118 獣人の集落 1
俺たちが獣耳少年少女の村に辿り着くと、驚くほどすんなりと村の中に入ることができた。
見張りは誰もおらず、どこにも人気がない静かな集落……というか見た感じかなり寂れていてまるで廃墟のような雰囲気の村だった。
俺たちが呼びかけてようやく顔を出した顔色の悪い村人に、リーンが俺たちがここに来た理由を説明すると、彼は慌てて村の奥に走っていき、代わりに真っ白な毛の獣耳を頭に生やした老人が歩いてきた。
そして、まず老人は俺たちに向かって無言で深く頭を下げ、そして────
「……この……大馬鹿者どもがぁ……ッ!」
馬車の屋根に山と積まれた子供達をしわ枯れた声で叱りつけた。
でもそれは怒るというよりも、どこか泣いているような悲しげな声色だった。
直後、老人は俺たちへと向き直ると地面に手をつけて身を屈め、頭を砂に擦りつけるようにして言った。
「……我が同胞があなた方に危害を加えたとのこと。伏して、お詫び申し上げます。その咎は私共年長の者が受けますゆえ、どうか……どうか、この子供達の命だけは」
どうやら、老人は俺たちに子供たちの命乞いをしている様子だった。
「いや、頭を上げてくれ。俺たちは別にこの子達をどうこうしようというつもりはないんだ。特に被害もなかったしな」
「ま、まさか……お許しくださるのですか……? この子達はあなたたちに強盗を働いたと」
「許すも何も……まあ、罰はしっかり受けてもらったしな? なあ、リーン?」
馬車の屋根の上で臭う蒸し風呂と化した布マントの中でへばっている子供達を眺めながら、俺は後ろに立っていたリーンに同意を求めた。
「はい。もうお仕置きはきっちり受けてもらいましたので、それで今回のことは不問にしようと思います」
「なっ、なんと……!? ほ、本当になんと、お礼を申して良いのやら……!」
老人は俺たちに向かって再び深く頭を下げた。
「いいから、頭を上げてくれ。それより……あの子達は、どうしてあんなことを?」
「我々もよく話を聞いてみなければなりませんが、おそらく、あの子達はこの村のために……いえ。理由がどうあれ許されることではありますまい……」
言い淀む老人に、リーンも声をかけた。
「……よろしければ、思い当たる理由をお聞かせいただけませんか? もしかしたら、私たちがお力になれることもあるかもしれません」
「そ、そんな……! 我らの同胞の悪行を見逃してもらった上に、これ以上何かしていただくわけには……!?」
「────俺たちには……今すぐ、金が必要だったんだ」
うろたえる老人の後ろで、イネスとシレーヌの手によって馬車の屋根から降ろされていた子供達の中の一人、リーダー格の少年が口を開いた。
「金か? 何のために必要なんだ」
「たくさんの金がなきゃ……助からない」
「助からない?」
少年の言葉に、白い獣耳の老人が小さく首を振りながら口を開いた。
「……私から、ご説明いたしましょう。この子たちの家族の多くは治る見込みのない病に侵されております。この集落のほとんどの者が、多かれ少なかれ、同じ病に悩まされています」
「病気か」
「……はい」
病気の話はロロから聞いた通りだった。
「ですが御察しの通り、この村には薬を買えるような蓄えはなく……医者もおりませぬゆえ、それがどのような病気かすらわからないのです。この僻地に医者を呼ぶには多額の金が必要なのですが、貧しさゆえ、それを準備することもままなりません……おそらく、この子達はそのための金を求めて盗賊行為に及んだのでしょう」
老人の話を聞くと、リーンは村の中を見渡した。
「……ノール先生。少し、この村の様子を見てきてもよろしいでしょうか」
「ああ、もちろん。行ってきてくれ」
「はい。それでは、そこの方。病気の人のところへ案内していただけますか?」
「は、はい」
