144 裁定遊戯 2 三賽子(スリーダイス)
「……なんだと? 『三賽子』のルールを知らない、とは。まさか、こちらから説明が必要だと?」
「ああ。似たようなゲームはやったことがあるんだが。できれば教えて欲しい」
「……通常、このような場ではあり得ないことだ。だが、基本ルールぐらいは説明してやる。後で文句を言われても敵わんからな」
「ああ、助かる」
クロンはこれから対戦する相手とテーブルを挟んで向き合うと、その男の表情を慎重に観察していた。
(こいつ……何を企んでいる)
男は『三賽子』のルールすら知らないと言う。
もちろん、クロンはそれが本当だとは思わない。
遊戯の駆け引きはもう始まっている。
相手の言葉と態度を全て真に受けるなど、愚か者のすることだった。
クロンは男の言葉と仕草から読み取れる情報を慎重に吟味しつつ、これから行う遊戯の説明を行った。
「『三賽子』は一方が三つの賽を振り、もう一方がその出目に賭けるという遊戯だ。賽を振る側が『親』となり、出目を当てる『子』の側が好きな額を賭けて『掛け方』を宣言する。当てれば『子』はその『賭け方』に応じた『当選金』を得るが、外せば賭け金は『親』側に没収となる。これが基本のルールだ」
「その『賭け方』というのは、どういうのがあるんだ?」
「『掛け方』には大まかに分けて、出目の合計が奇数か偶数かで当てる『奇遇』、出目の合計値が指定した数値より上か下かで当てる『上下』、直接出る目の数を指定する『番号指定』がある。掛け方で得られる配当が違い、今、説明した順に配当が大きくなっていく」
「……なるほど。ちょっと全部は覚え切れないが……要するに、出た目を当てるのが一番いいんだな? 俺が知っているゲームではそうだった」
「ああ。この遊戯でもそうだ」
────もちろん。
それができればの話だが。
「……説明は以上だ。早速始めるが、先攻はこちらでいいか」
「ああ、別に構わない」
「……最初の賭け金は幾らでいく」
「じゃあ、これで」
「……本当にそれでいいんだな」
「ああ」
クロンは確信した。
今のやりとりだけで分かる。
こいつは、素人を演じていたわけではない。
────この男は正真正銘、本物の素人だ。
この『三賽子』は最初に賽を振る攻撃側が圧倒的有利となる遊戯だ。
逆に言えば、いかに『親』となった敵の攻撃から資産を守りきるかというゲームでもある。自ら『子』となって出目を当てに行くなどというゲームではない。
通常、最初の『親』と『子』を決める段階で熾烈な駆け引きが行われる。先攻の『親』を敢えて取らせる、などという舐め切った勝負はありえない。
それに加え、男は手元にある金色のチップを一枚、テーブルに置いた。
その金のチップが意味するのは『一億』ガルド。
色を塗られただけのあの木製のチップ一枚が、クロンでも狼狽えるような大金を表している。
もし、仮に男が賭けに勝てばもちろん、大金を手にすることはできる。
だが、もし外せば賭け金はそのまま『親』側の資産となる。それどころか、下手な賭け方をすれば莫大な罰金を支払うことになるのだ。
クロンから見れば、たった一回の賽の振りで終わる可能性もある無謀な額だった。
……間違いない。
こいつはただの獲物だ。
それも、大金を背負ってやってきた、無防備な獲物。
クロンは内から込み上げる笑いを堪えつつ、賽を振った。
「賭け」
「3、4、8」
────『番号指定』。
男の賭けの宣言に、クロンは少し驚いた。
男が初手で行ったのは非常に大きな『賭け《ベット》』だった。
それも三つの賽の出目を全てを指定するという、最も難しい賭け。
当たれば賭け金の100倍という莫大な当選金を手にする一方で、外せば罰則として10倍の罰金を支払わなければならない。
それなのに……テーブルに載せられたチップは『1億』という大金。
男は当てれば100億もの資産を得ることになるが、外したら10億もの資産を失う。
だが当然、当たる確率は限りなく低い。
初回からいきなり、一か八かの危険な賭け。
素人だとは判断したが……まさか、あれだけの大金を賭けて舞台に立つ人間が、本当に『三賽子』のルールを知らないわけはない。
この神聖な『裁定遊戯』の場で知らないとは言わせない。
この男は何を考えている……?
