110 司書メリジェーヌ
「……あんの、くそおんじ。帰国して早々、「ホッホウ! 『神託の玉』百個の追加注文じゃ」って……なに? もっと、うちの生産能力考えて受注して来なよぉ……?」
メリジェーヌは魔導具研究室の工房で一人、悲嘆に暮れていた。
先日、【魔聖】オーケンに長年試作品止まりだった『神託の玉』を、いきなり三百個近く生産したいと言われた時は正直、正気か、と思った。
一応、直属の上司なので「正気か」とは言わなかったが「頭おかしくないですか」ぐらいは言ってやった。まあ、意味はだいたい同じかもしれない。
だって、それぐらいは言いたくもなる。
普通は数年かかってもおかしくない作業なのだ。
『神託の玉』の仕組みは既に実用化されている『通話用魔導具』と似たようなものだ。声ではなく、視覚情報となる光を魔力波に変えて飛ばし、受信した側で再生する。主な違いはそれぐらい。発想自体は前からあったものだ。
でも、試作段階から実用化するとなると、二つ三つ大きな技術的課題をクリアする必要がある。
それを数日でやろうなんて、無茶にも程がある。
────結局、やるしかなかったのだけど。
私が主要な機構部分を試行錯誤して作り、上司オーケンが最後にゴリ押しで魔力を中に詰め込み、なんとか納期直前に完成まで漕ぎつけた。
ミスラ教国から提供を受けたという信じられない程高品質の魔石、『悪魔の心臓』……今後は『赤い石』と呼ばなきゃいけないらしいけれど、とにかく他にもマニアなら垂涎のトンデモな質の素材の数々が使いたい放題だった為、採算度外視の開発で無理を可能にしたのだ。
ぶっつけ本番の運用で失敗しなかったのは本当に奇跡みたいなものだ。
普通ならやるはずの最低限の耐久性試験もしていないし、いつ故障してもおかしくない。
最終的には上司が全責任を取ると言っていたものの、私はこのところ苦情に怯える毎日を過ごしている。
……そんな無茶を先日、やったばかりだというのに。
なのに、懲りもせずに、また更に百個追加だぁ……?
という、内心ふざけんなという気持ちが私の顔の全面に出ていたのか、追加の仕事を持ってきた上司は、仕様書を読み肩を震わせている私に対して、
『……じゃ、じゃあ、今期の給料……十倍ぐらいでどう?』
という条件を提示した。
────まったく。
なんてことを言い出すのだろう、あの上司は。
そんな風に言われてしまえば、断りづらいではないか。
私はなかば反射的に「はい、やります!!」と元気よく返事をしてしまった。
結局、お金の魔力には抗えないのだ。
とはいえ、やっぱり上司への不満は残る。
……そもそも、なんであんなキツい納期で持ち帰って来るかなぁ?
普通、もうちょっと余裕持たせるものではないだろうか?
しかも、コネがあるのかなんなのか知らないが、神聖ミスラ教国の教皇から直接受注してきたとかで、納品に求められる仕様が異常なまでに高い。
国家事業だから仕方がないけれど。使える予算が莫大なのはせめてもの救いだ。
でも、『神託の玉』の仕組みは繊細で、きちんと調律してあげないとうまく作動しないばかりか、国を跨ぐ程の大出力を実現するとなれば、下手をすると爆発の危険性すらある。
だから、主要部位の難しい部分の加工は他の工員たちには任せっきりにできず、いざという時に頼れるのはオーケン様ぐらいしかいないが、その上司様も最近大変忙しくしているらしい。
だから、他の人に任せられる部分はやってもらうにしても、一番ハードな部分は私がやることになるのだろう。
そう、私の小さな肩には今、クレイス王国の威信をかけた大プロジェクトが載っていると言っても過言ではない。
というか結局、だいたい私一人でやることになる気がする。
……やっぱ、これ、無理じゃね?
