159 滅びの足音
今回、少し長いです
(2022/09/27 16:50 追記:少し修正しました)
国土の全てを支配下に置く一族の名を冠し、国内のほとんどの富が集約される街、『首都サレンツァ』。
他の街では決して見られない華やかな装飾が散りばめられた壮麗な建物が立ち並び、都の中心部の広大な森のような『庭』の中には日差しを受けて眩しく輝く並外れて巨大な純白の屋敷が聳え立っている。
そこだけまるで別世界とさえ呼べそうな宮殿のような建築物の一室で、若い男が二人、赤い果実酒の入った盃を並べて楽しそうに笑い合っていた。
「────はっ、いかにもラシードらしい終わり方だったな。ここまできて、つまらない賭博で破産とは」
「本当に。あいつらしい無様な最後だったよね、アリ兄さん」
若干頬を赤く染め、饒舌に語る神経質そうな若い男の向かいで、身体に多少贅肉がつきすぎた感のある男が嬉しそうに相槌を打つ。
多少肉付きは違えど、顔形がよく似ている二人は兄弟であった。
一方の細身の男はサレンツァ家の次男、アリ。
もう一方は彼の二つ下の弟、ニード。
彼らは酒の入った金色の盃を掲げ、その日、何度目かになる祝杯をあげていた。
「……自分から仕掛けた『裁定遊戯』で11兆も負けたって? 前代未聞だよ。はは、勝負の代行人にろくな奴がいなかったんだろうねぇ」
「ああ。絶対に勝てると思い込んでいたんだろう。挙句、あんなに観衆を注目させて大負けだ」
「おかげで、『徴税官』なんて下民みたいな仕事をしてまでしがみついていた『時忘れの都』の経営者の座が人手に渡ったって? そんなの末代までの笑いぐさだよ。あいつの存在は、僕らサレンツァ家の栄光ある歴史から抹消すべきだよ」
「そうだな。これ以上、家の恥を晒さないよう、あいつの負け分はサレンツァ家で引き受けることになったが……いくら神聖な『裁定遊戯』で決定された負債とはいえ、何故あいつの失敗を我が家が負うかは疑問だな」
二人が飲み干した盃をテーブルに置くと、傍に佇んでいた使用人が静かに赤い果実酒を注ぐ。
弟のニードはすぐさま奪うようにその盃を手にすると、窓の外に広がる広大な庭園を眺めながら一気に飲み干し、ため息をついた。
「でも一応、あいつも法の上ではサレンツァ家の一員だしねぇ。子の借金は親が持つことになる……まあ、我が家にとっては大して問題にならない額だし、世間体を重視したんだろう。僕なんて、子供の頃にうっかり二兆ぐらい使い込んだことがあるけど父様は笑って許してくれたしね」
「あの時は流石に母様が怒ったがな」
「でも……ほんの少しの罰だけで許してくれたよ」
「ああ。俺たちは家族だからな。助け合うのは当然のことだろう」
一般の庶民ではその一滴すら口にすることが叶わない上質な果実酒が注がれた盃を傾け、二人の兄弟は昔を懐かしむように笑いあう。
「……でも、あいつはとても同じお父様の血を引いているとは思えない。物分かりが悪いし、考え方が野蛮すぎるよ」
「あいつの片親は何かの間違いで父様の目に留まってしまったような、どこの家の出かもわからない女だ。上流商家の令嬢だった母様とは何もかもが違う」
「そもそも、なんであんな奴が未だに僕らの『兄』扱いなんだろう? いくら曽祖父の代に定められた厳格な法とはいえ、今では父様すらあいつのことを疎んでいるというのにねぇ」
「父様が過去に一度は認めてしまった以上、あいつは父様の子で俺たち兄弟の『長男』だ。とはいえ、あんな奴に優先相続権があること自体、おかしな話だとずっと親戚中の皆が言っている。政治家たちを使って正攻法で法を改めるのも時間の問題だっただろう」
「でも……今は、その法律があって本当によかったと思うよ」
「ああ、要はどんな法律も使い様だ」
「……本当に良かったよ。あいつが死にさえすれば、あいつに割り当てられる予定だった父様の遺産が丸々、アリ兄さんのものになるんだから」
兄弟は再び盃を打ち合わせ、楽しそうに笑い合う。
「終わりよければ全てよしってやつだな。今ではラシードの奴に感謝すらしている」