飄々とした表情からは意図が読み取れない。
だが、衆目監視の中でイカサマをした気配も見て取れない。
この『三賽子』は単純な勘で勝てるような甘いゲームでもない。
確率と駆け引きの中で遊ぶ、高度に知的で戦略的なゲームなのだ。
この危ない賭けの意味を知っていて、敢えてやっているのか。
それとも、本当に何も知らずにやっているのか。
……どちらにせよ、この男はこの神聖な勝負の場を舐めている。
まずは、これで痛い目を見るがいい。
「オープン────ッ!?」
だが、最初に目を剥いたのはクロンの方だった。
カップの中の賽の目は「3」「4」「7」。
男の番号指定と一つ違いだった。
「……外れか。ちょっと惜しかったな」
男はいきなり『番号指定』を宣言し、その三つの数字のうち二つを当てた。
これなら『勝負なし』となり、罰金は支払う必要はない。
だが……偶然ということはありえない。
この男は自分が指定した目が出ることを確信していたような口調だった。
これでタネが無いはずがない。
今、この男……何をした。
「……今の『番号指定』は失敗となるが、二つ当てたことで罰金なしの『勝負なし』となる。従って、もう一度俺が振るが、いいな」
「わかった」
最初の素朴な印象を拭い去り、クロンは再び三つの賽を手に取った。
……やはり、この男。
巧妙に素人を装った何者かなのか。
しかし、自分がイカサマを見逃すことはあり得ない。
となると、この男。
単に『強運』ということなのか。
一度ならそれもあり得ない話ではない。
────だが、もう次は無い。
クロンは刮目してカップの中の賽を高速回転させ、テーブルに置いた。
「賭け」
「1、3、4」
────また『番号指定』。
……この男、怖いものがないのか。
はたまた本当の愚か者なのか。
今回は確実に、イカサマの気配はなかった。
そして二つ以上の賽の目を偶然に当てる確率は限りなく低い。
まぐれ当たりは二度はない。
これを外せば、男はそれだけで10億の罰金を支払う。
────このまま、地獄を見るがいい。
「オープン────ッ!?」
だが、出目は「1」「3」「3」。
またもや、男の『番号指定』と一つ違いだった。
「……また外れか。今日は調子が悪いな……?」
……ありえない。
このゲームにおいて、この出目は絶対にありえない。
確率的に不可能な現象だった。
そこでクロンは確信した。
この男はやはり何かをやっている。
この神聖な勝負の場をイカサマで汚しているのだ。
怒りに震えるクロンはテーブルにカップと賽子を置き、目の前の男に静かに声を荒げた。
「……おい貴様。今、何をした」
「……? 何もしてないが?」
「……いいや。今、何かしたはずだ。わかるぞ。そうでなければ、二度続けてこんなことが起きるはずが────!」
「クロン」
男に詰め寄ろうとするクロンを止めたのは雇い主のラシードだった。
「このまま続けよう。ほら。観客が待っているよ」
クロンはラシードの指先にある、壁に掛けられた『物見の鏡』を眺めた。
そこには大勢の観客の姿が映し出されている。
そうして、今この瞬間も彼らがこの場の神聖な勝負を観戦していることを思い出して冷静になった。
「……失礼しました」
雇い主のラシードには今日、既に一度失態を見せている。
日に二度も失態を見せることは有り得ない。
クロンがどんなに確信を持っていても、仕掛けの解明なしにイカサマを指摘したことにならない。
……ならば、次こそはその汚い仕掛けを見破ってやる。
クロンは刮目し、思い切り賽を振った。
「賭け」
「3、6、2」
「────ッ!?」
またもや『番号指定』。
そして一つ違いの『勝負なし』。
でも、どんなに目を凝らしても、男が何かやったようには見えなかった。
再勝負となり、再度、クロンは渾身の力で賽を振る。
「賭け」
「1、9、8」
「……『勝負なし』ッ……! 次だ……賭け……!!」
「5、5、4」
「────ッ!? また、『勝負なし』だと……!?」
そうして、また賽を振り直すも、男は再度『番号指定』を行い、また『勝負なし』。
その次も同じ。
そのまた次も、その次も。
その次も、またもやクロンの振り直しだった。
……こんな話、絶対にありえない。
(……どうして、こんなことが起こる?)