と、これから組み立てなければならない部品の山と、工程表を眺めながらしみじみと思う。最近、自作の眠気覚し魔法薬を飲み過ぎて胃が痛い。
結局、上司の代理として呼ばれた『副団長』クラスの会議も、シレーヌに資料を押し付けて帰ってきてしまった。
今は少しの時間も惜しいのだ。
まあ、別にあそこは私がいなくても、イネスさんがしっかりしてるので回るだろう。
彼女に甘えるのは悪いけれど……そもそも、私があの面子に入り込むのは無理がある。
正直、私は場違いな人間なのだ。
他の規格外の『副団長』クラスの人たちと並べてみると一目瞭然だろう。
作業に集中しすぎて疲れた頭をほぐすために、私は少しだけ手を止め、ぼんやりとその五人の顔を思い浮かべる。
────まず一人目、『戦士兵団』副団長、【神盾】イネス。
言わずと知れた、類稀なる『恩寵』の持ち主で【六聖】の纏め役として知られるダンダルグ団長の義娘。
幼少期から、王に溺愛されている王女の護衛を一人で任されるほど強い。戦闘能力的にも無敵の怪人ギルバートさんと肩を並べるともいわれる。
あと、羨む気すら起きないほどの美人である。女の私から見てもかっこよく、兵の間で男女問わず人望がある。
次期『王都六兵団』の長候補と目されているが、その評価に、誰も異論を挟むものはいない。
そして、百戦錬磨の【剣士】が集う『剣士兵団』副団長を務める、【槍聖】ギルバート。
兵団の花形『竜騎兵隊』の隊長を兼ね、部下にはいつも隊長と呼ばれている。若くして王から【槍聖】の称号と共に王類金属の宝槍を下賜された実力は本物だ。
でも、今でこそ落ち着いたが昔はかなりの乱暴者だったらしい。良い意味でも悪い意味でも武勇伝があちこちにあり、街ではガラの悪い不良たちに人気があるらしい。
正直、私はこの人にはあんまり近寄りたくないが、いつも馴れ馴れしく声をかけてくるのでマリーベールさんと一緒に防衛ラインを築いて一定の距離を保っている。
その『僧侶兵団』副団長、【聖女】マリーベールさんも凄い人だ。
間近で見ると全然そんな風には見えないけれど……若くして王から【聖女】の称号を授かる、【神盾】、【槍聖】と並ぶ実力者。
彼女の癒術は【癒聖】セインさまと違い、怖くないし痛くないという。故に一般兵からは崇敬され、本当に聖女様のように扱われている。
その人気と役割の為に彼女は昼夜問わず忙しくしているが、その分、副団長クラスでは一番の高給取りらしい。というか「それぐらいないと、やってられないですぅ……」ということだった。
金がないと動かない聖女ってどうなんだ、とは思うものの、個人的には同情する。大事だよね、報酬。プライベートでシレーヌと一緒にお茶しに行くことも多いが、いつも何か甘いものをがっついている印象しかない。あれで太らないのが不思議。
そして、最年少の【雷迅】シレーヌ。
あの苛烈で知られるミアンヌ団長に実力を認められ、団員全員が目隠しして飛ぶ鳥を射落すという変態集団、『狩人兵団』の副団長を務める稀有な天才。私よりも年下で副団長クラスでは一番若いはずなのに、全然他の人に気圧されていない。
彼女は『獣人』の血を引いているため、気配察知能力に優れており、目隠しをしながら背後に飛ぶ鳥数十羽を同時に射落すという。もはや何がどうなってんだレベルの凄まじい弓の技術を持つ。
が、それでもミアンヌ団長の足元にも及ばないというのだから、本当にどうなってんのあの業界という印象しかない。
彼女はいつもミアンヌ団長にこき使われてかわいそうな印象があるが、そんな苦労人の彼女にも最近春が来た、というマリーベールさん情報もある。
だが、相手はなんとあの『魔族』の少年ロロ君だという。
……とことん茨の道を突き進むのか、シレーヌ。応援するけど。
それと、忘れてはならないのが『隠密兵団』副団長、【幽姫】レイ。
白く輝く透明な髪を持つ、不思議な容姿をした女性。
【死神】の異名を持つ【隠聖】カルーさまに次ぐ諜報実務能力と戦闘能力を持つと噂されるが、詳しい情報はない。
私は彼女に何度か会ったことはある……はずなのだが、よく覚えていない。
ものすごい美人だったような気がする……が、とにかく印象が薄い。
多分、何かの『恩寵』によるものだと思われる。
彼女も王から特別に宝刀を授けられるほどの実力者で、彼女にとっては闇の中で気配も察知されぬまま、気に入らない人間を始末することなど容易いことだろう。
……ギルバートさんとかそろそろ危ないと思うな。
────以上が、これから王都の歴史に名を刻むであろう、伝説級のすごい人たち。
そして、無謀にも彼らと肩を並べるのは……私。
『魔術師兵団』副団長、【司書】メリジェーヌ。
実は私……『魔術師兵団』所属なのに、魔術、あんまり使えません。
あと運動能力がないので周りの動きに全くついていけず、戦闘もろくにできません。
補助ですらほぼ無理。
……そんなのに百戦錬磨のヤバ目の魔術師ばかりが集う『魔術師兵団』の副団長をやらせるとか、正気の沙汰か?