「家族会議でも、親戚中が喜んでいたよ。やっとあいつが破滅してくれたって。これで話のわかるアリ兄さんが優先相続者になってくれれば、これからのサレンツァ家はずっと安泰だって」
「────あらあら。二人とも、随分と楽しそうなお話をしていますのね。私も
お仲間に入れてくださいませんこと?」
部屋の入り口から響いた甲高い声に、二人の兄弟は若干緊張した様子で立ち上がり、豪奢なドレスを着た女性に向き合った。
「母様、来てくださったのですね。急なお招きに応じてくださり、ありがとうございます」
「ふふ、当然でしてよ。私の可愛い息子たちが楽しい鑑賞会を用意してくれたと聞いたら、三下の政治家どものパーティーになんて出席している場合ではありませんわ。予定は全てキャンセルして参りましたわ。今日はゆっくり、家族水入らずで過ごしましょう」
「はい、母様」
兄弟に母、と呼ばれた女性は用意された椅子に優雅な所作で腰掛けると、使用人が緊張で手を震わせて大奥様専用のティーカップにお茶を注ぐのを細目で視界に入れながら、声を小さく落として言った。
「そうそう。そういえば聞きましたよ、アリ、ニード」
「はい、なんでしょう」
「貴方たちに家から割り当てられていたゴーレムですが……その全てを、『時忘れの都』に向かわせたそうですね? いったい────誰の許可を得て、そんな大胆なことをしたのですか」
和やかな雰囲気から、急に声が低く落ちた母の声に兄弟は思わず息を呑んだ。
「そ、それは」
「────あらあら。どうして、そんな顔をするのかしら? 私は何も、貴方たちを責めているのではありませんのよ? むしろ、とても大胆で、有意義なことをしましたね、と褒めているのです。あのラシードを討ちに向かわせたのでしょう? 素晴らしいことではありませんこと?」
母は口元から離したティーカップを優雅な所作でテーブルに置くと、作り物のように綺麗な笑顔を浮かべ、兄弟に向き合った。
二人の兄弟はどうやら彼女が怒っているわけではないことを察すると、兄のアリはほんの少し表情を緩ませ会話を続けた。
「……その通りです、母様。一族の会議ではラシードを首都に招くことが決まりましたが、あいつが本当に首都に足を運ぶことを望んでいる親族など一人もおりません。むしろ、何かの事故で死んでくれた方が良い、と考える者の方が圧倒的多数です。ならば、いずれ『サレンツァ家』を継ぐ者としてはその願いを叶えるのが役目かと思いまして」
「……それで貴方たちは即座に全てのゴーレムを向かわせた、と。もちろん、あれが私たちの『富』を下支えする重要な資産であるということは理解していますね? 本当に大事なものには、お金などには代え難い価値があるのですよ」
「はい。ですから、全てのゴーレムを差し向けるかどうかは難しい決断でした。しかし、王獅子鳥は砂鼠を狩るにも全力を尽くす、というではないですか。これから得られる利益を考えれば、多少のリスクは取っても致し方ないかと」
「────さすがは、我が息子たちです。ライバルを蹴落とすチャンスを見逃さないのは商人としてはとても大事な資質ですね。アリ、ニード。貴方たちはサレンツァ家を継ぐ者にふさわしい、とても素晴らしい決断をしたのですよ。お父様もきっと、御喜びになることでしょう」
「ありがとうございます、母様」
母が心から満足そうな笑みを浮かべると、三人の間に流れた緊張を孕んだ空気がほんの少し和らいだ。
「ところで。鑑賞会の他にもお楽しみがあると聞きましたが」
「はい。おい、あれをご用意しろ」
「────は」
アリが部屋に控えていた使用人に合図をすると、すぐさま奥の廊下から料理が運ばれてくる。
そして三人のテーブルの上に置かれた料理の皿の蓋が上げられると、分厚い肉が顔を出す。
「あらあら、素敵。これは何のお料理でしょう?」
「はい。母様のために、今日は特別な豚を使った料理をご用意いたしました」
「豚、ですか」
「私たち兄弟が自ら血統の選別を重ねて、専門の飼育職人を雇って最上の餌を使わせて育てさせた世界に一匹しかない豚です。母様にはそれをご賞味いただければ、と」
「……それはそれは。本当に楽しみですこと。それはそうと────────この、下品な音はなにかしら?」
