18 俺はゴブリンをパリイする
ゴブリンは引き抜いた大木を両手に持ち、凶暴な野獣のような瞳で俺たちをじっと見つめていた。
長い牙が見える口からは、赤黒い舌がのぞいている。
すぐに襲いかかってくる気配はない。
それはまるで、獲物を品定めしているかのようだった。
本当に、俺はこんな怪物と戦えるのだろうか──?
だが、俺がそんな疑問を胸に抱いた瞬間だった。
ゴブリンは突然手に持った大木を空に振り上げ──
俺たちに向かって一気に振り下ろしてきたのだ。
あの巨体で、とんでもなく疾い──。
一瞬で頭上に影が落ち、荒々しい木の肌が迫ってくる。
遠目で見るよりも、ずっと太い。
こんなもので叩かれたら、当然──俺たちの命はない。
だが──。
「パリイ」
俺は黒い剣で頭上に振り下ろされる大木を薙いだ。
持ち手に伝わる強烈な衝撃。
ゴブリンの振り下ろした大木の軌道は少しずれ、
そのまま俺たちのすぐ脇に落ち──
土を抉って地面に深く沈んだ。
──何とか、弾けたようだ。
良かった。
俺の後ろにいたリーンも無事だったようだ。
そう思ったのも束の間。
──ゴブリンの第二撃。
奴の反対の手に握られた、もう一本の大樹が俺たちの方に飛んでくる。
次は、横薙ぎ。
ゴブリンは強引に周囲の木々を薙ぎ倒しながら、森の地面ごと削り取り、力任せに巨木を振り回して俺たちを狙う。
──奴は知能のある魔物というだけあって、
この攻撃で俺たちが跳び上がることを見越している。
そうして無防備に跳び上がったところを、叩き落とそうというのだろう。
右手には既に次の大木が握られている。
木々を振り回す怪力も恐ろしいが、
その視線から読み取れる計算高さが何よりも恐ろしい。
だが──奴の思い通りには、させない。
「パリイ」
俺は、避けるのでなく、地面に黒い剣を突き刺し、無理やり大木を頭上に跳ね上げる。
それは予想していなかったのか、ゴブリンの巨体が一瞬、よろけた。
──今だ。
反撃の隙が生まれた。
俺は相手に攻撃する手段を持ってはいない。
だが、彼女なら。
「──リーン、頼む」
「はい、先生──【風刃波】!」
リーンのスキルによって生み出された無数の風の刃が、
嵐のような渦となりゴブリンへと向かった。
それは周囲の木々を細切れにしながら森の中を駆け、突風のようにゴブリンへと到達した。
だが──。
「グギャッ」
リーンの放った刃の嵐はゴブリンにいとも簡単に避けられた。
「──ッ! 【氷塊舞踊】!」
だが、リーンは続けざまに人ひとり分の大きさの氷の塊を何十も作り出し、次々にゴブリンへと打ち込んでいく。
逃げる隙も、反撃の隙も与えない、というように。
一撃一撃がまるで、大砲のようだ。
凄まじい威力の攻撃だ。
あたりの木々が当たった端から砕け、地面が凍りついていく。
──だが、一向に当たらない。
相手が、素早すぎるのだ。
「まさか、ここまでとはな──」
確かに、ゴブリンはすばしっこいと聞いてはいた。
だが、ここまでとは。
奴は木々の間を縫うようにして、リーンの氷塊を避けつつ、倒れた木々をこちらに投げてくる。
俺は今、それがリーンに当たらないように叩き落とすので精一杯だ。
──このままでは、まずい。
リーンの攻撃はほとんど奴に当たらない。
俺には、攻撃手段がない。
おまけに──。
「どうして──!? 傷が再生している……!?」
リーンのスキルによる猛攻撃は、ゴブリンに少しずつではあるが手傷を与えていた。
だが、何故か先ほど与えたはずの傷が綺麗になくなっているのだ。
リーンの攻撃は確かに、奴の腕の一部を切り裂き、足の指を凍てつかせ、少し砕いた。
そのはずなのに──。
その傷が、いつの間にかなくなっていた。
「もしや、あの魔石──!? あ、あれのせいで──?」
リーンはゴブリンを見つめながら、何やらつぶやいている。
──魔石。
あの、ゴブリンの額についている赤紫色の石のことだろうか。
最初に見たときよりも、眩しく光り輝いているように見える。
「あれが、どうかしたのか?」
「もしかすると、あれがあのゴブリンの力の源泉になっているのかもしれません。あれをどうにかして、取り除かなければ……」
「──弱点、か」
最弱の魔物と呼ばれるだけあって、わかりやすい場所に弱点があるものだ。
問題はどうやってあそこまで近づくかだが──
奴はとても素早い。
簡単には近づけない。
たとえ俺が全力で走ったとしても、奴に追いつける自信は、ない。
いったい、どうすれば──?
