自分に催促する。
だから。『だから』。『だから』────
「うるさい。いい加減黙れ。俺はもう、お前だ」
シャウザはリゲルの意見に同意した。
すると、少年の声は風の中に溶けるように消えていく。
シャウザは静寂が訪れた心の中で己が壊れていく音を聞いた。
美しい弓に引き摺られ、全てが壊れゆくその音が心底、心地良いと感じながら。
その狂気じみた執念はやがて、ひとつの素朴な想いへと戻っていく。
それは少年の時代からシャウザが思い描いていた、ただ一つのこと。
毎日毎日、ただ夢中でそれだけを追い求めた。
あの時は結果など、どうでもよかったのだ。
動機ですらまともに気にしなかった。
ただ、その瞬間さえあればいいと思っていた。
シャウザはようやく、それを思い出した。
その瞬間────
『透明な弓』から、『黒い石』が放たれる。
『「穿て」』
それは願いだった。
言葉にまで至らない、ただ、純粋に「届け」という想い。
言葉にならない様々な曖昧な想いを託された石は、たちまち全ての砂嵐を裂き、砂上に輝く『星』の生み出した多重の重力網の隙間をすり抜けて、危機的状況を瞬時に察知して差し出された数千もの『光の盾』を一つ残らず破り────
やがて砂漠の街に、降るはずのない雪が降る。
地上に輝く星がたちまち崩壊し、商都の空を覆うように光り輝く『盾』破片が降り注ぎ、あちこちを満遍なく照らしていた。
空飛ぶ船の上から飛来した一つの黒い何かに、不吉な星が撃ち抜かれ、それが商都にもたらさんとした危機ごと跡形もなく打ち砕いた。
外から見守っていた者の目からは、まるで、そのように見えた。
だが────
「本当に、俺は。あと少しという所で……失敗する」
それは実際のところ、ただ、そう見えただけだった。
全ての願いを込めた黒い石は結局、目標に届かずに終わった。
透明な弓から放たれた小石は全ての光の膜を破壊した上で、無防備となった対象の前で敢えなく失速し、ただ青い石の表面にコツンと軽く触れただけで、その全てを射抜かんばかりだった猛威は儚く終了した。
嵐はまだ止まなかった。
それを射た者の目に、勢いを失い、ただの小石同然となった黒いモノが落ちていくのが見える。
「ここまで、か」
残ったのは自嘲だった。
託された唯一の機会を失い、台無しにしたことへの。
己の全てを賭して尚、届かなかった無力感からの。
それは諦めからくる空虚な嗤いだった。
だが────
「大丈夫だよ、シャウザさん。まだ、シレーヌさんはあきらめてない」
そう、背後の少年は言う。
その声にシャウザが顔を上げると、
「────あれは?」
激しい嵐の中に大量の矢が、生き物のように蠢めいているのがみえた。