リーンは村の人に連れられて、村の奥へと歩いて行った。
それを見送る俺の横で白い獣耳の老人はずっとうなだれていた。
「……本当に……許されざることです。我々の村から盗賊を出してしまった。いくら貧しい生活に陥ろうとも、清貧に生きることがこの集落の誇りであったはずなのに……それも、村をこんな風にしてしまった長であるワシの責任です……」
「……で、でも。誇りなんかより……早く、金を手に入れないと、母ちゃんの命が……!」
「……大バカ者! そのためにお前たちが罪を犯し、より多くの命を失っては本末転倒ではないか。ましてや、見ず知らずの旅の方に刃を向けるなどと……お主ら、それで家族に顔向けができるのか!」
「……うう」
「…………ぐす」
「……ご、ごめんなさい……」
辺りから子供達のすすり泣く声が聞こえる。
どうやら、話を聞いていると彼らは病気の家族を助ける為に犯罪に走った、ということらしいが。
「医者を呼ぶには、金はどのぐらい必要なんだ?」
「……わかりません。あまり頻繁に医者を呼ぶ機会もありませんので。それに加え、この僻地まできてくれるような医者を探すのも難しく……交渉のために、かなりの金額を積むしか、としか」
「そうか。じゃあ、これを使うといい。受け取ってくれ」
俺は自分がお土産を買うためにサレンツァに持参した、金の入った皮袋を老人に手渡した。
「……こ、これは?」
「ここに医者を呼ぶのに足りるかどうかわからないが、必要なら使ってくれ。元々、旅先で土産物を買うぐらいにしか考えていなかった金だから気兼ねなく使ってもらっていい」
「よ、よろしいのですか? で、でもこれは……?」
老人は袋を受け取ったものの、ずしりとくる袋の重さに戸惑っている様子だった。
「まあ、どうせろくな使い道のなかった金だ。なくなったところで困らない。必要ならまた稼げばいいしな」
「……そ、そうですか。それではお気持ち、ありがたく頂戴いたします。子供達の罪を見逃してもらった上に、このような施しまで頂こうとは……どうご恩を返せばよいのやら」
「別に返してもらおうとは思わない。俺もあの子達の気持ちはわかるしな。それで助けられるものなら、助けてやってくれ」
俺はあの子たちの話を聞いていて、ふと、自分の母親が山小屋で衰弱して死んでいった日のことを思い出した。
あの時、もし医者に診てもらったり、ちゃんとした薬があれば俺の母親も助かったのかもしれない。
当時の俺はそんな知恵もなく、ただ身の回りの世話をして見守っているばかりだったのだが。
この子達の家族が俺の金で助かるというのなら、そうしてもらった方がずっといいだろう。
そんな風に誰かの命を助けられるかもしれない金で、土産物をどっさり買い込もうとしていたことに、少しばかり反省を覚える。
まあ、自分の金を自分が楽しむ為に使うというのは決して悪いことではないとは思うが……こうして困っている人を見ると、どうもそんな気分にはなれないな。
「お客人。このご恩は……決して忘れませぬぞ」
そんな俺の心中は多分知らないだろう老人は目に涙を浮かべ、袋をぎゅっと握りしめていた。
「先生」
そうこうしていると、リーンが村の奥から戻ってきた。
「リーンか。村の中はどうだった?」
「はい、病気だという村の人を一通り、診せてもらいました。ですが……あれはおそらく、病気ではありませんね」
「病気じゃない?」
「はい、毒です」
「毒?」
リーンの答えに俺は首を傾げた。
「先ほど、少し調べてみたのですが、この辺りの砂には僅かに毒が含まれているようです。少量なら問題ない程度の微弱なものですが……あまり長くここで生活していると、次第に体内に蓄積してしまい、それでこの村の人たちが弱ってしまったのでしょう。実際、患者さんの体内にはかなりの量の毒が蓄積していました。それも幸い、私がなんとか対処できる程度でしたが」
