12 王女の願い
あれから俺は少し鍛錬をしてから、浴場に寄って宿で休み、朝目覚めるといつものように「ドブさらい」の現場に向かった。
今日はステラおばさんの家の周辺ではなく、少し離れた場所で、依頼者も別だ。
俺がステラおばさんの家の周りの側溝を綺麗にしていたところ、その仕事を見た別の人が冒険者ギルドに依頼をくれたのだ。そういう人が、だんだんと増えてきている。ありがたいことだ。
そう言うわけで、毎日、色んな所を回って掃除をしている。
もう日課のようなものだ。
今日は、昨日リーンのお父さんから貰ったあの重たい黒い剣があったので「ドブさらい」の仕事の時に持っていった。
なかなか落ちない側溝の底にこびりついた頑固な汚れを削り落すのに使ったのだが、この黒い剣は驚くほど便利だった。
いつもは、工事現場でもらってきた木片を使ってこそぎ落とすのだが、もうその必要はないだろう。この剣を使えば、びっくりするほど綺麗に汚れが落ちるのだから。
角度や力加減を間違うと、石で作られた側溝自体が削れてしまうので注意が必要だが、この剣はリーンのお父さんが言ったようにとても頑丈だ。
いくら使っても、傷つく気配がない。
まあ、もともとボロボロだから気にならないだけなのかもしれないが……。
とにかく、とてもいいものを貰った。
と、そこまでは順調だったのだが、「土運び」の工事現場の近くで事件が起きた為、調査をするという事で衛兵がたくさん集まっていた。
とても工事を続けられる状況ではない、ということで「土運び」は中止になった。
そういうわけで、ほとんど丸一日、する事がなくなってしまった。
「さて……今日はこれからどうするか」
俺は郊外の森に来て、何をしようか考えていた。
別に冒険者ランクが「Fランク」だからといって、街の外に出られないわけではない。
依頼が受けられないだけなのだ。
ここは俺が王都に来てから日頃鍛錬に使っている森だ。
なんとなく、空気が俺の住んでいた山と似ているし、適度に王都から離れていて人目につかない。動きまわるのに都合のいいひらけた場所も、木剣を吊るせるような大きな木もある。
何よりここは、少し切り立った崖の上にあるので、周囲が見渡せて風景がいい。
だから、気に入って使っている。
山を降りてきた最初はここで寝泊まりもしていたのだが、やはり屋根や壁がないと色々不便で、今は王都の端の方の宿屋に泊まっている。部屋はそれほど大きくないが、外に出ているうちにベッドのシーツを替えてくれるし、衣類を預けておけば洗濯もしてくれる。
何より、安い。
冒険者ギルドのおじさんには良い宿を紹介してもらったと思う。
「こなすべき依頼もないし、いつものメニューをたくさんこなすか」
そう思って、早速もらった重たい剣を振ろうと思って構えたのだが──
近くの茂みから、ふと、何かの気配がした。
動物だろうか。
いや、ここは鳥や小動物が多少はいるが、こんな物音を立てるほどの動物となると、珍しい。
……足音からすると、人だな。
誰だろうと思って物音のする方向を見ていると、木々の間から、見覚えのある人物が顔を見せた。
「リーンか……? どうしてここに」
「ノール様、おはようございます……突然、すみません。ギルドのマスターに今日はここにいるだろうと伺って……ご迷惑でしたか?」
「いや、別に迷惑ということもないが、どうやってここまで……?」
ここは切り立った崖の上だ。
山育ちの俺は特に登るのは問題がないが、あまり来やすいところではない。
ギルドのおじさんにもこの場所のことは言ってあるが、詳しい位置までは教えていないし……。
そういえば、彼女はスキルで他人の居場所がわかるんだったな。
人の後をつけるのは、いくらスキルが使えるからといって、あまり褒められたものじゃないと思うが……。
「なぜ、俺をまた追いかけて来るんだ? もう用事は昨日で終わったものだと思っていたが」
「はい、昨日は本当に有難うございました。今日は別件で、お願いに上がりました」
「お願い?」
「父が先日話していた件ですが……改めて、私からもお願いをしたいのです」
「なんだ、それは?」
……昨日話していた……?