特に料理に興味を示した様子もなく、急に不機嫌そうに顔を顰めた母親に兄弟はまた息を呑む。
兄弟が耳をすませば、確かに宮殿のように広い館の廊下から誰かが駆けてくる音がする。
それが自身の部下が走る音だとわかったアリは、母とおなじように眉間に深く皺を寄せた。
「……ちっ、これだから貧民は。今は大事な来客中だというのに」
「どうやらこの館には躾が必要な者がいるようですね」
「はい。母様」
「しッ、失礼いたします! 火急の用件でご報告に上がり────ぐはっ!?」
慌てて何かを報告に来たらしい男がドアを開けた瞬間、アリの足がその腹にめり込んだ。
思わず呻き声をあげてむせ返り蹲った部下を、アリは冷たい視線で見下ろした。
「おい。なぜ蹴られたか、わかるか?」
「……はっ、はい。き、禁じられているにもかかわらず、ご邸宅の廊下を走りました」
「そうだ。出自が下賤でも、廊下ぐらい優雅に歩け、と何度言えばわかるんだ?」
「……も、申し訳ありませんっ……!! し、しかしながら────!」
「もう、いい。こっちはお前の泣き言なんて聞きたくない。それより……俺が申しつけておいた『遠見』の映像はちゃんと取れているんだろうな? これから母様がご覧になるんだ。準備しろ」
「もっ、もちろんです! そちらのご報告に上がりました。しっ、しかしながら────あがっ!?」
アリは息を切らしている男の腹に、再び膝を蹴り入れた。
「……なあ、クロイツ。つまらないことを勿体ぶらないでくれないか? こっちは食事中に、わざわざ時間をとってお前の相手をしてやってるんだ。それに……その皿に載っている肉、幾らすると思う? お前の一生分の稼ぎよりも、ずっと高価なことぐらいわかるよな?」
「も、申し訳ありませんッ!! だ、大事なお食事の時間にもかかわらず、私は────!」
「全く、わかってないな。お前がそのつまらない謝罪をする間に大事な料理が冷めていく、と言っているんだ。あの肉一切れ分の価値もないお前が、代わりのものを用意してくれるとでも?」
「────ひッ! ど、どうか、お慈悲を────!!」
「それとも、そんな簡単な仕事すらできない舌、要らないか? このナイフは良い肉を斬るために職人に作らせた特別製でな。当然、人の肉も良く切れるんだが……さあ、どうする? チャンスはやったぞ。ほら、選べよ?」
苛立っていた様子のアリは次第に嗜虐的な笑みを浮かべると、手にしていた食事用のナイフを臣下の喉元に突きつけた。
鈍い銀色に光る鋭いナイフを突きつけられた臣下の表情は見る間に恐怖で引き攣った。
「しッ!! 失礼いたしましたッ!!! あっ、改めて申し上げます!! と、『時忘れの都』向かわせたゴーレム兵、約1万2000体がっ……そ、その!」
「だから、詰まるなって。『時は金なり』って言うだろう? なのにどうして、お前はそんなに俺をイライラさせるのが好きなんだ? これじゃあ、減給どころじゃなくて罰金も必要だな? 支払えない場合は、お前の家族を奴隷商に────」
「────ぜっ、全滅ッ!! 遣わしたゴーレム兵が、ぜ、全滅、致しましたァッ!!!」
「……は? 全滅?」
アリは臣下の報告に思わず固まり、ナイフを片手にゆっくりと後ろを振り返った。
そうして、ちょうど同じナイフを使って熱心に肉を切り分けていた弟と目を合わせると、呆れたような表情で肩を竦めた。
「聞いたか、ニード? 全滅だって」
「はっ、あり得ないね」
弟のニードは鼻で笑うと、再び皿の上に乗った肉を切り分ける作業に戻った。
兄のアリは苛立った様子でテーブルの上の赤い果実酒のボトルを手にすると、怯える部下にその中身をぶちまけた。
「……あ、アリ様……?」
突然酒を頭から浴びせられ、さらに呆然とする男の足元に敷かれた絨毯に赤い染みが広がっていく。
「なあ、クロイツ……お前は出自が貧民で頭の回転が悪く、無能ながら他のやつと違って従順だったから特別に取り上げてやったんだ。そのことで少しは俺に恩義を感じてくれていると思っていたんが」
「もっ、もちろんです! 愚かな私などはアリ様のお慈悲で────!」
