170 大規模輸送キャラバン
俺たちがガレンの商館に戻った頃には辺りはすっかり暗くなっていたが、建物の中に入ると笑顔のラシードが出迎えた。
「お疲れ様。その顔だとやりたいことはやり終えたみたいだね」
「ああ。思ったより大変だったが、なんとか回りきれたな」
あれから俺たちはラシードのメモにあった場所を片っ端から駆け回った。
ガレンの商館と同じように身体が弱った人が狭い場所に放り込まれているはず、ということで急ぎめに現地に向かい、各商館に到着するなり館の職員に事情を説明すると、ラシードが言った通り、あらかじめ俺たちが来るという話は通っていたようですんなりと奥まで通してくれた。
どこもガレンの商館よりはまだ多少良いぐらいの感じで、どう考えても病人・怪我人にとって良い環境だとは思えない狭くて空気の澱んだ部屋の中に多くの人々が詰め込まれているのは同じだった。
そんなわけで早速、俺たちはすぐに治りそうな怪我や病気の人は俺の【ローヒール】で、他の医療知識が必要そうな人にはスキルに長けているリーンが治療を行い、他の手が空いた者は役割分担をして必要品の買い出しに走ってもらうことにした。
イネスとミィナは清潔な衣類やら足りない衛生品の類、ロロにはシレーヌと一緒に食料品の調達、館の職員にも色々と手伝ってもらいながら皆で手分けして必要なものを揃えることにしたのだが……驚いたのはミィナの活躍だった。
彼女は華奢な見た目に反し、かなりの力持ちらしく、行動を共にしたイネスと変わらないぐらい大量の荷物を担ぎ上げながら平然としていた。
汗ひとつかく様子すら見せず、重い荷物も何のその。動きも機敏で、結局、自分の分の仕事が終わったかと思うとロロとシレーヌのところにも手伝いに走り、誰よりも多い量の荷物を運んでくれていた。
そんな予想外のミィナの働きもあり、目的の『奴隷商館』は街の限られた街区にしか存在せず意外と近かったこともあって俺たちは無事、当初の目的だった場所の全てを回りきることができたのだが。
その後のことが少々、大変だった。
狭い部屋に押し込められていた人たちを一斉に外に出すことになった為、どの商館もスペースが足りなくなったらしく、館内はどこも人でごった返し、廊下・中庭は当然として応接室のような所までもが人でいっぱいになっていた。
商館の外にまでは溢れてはいないが人の密度がすごいことになっており、きっと、あのままではまずいことになる。
とはいえ、流石にあれは今すぐにどうにかできる話ではないので、俺たちは一旦、彼らに必要な食料品や衣服品などを置いていくだけにして、後のことはそれぞれの商館の職員に任せてガレンの商館に戻ることにした。
あの様子だとまだ問題は山積みという感じはするが、ひとまず最低限の怪我人と病人の処置は終えられたのでまあ、半日の仕事としては上出来という所だろう。
「ミィナが頑張ってくれたおかげだな」
「はいっ! 頑張りました!」
「こっちもリゲルが本当によく働いてくれた。褒めてあげてよ、ノール」
ラシードが明るく声をかけると、リゲルは気恥ずかしそうに頬をかいた。
「いえ、ラシード様のご指導があったからです」
「謙遜することはないよ。君、かなりいいセン行ってるから」
「ありがとう、リゲル。助かった」
「リゲル、お疲れさまですっ!」
ミィナがそう言ってリゲルに細い腕に力瘤を作ってみせると、リゲルとミィナは顔を見合わせ笑い合う。本当に二人が元気になって良かった……と思ってしみじみと眺めていた俺だったがラシードにぽんと肩を叩かれ、紙の束を渡された。
「はいこれ、忘れる前に。君のだから」
「……これは何の紙だ?」
「何って、権利書だよ」
「権利書?」
「そう。商都のほぼ全ての奴隷商館────正確に言えば、この商都で『サレンツァ家』の認可を得て営業している17の『奴隷商館』のうち、14が正式に君名義になった、っていう証拠書類」
「ああ、なるほど」
渡された紙をパラパラとめくってみると確かに書類は十四枚ある。
あの広い建物の所有権がそれぞれ、この紙切れ一枚に収まっているというのは変な感じだった。
「……回ってみて思ったが、数としてはそんなに多くないんだな」
「『奴隷商館』は数ある商売でも営業許可を取るのが難しい部類だからねぇ。普通なら、こんなに都合よく買える物じゃないよ? 皆、驚いてたよ。奴隷商館が市場に出るだけでも稀なのに、そんなのをポンポンと買いまくる奴がいたんだから。おかげで今、相場が高騰してとんでもないことになっちゃったけど」
