158 中央講堂(セントラルホール)にて
館内にけたたましく鳴り響いた警報の音で仕事を中断し、館長命令で再び中央講堂に呼び集められた『時忘れの都』の従業員たちは、講堂の巨大な『物見の鏡』に映し出されているものを目にして困惑した。
「あれはまさか……ゴーレム?」
「なんで、あんなに……?」
見慣れた広大な砂漠の向こうに巨大なゴーレムの大軍が映る。
何も知らされていない従業員達は、その不穏な光景に息を呑んだ。
誰一人、何が起きているかわからなかったが講堂より一歩も出ないよう厳命されている従業員達は他にできることもなく、ひたすら頭上の不穏な映像を眺めていた。
その中の幾人かが砂漠の中にぽつんと並び立つ二つの人影を見つけ、一層ざわめきは広がった。
「……なあ。あそこに立っているの、ノール新会長じゃないか?」
「確かにそうだな。隣にも誰かいるが……あの黒服は、『時忘れの都』の職員か?」
「確か、あれは前会長のラシード様付きのボディーガードだ。前に館の廊下ですれ違ったことがある」
「でもなぜ、あんな場所に会長が?」
「多分……相手との交渉、じゃないか?」
「あのゴーレムの軍隊と何を交渉するっていうんだよ……?」
「……さあな。だが、会長ご自身が向かうとなればそれ以外ないだろう」
「そもそも、あのゴーレムの大軍の目的はなんだ? あんなものが何故、我々の『時忘れの都』に向かっているんだ?」
「その前に、なんで俺たちはここに集められたんだ? 館長は講堂から一歩も出ないように、とおっしゃっていたが」
騒然とする館内に再び警報が鳴り響く。
すると、広い講堂の入り口を埋め尽くすような人の波が一斉に講堂内に雪崩れ込んでくるのが見える。
どうやら『時忘れの都』周辺の街の者まで講堂内に連れてこられているらしかった。
中には大勢の家族を連れていたり、赤子を抱いている者までいる。
先立って講堂内に入り込み議論を交わしていた従業員達は、講堂に逃げ込むように入ってきた人々の数を見て思わず息を呑んだ。
「……まさか、館の外の住民までここに入れているのか?」
「やはり、あのゴーレムがここに向かってるってことなのか?」
「あんな風に街の者が皆で避難してきてるってことは……どうやら、そういう事らしいな」
「……どうして、そんなことに?」
「北の国境あたりで戦争でも起きてるんじゃないのか? ここは一応、通り道だろう」
「そんな戦争の噂は聞いたこともないが」
時折、大地から伝わる振動で『時忘れの都』が揺れる。
その振動は人々の頭上で大写しになっている巨人達の行進とぴたりと重なって見え、その揺れは次第に大きくなっていく。
どういう理屈で今のような状況になっているのか、誰にもわからなかった。
でも……あれらがもうすぐ、ここにやってくる。
だとすれば、地方の富裕層向けの娯楽施設群にすぎない『時忘れの都』には、砂漠の向こうで行進するゴーレムたちに対抗できる戦力などあろうはずもないことは、そこで働く者たち自身が誰よりも知っていた。
最悪の事態を想像した者が、その日で自分の人生が終わる覚悟を決めたのも無理はない話だった。
だが────
その覚悟は全くの杞憂に終わった。
次に『物見の鏡』に映し出された光景に、その場に集った全員が目を疑うことになった。
「……なんだ……? 今、何が起きた……?」
新会長ノールが手に持っていた、黒い何か。
それが会長の手元から忽然と消えたかと思うと、同時に砂漠の奥に広がる数十体のゴーレムが爆散した。
途端に映像が砂埃に覆われ、すぐに何も見えなくなったかと思うと、少し遅れて耳を裂くような爆音。
『時忘れの都』の強固な建物がひび割れるほどの大きな揺れが人々が集う中央講堂を襲う。
やがて、その激しい揺れがおさまると、そこに集った従業員達は困惑した表情で自分たちが今見たことを口にした。
「……なあ。今、会長が何か投げたように見えたんだが」
「……もしかして、戦ってるのか? あのゴーレムと?」
「まさか、そんなはずがないだろう……? あの数相手にたった二人で挑もうなんて、どう考えても正気の沙汰じゃない」
「……そうだよ。きっと、どうにか話し合いに持ち込もうとして失敗したんだ」「そうだ。今ので、二人ともゴーレムに攻撃され、潰されてしまったに違いない」
「────ちょっと待て。なら、あれはなんなんだ?」
