182 リミテッド・オークション
※都合により、前半は胸糞描写多めとなります。
「……なんだったんでしょう、今の怪しい男」
「ザドゥという、何度となくわたしたちを襲ってきた人物です。その度に、ノール先生に追い払われていたのですが……」
クレイス王国の王女とその一行たちは騒動の後、オークションは予定通り行われるとの知らせを受けて会場の中へと歩いていた。
並んで歩く人々の中には先ほどの暴風で壁まで吹き飛ばされていた者たちの姿も散見されるが、その表情は不自然なまでに落ち着いている。
「ノールのあれ、まんまと盗まれちゃいましたね。あの黒い看板みたいなものって結構、大事なものなんじゃないでしたっけ?」
「『黒い剣』のことは、ノール先生であれば何も心配はいらないと思います。ですが……」
「彼、丸ごと持っていってしまったね。『山込めの財布』ごと、オークションに使うはずの資金を」
憂鬱そうな王女に向けて困惑を滲ませた笑みを見せながら肩をすくめる青年に、彼らと並んで歩くローブ姿の耳の長い女性が屈託のない笑顔を向けた。
「それは問題ないんじゃないですか? どうやら私はツケ払いでいいらしいですし、私たちの目的は一緒でしょう? そもそも、どんな額でもリーンさんになら無利子でどーんとお貸ししますので、ご心配なく」
「はい。この際、お言葉に甘えさせていただきたいと思いますが……少し、他のことが気がかりで」
「何がです?」
「ノール先生は先ほど、私に「オークションを頼む」とはっきりおっしゃいました。なのに、全ての資金を詰めた『山込めの財布』を持っていかれてしまったのは一体、どういうことなのかと」
「それは単に忘れてただけでは?」
「いいえ、そんなことはありません。先生のすることならばきっと、そこには何らかの隠された意図が存在するに違いないのです」
「……そうなんですか?」
「はい。ノール先生は一見、全くそう見えなくとも、とても深い考えをお持ちの方です。そうやって、今までも私を何度も導いてくださいました」
「…………本当に??」
「────どうぞ、こちらへ」
係員に導かれるまま、王女たちはオークション会場の中へと足を踏み入れた。
そこはどこか劇場を思わせる、建物大きさに比べては小さな空間で、中央前方には少し高くなった舞台のような場所がある。
「皆様のお席はこちらに御座います。オークション開演まで今しばらくお時間がございます。それまで、こちらでお過ごしください」
王女たちは案内役の係員に会場中央の、広い円卓を囲むような席に通された。案内されたテーブルには人数分の椅子があり、透明な飲み物のグラスが置かれている。
「おっ、けっこういい席ですね。真ん中だし前がよく見えます。それに飲み物も用意してくれてますし、なかなかのサービスですね」
無邪気に喜んでいる風のローブ姿の女性の傍で、少女は不意に顔を曇らせる。
「ですが、この雰囲気。どうやら、歓迎はされていないようですね」
「おや、リンネブルグ様もお気づきですか」
「どうしたんです、二人とも……あれ? 足元になんか、違和感があるような……? ティレンスくんもわかります?」
「はい、お母様。どうやらこの会場にはあらかじめ、何者かを潜伏させているようです。それも僕らを取り囲むような配置で」
そう言って、ローブ姿の女性とよく似た容姿の少年は笑顔のまま椅子に座ると、目を細めながら周囲にぐるりと視線を向けた。
「猊下と殿下もさすがですね。その足元の気配というのはおそらく、警備用のゴーレムでしょう。普段は来客に対してこのようなことはしませんので、誰に対しての備えかは明白なのですが……その当人がここにいない、というね」
「……もしや、ノールがここまでに何かやらかしたとかですか?」
「ええ。それはもう、色々と」
可笑しそうに笑う男の前で呆れたような表情を浮かべながら、飲み物を手にとるローブ姿の女性。
「……なんだか、大変なことになってるみたいですね。リーンさん」
「はい。巻き込んでしまい、申し訳ありません」