もはや相手が何かをしているのは明らかだった。
だが、そのイカサマの仕掛けが全く見破れない。
20年以上この厳しい賭博の世界で生き延びてきたクロンにとって、こんな屈辱は初めてだった。
だが……次は見破ってやる。
次こそは、必ず。
「賭け」
「1、3、4」
「……また、『勝負なし』、だと……!?」
「そうか。なんで当たらないんだろうな……?」
だが、幾らクロンが必死に目を凝らそうと、相手のイカサマの手がかりすら掴めない。
……この男。白々しい。
この男が素人などと、とんでもない侮りだった。
一旦ここでゲームをストップし、改めてゲームに用いる賽を入念に調べてみる必要をクロンが感じていた時、逆にその当人がそれを提案してきた。
「すまない。その賽子、俺にもう一度見せてもらってもいいか?」
「……なんだ貴様。俺のイカサマを疑うのか」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
「────構わん。早くしろ」
だが、これはチャンスだとクロンは思った。
こいつは必ずここで、何かやるはず。
ならば自分は絶対に見逃さない。
この男が何か細工をした瞬間、大勢の観衆の前で吊し上げてやる。
そう思って、クロンが男の様子を血眼で観察していると、男はただ賽を数回転がしただけですぐに三つの賽を返してきた。
「ありがとう、もういい。わかったから」
「……もう、いいのか?」
「ああ」
クロンは男から返された賽をじっと眺めた。
何も細工をしたような気配はない。
逆に何かの細工を外したようにも見えなかった。
……本当に何もないのか。
いや、そんなはずはない、と勝負を中断して男から渡された賽を調べようとしていた時、背後で観戦していた来賓の王女から声が上がった。
「……あの、ノール先生?」
「ん?」
「今、何を調べられていたのですか? まさか、その賽子に何か仕掛けでも?」
「いや、それはないと思う。どれも、ふつうの賽子だった。貸してもらったのは、単に音を聞きたかったんだ」
「音、ですか?」
────音とは。
一体、何の話だ……とクロンも来賓の王女と共に男の話に耳を傾けたが、男が口にしたのは俄には信じがたい内容だった。
「ほら……賽子というのは出る目によって、ほんの少し出る音色が違うだろう? それを聞き分けられさえすれば、このゲームは結構簡単に勝てるんだが」
「そ、そんなことが……?」
「ああ。でも、今日は何故か当たらないと思って、もう一度調べさせてもらったら、どうやら俺は三つのうちの一つの音を上下逆さまに覚えてしまっていたらしい。それでは当たらないはずだ。でも、もう原因はわかった。次からはちゃんと当てられると思う」
「……な、なるほど……?」
────そんなわけが、ない。
そんなはずがないだろう。
……この男は、何を言っている。
この遊戯の開始前にも数回、三つの賽を転がしていたが、まさか、あの短い時間で賽の出す音を全て記憶していたというのか。
そもそも、出る目の音を聞き分けられるなどという話が、おかしい。
二十年以上もこの世界で生きていきたクロンですら、そんな話は聞いたことがない。
絶対にありえないと言える。
……でも、おかしい。
確かに常識ではありえないことが今、進行している。
だが、かと言ってクロンは男の話を信じることなどできなかった。
それが事実だとすれば、この勝負自体、最初から結果が見えていたことになる。
「じゃあ、続きを頼む……あ、やっぱり、ちょっと待ってもらっていいか?」
そう言って男はテーブルの上に置かれた『一億』のチップに手をかけ、慌てて回収した。
……ああ。ようやく気付いたか、この無謀に。
と、クロンが内心安堵した所で、男はテーブルに乗せてあった1枚の金色のチップの替わりに、純白のチップを2枚置いた。
「……上乗せ……???」
「ああ。次はちゃんと当てる自信がある。さあ、もう振ってくれていい」
テーブルの上に載っている賭け金がいきなり、『1億』から『20億』になった。
