129 土壌改良
イネスの身体が少し休まった頃を見計らい、私とノール先生、イネスは3人で、辺りが薄暗いうちに村の宿を出て『神獣』の解体作業をすることにした。
太陽が強く照りつける砂漠では体力の消耗が激しくなる。だから、早朝のまだ日が昇らないうちに作業を始め、日が昇りきるまでに大体の作業を終えよう、というノール先生の提案で、私たちは現地にたどり着くとすぐに必要な手順に取り掛かった。
「ではイネス、お願いします」
「はい」
まず、ノール先生の『毒を出す生き物は大抵、身体のどこかに毒を貯めている臓器がある』という指摘通り『神獣』の死体を探ってみると頭と胴体の間あたりに巨大な『毒嚢』が見つかった。
それを破裂させないように慎重に『光の剣』でイネスに切り取ってもらい、すぐに私の氷魔法で凍結させる。
『【氷地獄】』
そうして、危険な『毒嚢』の部位を処理すると、次は『神獣』を硬い外殻ごと土に還す作業に移る。
「【神盾】」
巨大な『神獣』の前に立ったイネスが『光の剣』を軽く振ると、あの硬質な『外殻』が人が抱えられるほどのサイズに分割される。
そして、それをノール先生が『黒い剣』で細かく叩き割っていく。
あっという間に砕かれた外殻の山が出来上がった。
護るべき主人を失った『外殻』はもう、昨日のような理不尽な硬さを失っている。
とはいえ、まだ鉄の剣すら容易に弾く程度の硬さはあるだろうに、イネスとノール先生はまるでただの土塊を相手にするように淡々と処理していく。
あの二人の作業を見ていると、それが容易いことのように思えてしまうが……普通ならとてもありえない話だ。
「……すごい」
私は複雑な想いで二人の作業を見守る。
昨日出会った『神獣』の外殻は『最硬鉱物』に匹敵するほど硬く、恐ろしいほどに軽いという驚くような性質を持っていた。
試しに私の所持する最硬鉱物製のナイフで斬りつけてみたが、僅かに毛筋ほどの傷をつけられるのみ。
それがもし、そのまま武器や防具の素材として使えたら、とてつもない品質の武具を大量に生み出せるだろう……と私は期待に胸を膨らませ、早朝、まだ暗いうちに皆より一足先に『神獣』の状態を確認しにこの場を訪れたのだが。
私が訪れた時には、残念なことにその『外殻』の驚くような特性の多くはもう失われてしまっていた。
どうやら、あの優れた性質は生きた本体から十分に『水』が行き渡っている間のみ発揮されるもので、乾燥した途端、脆く崩れやすくなってしまうらしかった。
複数の書物や伝承で「最硬鉱物に匹敵する硬さがある」と伝えられながら昔の外殻の現物がどこにも残っていないのは、そういうことだったのだろう。
それに実物を手にして色々と試してみると、『外殻』は火や熱にも弱いようだった。
砂漠の生物としては意外に思えたが、考えてもみれば獣人の集落の伝承では「『神獣』は水の多い土地に生息し、辺りに豊かな森を形成し、十分な栄養を得ると自ら地中に沈んで辺りに旱魃を引き起こした」と伝えられている。
つまり、あれは生きるのに多くの水を必要とし、乾燥を嫌う生物だったのだろう。
そう考えるとかなり多くの弱点があったのだと思う。
そんなことにも思い至らず、私は出会った瞬間に目にした巨大さに怯えるばかりだったのだが。
ノール先生は最初からこの生物のことを『肥料』、『食料』と呼び、まるでまな板の上の食材を調理するようにあっという間に倒して見せた。
先生は一目見た時から、全てのことを見抜いていたのだろう。
今思えば、相手の性質を冷静に見極めさえすれば、私一人でも十分に討伐が可能だった。
硬い殻があるとはいえ熱にも乾燥にも弱いし、氷漬けにもできる。
その上、身体の中は豊富な水分であり電撃でも食らわせればすぐに動きを止められただろう。
私にだって、倒しようはいくらでもあったのだ。
「本当に……反省点しかありませんね」
私の反省点の中には、昨日のうちにしっかりと分析を行えていれば『神獣』という歴史的に見ても貴重な素材を無駄にすることなく、もっと活かすことができたかもしれない、というものもある。
主人が死んで時間が経ち、『最硬鉱物』に比肩する硬度という信じられないような素材の性質は失われたが、『神獣』の外殻はその最高の物性を失ってなお、未知の素材としてとてつもない可能性を秘めている。
劣化したとはいえ鉄を優に超える硬さがあり、脆くはなったものの未だに木のような軽さと柔軟性がある。それに、高温の火で焼けば靭性は失われるものの、素のままよりずっと硬くなるようだった。
ちゃんと調べてみれば他にも優れた特性がありそうで、殆どが劣化してしまったことが残念で仕方がないが……よく探してみると、ごく僅かの量だったが身体の水分を多く含む部分の近くにあった外殻は未だに『最硬鉱物』並みの硬度が保たれていた。
