175 ザイードの屋敷
首都の中央部に向かうと聞いてもっと都会らしい雑然とした場所を想像していた俺は、高い壁に設けられた大きな門をくぐると、そこが豊かな森のようになっていることにまず驚いた。
沢山の植物が生い茂っているがその中に敷かれた道は綺麗に舗装されており、大きな川のせせらぎを感じながらしばらく馬車を走らせると、やがて視界が開け巨大な建物が現れる。
それは一口で言えば、眩いばかりの純白に輝く巨大な宮殿だった。
初めて『時忘れの都』を訪れた時にも驚いたが、山奥のような深い森の中から急に真っ白な建造物が現れたのには言葉を失った。
俺がその迫力に呆気に取られていると、程なくして馬車は建物の入り口に到達し、中から物静かな雰囲気の初老の男性が出迎えてくれた。
「ようこそ、リンネブルグ様。ラシード様。並びに、ノール様。当主ザイードがお待ちです。どうぞ、ご案内いたします」
俺たちはその黒服を纏った男性の指示に従い馬車を降りると、早速、彼に案内されるまま皆でその巨大な宮殿の内部へと通されたのだが。
「……すごいな」
外見からして只事ではないと思っていたが、中に入るとそこにはさらに驚くような光景が広がっている。
まず、人が写り込みそうなほど丹念に磨かれた真っ白な床に、新雪を思わせる明るく透き通るような純白の壁。天井の一面には埋め尽くさんばかりに見事な彩色の細密画が描かれており、少し歩いて進むたびに見事な調度品とすれ違う。
だが、何よりも驚いたのはその広さだった。
俺たちが歩いているのは一つの建物の廊下らしいのだが、その幅は商都の街路の何倍も広く、天井に至っては『時忘れの都』の中央講堂の何倍も高い。
まるで物語の中に出てくる巨人の宮殿にでも迷い込んだような気分だった。
俺としては目に映るもの全てが珍しく、歩きながらひたすらにあちこちを眺め回していたのだが、隣を歩くラシードは周囲の様子に静かに目を向けながら、案内役の男性に親しげに話しかけた。
「久しぶりだね、ワイズ。元気そうで何より」
「はい。本当にお久しぶりです、ラシード坊っちゃま」
「二人は知り合いなのか?」
「ああ。幼い頃、僕も母親とここに住んでいたことがあってね。彼には世話になったんだ。彼は僕の教育係も兼ねてくれててね」
「いえいえ。ラシード坊っちゃまは幼い頃から聡明で、浅学な私などは教わることばかりでした。教育などと、滅相もございません」
「じゃあ、この人はラシードを子供の頃から知っている人なのか」
「そうだね。母様が誰かに毒殺されてからは商都の外れの別荘に移ることにしたんだけど、それまではずっと一緒だった」
「……毒殺?」
思わず振り向いた俺の横で、ラシードはワイズと呼ばれた初老の男性に鋭い視線を向けた。
「────ねえ。あれ、誰がやったんだい。ワイズ。君なら心当たりがあるんじゃない」
「はて。私のような知恵の浅い者には見当もつきませんな。お母様のことは本当に残念でした」
「君も色々と仕事を掛け持ちして大変だね」
「お心遣い、痛み入ります。ラシード坊っちゃま」
旧知の仲らしい二人は穏やかに言葉を交わすが、その場の空気は緊張したままだった。ラシードはそんな雰囲気を気にするでもなく、昔を懐かしむように純白の石で造られた巨人の宮殿のような建物から見える広大な庭園を眺めている。
「本当にここは昔と変わってない。親戚の皆は相変わらずかい?」
「はい。皆様、変わらずお元気でいらっしゃいます」
「それはよかった」
何気ない会話をしつつ巨大な廊下を歩いていくと、やがて金色の装飾のなされた木製の門に差し掛かる。
ワイズはその門の前で立ち止まり、恭しく頭を下げる。
「────クレイス王国からのお客様、並びに御子息のラシード様がお見えになりました」
「通せ」
門の向こう側から響いた重苦しい声を合図に、立ち並んでいた門番たちが静かにその扉を開くと、俺たちはその煌びやかな装飾のなされた空間に一歩、足を踏み入れる。