「まあ、私もこの程度の修羅場は慣れっこになっちゃってますからねぇ……あっ、この飲み物美味しいですよ、ティレンスくん」
「……それでは、僕も試してみます、お母様」
「おすすめです」
一向に周囲を警戒する素振りすら見せない母親役に、その便宜上の息子、ティレンス皇子は苦笑しながらテーブルに置かれた飲み物のグラスを手に取った。
一方、その隣に座る少女は深刻な表情を浮かべたままだった。
「参加者の皆さんの雰囲気も少し、おかしいですね。先ほど壁に叩きつけられた人が平然とこの会場に入ってきています」
「ええ、どうやら彼らは『サレンツァ家』の人間ではないらしい。オークションで代理人を立てるのは常識ですが、これはあくまでも親族の社交の場。例年ならば参加者席は親族で埋め尽くされているはずですが」
「なのに……今日は見知らぬ顔ばかり、ですか」
「おそらく、この場のほぼ全てが役者か傭兵、もしくは相応の訓練を受けたゴーレムの操作者といったところでしょう」
「そうですか。想定はできたことですが」
「……やれやれ。あれだけ『始原』のゴーレムを叩き潰されてもまだ懲りもしないとは。見上げた精神力です。まぁ、ここにノールがいないことを考えればあながち間違った判断とは言えませんが……どうされますか、リンネブルグ様? もう既に、首筋に刃を突きつけられているに等しい状況ですが」
「どうもしません。彼らが直接、仕掛けてくるまでは」
「相変わらず、見かけによらず豪胆でいらっしゃる」
別の方向で一向に表情を崩す気配のない少女に、向き合う男はまた笑った。
突然、天井から陽の光が差したように明るくなり、劇場のような舞台の上で眩く照らされる女性が声を響かせる。
《────大変長らく、お待たせいたしました。紳士、淑女の皆様。サレンツァ家の、サレンツァ家による、サレンツァ家の為の限定オークションへようこそ》
明るく饒舌な司会は、そう言ってにこやかに来場者に対し、礼をした。
《お集まりいただいた、幸運な方々にも感謝を。本日は特別な皆様の為に、世界各地よりありとあらゆる希少な品をご用意しております。是非とも、この場限りの商品との出会いを存分にお楽しみの上、お気に入りをお屋敷にお持ち帰りいただければと思います……なお、今回に限り、初めての客様もいらっしゃいますので、簡単に本競売の進行方法をご説明いたします。まずは、お手元の参加者証の裏面をご覧ください。そこには皆様の信用情報が刻印され、参加者番号が割り振られているかと思います》
「……信用情報?」
「と言っても、低資産のものを見分ける為だけの簡易的なものですよ。おそらくノールと教皇猊下の資産区分は変わりないでしょうから、買い物自体は問題なくできるはず」
「……刻印は、無制限と」
「では、ここに居る誰とでも対等に心置きなく競売に参加できる、というだけの事ですね」
《お好みの品にご入札の際、その裏面を私、司会者に見えるように掲げ、購入希望額をお伝えください。希望額のご提示はハンドサインによる提示でも、口頭でも、どちらでも結構です。以上となります。それではどうぞ、楽しいお買い物を存分にご堪能くださいませ》
上品な拍手の後、大仰な箱に収められた最初の出品物らしき品物が舞台の上に登場すると、その小さな会場が感嘆のため息で満たされる。
だがそれは、どこか演技めいた冷めたものだった。
《まず、記念すべき第一品目は『大聖女の泪』となります。こちらは『忘却の迷宮』より産出された希少な《守護》の付与を備えた魔導具となっており、その保有者には類いまれなる美と健康を与えるとされています。最低落札価格は、1億から。それではどうぞ、皆様、御慧眼をご発揮ください────競売、スタートです》
「……おや、リンネブルグ様。競売には参加されないのですか?」
「とても、そんな気分にはなれません」
競売にかけられた品に値段がついていく様を冷めた笑顔で眺めていた青年が隣の席に座る少女に目を向けている前で、舞台の上では出品物の値段が吊り上がっていく。