なんだったか、それは。
「私を、ノール様の『従者』にしていただきたいのです」
「……何だ、従者というのは?」
そんな話は昨日、出なかった気がする。
「従者というのは身の周りのお世話をさせていただきつつ、技術や知識の教えを請う、という立場の者です。
言ってみれば、魔術研究機関における「助手」──或いは職人徒弟制度の「弟子入り」に近いものでしょうか。
お側に置かせていただけるだけで、十分です。
ご迷惑はおかけしないようにしますので、是非ともお許しをいただければ──」
そう言ってリーンは胸に手を当てて、静かに頭を下げた。
この動作は昨日、なんども見た気がする。
これがこの街の、心から何かを伝えたりするときの動作なのだろう。
なかなか好感が持てる。
だが──。
「断る」
「えっ」
彼女は俺に断られるとは思っていなかったのだろう。
焦った表情で俺を見た。
……というか、なんで断られないと思っていたのだろうか。
「や、やはり昨日、何かお気に召さないことでも──? そ、それともやはり、私のような若輩者では頼りなく思われますか? き、昨日は、確かにお恥ずかしいところをお見せしましたが、私もお側に置いていただければ、きっと何かの役に立つと思います。これでも、六系統の王都訓練所を全て歴代最高の成績で──」
「いや、そうじゃない」
別に彼女のことがどうとか、そう言う話じゃない。
今は日々の仕事と自分を強くすることで精一杯だし、
俺が誰かを弟子にするなど、ちょっと考えられない。
「そもそも、俺が君に教えることなど何もないぞ? それに、俺は君に役に立ってもらおうなどとは考えない。自分のことは自分でできるからな」
一人での暮らしが長かったので、生活に関することは大体自分でできる。
洗濯だけは宿のおばさんにお願いしているが。
今はそれぐらいで満足しているし、これ以上必要ない。
「で、では、指導料として当家から十分な謝礼をお渡ししますので、是非とも──」
「いらない」
「そ、それなら、私を好きなように使って頂いても構いません。冒険者ギルドの依頼の補助や雑務なども──」
「それもいらない」
「で、では──!」
「いらん」
「……っ!!」
彼女の顔は、だんだんと紅く染まり、目には涙が溜まっている。
本当に断られると思っていなかったのだろう。
でも、何と言ってもいらないものはいらないし、できない事はできない。
「か、必ず、お役に立ってみせますから──! 私がなにかの役に立つと言うことを、信じていただけませんか? で、では、少し失礼して──!」
彼女は涙目になりながら、携帯していた青白い宝石の埋め込まれた杖を、両手で顔の前に掲げた。
「【氷塊舞踊】」
瞬時に辺りの空気が凍てつくように冷え、空中に数十の氷の塊が出現した。
その一つ一つが人一人ぐらいの大きさで、先端が鋭く尖っている。
まるで鋭利な刃物のようだ。
そしてほぼ、出現したと同時に物凄い勢いで落下した。
落ちる先は──
その真下にいる、リーンだ。
「──【滅閃極炎】」
あぶない、と思ったが、彼女がスッと片手を掲げると、手のひらから勢い良く炎が発された。
それは見る間に大きくなり、リーンに向けて落下してきた数十の氷の刃は一瞬で飲み込まれ、蒸発した。
彼女の上に掲げられているのは、家一軒丸ごと飲み込めそうな、巨大な灼熱の炎の塊。
そこにあるだけで辺り一面が焼けるような、凄まじい熱だったが、彼女が手を軽く振ると炎の塊は何事も無かったかのように掻き消えた。
「これが、私の使える最高位の魔術スキルの一つ、【滅閃極炎】です。そして──」
彼女は手慣れた動作で小ぶりな杖を腰のベルトに取り付け、
替わりに腰に取り付けていた黒い鞘から金色の短刀を抜き、静かに振るった。
「【朧刀】」
彼女の背後にあった一本の大きな木が、音もなく横に滑り、倒れた。
「これは、【盗賊】系統の奥義です。【隠聖】の教官より伝授していただきました──そして」
彼女は素早い動きで短刀を仕舞うと、背中から一本の長い剣を取り出し、両手で構え、まっすぐ横に振った。
「【聖光閃】」
彼女の持つ剣が閃光を放ち、倒れた巨木を真横に切り裂き、その切り口が蒼白い炎で覆われた。
「今のは【剣士】の聖級スキル【聖光閃】です。アンデッドに特に効果の高い、特殊な技で、そして──!」
「もういい、十分だ」
俺は静かに首を振りながら、
次々にすごいスキルを見せてくるリーンを止めた。
ここまでしてもらえば、もう、十分にわかる。
彼女はとても才能に溢れていて、とても優秀なのだ。
比べて自分が情けなくなるほど、よくわかった。
と言うか、これならあの牛ぐらい簡単に倒せたのでは?
