126 王都の仕入れ
イネスは荷物の軽くなった馬車を走らせ、単身でサレンツァとクレイス王国の国境を抜け、再び王都へと戻った。
イネスが王都を訪れた目的は二つ。
リンネブルグ王女から託された覚書にある品を王都市場にある『種屋』で仕入れてくること。
そして、『湧水の円筒』をサレンツァに持ち出して良いかどうかの判断を仰ぎ、場合によってはリンネブルグ王女の元まで輸送すること。
国宝に準ずる重要遺物である『湧水の円筒』の国外持ち出しに関しては、王が側近レベルを招集して協議中であるとのことで、まず、イネスはノールが描いた地図を頼りに『種屋』を目指すことになったのだが。
「……この地図、どう見たらいいのだろうな」
これを書いた本人から「たぶん行けばわかると思う」、と言われて手渡された地図を片手に、王都の大通りを外れ、旧市街地にある中央市場に足を踏み入れようとしたイネスだったが、その地図に書かれた内容を読んで少し戸惑った。
地図には目的の『種屋』に到るまでの道順が細かく解説入りで書いてあるものの、路地の漠然とした印象が主で、路地を曲がる際の目印も「老人が店番をしている道具屋」「くたびれた犬がいる家」と、あやふやな表現ばかりで、それを頼りに進もうにも蜘蛛の巣のように入り組んだ旧市街の路地に入り込むには心許ない。
これは予想よりも大変そうだと思ったが、イネスは出発前に詳細の確認を怠った自分のミスであると考え、すぐに諦めて地道に店を探して歩くことにした。
幸い、王都の市場に作物の『種子』を専門に扱うような店はそう多くはなく、地図に書かれた断片的な情報でも市場を行き交う人間に聞き込みをすれば、「ああ、あの店か」と通じたりして、意外にも男の印象を辿れば、目的の店舗を見つけるのはさほど難しい作業ではなかった。
そうして、イネスはすぐに目的の『種屋』に辿り着き、小さな店舗の入口をくぐり、店番をしている青年に声をかけたのだが。
「ここで作物の種子を扱っていると聞いたのだが」
「いらっしゃい……あれ、アンタ、王国の騎士様かい? 騎士様がこんな店になんの御用で?」
店に入るなり、店番の青年はイネスの容姿から即座に王城付きの騎士であると判断し、不思議そうな顔で彼女の顔を見つめた。
「荒地でも育つ作物を見繕って欲しい。ここなら有用な助言をもらえると聞いてきた」
「……荒地で、か。荒地にも色々あるが……もうちょっと情報もらえるか? それだけじゃ、育ちそうな種子を見繕うのも難しいぜ」
「……そうだな。私に使いを頼んだ男はこれと同じようなものが欲しいと」
そう言ってイネスは自分にここに来るように言った男、ノールに手渡された『黒い植物の根』を店番の青年に差し出した。
「……ん? それ、『マンドラゴラもどき』だよな……? 確かに、ここいらではウチでしか扱ってないが……ああ、あの腕に傷のある兄ちゃんか? 最近それ持ってったヤツって言えば、あの兄ちゃんしかいないからな……なんだ、あの兄ちゃん、また畑を始めるのか?」
「悪いが詳細は国の機密に関わることなので言えない。だが、おそらく想像に近いことになるだろう」
「……へえ? あの兄ちゃんが?」
イネスの返答に、わかったようなわからないような、微妙な表情を浮かべる青年だったが、どうにか一つ大きく頷くと、改めてイネスに向き直った。
「……なるほどな? まあ、そういうことなら、もちろん協力してやるぜ。ウチは就農経験者には優しい店ってことで通ってるんだ。あ、口も硬いから安心してくれよ。アンタが来たってことも絶対に誰にも喋らないから」
いまいち口の軽そうな印象の若い男に、イネスは多少の不安を覚えながらも男から預かっていた皮袋を取り出した。
「その男から代金を預かってきている。この金であるだけ全部欲しいということだった」
「なんだ、そのやたら汚い袋は……?」
目の前の女性の身なりと似つかわしくない、小汚い皮袋に店番の青年は顔をしかめつつ受け取り、中を覗くと目を丸くした。