これでもし、仮に男が再び『番号指定』で勝負すれば、クロンが勝てば10倍の配当で200億を手にする。
だが、逆に男が『番号指定』を成功させれば。
────『2000億』。
たった一回の賽の振りで、小国がいくつも買えるだけの額を男は手にする事になる。
……こんなこと、馬鹿げている。
あまりに狂気じみている。
いくらなんでも『三賽子』のひと勝負に、20億はおかしい。
もはや男が『番号指定』で賭けなくとも、多額の金が動くことになる。
クロンの手は今や汗ばみ、震えていた。
身体が自然と賽を振ることを拒んでいた。
「どうした、振らないのか?」
「────くッ────!」
クロンは死を身近に感じるほどの重圧の中、賽を振った。
そして────
「……『賭け』」
「わかった。これは4、4、4だな」
「────ッ!?」
────またもや『番号指定』。
でも、これは先ほどまでとは訳が違う。
賭け金が一気に20倍に膨れ上がった上に、男の宣言は『ゾロ目』。
ゾロ目の配当は、通常の10倍。
つまり、この場合────
「じゃあ、開けてくれ」
「…………ッ」
金属製のカップに手をかけたクロンの額を嫌な汗が伝う。
クロンはカップを開けようとしていた。
だが、腕が震えて動かない。
……さっきの男の発言はハッタリ?
そうだ。
冷静に考えれば、そう考えるべきだ。
つまり、こちらを惑わすための心理誘導だった?
クロンの経験上、そうに違いないと思う。
だが────違う。
絶対にやめろ、と。
理性でなく、本能に近い部分が叫ぶ。
クロンを厳しい世界で生き永らえさせた賭博者としての勘が、全力で違和感を訴えかけてくる。
……それは絶対に開けるな、と。
恐怖心から臆病風に吹かれたわけでは、決してない。
クロンは理解しなければならなかった。
理解できなくても、認めなければならない。
────この男は、やはり違うのだと。
これまで勝負してきた相手とは、何もかも。
だから、きっと、この男はやる。
当てる。
次で絶対に当ててしまう。
クロンが一旦カップの上に手を置いてから、それを認めるまでに、そう時間はかからなかった。
「………………降参」
「ん? 降参?」
クロンの口からこれまでの人生で一度も口にしたことのない言葉が出た。
賭博の世界で生計を立ててきたクロンにとって、これを口にすることは死と同義であり、それ以上の屈辱ですらあった。
これから、敗北による雇い主からの処罰もあるだろう。自身が積み上げてきた名声も信頼も、あっという間に露と散る。
だが────それ以上に、今はこの目の前にいる男が、恐ろしい。
あれだけの大金を賭けた勝負を終えたばかりだというのに。
……なぜ、ここまで平然としていられる。
「もしかして、今のは俺の勝ち、ということになるのか?」
「ああ。『親』が棄権した罰金による配当は2倍だ。受け取れ」
賽の一振りで『40億』の資産が動く。
それを何でもない額かのように受け取り、男は自分達の場に置いた。
「……何もしてないのに、悪いな?」
「もう、俺に継続の意思はない。勝負そのものも、お前の勝ちだ」
「そうか。俺が賽を振る前に終わってしまったな」
配当を受け取った男は、少し残念そうに席を立った。
「ノール先生、お見事です」
「ああ。どうにか勝てたらしい」
勝利に喜ぶ対戦者側を横目で眺めつつ、敗者となったクロンは雇い主の元へと戻った。
「……ラシード様。申し訳ございません」
「いいや。いい判断だったと思うよ、クロン。あのまま振った結果を見ていたら……君、減棒程度ではすまなかったよ。ほら」
ラシードは冷たい笑みを受かべ、テーブルの上に置かれたままのカップを開けた。
────「4」「4」「4」。
男の宣言通りの数字が、そこにあった。
ゾロ目の番号指定の配当は1000倍。
つまり、これを開けていたら2兆の損害。
とても人一人の命では負いきれない額だった。
「命拾いしたね、クロン」
「…………はい」
常に死と隣り合わせの勝負を行う賭博師として、クロンは今日初めて本物の地獄の淵を垣間見た気がした。