「では、その治療は?」
「はい、もう村の全員分の治療はしておきました。みなさん、少し休めば問題なく動けるはずです」
「……そうか」
「それよりも……この集落の栄養状態の方が心配です。毒に負けているのは身体の衰弱によるものでしょう。一時的に良くなっても、このままではいずれ再発すると思います」
……すごいなこの子。
俺が医者と薬の心配をしているうちに、全てを解決してしまっていた。
いや。すべて解決した、という話ではないか。
「……病気は治っても栄養のある食べ物が必要、か」
「はい。おそらくお金だけでなく、ここには水も食料も……全てが足りていないのでしょう」
俺とリーンが話していると、老人は不思議な表情で俺たちの顔を眺めていた。
「あ、あの……? お話中のところ、お邪魔してしまい本当に申し訳ないのですが……そ、そちらのお連れのお方は、今、なんと?」
「この村は水と食料が足りていないらしいな?」
「い、いえ。それは確かにおっしゃる通りなのですが。その前に、何か……?」
「────長老様」
村の奥から、若い女性の声がした。
「……リーリャ!? 歩いても大丈夫なのか!? お主、病は……?」
「ええ、もう、なんともありません。そのお方が治療してくださいました」
「な、なんと!? 薬をお持ちだったのですか……!?」
「いえ。私は少しばかり【癒術】を使えますので」
「い、【癒術】!? あ、あの奇跡を起こすという……?」
「お、お母さん……? お母さんッ」
盗賊として俺たちを襲ってきた子供の一人の女の子が、その獣耳の女性に駆けていった。
女性はその子を優しく抱きとめると、小さな声で叱った。
「サーリャ。私を助けようとしてくれてありがとう……でも、あなたのしたことは、絶対にやってはいけないことなのよ? もう、二度としないと誓って」
「……う、うん」
「そして……あなたが襲った人に、ちゃんとごめんなさいと言って」
「……う。……ご、ごめんなさい……そ、それと、助けてくれて……ありがとう」
少女からの謝罪とお礼に、リーンは笑って小さく手を振った。
「他の方も、もう大丈夫なはずです。行ってあげてください」
「……あ……ありがとうっ……!」
「ほ、本当に……? ……そ、そんな」
「……か……母ちゃんッ……」
「お、お姉ちゃん……本当に、ありがとう……!」
リーンの一声で、俺たちを襲ってきた獣耳の少年少女たちは口々に彼女に礼を言うと、一斉に村の中に駆けていった。
「……まさか。本当に全員を治療してくださったのですか!?」
「はい。それほど難しい治療ではなかったので」
老人は一瞬、喜んだ表情を浮かべたが、すぐにうろたえた。
「で、ですが、そんな料金はわしらにはとても……? いっ、いえ。いくら借金を作ろうとも、必ず、お支払いいたしますので……!」
「料金? そんなもの取ろうと思っていませんよ?」
「……い、今、なんとおっしゃったので?」
「ですから。料金は要りませんと」
「なっ……!?」
リーンの言葉に、老人はひたすら戸惑いの表情を浮かべていた。
「で、ですが……お言葉ですが、それでは貴方達が一方的に損をしてしまうのでは? 何故、そのようなことを……?」
「……損?」
リーンは俺と顔を見合わせた。
「……そうですね。確かに見ず知らずの方に、一方的に自分たちの資産を与えたら私たちの損だと捉えることもできなくはないですが……でも、単に目の前で困っている方を助けることを私達は損とは考えません。むしろ良い知己が出来る機会を得て得だ、と考えるのはおかしなことでしょうか?」
「……な、なんと……!?」