「な、なんだ、こりゃあ?」
「どうした?」
「なあ、アンタ。この中身、知ってるんだよな?」
「……すまない、見せてくれ……ッ!? こ、これは……!」
袋の中身は沢山の小金貨、大金貨だった。
白金貨まで入っていることが見て取れた。
あまりにも簡単に渡されたので中身を確認しないまま、そのまま受け取ってきてしまったが、どう見ても、この店ごと買い取ってしまえるほど入っている。
この額は、こんな今にも破けそうな皮袋で管理していいような額ではない。
というか、イネスがサレンツァでこの袋を受け取ったということは、男は人知れずこの城すら建設できそうな大金をクレイス王国から異国に持ち込んでいたということになる。
リンネブルグ王女の様子からも、このことを知っているとは考えにくかった。
「……何を考えているのだ、あの男は……?」
「なあ、幾ら何でも、それで買えるだけ全部はやりすぎだよな。大金貨一枚ありゃ、今の店の在庫、全部買えちまうぜ。一応、銀貨一枚で即日で栽培地の土に適した育成セットの見積もりから納品まで、簡単な『栽培計画書』付きで作ってやれるが、まずはそっちにしとくか?」
「……銀貨一枚……? それだけでいいのか?」
「ああ、と言っても手付金だからな。見積金額によっては余計な分は返すし、超過したらその分いただくぜ。まあ、ちゃんと納品前に見積書もつけるから安心してくれ」
「では……納品は今日中、物量は一般的な荷馬車に詰める程度ならなんとかなる。その範囲で見積もりを頼みたい」
自分が知らずに持たされていた莫大な資金と、提示された額の慎ましさの差に多少驚きつつ、イネスは使っていいと言われている袋の中から銀貨一枚を取り出し、青年に手渡した。
「おう、まいどあり。あと、これがウチの参考価格表だから。これから見積りを出すけど、ウチより安い店があったら割引にも応じるぜ」
「……随分安いように思えるが」
「まあ、そもそも種だしな。それに薄利多売、良い物をより多くのお客さんに、がウチのモットーだ。大金持ってこられても、適正価格以上は貰えねぇよ。ま、気に入ってくれたら今後ともご贔屓に頼むぜ」
最初、見た目が非常に軽そうな印象だったので、イネスは大金を目にしてからの青年の対応を少し意外に思った。
初対面の印象だけで人物を推し量るものではないな、とイネスは自分の軽率さを少し反省しながら相手の評価を改め、話を続ける青年の言葉を聞いた。
「で、料金の話はいいんだけどよ。なんの情報も無しじゃ、まともな種子の見繕いはできないぜ? さっき秘密にしなきゃいけない国の事業とか言ってたが、もうちょっと具体的な情報くれないもんかね? 有用な助言をしたくてもできねえよ」
「そうだな」
イネスは自分をここに向かわせた人物、ノールに渡されたもう一つの袋を取り出した。
「参考として作物の栽培予定地の周辺の土を持ってきた。これで何かわからないか?」
「おっ、いいねぇ。それは何よりの情報だ。やっぱ、あの兄ちゃん、よく分かってるじゃねえか……って。なんだこりゃ? 土っていうか、ほぼ砂じゃねえか」
「……無理そうだろうか?」
「いやぁ、完全に無理とは言わねえがよ……こんなんじゃ普通、何も育たないぜ……? なんでわざわざ、こんな場所を?」
「すまないがそれも言えない」
「はは、まさかサレンツァの大砂漠でも農地にしようってんじゃないだろうな?」
「……すまないが、言えない」
少し身を固くした女性騎士の様子に、店番の青年は先ほど言われたことを思い出した。
「おっと、悪い……色々と秘密なんだったな。詮索したみたいで悪いが、サレンツァの大砂漠を『種屋』として攻略してやるのが俺の昔っからの夢だったもんでね。南の壁の周辺をうろついて、辺りの土を調べてたことがあったのさ。その辺りの土と、アンタの持ってきたこれ、よく似てるなぁ、なんて思っちまったもんでね」