「なら、冗談なら、もっと笑える冗談を言ってくれよ。それに幾ら何でも、時と場合をわきまえろよ。今日は我が家にお母様がお見えになっているんだぞ? いくら無知で愚鈍なお前だって、知っているよな? あれは俺たち兄弟が保持する全兵力だ。それが、よりによって全滅だって? はっ、なんだよそれ。そんな冗談、誰が面白がるんだ? なあ、俺の質問に答えろよ、クロイツ」
「おっ、お慈悲を……!」
「もう、いい。十分だ。こんな簡単な質問にも答えられない無能など、今日で解雇だ」
「あッ、アリ様!? あっ……? あ゛がッ!?」
食事に使われるはずだったナイフの切先が怯える臣下の首筋に押し付けられていき、アリはそのまま臣下の首を切り裂いた。
傷は浅く、致命傷になる程ではなかったが男の首からは大量の血が流れ出し、足元の赤い染みができた絨毯を一層濃い色に染めた。
「おい、お前たち。その汚れた絨毯を捨てておけ。そいつもさっさと連れて行けよ。目障りだ」
「「は」」
「……それと、クロイツ? わかっていると思うが俺は無能な奴に退職金なんて支払わないからな。お前のせいで冷めた肉と、汚れた絨毯はお前持ちだ。支払えないなら、家族でも売るんだな」
「ど、どうか、それだけは……お、お慈悲を! ────うぐッ!?」
アリに報告を終えた臣下は、他の臣下に引きずられるようにして部屋を出て行った。
「母様、お騒がせしました。それでは、お食事の続きを」
「────アリ。今のはいったい、どういうことでしょう?」
「……か、母様?」
何事もなかったかのように席に戻ろうとしたアリだったが、叱責するような母の声に身を固めた。
「……私の言っている意味がわかりますか、アリ? 今の貴方の行動は、将来我が家を担う者としてあるまじき失態です」
二人の兄弟が引き攣った表情を浮かべる中、母は食事の席を立ち、ゆっくりとアリに詰め寄った。
そうして母は幼児に言い聞かせるよう、硬直するアリの頭を優しく撫でながら言った。
「私は何も、貴方を責めているわけではありませんよ────でも、貴方は少しお人好しが過ぎるのではないですか? 私はこれまで、繰り返し、繰り返し、繰り返し────貴方には教えてきたでしょう? 支払い以上の仕事をしない無能は、その場で手足を斬り落とし、全ての財産を没収した上、親族全員を最も酷く扱う奴隷商に売り渡しなさい、と」
アリは優しく母に頭を撫でられながら、震えていた。
その目は何かに怯えているかのようだった。
「……わ、わかっているよ、母様」
「それと、貴方はあれに恩義がどうのこうのと言っていましたが……いくら姿形が似ているからといって、あんな貧民を私たちと同じ様に扱うことはありませんのよ? あれらは我々が適切な管理をしなければ堕落するだけの『獣』です。皆が生まれつきの怠け者ですから、きちんとした『罰』を与えてあげなければまともに働きなどはしないのです。それも、私たち家族に関わる重要な仕事に用いるなら、事前に入念な躾が必要、と……いったい、貴方には何度同じことを言えばわかってもらえるのでしょう?」
「もっ、申し訳ありません、母様」
「────アリ。私は決して怒っているわけではないのですよ? しかしながら……全く、理解できないのです。貴方は何故、あんな無能をまだ生かしておいたのですか? あんなものは、生かしておいても汚い口から汚い言葉を吐き出し、我が家のありもしない噂を言いふらすだけの害虫です。なぜ、早々に処分をしないのかしら?」
「……は、反省しているよ、母様。も、もちろん、あいつは処刑するつもりだった。それに、次はもっとちゃんと人選をする」
「そうですよ。家で用いる者は、次からしっかりとふるいにかけて選別をなさい? 選ぶコツは『生まれ』と『血筋』そして『育った環境』です。適切な教育以前に、まずは入念な選別が必要なのです────ちょうど、貴方が私に用意してくれた、この豚のように」
「はい、母様」
「そこだけわかってもらえれば、私はそれでいいのですよ。では、お食事を続けましょう。せっかくの料理が冷めてしまいます」