「……ゴーレムの、腕が……? 飛んでる……?」
砂埃に覆われた映像には、朧げな影のようなものしか映らなかった。
それでも、一見してゴーレムとわかる巨大な影が一斉に何かに襲いかかる様子が見え────次の瞬間、その巨大な手足が一斉に宙に舞う。
砂嵐に映し出される、まるで子供向けの影絵のような映像を人々がじっと見守る中、人のような形をしていたゴーレムの影が腕と脚と胴体と、部分別に分けられて次々にバラバラになって散っていく。
「……何が、起きているんだ……?」
そこにいる誰一人、自分たちが見せられている映像の意味を正確に理解できた者はいなかった。
でも、あの砂塵の向こうでは確かに何がが起こっている。
あそこにいる人物が誰かということもわかる。
砂にまみれた映像は、時折、その姿を映し出す。
「────ノール、会長?」
巨大なゴーレムに囲まれながら砂の上に平然と立っていたのは、つい先ほど従業員たちの前で幾つかの『約束』をした人物だった。
その人物を圧し潰さんと、巨大なゴーレムの二本の太い腕が真っ直ぐに振り下ろされるが────当の人物は手にした黒い何かでゴーレムの腕を打ち払い、次の瞬間、無防備になったゴーレムの太い手脚が胴体を離れ、宙に舞う。
『時忘れの都』の会長となった男はそんなゴーレムを冷静に眺めながら、ゆっくりと手に持つ黒いものを構え────再びそれが消えると、その奥にいた巨大なゴーレムたちが爆散。
再び、映像が砂埃で覆われる。
「……まさか、戦っているのか?」
「……会長ご自身が、か……?」
「……でも、そうとしか見えないだろ……?」
従業員達の目は、中央に設置された『物見の鏡』に釘付けになった。
しばらくの間、そこには砂埃以外の何も映し出されなかった。
だが、時折、風で砂埃が晴れる。
その度に画面いっぱいのゴーレムが破壊され、少し遅れて『時忘れの都』全体を揺らすような地響きが鳴る。
すると再び『物見の鏡』は白い砂埃以外何も映さなくなってしまったが、そこで誰が戦っているのかは最早、疑いようもなかった。
就任したばかりの新会長、ノール。
つい先ほど自分達全員の前で「誰一人、危険には晒さない」と誓った人物だった。
殆どの従業員たちが、まるで白昼の夢を見ているかのようにポカンとした表情で『物見の鏡』が映し出す異常な光景に目を奪われる中、一人の男が満足そうに頷き、隣に佇む少女に顔を向けた。
「────まさか、ここまでとは。本当に良い従者を見つけられましたね、リンネブルグ様? 最早、凄まじいとしか言いようがない……あの二人であれば何も心配はいらないだろうと思ってはおりましたが、想像以上です」
親しげに近くの少女に声を掛けた男だったが、少女は険しい顔で頭上の映像をじっと眺たまま、振り向くことなく返事をした。
「……ラシード様。この際、一つお伝えしておきたいのですが」
「ええ、なんでしょう、リンネブルグ様」
「ノール先生は、厳密には私の『従者』ではありません。この国に入国する都合上、先生のことを私の『付き添い』として扱わざるを得ませんでしたが……元々、クレイス王国内に於いて私たちは全くの逆の関係です」
「……へえ? 全くの逆、ですか」
「はい。言ってみれば、私がノール先生の従者です。現状は許可をいただき『弟子』という扱いにしていただいてはおりますが」
「……なるほど、クレイス王国ではそういうこともあるのですね。お父上もご公認、という事ですか」
「はい。何度も国を救ってくださっているノール先生ですので、父も私が先生から学ぶべきことは多いだろうと」
「それは面白い。さすがはレイン君が育った国だ。ますます、興味が湧いてきましたよ」
少女は楽しそうに語る男にちらりと目を向けたが、再び頭上の映像に視線を戻し、片腕の獣人を目で追った。
「それより……凄いですね、シャウザさん。『黒い剣』をあんな風に扱える人が父とノール先生以外にもいたとは驚きです」
「まあ、シャウザなのでね。無口が玉に瑕ですが、あれもなかなか頼り甲斐のある男ですよ────とはいえ。リンネブルグ様? 今回の件、貴女の部下の【神盾】を出せばもっと早くに片が付いたのでは? それこそ、ほんのひと薙ぎで」
男は一向に自分に振り向こうとしない少女の横顔を見つめながら、わざとらしく首を傾げながら楽しそうに笑う。