「……サレンツァを攻略?」
「ああ、いち『種屋』として、あの広大な砂漠地帯を自分の耕作の知識と技術でどでかい耕作地帯にできたら、すげえだろ? これ言うたび、皆に笑われるんだけどさ……こんな砂みたいな土で畑つくりたいなんて話聞いたら、つい、思い出しちまって。俺と同じような馬鹿がいるもんだなぁ、なんてな」
いつの間にかよく知らない女性の前で自分の夢を力説していた自分に気がつき、気恥ずかしくなったのか青年は小さく咳払いをした。
「……ま、まぁ、実現する見込みもねえ俺の夢の話はさておき、だ。アンタらが何をしたいのかはわからねえが、ちゃんとした『情報』はもらったからな。プロとして上手く見繕ってやる。今日はもう店じまいにするが……少しだけ、検討の時間もらっていいか? まだ色々、聞きたいことがあるんだ。お客さんの秘密が守れる程度でいいからさ」
「伝えられるのは大まかな気候や、周辺の条件だけになるが」
「ああ、そういう大まかな情報があれば十分なんだ。あとは個別の土地の特性によるんで、とにかく実地でやってみるしかないからな……ちなみに、ちゃんと水はあるんだろうな?」
「水源は何とかする予定だと聞いている。水はある前提で頼む」
「……よっしゃ。それなら相当、幅は広がるな」
青年はイネスから必要な情報を聞き出しつつ、手渡された砂を掴んで指で弄りながら拡大鏡で熱心に観察し、紙に何かをメモしていく。
「……う〜ん。これ、砂に見えて粘土質も混じってるな。乾いてるから砂っぽくなってるだけで、水が使える前提ならまあ、確かに耕作地転用もアリっちゃアリか……? 土壌改良剤を加えれば『紫鼻花』と『白鬼花』ぐらいなら実るかもな。まてよ……? ダメ元で、『赤竜灯果』もつけてやるか。『赤竜灯果』は元は砂漠地帯が原産って聞いたことあるしな……ちょっと扱いは難しいけど、まあ、説明書つけてやればあの兄ちゃんならなんとかするだろ。子供の頃から二〇年やってたっていうしな……なら一応、上級者用の『青肉透果』もつけてやるか。あれも乾燥に強いって聞いたことがある。高いけど、全然、予算範囲内だろうしな」
「……すまないが。予算は問題なさそうだが、単体の馬車での輸送になるので量は抑えてくれると助かる」
「ああ、わかってるって。そもそも種子なんてそんなに場所は取らねえし、いくら積んでも問題ないぜ……って、待てよ? 馬車だって? なら堆肥も積めるか。今朝、いい堆肥入ってたよな。それと水がなんとかなる前提で日差しの強い温暖な場所って考えれば……あの発酵性の土壌改良剤も使えるかもな。それなら、『マンドラゴラもどき』とも相性がよさそうだ……ああ、あと、最近できた乾燥にやたら強い『砂漠麦』って品種もあったな。味は無茶苦茶不評らしいけど、そいつも一袋つけといてやろう。それと……ああ、そういえば倉庫にずっと眠ってたアレもあったな。よし、馬車に積めるなら────」
次々と挙がる作物らしき名前に、あまり積荷の量が増えないように忠告をしようと思ったイネスだったが、青年は逆に勢いを得て、机の上のメモ用紙を小さな文字で真っ黒に埋め尽くしていく。
その様子をしばらく不安げな表情で見つめていたイネスだったが、ふと、耳元のイヤリングが小さく震えた。
『イネス、今、ちょっといい?』
イネスが耳につけていた小さなイヤリングに軽く指先で触れると、そこからよく知る女性の声がした。
その声はそのイヤリング型の通信機の開発者本人である、『魔術師兵団』副団長、イネスの同僚であるメリジェーヌのものだった。
「……メリジェーヌか。どうした」
イネスは耳元の魔導具から直接響くメリジェーヌの声に、小声で応答した。
イネスが身につけているイヤリングはメリジェーヌが開発した極小型の『通信型魔導具』だ。
先ほどイネスが王城に一時的に帰還した際、メリジェーヌから「連絡するのにすごく便利だから」と渡されたものだ。イネスは驚きつつも、使い方の簡単なレクチャーを受け、彼女の新作であるというイヤリングを受け取った。