そう言って、テーブルに戻った母親は上品に微笑みながら皿の上の肉をナイフで切り分け、小さく切った肉を一切れ口に運ぶと満足そうな笑みを浮かべた。
「うん、美味しい。良い豚を選びましたね、アリ」
「あ、ありがとうございます、母様」
「これからの鑑賞会も、とても楽しみにしていますよ」
「はい、母様。おい、『機鳥』が取ってきた映像を壁に映せ」
「は」
すぐさま純白の壁に掲げられた『物見の鏡』に、空の上から見下ろした『時忘れの都』の映像が映る。
「……本当に、良いことを考えましたね、アリ、ニード。長年のライバルと決着をつけるついでに、あそこに溜まったゴミも一緒に掃除してしまおうというのは素晴らしいアイデアだと思います」
「はい。あれはラシードにぴったりの、素性の悪い者ばかりが集う掃き溜めのような場所です。母様がお好きだと聞いていましたので」
「ええ。貧民が熟れた果実のように握りつぶされる様子は、何度観ても良いものですよ。あれは選ばれた私たちのみに許された特別な娯楽。それでも、街ごとゴーレムに蹂躙される光景など、私たちでも滅多に見られるものではありませんのよ? せっかくですから、貴方たちが用意してくれたお料理と一緒に楽しみましょう。アリ、ニード」
「はい、母様」
そうして親子は皆で揃ってナイフとフォークを構え、『物見の鏡』の中で起きる出来事を見守った。
だが、直後にゴーレムの前に立った二人の男の姿を見て、笑いが起きた。
「……あれはなんのつもりだろうね? 命乞いかな?」
「はは、笑えるな。あいつ、ラシードの後任の経営者だぞ。それに、脇に立っているのはラシードの従者だ。どうやら、ボディーガードまで取られたらしい」
「でも、『時忘れの都』に配備されたわずかばかりのゴーレムはどうしたんだろうね?」
「そんなの、俺の知ったことではないが……まあ、きっと奴の無能さに落胆して誰もついてこなかったんだろう。哀れだな」
「ラシードの後任と聞いてどんな人物かと気になってはいましたが……所詮はギャンブル狂のろくでなし。あれらがこれからゴーレムの手で握りつぶされるかと思うと、楽しみです」
そう言って母は肉の皿の前で少し興奮した様子でナイフとフォークを掲げ、『物見の鏡』を前に舌なめずりをした。
そうして彼女にとって食欲をそそる光景が現れることを期待しつつ、兄弟もそれに倣い食事の時を待つ。
だが────
その後、彼らが期待したことは何一つ起こらなかった。
代わりに、男が手にした黒い何かを投げたかと思うと、最前列にいたゴーレムが突然破裂し、映像の中で大きな砂埃が上がる。
「……なんだ、今のは……?」
「おい、急に何も映らなくなったぞ。調整しろ」
「は、はい」
三人はフォークとナイフを手にしたまま、何も映さなくなった『物見の鏡』を眺め続けた。
そうしてしばらく待っていると砂埃が晴れ、その場の様子がはっきり映し出されると、彼ら親子はそこに潰された死体が映っていることを期待したが、どこにもその姿はなく、その代わり、男たちを握り潰すはずだったゴーレムの残骸があちこちに転がっているのが見える。
「「「────────?」」」
親子は鏡の前でナイフとフォークを掲げたまま、誰一人、口を開かなかった。
その間、手をつけられない料理が冷めていくが彼らは辛抱強く、そのままの姿勢でじっと待った。
自分たち親子が笑顔で食事をするに足る映像が、すぐに目の前に現れることを期待して。
だが、その瞬間はいつまでたってもやってこなかった。
代わりに、純白の壁に掲げられた『物見の鏡』には、国内最高戦力たる『始源』のゴーレムがひたすらに砕かれて粉にされていく奇妙な光景だけが映る。
「────これは、いったい────?」
皆が沈黙する中で、思わず弟のニードが疑問を口にした。
だが、その質問に答えられる者は誰もおらず、そのまま誰も料理に手をつけないまま時間だけが過ぎていく。
肉の食べごろはとっくに過ぎていた。
冷め切った料理を前にして、親子は砂埃しか映さなくなった『物見の鏡』をじっと見つめていたが、不意に巨大な砂嵐が現れる。