《そちらの『18番』のお客様が2億ガルドです。さらに、3億出ました。さあ、他にいらっしゃいませんか。はい、『24番』様、4億五千万です。そちらの奥様、6億をご提示になりました。他にいらっしゃいませんか。購入のご意志がある方はどうぞ、奮ってご参加ください────さあ、いらっしゃいませんか》
数回の数字が提示されたあと、しばらくの静寂の後、木槌が鳴る音がする。
《おめでとうございます。『大聖女の泪』は《24番》のお客様に12億2000万ガルドで落札されました。お美しい奥様に、更なる祝福がありますように。それでは張り切って次の品目、一流の職人の保証書付き、強力な付与を備えた『大地の神槍』に────》
落札後、少しの拍手ののち、オークションは続いていく。
幾つもの数字を告げる声が上がり、或いはハンドサインにより景品の値段が上がり、再び誰かに競り落とされる。幾度も幾度も同じように進行されるを、中央の椅子に座る王女はずっと冷めた目で、黙って見つめていた。
「どうせなら、少しは楽しんでは? そのように深刻な顔ばかりしていると、お疲れになるでしょう」
「そんな気にはとてもなりませんと、先ほどから」
「そうですか……と、早くも彼らの出品の時間のようです。余計なことかもしれませんが、心しておいた方がいいですよ。必ずしも、貴女の望む姿で彼らが現れるとは限らない」
「────あれは」
薄く笑う男の声に、少女は俯いていた顔を上げた。すると明るい舞台の上に、少女と隣り合う椅子に座る青色の髪の少年とよく似た姿の子供たちが歩かされ、綺麗に立ち並んだところだった。
《────さあ、皆様お待ちかね。早くも本日の目玉、希少種として知られるあの『魔族』の子供たちの登場です。しかもなんと、本日は五体も同時に出品となります。皆様、その珍奇な姿に心打たれているところでしょうが、どうか姿かたちだけではなく、ぜひ首元にもご注目ください》
会場の中から、それまでと違った偽りのない興奮を含んだ歓声が上がった。
司会の言葉の通り、舞台の上の彼らの首には何かが取り付けられている。
《こちらに取り付けておりますのは皆様ご存じ、『隷属の首輪』です。ですが、こちらは魔族専用の特注品でして、こちらを用いれば、はい、この通り。さあ、『踊って』!》
小さな鍵のようなものを手にした司会の声で、舞台の上の少年少女は滑稽な踊りを踊った。
すると、会場の中から大きな笑いが起きる。
だが、当の踊る少年少女たちの表情は虚ろで、その目は澱んだまま、焦点が何一つ正確に合っていないように見えた。
それを見た王女と、隣に座る同様の容姿の少年は口元を押さえながら俯き、舞台の上から目を背けた。
《────このように、魔族といえば扱いにくい凶暴な忌まわしい種族と思われておりますが、この魔導具さえあれば、思いのままとなります。命令はなんでも他人の秘密も、魔獣を操らせるのも自由自在。さあ、魔族の子供本体とのセットでのご提供となります。まずは最低価格────50億から》
そうして数字を告げる幾つもの声色が、会場に冷たく響き渡る。
「────100億」
「────200億」
「300」
「400」
「──────500」
《さあ、早くも500億。いえ、600億が出ました。他、いらっしゃいませんか。またとない機会ですので、是非ともお見逃しなく》
その後も、値段を告げる声は大きくなっていく。
その間、王女はずっと隣の少年と共に目を伏せながら、何も見ないようにしていた。
「────ああ。こういう……ことですか。すみません、ロロ。私は……」
「……ううん。これは、リーンのせいじゃないから。でも……でも。こんなのって」
俯きながら耳を塞ぐ少年は、掠れるような声で言った。
「……いくらなんでも、酷すぎる」
少年の嗚咽するような言葉に、座っていた少女が席を立った。
「……リーンさん?」
「アスティラさん。先ほどのお金をお借りするお話、もう結構です。結局、必要なくなりましたので」
冷めた声を響かせた少女とは対照的に会場が帯びる熱気は一層、増していく。
