13 『才能無しの少年』
王女視点です
私は以前に耳にした、ある話のことを思い出していた。
王都の養成所に伝わるとある御伽噺──『才能なしの少年』のお話だ。
いや、それを語る教官達は真剣そのもので、作り話を語っているようには思えなかった。
その話の真偽を問われると彼らは「それは本当にあったこと」だと口々に言う。
でも話を聞けば、そんな人間が居るはずもない────すぐに皆がそう考えるのも至極当然だった。
あの過酷なことで有名な王都の養成所の教練過程を、六系統全て、それも満期で全て乗り越えられる人間など、いる筈がない。
十人いて十人がそう考えるだろう。
各職業のエキスパートが開発した、スキルの発現を促す教程は大抵1週間程度で終わる。その短期間で、養成所にきた人間は大抵、複数の有用スキルを身につける。もちろん、それ相応の濃密な日々を過ごすことになるのだが。
それ以後の教練過程は、あらゆる過剰な負荷をかけ続けてスキルの発現を促すという試練だ。
それは当然必須でなく、より高次のスキルの発現を求める者のみが行う、より厳しい教程だが、それは極限状況でどこまで耐えられるかという試練であって、そもそも、乗り切ることなど一切想定されていない。
まして、それを乗り越えられる「子供」など存在するはずがない──
それが、あの教練過程を体験した者、全員が抱く感想だった。
私も、自ら体験したからこそ余計にそう思う。地獄の教練とさえ呼ばれる過酷な教程を、一週間耐え切れる者でさえ希だ。もちろん厳しいだけあって、効果はあるし、大半がすぐに有用スキルを身につけ、養成所を後にする。
厳しいだけあって、見返りも甚大。
決して、長くいていいような場所ではない──一度そこを体験した者は、二度とそこに近づきたいとさえ思わなくなる。そういう場所なのだ。
私も、かなり粘った方だが、それでも二週間が限界だった。王族ということで幼少期から教官達に手ほどきを受け、予備知識もあり、ある程度の準備があっても、それがやっとだった。
──それを、3ヶ月も──?
想像もできない。
話ではその少年は、訓練を受けた当時の私と同じ12歳だったという話だ。
そんな子供が6種の全ての職系統で、きっちり三ヶ月全ての過程をこなしたというのだ。
──あり得ない。
きっと誰だって、そう思う。
でも、教官達はその少年は本当に存在した、と口々に言う。
だが、さらに信じられないことに、彼には有用スキルがただの一つも身につかず「お前にはこの職業の才能はない」と、教官達は口を揃えてその少年を養成所から追い出したというのだ。
その少年は、全ての訓練所で該当する【職業】への「適性なし」を言い渡され、最後に【僧侶】の訓練所を出たのを最後に消息を絶ったという。
その後、誰もその少年の足取りを追えた者はいなかった。
教官たちは少年がいなくなったと知った後、誰もがその少年のことを気にかけ、ありとあらゆる方法で探し回ったというが、何年経っても情報の断片すら掴めなかったという。
そんなことも、あるとは思えない。
──全てが、現実離れしている。
とても面白い話だが、辻褄が合わないことが多すぎる。
まず、訓練所の教官たちはここ『冒険者の聖地』と呼ばれるクレイス王国でも、そして世界を見回したとしても、飛び抜けて優秀な教官が揃っている。クレイス王国は世界最古とされる迷宮があることで有名だが、世界最高峰の冒険者とされる【六聖】の教える訓練所を目当てに訪れる外国からの留学生も、後を絶たない。
──彼らがそれだけの人材を見逃すはずはない、と思う。
しかも、あのそれぞれに癖の強い教官たち全員が認めて探し回るような人間など、いるのだろうか──?
私もおめこぼしで六人の教官から優秀の評価を得たが、
それも王族という立場あってのことだろう。
私の場合は、単純に【スキル】の数を誰よりも多く取得したという、
わかりやすい実績もあったおかげで気にして貰えているのだと思う。
でも、話の中の少年は違う。
必死の鍛錬の結果、彼には何一つとして有用スキルが身につかなかった、という。
教官たちは三ヶ月経ってもまだ訓練を継続しようとする彼を「才能がない」と追い出した。
一旦、見放したということになる。
なのに、後になって彼を探し始めたのだ。
……そんなこと、あるのだろうか?