「……おっしゃる通りです。ですが、仮にあのゴーレム兵の中に人が一人でも混じっていた場合、彼女に要らぬ負担をかけることになります。私はそれを望みませんでした」
「それはそれは。リンネブルグ様は本当に部下にお優しいお方だ。私も見習いたいぐらいです」
「その点、ノール先生であれば私が心配する隙など、どこにもありませんので────あの程度の相手でしたら、全くお話にもならないでしょうから」
少女の言葉を証明するように、二人の頭上の映像の中で大量のゴーレムが破壊されていく。
国内の最高戦力の一角があっけなく削られていく映像と、その光景を見て一切表情が揺らがない様子の少女を交互に眺めながら、男はまた楽しそうに笑う。
「あの程度、ですか。ああ見えてあれはこの国の軍事力のかなりの部分なのですがね────それにしても、私はつくづく運が良い。あなた方という知己を得ることができたのは、何よりの幸運です」
「……すみませんが、私はまだ貴方を味方と認めたわけではありません」
「では、私共は引き続き、信用を得るための努力をいたしましょう。我々商人にとって、信頼こそが何よりの財産ですからね」
一層楽しそうに微笑む男に少女は少し目を細めると、やがて砂埃しか映さなくなった『物見の鏡』に背を向けた。
「────それでは、私は引き続き館の外に出て警戒にあたります。万に一つの可能性とはいえ、ノール先生が敵を撃ち漏らした時のことも考慮に入れなければなりませんので」
「ええ。外のことはお任せしましたよ、リンネブルグ様。この都の警備の者だけでは少々、頼りない」
「……メリッサさん、内部のことはお任せしますね」
「承知しております。お任せを」
少女はそれ以上彼らと言葉を交わすことなく、消えるようにその場を去った。
男は少女の気配が完全になくなったのを見届けると、大袈裟に肩を竦め、隣に立っている黒服の女性に微笑んだ。
「……やれやれ、とんでもないお姫様だと思わないかい、メリッサ。今の、見たかい?」
「はい」
「さっきの会話の途中、彼女はずっと『時忘れの都』周辺の人の流れをお得意の『スキル』で追っていたみたいだね。あれは確かクレイス王国の【隠聖】カルーが得意とする【探知】、だったかな? ご親切に、僕らからも見えるようにしてくれていた」
「……はい。というより、私達が妙なことをしないか見張りに来た、という風に見えました。彼女には常にあのように見えている、という軽い警告のようなものでしょう」
「そうだね。残念ながら、僕らはまだまだ信用されていないらしい」
「それは、当然の成り行きかと」
「僕は今のでますます彼女のことを気に入ったよ。かなりのお人好しだと聞いていたけれど……少なくとも、ただの世間知らずのお嬢様ではないらしい。さすがはレイン君が自慢げに語っていただけはある。とても優秀だ」
いつになく上機嫌で語る饒舌な主人を横目に、黒服の女性は小さなため息をつく。
「……現状、私たちはその優秀な彼女に睨まれているわけですが」
「じゃあ、僕らはこれ以上彼女のご機嫌を損ねないよう、任された内部をちゃんと治めようじゃないか」
「はい、もちろん心得ております」
「とはいえ、この分だとその必要はなさそうだけど」
「そのようです」
その時、館の中は静まり返っていた。
誰もが取り乱しても良いはずの危機的な事態にもかかわらず、誰一人、その場から動こうともしなかった。
従業員たちは皆、先ほど自分たちの前で演説をしたばかりの『新会長』が、巨大なゴーレムの攻撃を軽々と打ち払い、次々に破壊していくという、その出鱈目としか思えない光景に目を奪われ、立ったまま動けずにいた。
それは控えめに言って、作り話か冗談としか思えない映像だった。
先ほど就任したばかりの新会長が何か黒い物を投げるたび、サレンツァ国内で最強の戦力と言われている『始源』のゴーレムたちが同時に数十体は爆発する。
その戦闘は長い間繰り返されていたが、砂漠の真っ只中に佇む当の会長は傷一つ負った様子はなく、いつも平然と立っている。
それは見守る従業員たちに微塵も不安を感じさせない姿だった。
だが次に会長がその黒い物を投げたとき、従業員たちは更に信じられないものを見た。
投げられた黒いモノが空中で高速で回転すると、そこを中心にして巨大な竜巻が巻き起こっていく。
そうして大量に舞った砂塵が竜巻に吸われ、急速に映像が鮮明になっていくと大量の砂塵を巻き込んだ竜巻は更に巨大化し、辺りに立ち並ぶゴーレムたちすらも吸い込んでいく。