《────なんと! 早くも5000億ガルドに到達です! 他、いらっしゃいませんか。入札のご意思のある方は是非ともお手元の参加者証をお掲げください。さあ、なんと6000億が出ました! さあ、他にはもういらっしゃいませんか? 既に、前代未聞の高額となっております。さらに上をご希望のお客様がいらっしゃらなければ、競売はこれにて締め切らせていただきますが────おや? そちらの初参加のお嬢様、初のご入札ですね。勇気ある新規入札者に、拍手を》
会場の中央で手を上げた少女に、まばらな拍手と共に注目が集まった。
《……それでは早速、ご提示額を。やり方は覚えていらしゃいいますか? ハンドサインがわからなければ、口頭でご提示額をお示しくださ────》
「私の提示額は、これです」
少女はメダルを宙に高く放り投げた。
そうして、片手を頭上に掲げ。
「【滅殺獄炎】」
会場の中央に極大の炎の柱が立ち上がる。
同時に少女が投げ上げた参加者証は瞬時に金属の蒸気となり、跡形もなく消え失せた。
《……お嬢様……?》
突然の炎で照らされた場内は俄かに静まり返り、呆然とする司会の声だけが会場に響く。
「……リーンさん、それでいいんですか?」
「はい。ようやく、わかりました。先生が私にこの場を頼むとおっしゃっていた、その真意が。……ノール先生は最初から、このような催しの趣旨自体をお認めになっていなかったのでしょう。だからこそ私にオークションの資金など持たせず、ただこの場を任せる、と」
今や冷めた沈黙と静寂が反響するだけになった会場の中央で、少女はゆっくりとその涙の跡の残る顔を上げた。
「……私はもっと、早くに気づくべきでした。そうすればあの子たちのあんな姿を、ロロに見せずに済んだのに。本当に、ごめんさい、ロロ」
「……ううん。リーン、ありがとう。ボクの代わりに怒ってくれて」
「────そもそも。たとえ異国の地であろうと、あのお優しい先生が、このような非道をお許しになるはずがありません。少しでも場に流されそうになっていた自分が恥ずかしい」
肩を震わせながら拳を握る少女の隣で、それまで静かに少女を見守っていたローブ姿の女性がゆっくりと立ち上がる。
「ふふ、リーンさんって、なかなか大胆なことしますよね? ま、リーンさんがやらなければ、私も似たようなことやろうと思ってたんですけど」
不意に、女性から強い風が吹く。
たちまち会場に吹き荒れた風は、競売の参加者達の手から数十枚の参加者証を奪い去り、一斉に磨かれた石の壁に打ちつけた。
「……本当、心外ですよね。こういうことを平気でする人たちって他人の人生を玩具か何かだと思ってるんでしょうか? 久々に、カチンときちゃいましたよ。あの骨野郎以来の、ガチ切れです」
「お母様。お気持ちはわかりますが、異国の地でこのような行為をなさると後々……?」
「いいじゃないですか、ティレンスくん。この際、やるところまでやりきっちゃいませんか? ていうか、もう、やっちゃいましたし。どのみち、後戻りはできません」
「……仕方ありません。公的な言い訳は後で考えましょう」
小さくため息をつきながら、その女性とよく似た少年が椅子から立ち上がると、たちまち彼らを取り囲むように床から巨大な石人形が立ち並ぶ。
「……うわ、本当にいた。床からニョキニョキと生えてきましたね……?」
「アスティラさん。このゴーレムは油断しない方がいい相手ですので」
「みたいですね。でも、まあ、みんなで力を合わせれば────って、あれっ?」
《────おっと、動くなよ? お前ら、最初からこいつらが目当てだったんだろう────?》
いつの間にか場から姿を消していた司会の女性の代わりに響いた声に、王女たちが舞台上に目をやると、そこには細身の青年と小太りの少年が舞台の上に立っていた。
その手には金色の装飾が施された鋭利な短刀が握られ、その刃は焦点の合わない目で立つ一人の少年の首筋に当てられていた。
「────あれは」
「やあ、弟たち。まだ残ってたんだね」
「……残念だったな、ラシード? お前たちがこいつらを求めてきていることなんて、こっちはとっくに把握済みなんだよ」