そのまま放っておけば劣化は確実なので、私は急いで魔法で氷の容器を作り出し、王都からイネスが持ち込んだ『湧水の円筒』の水でそれを満たし、慎重に保管することにした。
その状況を『神託の玉』でメリジェーヌさんに伝えると、「是非、それを新鮮なうちに、研究素材として魔導具研究所にください! 言い値でオーケン様が買い取りますから! 全部……は無理として。出来るだけ、いっぱい」と興奮した様子で懇願された。
私はノール先生や父と兄とも相談し、その全てを『王立魔導具研究所』に寄付し、メリジェーヌさんに託すことにして、この作業が終わったあとすぐにイネスに馬車で王都に持ち帰ってもらうことになった。
『神獣』の外殻は歴史的にみても貴重な資料であり、とてつもない可能性を秘めた超希少素材だ。私では有効な利用法を思いつかずじまいだが、オーケン先生の信頼も厚い彼女たちなら、すぐにあの性質を活かした有効な利用法を開発してくれそうだった。
それと私には予想外のことだったが、あの『外殻』には植物の成長に必須となる栄養が含まれているという。
私には理屈がわからなかったが……ノール先生によると、「そういう味がする」のだという。
その分析を受け、私たちは『外殻』を細かく砕いて土に混ぜることにした。
知識の乏しい私にはよくわからなかったが、細かく砕かれた『外殻』は小石のように土の中に残り続けて長期に渡って土の質を改良し続ける、農業をする者にとって非常に心強い味方になるのだと言う。
……そこまで考え、ふと思う。
カイルさんたちの遠い祖先は、そこまで知った上であれに『生と死を司る』という意味の『神の獣』という名を与えていたのではないか、と。
性質を知れば知るほど、あれはただの殺戮を好む恐ろしい生物ではない。
まさに土地に死と共に豊かさをもたらし、最後には自らが大地の養分となることを宿命づけられた生態だ。
それを一目見た瞬間に『肥料』と断じたノール先生の洞察力に、今更ながら身震いが起きる。
やはり力だけでなく、知恵も先生と私の間には相当の差があるのだろう。
私が少しばかり成長したと思っていても、成長すればするほどノール先生の背中は遠くに行ってしまうように思える。
まだまだ、私は先生から学ばなければならないことがある。
この『神獣』の件は本当にそのいい例だ。
……元々、私はああいう形状の生き物が苦手、というのはあるのだが。
「ノール殿。刻むのはこれぐらいでいいだろうか」
「ああ、もう十分だろう。助かった、イネス」
私が考えごとをしている間にイネスとノール先生の作業が終わった。
すでに殻は粉々に砕き終わり砂利のような山となり、本体も風で吹き飛ばせるほどのサイズに切り刻まれている。
あの見上げるような巨体も、あの二人にかかればあっという間だった。
早朝から始めてまだ日も低いまま、彼らは汗一つかかず、予定していた全ての作業を終わらせてしまった。
「リーン、あとは頼む」
「はい」
ここからは私の出番になる。
ここまで二人にやってもらえば、あとは簡単な作業だ。
「少し風がおきますので、伏せていてください────【風爆破】」
私はまず、ノール先生とイネスが細かくした神獣の破片の山を全て、【風爆破】の爆風を使って空へと高く吹き飛ばす。
そして、それを最大数の【同時詠唱】と【融合魔法】で増幅した魔法を使い空の上で細かく切り刻む。
「【風刃】」
そうしてある程度肉片を細かく刻み終わったら発動する魔法を切り替え、更に風の勢いを強めていく。
「【竜神風】」
【同時詠唱】と【融合魔法】を駆使して砂漠に大きめの竜巻を発生させ、その中で破片と肉片を一緒に回転させて粉状になるまで擦りつぶしていく。
暴風で飛ばされた硬い外殻の破片が空中でお互いに削りあい小さくなり、肉片と共に粒子が細かくなっていくのを見守りながら、私は【同時詠唱】を行い、空を舞う『神獣』の残骸に他の魔法を重ね掛けする。
「【浄化】【加護】【生命力強化】」
【浄化】は念のため辺りの砂の解毒の為。【加護】、【生命力強化】とについては、そういう魔法を使った農法があると過去に書物で読んだことがあり、ノール先生に相談したら是非やってみてほしいということだったので、それも足す。
そして、それらの処置を終えると、次第に竜巻の力を弱め、竜巻の中央に集めておいた水分を全て使って、氷の柱を作り出す。
「【氷柱】」
すると砂漠に巨大な氷の柱が出現し、一瞬で巨木のような影が私たちの頭上に落ちる。
神獣の巨体の中に含まれていた水分を全て取り出した為、水の量は膨大だ。
私はその量に少し驚きながら、竜巻が止んで空中で散り始めた神獣の残骸を、風魔法で均等に辺りに撒きながら次の作業の準備に取り掛かる。
目の前に現れた膨大な量の氷。
あの氷を全て、同時に水に戻す。