さらに広くなった空間に驚きながら正面に目を向けると、部屋の奥に一人の体の大きな男が座っているのが見え、その人物はにこやかに笑顔を作り俺たちを迎えてくれているようだった。
「これはこれはリンネブルグ様、クレイス王国からお越しの皆様方。ようこそ、この商都までお越しくださいました。私が『サレンツァ家』現当主のザイードと申します」
壇上の玉座の上で笑顔で出迎えたザイードと名乗る人物に、リーンも丁寧な礼で応える。
「この度はお招きいただきまして、誠にありがとうございます。ザイード様」
「リンネブルグ様こそ、慣れない気候の中での長旅、大変お疲れになったでしょう。数日前には皆様が既に商業自治区内にご滞在とは聞き及んでおりましたが、大したもてなしもできませんで申し訳ありませんでした。息子のラシードがどうやら拙い接待をしたとかで、非礼がなければよかったのですが」
「いえ。御子息のラシード様には非常に良くしていただきました。あくまでも結果的には、という形ではありますが」
どこか冷ややかな返答をしたリーンに視線を向けられたラシードは、穏やかに微笑んだ。
「久しぶりだね、親父」
「ラシード。久々だな。お前が自らこの街を出て行って以来になるか?」
「ああ。そっちは相変わらずみたいだね」
「……『裁定遊戯』などと大仰な舞台を作って、随分と負け込んだようではないか? お前にしては珍しい大敗だな」
「今回はたまたま相手が強かっただけの話だよ」
「お前が勝手にサレンツァ家の名義で作った負け分のことは気にするな。あんな端金、クレイス王国からのお客人への接待費用として考えれば出費のうちに入らん。親戚筋にも既に話は通してある」
「さすが親父だ。話が早い。そう言ってくれると思って僕も大して気にしてない」
二人はにこやかに言葉を交わしているが、見えない火花が散っているようにも感じる。彼らは親子ということらしいが、仲が悪いのだろうか。などと俺が思っているとザイードの視線がこちらに向く。
「そちらがノール殿でよろしいかな?」
「ああ。俺がノールだ」
「君の武勇伝は聞き及んでいるよ。先日の『裁定遊戯』ではラシードを見事打ち負かしたそうではないか。父親の私が言うことではないが、なかなかできることではない。しかも、『時忘れの都』を引き継いだ直後、襲撃してきた賊を自らの手で退けたそうではないか。その二点を以てしても、君が新たな経営者たるにふさわしい資質を持つことは疑いようがない」
「……何か、資格を問う面接のようなものがあると聞いたんだが?」
「はは、そんなものはあくまでも形式的なものだよ。君の経営者としての能力は既に証明されている。以後、当主として君の所有を認めよう」
「おや、いいのかい、親父?」
「……ああ。あの程度の娯楽地など他にも国内に腐るほどある。気にせず治めさせるがいい」
「だそうだよ、ノール」
「わかった。ありがとう……?」
どうやら俺の用事は今のでもう終わってしまったらしい。
非常にあっけなかった。
要するに何も問題ないということでホッとするが、なら、わざわざ呼び出さなくてもよかったのでは? とも思うが、ザイードも言う通り、こういうのは形式が大事なのだろう。
というわけで、残るはリーンの用事だけだった。
リーンが一歩前に進み出る。
「ザイード様。お父様宛に頂いたお手紙では『レピ族』の所在の情報を提供いただけると伺いました。事の仔細をお聞かせいただけると助かります」
「おお、そうでしたな。もちろん、お持ち帰りいただける情報はきちんとご用意しておりますとも、リンネブルグ様。近々、数名の『魔族』がオークションに出品されるという噂を耳にしまして。クレイス王国の皆様が熱心にお探しだと伺い、是非ともお伝えしなければと思い、お父様に向け筆を執った次第です」
「オークション?」
朗らかなザイードの説明に、リーンは少し苦い顔をした。
「異国からいらしたリンネブルグ様はご存知かどうかはわかりませんが、この街では年に一度、定期的にオークションを催してございます。そこには大陸中から集められたありとあらゆる珍品が出品され、『忘却の迷宮』から産出された珍しい魔導具や熟練の職人による新作のゴーレム作品なども発表される賑やかな場なのですが、実は最近になって、大量の魔族が出品されるという噂が耳に入りまして」