痩せた若い男の言葉に呼応するように、その隣に立つ小太りの少年も鼻を鳴らす。
「当然、そのための準備もしていたよ。あの化け物男と一緒に来たと聞いていたが、天命は僕らに味方したようだ。あいつ、この会場を前に、尻尾を巻いて逃げ出したそうじゃないか? そんな臆病者だとは知らなかったよ。少しでも怯えて、損したよ」
そう言って笑いながら、もう一人の青い髪の少女に手にした刃を突きつける。
「まあ、どのみち、アイツがいてもいなくても関係なかったがな……見ただろう? こいつらの首についている魔導具の効力を。これは精神支配と共に生命維持に制限をつける、特注品でな。無理に取り外そうとすればあっという間に命が尽きる」
「これだけで、もう手を出せないだろう? そっちに同類もいることだしなぁ? あの化け物男がいまいが、どのみち、ここに来る前にお前らの負けは確定していたんだよ! あははは、残念!」
そう言って笑う男たちに対し、先ほど会場の中央で炎の柱を作り出した少女はただ、冷ややかな視線を向けているだけだった。
「……は、驚きに言葉も出ないか? この神聖なオークションの場で随分と荒っぽいやり方をしてくれたじゃないか。やはり、サレンツァ以外の国など聞きしに勝る野蛮ばかり……だったら、こっちも相応の手段を取らせてもらうまでだが」
そうして、男は壇上から降りて客席の中央までゆっくりと歩いてくると、数百のゴーレムに囲まれた王女の首に、その手の中の刃物を突きつけた。
「……お前が例のクレイス王の娘か。ここまで他人の国で随分と好き放題やってくれたそうじゃないか? だが、残念だったなァ……何の情報もなく敵の本拠地に乗り込んできて、いつまでも優位に立てると思ったか? 強い手駒を揃えたと思って侮ったな。その驕りと慢心が、今回のお前らの敗い────ん?」
饒舌に語っていた男は少女の表情に気がつくと、その口を閉じた。
刃を首に突きつけられた少女はどういうわけかにこやかに笑っており、その隣に立つ彼らを兄弟と呼んだ男も何やら可笑しそうに微笑んでいる。
「……おい、お前ら。いったい何を笑っている?」
「いや、別に」
「何がおかしい。言え、ラシード。不愉快だ……お前もだぞ、王女」
「いえ。私も何も、可笑しいわけではないんです。ただ────つい、安心してしまって」
首に刃を突きつけられたままの少女の言葉に、男は不快そうに眉間に皺を寄せた。
「はぁ? この状況で、気でも違ったのか。そういう、冷静に自分の置かれた状況を見つめられない愚かさが────?」
不意に男の手にした短刀の刃が消えた。次の瞬間、その刃の部分だけが床に転がり、乾いた音を立てていた。
「……は?」
自身が今目にした異変に理解が追いつかない様子の痩せた青年は、しばし呆然と床に落ちた短刀の先端部分を見つめていた。
その口は何かの疑問を口にしたそうにパクパクと震えていたが、少女はその無言の疑問に応える代わり、その場で小さく息を吐いた。
「実を言うと……まだ、少しだけ迷いがあったんです。止むに止まれぬ逼迫した事情があるとはいえ、こうして力づくでものごとを解決しようとするのが果たして、本当に正しい行為と言えるのかと」
少女はそう言ってゆっくりと振り返ると、居住まいを正して自らに刃を突きつけていた男に向き直った。
その手には、少女が愛用する細身の刃がある。
「────その点、貴方にはお礼を伝えさせていただきます。あなた達のおかげで、迷いは一切、必要なくなりましたので」
その時、少女の手には愛用する細身の剣があり、その顔に言葉通りの心からの安堵を浮かべていた。そうしてその形の整った唇が簡易的な謝礼を言い終えるのと同時に、会場内に立ち並ぶ石人形の首が全て飛ぶ。
「……は?」
「────先ほど、貴方は私のことを野蛮とおっしゃいましたね。まさに、その通りだと思います。私は元来、こういう方がずっと楽なんです。人の上に立つべき者が、頭を使うより、腕力を振るう方が楽などと……よくよく、反省しなければなりません」