その為に私が現在可能である八つの【同時詠唱】を駆使し、可能な限り大きく熱量の高い火球を一度に作り出す。
「【滅殺獄炎】」
複数の灼熱の火球を同時に受けた氷柱は一瞬で蒸発し、水蒸気の塊になった。
私が氷魔法で周囲が極低温になるよう気温を操作すると、散った水分はすぐに冷え、細かな水滴となって雨雲を形成し────やがて辺り一面に冷たい雨が降り注ぐ。
「【呼雨】」
私が魔法で少しだけ降雨を助けると、砂漠に土砂降りの雨が降る。
まるで滝のような雨はすぐに降り止み、僅かに残った空中の水滴が昇り始めた太陽の光を受け、空に大きな虹が架かった。
「これで予定していた朝の作業は終わりですね」
「……すごいな、もう終わったのか」
強烈な砂漠の日差しを受け、鮮やかな虹が浮かび上がる。
私はしばらくの間、その不思議な光景を眺めていたのだが、イネスの声に我に返った。
「では、リンネブルグ様。私はそろそろ出発します。あの積荷を運ばねばなりませんので」
「……イネス。私からお願いしたことですが、もう少し休んでから行っては?」
「いえ。輸送を急いだ方がいい品ですし、」
「それはそうなんですが……あまり無理をしないようにして下さいね」
「……いえ。私も不思議なのですが、疲れていないというのは本当です。昨日の晩、口にしたスープのせいでしょうか……? 短時間の休息だけで、驚くほど疲労が回復しています。あれは何だったのですか?」
「そ、それは……」
私はイネスが私よりもああいう種類の生き物が苦手だったことを思い出し、彼女にどう伝えようかと一瞬迷っていたところ、イネスは首を小さく横に振った。
「……いえ。それは大した問題ではありませんでしたね。あれのおかげで馬も元気になりましたし、輸送も捗りそうです。では私はこれで」
「……は、はい。お願いします、イネス」
私は若干の後ろめたさを感じながら、イネスの背中を送り出した。
これで予定していた朝の作業は終わり、私たちも村へと帰ろうとしたのだが。
「リーン、少しだけ付き合ってもらっていいか? 思ったより早く作業が終わったし、試しに何かを植えて育ててみたいんだが」
「……はい、それはもちろん、構いませんが……?」
予定では作物の植え付けは明日のはずだったし、今急いで植えても収穫の時期に変わりはないのでは……? という純粋な疑問を持った私の前で、先生は種袋から幾つかの『種』を手に取ると、全身から強い『聖気』を発し始めた。
「【ローヒール】」
すると、あろうことか先生が手にした種からぽん、と芽が出た。
「えっ」
……ありえない。
世に驚くようなことを成し遂げる高位の魔法スキルは数あれど、作物の種を一瞬で発芽させるものなど今まで聞いたこともない。
「昔はよくこうやって作物を育てていたんだ。懐かしい」
驚愕し言葉を失っている私の前で、先生はここに来るときに肩に担いで持ってきた堆肥の袋を開けた。
「なるほど……この作物だと、堆肥の混ぜ込み分量はこれぐらいでいいのか。かなり参考になるな」
そうしてイネスが持ち帰った『栽培計画書』を片手に、『黒い剣』で中身を辺りの土にかぶせて器用にかき混ぜていく。
「よし。リーン、悪いが水をこの辺に蒔いてくれないか。かなりたっぷり目に」
「は、はい」
名前を呼ばれて我に返った私は、ノール先生に言われるまま『湧水の円筒』を取り出し、魔力を込めて水を生み出して辺りに撒いていく。
「ああ、それぐらいでいいと思う。ありがとう」
「ノール先生……何を……?」
「普段はあまりやらないことなんだが、ちょっと試してみたくなってな」
「……?」
先生は植えた芽を前にして大地に手をつくと、強烈な『聖気』を地面に送り込み始めた。
「【ローヒール】」
まさか、と再び硬直する私の目の前で、小さな芽でしかなかった植物が伸び、葉が大きく成長し。
あっという間に沢山の花をつけ、そして────
「実が、できた────?」
「ああ。でも、これは便利だが、あくまでも試す時用の方法だ。畑の作物の全てをこうするわけにもいかないしな……味は良くなるんだが」
先生は実った赤い果実を一つ、私に手渡した。
半ば放心しながら受け取ったその作物を齧ると、とても甘く瑞々しく、豊かな大地の味がした。
「……美味しいです……すごく」
「これなら、いい畑が作れそうだ」
先生は満足げに広大な砂漠を見渡した。
「……じゃあ、少し遅くなってしまったが朝飯にしようか。半端に食べたら逆に腹が減ってきた」
「は、はい……そうですね。今、ロロが準備してくれているはずです」
「楽しみだな」
そうして私は早朝から砂漠を耕し始め、日が昇りきる前に種から作物が実る、という冗談のような奇跡を目の当たりにし、いまだに信じられないような気持ちのまま、先生と一緒に獣人たちの集落へと歩いて戻った。