それに、その後の情報を全く得られない、というのも不思議なことだった。
【盗賊】系統職のマスター、【隠聖】にかかれば、遠距離の人物探知も可能なはずだ。
その気でやれば、この大陸の中にいる人物であれば見つけられない人間など殆どいない。
でも、見つからない、というのはどういうことだろう。
そして、その少年はどこからか、ふらりと王都に現れ、またどこかへ消えてしまった。
一時期、教官たちによって目撃されたという話に過ぎない。
時折、そういう少年もいたような気がする、という証言も得られたが、曖昧な記憶の話だ。
その前も、その後も、どこにも確たる目撃情報はない。
それほどの人物なら、どこかで語り草になっていてもおかしくはないのに。
だからきっと、『才能なしの少年』は架空の人物と考えるのが自然だ──。
皆、そんな風に結論づけていた。
だから、その少年の話は訓練を受ける者が「才に溺れる者がないように」そして、教官たちに対しては「才を見逃すことのないように」という戒めを込め、教官達が口裏を合わせて創作した「教訓めいた御伽噺」と捉える者が殆どだったし、私もそう思っていた。
でも──
今、私は思う。
もしかしたら、その話は本当に、事実なのではなかったかと。
私の目の前の人物は、
ほとんどその少年と同じぐらいに現実離れしている存在のように思えるからだ。
彼の見せてくれた、普通より大きな火を灯す【プチファイア】──。
これは以前、私がまだ幼かった頃に見たことがある。
大賢者とも呼ばれる【魔聖】オーケン先生──彼が私の魔術の家庭教師をしてくれていた時に見せてくれたことがあったからだ。
彼は、指先に揺れる火を灯しながら言った。
鍛錬次第では、指先に火を灯すだけの最低位のスキル【プチファイア】ですら、こんな風に大きく成長させられるのだ、と。もっとも、実用性は皆無で二百年以上生きている自分のような暇人だからこういう無駄な研鑽も出来るのだ、とも──彼は授業中、冗談交じりに私に教えてくれた。
その時のことは、よく覚えている。
当時の私でも【プチファイア】は使えたし、その授業の後、私もやってみようと思った。
でも、火を大きくすることは、どうしてもできなかった。
試行錯誤の結果、オーケン先生の言う通り、一朝一夕にできるようなことではないのだと幼い心ながら理解した。
それにはきっと、とても長い研鑽の時間が必要なことなのだ、と。
だからこそ、驚きに言葉が出なかった。
とても信じられないような光景を目にしたからだ。
目の前の人物の使った【プチファイア】──
これは、あのとき先生が見せてくれたモノの、数倍はある。
つまり、世界最高峰の魔術師である、大賢者オーケン、彼ですら到達し得なかった地点にこの人はいることになる──それも量産品の片手剣一本で、深淵の魔物【ミノタウロス】を撃退した、あの剣技に加えて。
それがどれ程のことなのか──この年齢でどれ程の研鑽を積んだのか、私には計り知れない。
でも、彼の力量は、この【プチファイア】を見れば、はっきりとわかる。
そして、彼はそれを見せながら、私にこう問いかけたのだ。
「これが──どういうことか、わかるな?」
──と。
私はその言葉でハッとした。
今、私は何を彼に見せた?
ただ、覚えたばかりの高位スキルを見せびらかしただけではなかったか?
私はそんな自分を恥じた。
そして、そんな私を前に、目の前の人は、こう言った。
「君に何も教えることがないというのは、そういう事だ」
──その瞬間、私は全てを理解した。
私の根本からの考え違いを、この人はたった一言、たった一つの行動で正してくれたのだ。
改めて自覚した。
ただ身につけたばかりの高位スキルを連発する私の愚かさを。
そして、私は同時に理解した。
やはり、この人だったのだと──
今の私はこの人について行くべきなのだと。
【剣士】の教官の【剣聖】シグ先生は、一週間の教程で身につけられる【スキル】全てを習得した私に、こう言った。
「君の才は誰もが認める──この王都では誰も敵う者は居ないだろう。こと、才という点においては。だがいつの日か、君の才能を凌ぐ──或いは、君の才には遠く及ばなくとも、君の生き方を導くような人物が現れるだろう。──そう思って慢心せず、歩め」
その時はなんのことか分からず、ただの励ましの言葉と受け取っていたのだけれど……。
それはまさしく今、私の目の前にいる、この人のことだったのだと思う。
私はこの人物の途方も無い実力を目の当たりにしている。
召喚魔法が発動された瞬間、私には【行動阻害】の結界が掛けられた。
どうやってかは、分からない。
迷宮からの帰り道、完全に油断していたからだ。
【行動阻害】の効果時間は時間にして数秒。
でも、私を殺すには十分だった。
その間に、私を守ろうとした衛兵はあっという間に散り、
『ミノタウロス』は魔鉄製の攻城斧を振りかざし、私は死を覚悟した。
いや、覚悟などできていなかったのかもしれない。