再び静かに言葉を紡いだ少女がくるり、と踵を返すと、次はゴーレムの両腕が一斉に宙に舞い上がる。
「えっ? なっ、何が……?」
「……そ、そうか! アリ兄さん! そこの獣人だ!」
「ちっ……! お前はあの化け物男と一緒に映像に写っていた獣人……! まだ、お前が────!」
「いや、俺は何もしていない」
「…………は?」
獣人の男の返答に困惑する兄弟をよそに、重い音を立てて床に転がっていく数百のゴーレムの手足を物憂げに眺めていた少女は、小さく息を吐きながら目を細めた。
「……本当に。どうして、忘れていたのでしょう。確かに、以前の私であれば、この状況にも臆して挑むべきだったのかもしれません。私たちを取り囲むこれらのゴーレムは、商業自治区サレンツァの秩序を維持する『恐怖』の象徴なのですから」
そう言って、少女が軽く片手を掲げると劇場のような空間の中に涼やかな風が舞う。
「しかしながら、すでにノール先生とシャウザさんが、対処の方法を全て教えてくださいました。全くの未知の状態で対峙すれば、少しは脅威たり得たのかもしれませんが。今となっては、もう……ただのお人形と、変わりませんよね」
少女の言葉と同時に残るゴーレムの首が一斉に床に落ち、再び鈍い金属音を響かせた。
「どうして、あのような茶番に付き合う必要があったのか。今となっては、疑問に思うばかりです」
「ア、アヒィッ!?」
「う、嘘だ……!?」
既に恐怖に顔を引き攣らせながら床にへたり込むしか無くなった男たちには目もくれず、少女は落ち着いて舞台の上に振り向いた。
「……ロロ。そちらはもう、大丈夫ですか?」
「うん。こっちはもう心配いらないよ、リーン。時間をくれてありがとう」
「な、何!?」
男が振り返ると、そこには王女の隣にいた魔族の少年が、銀色の鎧を纏った女性と共に気を失った仲間をそっと床に寝かせているところだった。
「この子たちの精神操作の魔導具は、安全に取り外せたよ。それほど難しい機構じゃなかったから、後遺症の心配もないと思う」
「……よかった。ありがとうございます、ロロ」
「な、何だと!? そんなのおかしいだろう!? それは一流の魔導具技師ですら取り外しが困難な特注の品だぞ!?」
「ロロはその一流の魔導具技師に認められた、専門家ですから」
「そ、そんな都合のいい事があってたまるかァ……! ちっ、おい、お前ら! 何をしている!? 高い金で雇ってやってるんだ、肩書通りの仕事を────」
「……も、申し訳ありません、アリ様ァ……!」
慌てたふためく痩せた男が振り向くと、そこには壁に無数の矢で縫い付けられた見覚えのある男たちがいただけだった。
「────お、お前らァ!?」
「リンネブルグ様。とりあえず怪しいのはみんな壁に縫い付けておきました」
「ありがとうございます、シレーヌさん」
「……な、なんでェ!? なんでこうなるッ!?」
「君らがまだ小さい頃、情報集めのコツを教えてあげただろう? 肝心なところで手を抜くと、痛い目を見るよって。未だにそういうところが抜けてるから、悉く手を出す相手を間違える」
そう言って男は周囲の怯える顔を可笑しそうに眺めながら、小さく肩を竦めた。
「あ、アリ兄さん……! も、もう、駄目だ! 逃げよう! こ、こいつら全員、化け物────!」
「逃がしません。【氷地獄】」
少女が腰の杖を手にすると、瞬く間に会場に冷気が充満し、極低温の氷でその場の全員の足を床に縫い付けた。
「ヒュッ……!? つ、つめだァ……ィ……?」
「あ、脚が、凍って……!? 動かない……!? た、助けェ────!」
「大丈夫です。それで死ぬことはありません。でも下手に動こうとすると、脚がポッキリ折れてしまうので気をつけてくださいね」
「ウヒィッ!?」
「それと、そんなに怖がらなくてもいいですよ。あなたたちには少し、お話を聞かせてもらいたいだけですので」
そう言って、その場をたった一人で支配した少女は怯える男達を安心させるよう、その涼やかな顔に穏やかな笑みを浮かべた。