ラシードは何やら価格表らしきものを眺めながら楽しそうに笑っている。
「……ま、むしろ本番はこれからだけどね。値段が不当に吊り上がった今、中身をもぬけの殻にして、投機目当ての何もわからない輩に経営権だけ売りつけるまでがこの商売のワンセット、って感じかなぁ……いやあ、今後の収益効率を考えると笑いが止まらないね。やっぱり商売って楽しいなぁ────あ、あとこれ、今日の分の儲けだから。どうぞ」
そう言って笑顔のラシードは俺に袋を差し出した。
思わず手を出して受け取ったが、ラシードの言葉に違和感を覚える。
「……儲け? 金は使ったはずじゃなかったのか」
「もちろん、お目当ての物を購入するのにかなりの経費は使ったよ。でも、他の取引でそれ以上に増えたんだ」
「増えた?」
「言っただろう? ちょっと商売させてもらって、儲けは全部君に渡すって」
「……そういえば」
……でも、おかしいな。
使って減らしたつもりなのに、増えている、とは。
「中身は嵩張らないよう全部『王金貨』にしてある。帳簿につけて管理する方法もあったんだけど、君達の今後のことを考えると現金の方が都合がいいと思ってね。小さな商材の売り買いを繰り返しただけなんだけど、種銭が種銭だけに積み重なるとまあまあな額になった。真っ当に商売して得た正真正銘潔白なお金だから、気兼ねなく受け取って」
満面の笑みで語るラシードだったが、受け取った袋のズシリと来る重みにそんなに軽い話ではないのでは、という気になる。
「……まさか、この全てが『王金貨』なのか?」
「うん、そうだよ。と言っても、こうして王金貨に換金できたのはごく一部だけど」
「……ごく一部?」
「王金貨の流通は限られててね。残りの大半は都合により、白金貨や大金貨になったんだ。ほら、あそこに袋が積んであるだろう? ガレンの金庫にも収まりきらなかったから、あんなところに置く羽目になったけど」
振り返ると確かに、入り口近くに大袋が山のように高く積んであるのが見える。
あの全てに現金が詰まっていると言われてもすぐには信じられなかったが、いくらか床にこぼれ落ちている金貨を見ると本当らしい。
「やっぱり、現金は嵩張るねぇ……でも、面倒な管理はガレンがやってくれるらしいから。ねっ、ガレン?」
「もっ、もちろんでございますとも! このガレン、命に代えましてもノール様の資産を管理させていただきます!」
「言うまでもないことだけど。一ガルドでも横領したら……わかってるね?」
「は、はひぃっ!? そ、そそっ!? そのようなこと私めは考えたことすら……!?」
「というわけでガレンの安心の全額保証つき。とりあえずここに置いておいて、必要ならいつでも取りに来るといいんじゃないかな」
そんなことを言って笑うラシードだったが、俺としては使い道に困っていたものがさらに増えたわけで、正直、悩ましいことが増えた形になる。
「どうしたんだい、ノール。もしかして、また使い道に困ってるとか?」
「ああ、そうだな。正直、どうしたものかと思ってな」
「だそうだよ、リゲル。それについて、君から何か話があるんじゃなかったっけ」
「……は、はい。ノール様。実は、僕から一つご提案が」
「なんだ?」
リゲルはラシードと目を合わせて頷き合うと、若干緊張の面持ちで俺の前に進み出た。
「僭越ながら……おそらく、先ほどノール様とリンネブルグ様が各所の奴隷商館を回られた結果、狭い部屋から解き放たれて行き場に困っている人が多数いる状況となっているかと思います」
「ああ、そうだな。廊下まで人が溢れている状況になってしまって困っている。よくわかったな?」
リゲルが言う通り、俺たちが考えなしに色々とやってしまったおかげで、奴隷商館はどこもぎゅうぎゅうの状態になっている。あのままだと相当まずい事態になりそうなので、早々に手を打たないといけないのはわかっているのだが。
「そこで、なのですが。ノール様は現在、あの『時忘れの都』の経営者であられるとのこと。であれば単純に、奴隷商館に収まらない皆さんを商都から『時忘れの都』に全員、移すことができれば一番良いのではないかと思いまして」
「……あの人たちを全員? 時忘れの都に?」
確かに、言われてみるとあそこなら広いし屋根もある。