「……もちろん、いたずらにこの国の医療価格の相場を乱してしまうのはよくないことだとは考えますが……それでも、目の前で死に瀕している人を助けない理由にはならないと思います。あの子の言っていた通り、あと少し遅ければ命も危うかったと思いますので。そういう点では、あの子達が私たちを襲ったのは正解だったとも言えますね。おかげで、私たちはこの村を訪れることができたのですから……と、私にはそんな風にも思えるのですが。おかしな考え方でしょうか?」
リーンは真剣な顔で老人に問いかけたが、老人は少しの間、硬直していた。
まあ、一度にリーンに色々と言われて、理解するのに時間がかかるのは俺もよくあることだから、気持ちはわかる。
しばらくすると、硬直のとけた老人は焦って素早く首を横に振った。
「……い、いえ! 滅相もない! た、ただ、私共はそのような考え方はあまりしないもので……!」
「そうですか。私たちはわけあって異国から参りましたので、少し常識が違うところがあるかもしれません」
リーンの言葉に、老人は少し納得したような様子で頷いた。
「……そうですか。異国の方でしたか」
「はい、北のクレイス王国から」
「……ク、クレイス王国? 北の壁が開かれたのですか……!?」
「……? いえ、私たちは特別に許可を頂いて入国してきたのですが」
「そ、そうですか。恩人に詮索するような真似を。申し訳ありません」
「いいえ、構いませんよ」
老人はしきりに驚いたり謝ったりお礼を言ったり、忙しない様子だった。
リーンと話し終えると老人はしばらく呆然としていたが、ふと何かに気がついたように俺の顔を見ると、慌ててさっきあげた皮袋を返そうとしてきた。
「お、お客人。このお金はもう、いただけません……もう、こんなにしていただいては。十分すぎるほどです」
「いや、医者と薬がいらなくなったのなら水や食料を買うといい。その金は俺には特に必要のないものだからな」
「で、ですが……?」
「いいから、使ってくれ。食料が足りずに体が弱ってまた病気になってしまっては仕方ないだろう? あの子達も年の割には体が細いし、色々と食べさせてやってくれ」
「……ッ……!!」
老人が破けそうなほど強く革袋を握りしめ、歯を食いしばりながら目に涙を溜めていたところ、村の奥から人が老人を呼びに来た。
「……ちょ、長老! 早く村の広場へ来てください!」
「……何事だ……? 今は大事な方と大切な話をしているのだぞ」
「あの……他に村を訪れた方が。村の広場で食べ物の振る舞いを、と」
「……振る舞い? ま、まさか……!?」
驚いた様子の老人と一緒に俺も振り返ると、そこにあったはずの馬車がない。
そしてイネスとシレーヌ、ロロの姿もなかった。
「……リーン?」
「先ほどお伝えした通り、村の方々の栄養状態が芳しくありませんので。せっかくなら、ロロに何か作ってもらおうかと」
「ロロに?」
「はい。あの馬車の中には長旅のためにかなりの食料を積んでありましたので、どうせなら、ここでその一部を解放してもいいかと思いまして」
そういえば村の奥から、かなりいい匂いがする。
何か料理を作っている様子だった。
ロロがそんなことをできるとは初耳だが。
「……ちょ、長老。今、村中の人が押し寄せて大変なことになっています。早く諌めなければ、さらに大変なことに……!」
「お、お客人……お、お話の途中で申し訳ないのですが……!」
「ああ。もちろん、行ってくれて構わない。その袋を持っていくのも忘れないでくれ」
俺がそう伝えると、老人はぎゅっと重たい革袋を握りしめながら目に涙をにじませた。
「……こッ……! このご恩にはいずれッ……どんなことをしても報いましょうぞォッ!!!」
長老と呼ばれた白い獣耳の老人は力強く叫ぶように言うと、呼びに来た村人と一緒に村の奥へとものすごい速さで駆けていった。
どうやら、俺たちが村に入ってきたときより元気が出たようだが、それにしても老人なのにものすごく足が速いな、と感心しつつ、俺はリーンと一緒に彼の後を追って村の広場へと向かった。