「────嘘、だろう────?」
脅威であるはずのゴーレムたちがなすすべもなくその砂嵐に吸い込まれ、中心で回転する黒い何かに瞬く間に削られて次々に細かな破片となっていく。
その冗談ですらあり得ないような異様な光景を眺めるうち、従業員たちは自分たちに向かってきていた脅威は、既に脅威ではないのだ、ということに気がついた。
自分たちは、あの異常な戦いを繰り広げる人物に護られている。
先ほど自分たちの前で、いくつかの『約束』をした会長に。
確か、その人物は先ほど、こう言った。
────『自分がここの経営者である限り、皆の身を一切、危険に晒すつもりはない』と。
でもその時、彼の言葉を信じた者は誰一人、いなかった。
権力者が華やかな演台に立てば誰でも美辞麗句を述べたがる。
それがまともに守られた試しなどないことは、皆が知っている。
それは通常、守られる予定のないただの耳障りの良い言葉の羅列だった。
聞こえの良い言葉ほど信じるだけ無駄なものだと、皆は経験上、知っていた。
そもそも、『時忘れの都』の経営者となるような『サレンツァ家』を始めとした特権的な地位にある者は普通、自分たちのような下々の者をいくらでも替えのきく部品として扱う。
多くは彼らにとって自ら危険を冒してまで守る価値のない者であり、利益を出さぬ者であれば害とみなされ、いつでも切り離されて捨てられるだけ。
そんな自分たちをただ働いているだけで無条件で守ってくれるなど、そんな都合の良いことはあり得ない。
そんなことは、この国に生きる者なら子供でも知っている。
……それなのに。
新しい経営者となった人物が実際にやったことに、従業員たちは皆、困惑した。
彼は言葉の通り、自分たちを押し寄せる恐怖から守ってくれた。
それも、あろうことか────自ら最も危険な場所に赴き、訪れた脅威を己の手で薙ぎ払い、皆の目の前で力任せに次々に打ち砕いていった。
そんな常識ではとてもあり得ない後ろ姿を眺め続けるうち、従業員たちの胸に新たな疑問が湧き上がった。
あの人物は今、自身が口にした約束を守ろうとしている。
ならば、他の約束は────と。
従業員たちは彼がつい先ほど口にした『約束』を思い出す。
どれもこれも夢物語としか思えない、現実味のない、口約束。
でも、どういうわけか誰一人、あの人物がその『約束』を破ろうとする姿が想像できなかった。
何故なら、たった今、一番実現が困難に見えた約束が彼自身の手で果たされようとしているのだから。
皆が、何も変わらないと思っていた。
『時忘れの都』の経営者が入れ替わったところで、何もせず搾り取る者に命令を下され、日々過酷な労働をこなすことは変わらない、と。
事実、これまで強い立場の者に媚びへつらい理不尽な仕打ちにも耐えることが、うまく世を渡り生き延びるのには常に必要なことだった。
その強者の最たる者が『サレンツァ家』であり、その力の源は世代を超えて蓄えた膨大な資産と、それを支えてきた強大な暴力そのものである『ゴーレム』だった。
誰も並ぶことのできないその巨大な力は、彼らの資産と共に日々膨張し、より手の負えないものになっていく。
だから、その支配は今後も絶対に揺るがない、と誰もがそう思っていた。
だが、その支配の象徴であるゴーレムが破壊されるのを見て、皆の心は揺れ動いた。
少なくとも、目の前に迫った脅威を黙々と薙ぎ払う新しい『経営者』の姿は、その場にいた全員にこれから押し寄せる大きな変化の兆しを感じさせるに十分だった。
「────会長が、お戻りになられるぞ」
やがて、映像の中の砂嵐が止んだ。
砂で白んでいた空が元のように青々と晴れ渡り、広大な砂漠が一面、ゴーレムの残骸だけになっていた。
砂の上に立っていたのは結局、二人だけだった。
二人は何事か言葉を交わすと、片腕の獣人はその場から歩いて去り、もう一方の取り残された人物も衣服についた砂埃を軽く手ではたき落とすと、『時忘れの都』に向かってゆっくりと歩き出す。
先ほどまでゴーレム達を粉砕していた黒い何かを肩に載せ、まるで小さな庭の草刈りか何かを終えただけのような穏やかな表情で戻ってくる新会長の姿に、従業員達は誰にも言われることなく中央講堂の中で整然とした列をなし、戦いを終えたばかりの新たな主人が帰るのを待った。