と、私でさえ思うが、それでもいいからと言われてしまい、提示されたおいしすぎる条件に釣られて私利私欲にまみれながら今の役職に就いた女。
就任にあたって、上司オーケンから授けられた称号は【司書】。
元々、王立図書館の従業員だったから。
そのまんまというか、ちょっとアバウトすぎやしませんかねぇ……?
……うん、どう見ても見劣りするでしょう。
周りの皆は優しいし、そんな私によくしてくれはするけれど、会議とはいえ彼女たちと肩を並べるとか、恐れ多い。
そもそも、私はこんなことをするためにこの魔導具工房に入ってきたのではなかったはずだ。
私はもともと、普通の図書館の従業員だ。
小さい頃から本に囲まれて生きるのが夢で、猛勉強の結果、願い通り王立図書館の仕事につくことになった。
仕事でいっぱいの本に囲まれ、仕事が終わってからは趣味の魔導具いじりに精を出し、休日には給料をはたいて本や新作の盤面遊戯を買い漁る。
そんな毎日がとても楽しかった。
私はそれで、十分に幸せだったのだ。
だが、ある日。
私は図書館でとある奇妙な風貌の老人と出会った。
前から探している本がある、というので私はその老人を本棚に案内した。
老人は大いに喜び、そのまま少し雑談になった。
その老人は古道具屋で仕入れてきた骨董魔導具を分解して改造するのが趣味で、休みの日にはずっといじっていると言い、私も似たような趣味があったので話が合い、しばらく話し込んだ。
その老人は度々図書館を訪れ、しばらくすると情報交換する仲になった。
最初はその風貌から正直、胡散臭いなぁと思って接していたのだが。何度も話していくうちに気さくな人柄に打ち解けた。
それがとんでもない人物だったと判明するのは、少し後のことだった。
ある日、私はその老人に「自分は研究の工房を持っているから遊びに来ないか」と誘われた。その時の目つきは非常に怪しかったが、老人だし、きっと変なことはされないだろうという妙な安心感もあり、私はホイホイとその工房を訪ねて行ったのだが。
────その工房を訪ね、私は目を疑った。
そこはまるで、夢のような世界だった。
普通なら触れることもできないような伝説級の魔導具の数々が棚に並び、王立図書館でも収蔵していない古い魔導書の類や、話が伝わるのみで誰も目にしたことのないと言われる超希少な素材も山ほどあった。
そして「もし、自分の仕事に協力してくれるのなら、この道具と素材を使って自由に何か作っても良い」と言われた。
今の図書館の仕事はそのままで、研究費と給料も出すし、趣味の延長の小遣い稼ぎぐらいの気持ちでやってもらえばそれで十分だから、と。
私は二つ返事でその依頼を引き受けた。
私にとっては願っても無い環境だったし、人の金と素材で心ゆくまで遊べ、おまけに給料までもらえるという。
そんな美味しい話、断る理由なんてどこにもない。
その時の私は、そう思っていた。
だが、それが大きな罠だったと理解するのに、そう時間はかからなかった。
工房に出入りするようになってしばらくすると、私は何故か『王都六兵団』の武具製作にも駆り出されるようになり、あれ、おかしいな……と思っているうちに日に日に忙しくなり、私をここに引き入れた老人【魔聖】オーケン様に代わって何故か私が工房を仕切るまでになっていった。
そうして、私はいつの間にか図書館の仕事の時にゆっくりと体を休め、逆に休日の方が本番の仕事、みたいなおかしな生活になっていった。
これはまずい、と思った。
工房で仕事をした分、収入は増えていったけれど、とにかく忙しすぎる。
だから一時はこの工房にくるのをやめようかとも思った。
でも、それも断念した。
一度この環境を知ってしまったらもう、前の生活には戻れない。
王立魔導具研究所の至れり尽くせりの製作設備を知ってしまったら、自宅のしょぼい机での作業なんて、効率が悪くってできやしないと思う。
おまけに王宮付きの一流の鍛治師や細工師など、普通にしていたら一生かかってもお目にかかれないような優れた職人に、部品を好きなように発注できる。
あまりにもこの場所は恵まれすぎている。
それを自分から捨てるなんて、とんでもない。
おまけにやっぱり報酬が良すぎるのだ。
……そう、私はその時すでに、今の作業環境がないと満足できない身体にされてしまったのだ。
そんなこんなで沼に引きずり込まれ、今では『魔術師兵団』副団長なんて、分不相応な肩書きまで押し付けられるに至っている。
未だに図書館職員という身分のままで。
どうしてこうなった……?