「……オークションに人が出品、ですか」
「ええ。魔族といえばご存知の通り、先のミスラの教皇の発表以来、非常に人気が出ている奴隷商材です。あの呪われた『人の心を見透かす』、『魔物を思いの儘に操る』という恐ろしい力もうまく人の為に利用できれば非常に有用ですからな。どんな物であれ使いよう、ということでしょう」
リーンの横でロロが少し俯くのをその細い目で眺めつつ、ザイードは笑顔で続ける。
「近年、希少種族となった魔族には一層人気が出ておりまして、奴隷市場では非常に高値がつく傾向があります。リンネブルグ様もご興味あれば是非、オークションに参加してお買い求めいただくのがよろしいかと。なお、そうした魔族を快適に飼うための有用な各種魔導具も数多く開発されておりますので、もしよろしければ、そちらの魔族の使役にもお使いいただけるかと」
「ザイード様」
笑顔で語り続けるザイードの話を黙って聞いていたリーンが、ゆっくりと顔を上げた。
「誤解いただいているようなので申し上げておきますが、彼はそもそも奴隷ではなく私の友人です。それに、彼らと長年敵対してきたミスラ教国からも本来の呼び名である『レピ族』と待遇も改めるように、と貴国を含む同盟国に対し依願の書状が出されていたはずです」
「おっと、それは大変失礼いたしました。今後はそのように呼ばねばならんのでしたな。失敬、失敬。存じてはおったのですが、つい習慣で。もしご不快な思いをさせてしまったのであればお詫びいたしましょう……きっと奴隷の売買への抵抗感は文化の違いでしょうな。どうぞお許しを」
そう言ってにこりと笑ったザイードに、リーンはまた目を細めた。
「……そのオークションは、いつ開催されるのでしょう?」
「実は、つい数日前に予定されておりましたが、クレイス王国からのお客さまが近々商都にお見えになると伺い開催を待たせておいたのです。お望みとあらば本日、今すぐにでもご参加いただけるよう手配しておりますが」
リーンが俺に振り返る。
何かを迷って決めかねているような雰囲気だが。
「……ノール先生」
「要するに、ロロの仲間がそこにいるということだろう? 何はともあれ、ひとまず行った方がいいんじゃないかと思うが」
「……そうですね」
「────お客様がオークションへの参加をご希望だ。手配しろ」
「は。こちらにご用意してございます」
ザイードが屋敷に重苦しい声を響かせると、ワイズがリーンに上品な箱に収められた一枚の小さなコインを差し出した。
「これは?」
「オークションへの参加者証です。通常は厳重な審査の上、一部の特権階級のみにお渡しする特別な証となりますので、お気をつけてお持ちください」
「わかりました」
リーンがそれを手にすると、ザイードは一層愛想の良い笑顔を彼女に向けた。
「リンネブルグ様。ご存知の通り、我が国と貴国クレイス王国は随分と長い間仲違いしてきました。しかしながら、私はこれを機にその長い対立の歴史を終わらせたいと思っているのです。このように貴女達を我が屋敷までお招きした意図は、お察しいただけますかな?」
「はい。私も同じ想いで今回の使者の役目を務めさせていただきました」
「なれば、今後はできるだけお互いに穏便に、仲良く行きたいものですな」
「私も心から、そう願っております」
「……皆様を会場にご案内しろ、ワイズ。では、リンネブルグ様。約束の『忘却の迷宮』のご見学の件は、後日改めてご案内致しましょう」
「ご配慮、感謝いたします」
リーンはザイードに小さく礼をした。
ラシードも脇に控えているシャウザに目をやると意地悪く微笑み、ザイードに背を向けた。
「じゃ、親父。欲深い弟たちによろしく。玩具を壊してすまなかったとでも伝えておいてくれ」
そうして短いやりとりを終えると、俺たちはそのままザイードとの会談の場を後にした。