何故か彼女は期待の表情で俺を見ていたのだが。
「で、では……! 弟子入りの許可を──!?」
「ダメだ。ますます君に教えることなど何もない」
俺が再び断ると、リーンは驚愕の表情を浮かべていた。
……なんでだ。
ここまで彼女の凄さを見せつけられたら、ますます俺が教えられることなど、何もないだろうに。
「わ、私はっ! これでも、【六聖】の教官に力を認めていただいていますし、お側に置いていただければ多少の役には立つはずです……! ま、まだまだ、ノール様の足下にも及ばないとは思いますが、どうか──!」
「君が優秀なのは見ればわかる。だが──」
どういうわけか知らないが、俺が教えを請う価値のあるほどの人物だと誤解しているらしい。
何をどう勘違いすれば、そういうことになるのだろう……?
分かってもらいたいが、俺はあまり説明は得意ではない。
実際に示して納得してもらうのが一番だろう。
「君はさっき、なんだかすごい【スキル】を見せてくれたが──俺の【スキル】を見てもらおう」
指先に意識を集中し、一気に力を込めると火が出た。
だいたい、握りこぶし大の火だ。
──【プチファイア】。
最初にこのスキルを習得した時、指先に灯ったのは、小さなろうそく程度の火だった。
だが、もし鍛錬を続ければ、普通の【魔術師】系スキルも身につくかもしれないと思い、俺は空いた時間にひたすら【プチファイア】を練習し続けた。
寝るとき以外は指先に意識を集中し、指先から炎を出し続けた。
その結果が、これだ。
確かに、火は大きくなった。
だが、訓練所時代に教官が見せてくれた、火を操る攻撃魔術、【火飛弾】は、この十倍ぐらいの大きさだった。
それが最下級の攻撃魔術だ。
それにも遠く、及ばない。
リーンがさっき使ったスキルと比べれば、ほとんど無いも同然のスキルだ。
もちろん、【火飛弾】のように飛ばすことなんてできない。
俺がいくら努力してもできたのは、指先に灯るこぶし大の火だった。
これが俺の限界だった。
十五年ほどかけて、ここまでだった。
……煮炊きするには便利で、とても重宝しているのだが。
「……これが俺の唯一の【魔術師】系スキル、【プチファイア】だ。他の六系統も、まあ、似たようなものだ。それがどういうことか──わかるな?」
俺のどのスキルも、先ほど、この少女──リーンが見せてくれたスキルとは、比べるべくもない。
比べるのが馬鹿らしくなるほどの違い──才能の違いがある。
しかし、今見せてくれたスキルはどれも、もの凄いものだった。
この歳で、これか。
才能がある人物──いや、『天才』というのは、きっとこういう子のことを言うのだろうな。
俺がこの子に教えることなど、やはり何もない。
「君に教えることが何もないというのは、そういう事だ」
モノを教えるどころか、上手く口で説明することさえできないのだ。
こうやって己の恥を見せつけるようにして、納得してもらうしかない。
俺の【プチファイア】を見たリーンは、急に俯き、震え出した。
静かに、何かを考え込んでいる様子だった。
だが多分、これで誤解に気がついてくれたのだろう。
「……俺の言いたい事を、分かってくれたか?」
「はい。よく分かりました──」
そして、リーンは顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見て言った。
「私の慢心……そして未熟さが」
………………なに?
「仰る通り──私如きが貴方の弟子にしてもらいたいなど、本当に烏滸がましいにも程がありました。
今の私などでは認めていただけないのも、当然のこと……。ですから──」
そうしてそのまま居住まいを正し、片手を胸に添えて──俺の目を見つめて言った。
「いつの日か、貴方の弟子と認めてもらえる日が来るまで……ノール様。
いえ、ノール先生。
それまで、ずっと貴方の後ろをついていかせていただきます」
次話とセットです。
長いので分割します。
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