思わず、悲鳴が出たからだ。
──私が死ねば、全てが無駄になる。
この国のためと、厳しい訓練に耐えてきた日々。
父と母と、兄と過ごした懐かしい日。
今まで出会った人々と交わした数々の会話。
いろんな思い出。
たくさんの人々との繋がり。
私の体が切り裂かれることで、それが全て無に帰す──。
今まで、そんな恐怖を味わったことなどなかったからだ。
【行動阻害】が解けたとしても、私の体は、頭は硬直していたに違いない。
最後の衛兵が散った。
まだ、【行動阻害】は解除できない。
ああ、ここで終わるのだと悟り、その時の私の顔は恐怖に歪んでいたに違いない。
だが、その瞬間──
何かが高速で飛んできた。
それは鉄より硬いという『ミノタウロス』の眼球に僅かな傷をつけ、『ミノタウロス』の意識を惹きつけた。
その先には一人の人物がいた。
工事現場の日雇い人夫のような泥だらけの衣服に、衛兵の持っていた片手剣を手にしている。
『ミノタウロス』は、彼のところにいきり立って突進した。
──とてつもないスピードで。
目で追うことすら困難な、常人であれば触れただけで即死であろう、家屋一つ分の巨体の猛進。
それが、人を三人分並べたほどの面積を持つ、破格の大きさの攻城斧を振り上げ男に向かっていった。
だめだ、あの人も殺される。
私になんかかまわず、もっと早く、逃げればよかったのに。
私のせいで、また人が死ぬ。
そんな風に思い、泣きたい気持ちになった。
でも──。
その男は弾いたのだ。
その攻城斧を。
細い片手剣一本で。
それから、何度となく攻防が繰り返され、攻城斧が何かを砕く轟音が辺りに響いた。
私から見ても、目で追うことすらできないほどの凄まじい戦い。
何が何だか分からぬまま、男はいつの間にか私を守るように前に立ち──
気が付いた時には『ミノタウロス』の首が落ちていた。
そうして、私を救ったその人は名前も告げず、立ち去った──。
何者なんだろう、と気になり、必死で探した。
危機に瀕しているところを助けてもらった。
命を救われた恩は感じずにはいられない。
でも、そんなこととは関係なく、私はこの人物自体に興味を持ちはじめていたのかもしれない。
父は昨日、かつて愛用していた迷宮遺物──『黒い剣』をこの人に手渡した。
父が、この人に何を見出していたのかは分からない。
でも──。
きっと、父も何かを感じたのだ。
この人物に。
──この人は、全てを払いのけた。
他国の謀略によって出現し、私を襲った『ミノタウロス』も。
次々に提示された、誰もが目の眩むような財宝も、地位も名誉も。
私という存在も、その気になれば、かなり利用価値のある人間だと自負している。
父は突っぱねているというが、政略結婚の類の引き手はたくさんあるという。
そんな私が従者を願い出ても、相手にされなかった。
何をどう提示しても、彼はどれも全ていらない、必要ないという。
──ひと言で言えば、この人は強いのだ。
力だけでなく精神も。
一人で生きていく強さを持っているから、何もいらない。
何者にも屈しない。
それだけでなく──、他人を助ける強さを持っている。
この人は『冒険者』として、「ドブさらい」のクエストを毎日受けているという。
あれだけの力を持ちながら、誰もがやりたがらない仕事をやっている。
あれだけの力を持ちながら──この人はそれを、自分のために使わないのだ。
私を助けたことも、もしかしたら、この人にとっては本当に「なんでもないこと」なのかもしれない。
それが日常。
当たり前のこと。
私は、たまたま、その中の一人になっただけの話かもしれない。
私は今まで、この人ほど強い人を見たことがない──。
私は将来、兄とともにこの国を導く立場にある。
王の血に連なる者は「強くあれ」というのがクレイス王家の唯一の家訓だ。
だったら、私は何よりもこの人の「強さ」を学ばなければならないのだ。
──それを、私は理解した。
「はい。よく分かりました──己の慢心。そして未熟さが」
私はまだ、この人に認めてもらえていない。
でも、私は決して、諦めない。
この人に認めてもらうまで──そして私が、彼の強さを真に理解するまで。
「本当に私如きが貴方の弟子にしてもらいたいなど、烏滸がましいにも程がありました。今の私などでは認めていただけないのも、当然のこと……ですから」
私の想いは通じないかもしれない。
突き放されるかもしれない。
でも──一生かかったとしても、私はこの人について行こう。
そう、決めた。
「いつの日か、貴方の弟子と認めてもらえる日が来るまで──ノール様。いえ、ノール先生。それまで、ずっと、貴方の後ろをついていかせていただきます」
私の追い求めた答えが──
いえ、我々クレイス家が代々求めた至上の「強さ」が。
きっと、この人の中にあるのだから。
お読みいただきありがとうございます。
感想・ブクマや、最新話の広告の下にある評価ボタンで応援いただくと作者の更新意欲がUPします(小声)。