部屋も十分に余裕がありそうだし、この街の中で新しく家を見つけるよりも環境はずっといいだろう。
だから、単純に悪くない考えかもしれない……と思ったが、でもあの人たち全部となると結構な数がいたぞ、とも思った。
「良さそうだが、そんなことが本当にできるのか?」
「君も知っての通り、容量的には十分さ。それに向こうにはメリッサがいるし、管理の面は彼女に任せればなんとかなるはずだよ」
「なるほど。でも、どうやってあの人数をあそこまで運ぶ? やはり日数はかかりそうだが」
「僕の試算上、サレンツァの輸送業者を募って大規模商隊を編成すれば十分に可能な範疇だと思いました。こちらがその提案内容をまとめた企画書になります」
「大規模商隊? 企画書?」
リゲルに突然、ずしりとくる分厚い紙束を手渡され一瞬、戸惑った。
見れば一番上は表紙のようだったが、パラパラとめくると中身は図入りで文字もびっしりと書かれている。
「……これを君が? あの短い時間で?」
「荒くて申し訳ないのですが……それと、こちらがその提案に係わる見積もり費用です」
「見積もり?」
渡された厚みのある書類に感心していたところ、リゲルはさらに分厚い書類を俺に差し出した。
パラパラとめくると同じような感じだったが、何か数字がたくさん書かれている。
「輸送商隊を組んで皆さんを『時忘れの都』に届けるとなると、警護として雇う傭兵等、色々と必要経費が出てくるので、全てを計上してあります」
「よくわからないが……できそうだな?」
「はい、予算は本日の余剰収益で十分に収まる想定です」
「…………ん? ということは、もしかして減らないのか?」
「はい。トータルで見るとプラスになるように抑えてあります」
「……そうか」
どうやらリゲルの話だと、あの大量の人々の輸送は十分に可能らしい。
というか、これだけ派手な使い方をしても、俺の金は未だに減ってもいないらしいことがわかった。
……どれだけあるんだ、残金は。
「ノール。君さえ良ければ、ついでに『時忘れの都』に送る彼らに教師でもつけてあげたらどうだい?」
「教師?」
「人的資源には教育で投資するのが一番効率がいいからね。あと、君が今後も彼らの健康状態を気にしたいなら、良い料理人や医者も金で雇えばいい。この街では金に糸目さえつけなければ、どの分野でも一番優秀な奴らがついてくるから。流石にゴーレム技師は街から動かせないから断念するとして────それ以外なら大抵、なんとかなる」
「なるほど?」
「そのお声掛けが可能な各分野の専門家リストはこちらにまとめてあります。どうぞ」
「……あ、ああ……? ……あ、ありがとう……?」
「ちなみに。その名簿の右にメモしてあるのが各業界の五年契約の相場です。その下の欄に書いてあるのは十年単位。その次が────」
「…………そういうのもあるのか」
その後も説明されるまま、渡された紙のいろいろな箇所に書き込まれた数字を見ていくが、やはり俺には一向に理解できなかった。
────まあ、とりあえず。
そんな難しい内容を嬉々として語るリゲル少年が優秀すぎることだけは、ものすごく、わかった。
「────と、いうわけなのですが。こちらはこの進め方でもよろしいでしょうか?」
「わかった。もう、全部任せる」
立て続けにいろいろな説明を受けて、もう何もかもがわからなくなった俺は笑顔でリゲルに頷いた。
彼の説明の細かな部分は何一つ満足に理解できた気がしないが、彼のイキイキとした表情を見ていると、とりあえず彼に任せておけばいいのだと思った。
……というか、むしろ、俺が下手に口出ししない方が絶対に上手くいく。
「……よ、よろしいのですか?」
「ああ。色々とやることがあって大変だと思うが、リゲルの好きなようにやってくれ」
「あ、ありがとうございます、ノール様!」
「……ちなみに。使う金は抑えてあると言っていたが、別に必要な金はいくらかかってもいいからな?」
「はい! そうならないよう一層、気を引き締めて頑張りますっ!」
本当に金を惜しむ必要なんかないし、君はもうそれ以上頑張らなくていいんじゃないかな、と正直思ったが、本人がキラキラした笑顔で自分で作ったらしい紙束を大事そうに抱き抱えるのを見て、何も言わないでおいた。
とにかく、今後は彼の邪魔になることはしないでおこうとだけ心に決めた。