今や、買い貯めた新作の盤面遊戯は開封もされぬまま自宅の部屋の中に積み上がり、無数の『塔』となった。最近はもう、お金はあっても買いに行く暇すらないし、いつ買ったのか思い出せない化石のようなものまである。
……こんなはずじゃなかった。
ちゃんと前もって色々な条件は提示されたし、契約書にも納得してサインしたつもりではあったけど。
その後の展開が私が想像していたのとだいぶ違う。
元々、自分は安定した休みが欲しくて、図書館の司書という仕事を選んだはずなのに。
この工房には、タダで高級素材で遊んでお金がもらいたくて出入りしていただけのはずなのに。
「……あんの、くそおんじ……何が「好きな時に来て自由に帰っていい」だよぉ……! そんなことしてたら、絶対納期に間に合わないじゃん……! 話が、違うよぉ……!」
私が工房の中で一人、ボヤいていると背後から声がした。
「────ホッホウ、くそおんじ? それは誰のことかのう?」
振り向くと当の上司、【魔聖】オーケンの姿があった。
「……あれ? オーケン様? 思ったより帰ってくるの早かったですね」
「いやいや、もう深夜じゃぞ? ずいぶん頑張っていたようじゃな、メリー。 ……で?? そのくそおんじとは???」
「私、そんなこと言ってました?」
「……ホッホウ、言っとったように聞こえたがのう……?」
「歳が歳だし、幻聴じゃないですかね」
「そこまで耄碌しとらんわい!」
私たちは薄暗い工房の中で、しばらく無言で見つめ合った。
「……私、オーケン様のこと。大好きですから」
「ホッホウ……そ、そう面と向かって言われると、ちょっと照れるのう? ……って、誤魔化されんぞ!?」
「あ、研究費くれたらもっと好きです」
「……お前さん、正直じゃのう。ホッホウ! じゃあ、頑張っているみたいじゃし、望み通り研究費を倍にしてやろうかのう」
「えっ、本当に……!? それなら……ついでに工作設備もお願いします! 可能な範囲でいいんで」
「お主、本当に図太いのう。なら、ワシのとっておきの魔導具も奮発してやるかのう?」
「だ、大好きです!! くそおん……オーケンさま!!」
「ホッホウ! じゃあ、頼んだぞ、メリー! あとこれ追加の注文書じゃから」
「……えっ……それは聞いてない……」
そうして────
結局、美味しい報酬につられて悪魔との交渉に負けた私は、その数日後、虚ろな目で眠気覚ましの魔法薬を片手に「このままじゃ絶対納期に間に合わねぇよ……」と半泣きになりながらも、発注された魔導具一式をなんとか納品した。
そうして、一つの大仕事をやり遂げたという開放感から、ずっと積んだままになっていた盤面遊戯を開封して心ゆくまで楽しみ、もう当分の間はこうしてダラダラとしていよう……と心に決めたのだったが。
その翌日。
あの白いひげを蓄えた悪魔が微笑みながら私の元を訪れ、「ホッホウ。新規の注文じゃ」と、複数の国からかき集めたという分厚い注文書の束を再び私に手渡すことを、その時の私はまだ知る由もなかった。