戸惑う俺たちが動かないのを、攻撃の好機と見たのかゴブリンは次の攻撃を仕掛けてきた。
奴の手によって上空にばら撒かれる、大量の大木の破片──。
それが、一斉に俺たちのところに降り注いできた。
同時に、奴は地面に転がる折れた大木を手当たり次第に掴み、投げつけてきたのだ。
──しまった。
やられた。
あのゴブリンはずっと、あのギョロついた目で俺たちのことを観察していた。
俺はこれまで、奴の攻撃を全て黒い剣で一つ一つ叩き落としていた。
奴はそれをよく見ていたのだ。
俺が叩き落としていたのは、一本ずつ──
同時に十数本もの大木をたたき落とすことは、この重たい剣では難しい。せいぜい、二、三本がやっとというところだ。
たとえ、軽い剣を持っていたとしても、同じことだろう。
この森で育った太い木を弾くのは、軽い木剣のようにはいかないのだ。
……俺は同時には何本も弾けない。
降り注いでくる大量の巨木。
同時に横方向から飛んでくる、矢のような木々。
これでは、彼女を護りきれない。
だが──。
「──ッ! 【風爆破】ッ!」
リーンが咄嗟に、とてつもない暴風を作り出した。
辺り一帯が震え、地震が起きたかと思うほどの衝撃──。
その風圧で、無数の木々が弾き飛ばされて散っていった。
──さすが、リーンだ。
そう思うと同時に──
俺は彼女の放ったスキルを見て、あることを閃いた。
「リーン。今の、俺の背中に打ち込めるか?」
「【風爆破】を──? で、でも、あれは城壁を破壊するような威力の攻撃魔術で……!」
「……あの感じなら、多分、大丈夫だ。頼む、あの素早い魔物に追いつくにはこれしかないと思う」
「……わかりました、先生がそう仰るのなら──」
そうして、俺は黒い剣を背中に当て──彼女はそこに両手を添えた。
「──では、頼む」
「行きます──【風爆破】ッ!」
──背中に感じる、強烈な衝撃。
黒い剣を挟んでなお伝わる、身体が弾け飛ぶような圧力。
とてつもない力で押し出されるのを感じながら、俺は【身体強化】を発動し、思い切り地面を蹴った。
──疾い。
やはり、俺が自分の足で駆け出した時とは比べ物にならないスピードだ。
周囲の風景が流れるように俺の視界を通り過ぎていく。
そして、同時に俺が【しのびあし】を発動すると、俺の体前面を覆っていた空気の壁が消え──さらに、俺の身体は加速した。
──俺は最初、【しのびあし】は足音を消すだけのスキルだとばかり思っていた。
だが、それは違うのだとある日、ふと気が付いた。
訓練中、疾く動きたいと思っても「空気の壁」が邪魔になる時がよくあった。
そういう時に【しのびあし】を使うと何故か音と一緒に「空気の壁」も消えるのだ。
だから、とにかく素早く動きたいときは、俺はこのスキルを使うことにしている──。
──それにしても、こんなに疾いのは初めてだ。
次の一歩が、とても遠くに感じる。
バランスを失わないよう、気をつけないといけない。
そして俺は次の一歩に意識を集中し──極限まで力を込めた【身体強化】を使って地面を蹴る。
──踏み込んだ地面が大きく割れ、同時に踏んだ脚の筋肉が軋む。
骨にも、ヒビが入ったような感触があった。
だが──この程度であれば、問題ないだろう。
俺の【ローヒール】で筋肉と骨のヒビの修復ぐらいなら瞬時にできるからだ。
そして、次の一歩、また次の一歩と、更に、更に力を込めていく──。
そうして、何度もそれを繰り返し、俺は更に加速する。
ゴブリンは俺の接近に気がつき、後ろに跳んで逃れようとした。
ものすごい反応速度だ──とてつもないスピードで、奴は動く。
だが──。
──今は俺の方が、速い。
俺はゴブリンに追いつき、額の石に触れた。
そして、そのままゴブリンの顔にしがみつき、
赤い石を思い切り右手で掴んで──
──強引に、ゴブリンの額から引き抜いた。
「グギャアアアアアアアアアッ!!」
額から鮮血が吹き出し、ゴブリンは苦しみの絶叫をあげた。
痛みにもがきながら、狂ったように暴れ、周囲の木々を力任せになぎ倒している。
既に、先ほどまでの知性は感じられない。
額の石を失った今、もう傷も治らないようだった。
俺が飛びのいて距離を取っても、奴は地面を転がるようにして苦しみ、所構わず殴りつけている。
少し可哀想だが、コイツは人を喰らうという。
今ここで、退治すべきだろう。
「リーン、あとは頼めるか? すまないが……なるべく、苦しませずにやってくれ」
「────はい、分かりました……【滅閃極炎】」
そして、リーンがスキルを発動すると、ゴブリンは一瞬で灼熱の業火に包まれた。
体を焼かれながら、炎の中から逃れようとすらしない。
叫び声を上げながら、何が起こっているのかさえ分からない様子だった。
「許せ、ゴブリン」
そうしてゴブリンは、もがき苦しみながら断末魔の呻きをあげ──果てた。
リーンがスキルの発動を止めると、黒焦げになった巨体が地面に沈んだ。
それは初めて俺が……俺たちが、最弱の魔物──『ゴブリン』を倒した瞬間だった。
お読みいただきありがとうございます。
あとでちょっと改稿するかも(?)です。
恐ろしいことに総合日間一位を6日連続、週間一位にもなってる模様です。
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