そうしてゴーレム達がなすすべもなく嵐にすり潰されていく光景を目の当たりにした兄のアリがようやく、一つの疑問を抱いて口にした。
「……なんなんだ……これは? まさか、これは……本当にあったことなのか……?」
だが、その問いに答えようとする者はいない。
それ以降、誰一人口を開くことなく『物見の鏡』を見守っていた親子だったが、やがて嵐が消え去ると、その目を大きく見開いた。
「……は?」
そこに映し出されていたのは一面の砂漠だった。
そこにはゴーレムの姿はなく、片腕の獣人と黒い何かを持つ男だけ。
時折、ゴーレムのようなモノが映ったが、それはよく見ればただの残骸であり、もはや動きもしないガラクタだった。
そんな光景、何かの間違いであるはずだった。
彼らにとっては何かの悪い夢としか思えなかった。
だが、黒い何かを手にする男が何かに気がついたように空を見上げ、そこに誰がいるのかをじっくりと確かめるかのような視線に、三人は思わず息を呑む。
「……なんだ……こいつは……?」
「こっちを見てる……? そ、そんなわけが……?」
実際、男の視線は撮影の為に空を飛ぶ『機鳥』に向けられたものだったが、親子はそれを自分たちに向けられたものと錯覚した。
そんなことはあり得ないと感じつつ、動揺を隠せない親子がじっと男を見守る中、男は落ち着いた様子で足元に転がっている小さな石を拾い上げ、再びしっかりと彼らの顔を見据え────
その石を、彼ら親子に向かって投げつけた。
「────ひっ!?」
三人は突然自分たちに迫ってきた石を見て、思わずのけぞり、同時に小さな悲鳴を上げた。
当然、石は彼らには届かず、単に『機鳥』に搭載されていた『遠見』の魔導具を打ち砕いただけだったが、驚いて椅子からずり落ちた母は立ち上がると、屋敷中に響き渡るような金切り声を上げた。
「……なッ……なんですかッ!!! なんなのですかッ!? 貴方はああああああああああァァァァァァァァァッッッ!!!?」
瞬時に激昂した母親は細切れになった肉の皿を鷲掴みにすると、男の顔が映ったままの『物見の鏡』に投げつけた。
そうして料理の皿は綺麗に『鏡』に命中し、男の顔が映し出された鏡を粉々にして無数の破片を撒き散らしたが、母の怒りはそれではおさまらず、執拗に男が写し出されていた『物見の鏡』の欠片を高価な靴で踏み砕き、しきりに声をあげていた。
「……か、母様……?」
兄弟は母のそんな姿を見るのは初めてだった。
どんな時でも品のある振る舞いを崩そうとしなかった母が半狂乱になる姿を呆然と眺めながら、アリとニードは自分の手足が小刻みに震えていることに気がついた。
手にはじっとりと汗が滲み、持っていたナイフとフォークを滑り落とし、白い石の床に幾つもの軽い金属が叩きつけられる音が響く。
食事中に音を立てることを酷く嫌う母親の前での失態に、思わず身をこわばらせた兄弟だったが、彼女は息子たちの無作法を少しも咎めようともしなかった。
代わりに、豪奢な飾りつけのなされた部屋の中で悲鳴のような声をあげながら手当たり次第にものを掴んでは投げ、何かが割れる音を響かせている。
そうして、兄弟はようやく気がついた。
────自分たちはたった今、全てを失ったのだ。
だから、母はあんなに取り乱しているのではないか。
そうして、思い出す。
あそこで自分たちに石を投げた人物のことを。
あれは確か、先の家族会議でラシードと共に出頭を命じられた『時忘れの都』の新しい経営者ではなかったか。
となると、あれはもうすぐ首都にやってくることになっている。
もはや何も身を守る術がなくなった、自分たちのいるこの街に。
二人は首筋に冷たい風が吹きぬけるのを感じた。
「……まさか……そんな。そんな、わけが────?」
「……そうだよ。こんなの、嘘に決まってる。絶対に、嘘だ」
さまざまな破片の散乱する豪奢な部屋の中で、鳴り止まない破壊音と、悲鳴のような声が響く。
彼ら親子はたった今、自分たちの前に示された破滅の予告を受け容れることができなかった。
だが、彼らが好むと好まざるとに関係なく────
そこに居合わせた者は皆、これから自分たちの街に訪れる滅びの足音を聞いていた。