メリジェーヌの取り仕切る『王立魔道具研究所』では工房を訪れる度に新しい物が増えている。
その9割以上が彼女発案の魔導具であるといい、そのように日々新たな発明品を開発しているせいで彼女の他の業務を圧迫しているらしいのだが。
それらの発明のおかげで王宮から支払われている給料とは別に、メリジェーヌの懐には莫大な利用許諾料が入り始めてきているらしい。
もう相当に稼いでいそうだし、イネスから見るとそろそろ体を大事にしたほうが良さそうな気もしているが、彼女はどうも大きな報酬が絡むと断れない性質らしく、自作の眠気覚し魔法薬と活力剤の瓶をぎっしりと机に並べ、いつも何かよくわからないものを試作している。
そんな彼女の「最近の一番の自信作」というだけあって、この耳飾り型の小型『通信用魔導具』はイネスの目から見ても凄まじいほどに有用な発明品だった。
その場に同席した【魔聖】オーケンから、通常は机上に置くサイズであるものをここまで小さくするのには、かなり多くの技術的課題を克服したものであると聞いたが、確かにそれだけの労力をかけて開発するだけの価値はあると思う。
通常の机上に置く大型のものより通信可能範囲はかなり限られるが、近距離同士では格段に利便性が増す。
これがあるだけで多くの兵の統率と連携が容易になり、『王都六兵団』の軍としての能力は飛躍的に高まることだろう。
そんな革新的な発明品を生み出し続けている本人は「趣味の延長線上だから」などと言っているが……最早、彼女は歩く軍事機密のようになりつつあり、イネスはそろそろ『戦士兵団』から専門の護衛を組織する必要があるのでは、と考えているほどだ。
日々、彼女と同じように眠い目をこすって業務を共にする『魔術師兵団』の猛者たちに囲まれているので、目下の心配はないだろうな、と思いつつ。
『まず一つ。例の件、王様の結論出たって』
メリジェーヌが伝えてきた内容にイネスは更に声を低くする。
「……そうか。ということは、他にもあるのか?」
『うん。王女の滞在先でのことで、ちょっと。ついさっき、向こうから連絡あったんだけど』
「何か問題があったのか?」
『う〜ん……まあ、もう解決したって話なんだけどね? 内容が内容だし、イネスには早めに伝えたほうがいいと思って』
「そうか」
やはり何かトラブルがあったのか、と、イネスは内心、自分が王女の側を離れたことを後悔するが、解決したと聞いてほんの少し胸を撫で下ろす。
「すぐ詳細を聞かせてくれると助かるが……今は出先だ」
『うん、そうだね。内容的には微妙なラインなんだけど、一応、外で話さない方がいいかなぁ……私たち、今会議室にいるんだけど、直接話せる?』
「……わかった。すぐにそちらに行く」
イネスはメリジェーヌに会いに王城の会議室まで行くことにして、熱心に見積もり作業を続けている青年に声をかける。
「見積もりの件、任せてもいいか? 代金は納品と引き換えになるが」
「おう、任せとけ! もう手つけ金はもらってるからな。見積書はすぐに仕上げるが、納品は今日中であればいいんだよな?」
「ああ。夜までに届けてくれたら、見積書は納品と一緒でもいい。あまり時間がないので、特に大きな問題がなければその場で品物を受け取ることになる。可能なら、王城に届けておいてくれると助かるが」
「よっしゃ、それで承ったぜ! じゃあ、もうちょっと検討の時間が貰えるってことだよな? なら、せっかくだし、俺が『種屋』として磨いてきた全ての知識をつぎ込んで最高の栽培計画書を作っておいてやる────ははは、いいインスピレーション、湧いてきたぜぇ!」
「……。……頼んだぞ」
一旦は信用していいような気がしたものの、だんだん目が血走ってきた店番の若い男にかなりの不安を覚えながら、イネスはメリジェーヌから呼び出しのあった王城へと向かうことにした。