「それで、この状況をメリッサにどう説明するかだけど。一応、ゴーレムバードで手紙ぐらい送っておこうか? 何の説明もなしじゃ、流石の彼女も戸惑うだろうし。ノール、君からも一筆もらっていいかい?」
「……俺から?」
「……君が『時忘れの都』の経営者で、最高責任者だろう? 館長の彼女は僕じゃなくて、君の命令を待ってると思うんだけど」
「そういえば、そうだった……わかった。俺も一応、何か書く」
「じゃ、この紙に彼女へのメッセージを。僕はもう書いたから、あとは君のと一緒に送るだけだよ」
「そうか」
ゴーレムバードが窓際に一羽、と言えばいいのか一体、と言えばいいのかわからないが、とにかく留まっている。
俺はラシードから受け取った丈夫そうな小さな紙にメリッサへの簡単な手紙を書きつつ、次なる仕事を早速、テキパキと始めてくれたらしいリゲルの背中を眺めた。
「彼、本当に優秀だねぇ。君がお金を出したんじゃなかったら、僕の部下に欲しいぐらいだ」
「ああ。そもそも俺なんかに養なわれなくても、すぐに自立できる気がするな」
「だねぇ。彼なら自分で身請け金ぐらい稼ぐなんてわけないし、彼が今後、どれだけ成り上がるかは主人の君の許可次第、ってとこかな」
「許可も何も。本人に任せるのがいいだろう」
「はは、いいね、それ。実に君らしい」
「それに、一人じゃないことだしな」
ミィナは今、弟のリゲルが何かの仕事をテキパキやるのを傍で見守っている。
あの二人は引き取った俺が養う責任があるような気がしたが、リゲルのあの様子ならもう俺以上に稼げそうだし、ミィナと協力すれば十分に生きていけそうだった。
「どうも彼、あの子のために自分の能力をずっと隠してたみたいだね」
「隠していた?」
「ああ。今まで周りに信用のおける人間が見つからず、自分達に正当な値段がついて引き離されるのを恐れていたんじゃないのかな。今日も僕から二、三はアドバイスはしたけれど、彼のあの手際の良さは元からさ」
「……なるほど? それはすごいな」
「彼、本当にいいよ。そもそもの能力がかなり高めってのもあるけど、そんな自分の力に自惚れず、今も誰のおかげでそう動けているのかってことがよくわかってる……商売の世界で長生きできる、何よりの秘訣だよ。さすが、あの『英雄リゲル』の名前をもつだけはある────ねぇ、シャウザ? 君もそう思わない?」
ラシードは思い出したようにシャウザに笑顔を向けた。
シャウザはまた嫌そうな表情でラシードから顔を背けたが、ミィナから「────ねっ? でしょう? そうでしょう? 私の弟、すごいでしょう? ねえ?」という無言の圧力がある笑顔をじ〜っと向けられ、諦めたようにミィナに向けて「そうだな」と呟いた。
「ノール様、お待たせしました。これで全ての業者の手配が終わりました」
「……なに? もうか?」
「はい、ノール様の承認をいただく前にあらかじめ、各業者との折り合いはつけてありましたので。急ぎということで相場の十倍となりましたが、大手の優良輸送業者を独占的に抑えられましたので、ノール様名義の奴隷商館で扱われていた人員は全員、明日の朝には『時忘れの都』に到着している予定です」
「……すごいな。そんなにすぐ着くのか」
「物流が夜に寝ているようじゃあ、商売の街とは言えないよ……ところで、ノール。君、商館の中身以外には興味ないよね? だったら商館自体の所有権はもう、売っちゃってもいい?」
「ああ、俺はそれで構わないが」
「判断が早くて助かるよ。じゃ、その証券はまた預かるね。市場が動くのは朝からだけど、売り注文は出しとくから。きっと、明日の早朝には全部売れてると思う」
俺はさっき預ったばかりの権利書を、また全てラシードに手渡した。
「……さっき買ったばかりなのに、早いな?」
「良い商売をしたいなら、何よりスピードが大事なのさ。このまま寝る間を惜しんで取引を楽しみたいところだけど……夜も更けたことだし、そろそろ僕らは休もうか? 泊まる場所はガレンが用意してくれるっていうし」
「は、はひっ!! もちろんですとも!! お部屋は当然、最上級のスイートルームを!! お食事も、当商会の誇る最高の職人による、極上の逸品をご用意させていただいておりますので!!」
「いやあ、お言葉に甘えちゃって悪いねえ。おかげで宿を探す手間が省けたよ」
また少し悪い笑顔になっているラシードだったが、俺たちはその晩、ガレンが厚意で用意してくれたという宿に皆で泊まることになった。