「幽霊についての考察」
僕たちは暇を持て余していた。
本当は勉強が本分、なんて言われる年頃なんだろうけど、とりあえずそれは置いといて他に何をする?と考えると僕はゲームくらいしか思いつかない。
一人ならともかくこうして友人のFと目的もなく集まってしまった日はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
いつもならこの辺りでFが何やら面白そうな提案をしてくれるのだが、今日はまだ思いつかない様子でさっきからブツブツとダジャレのネタを呟いている。
「ナースとナス、茄子・・・ナースが那須高原で茄子をナスりつけてくる〜なんつってな!」
いや・・・僕達、今にして思うと本当にバカだったなあ、と思う。Fなんて成績だけならいつも学年10位以内に入るくらい頭いいのに、本当にこういうところは子供というか何というか。僕?僕の成績はある一教科だけならFより上だった。平均すると上の下ってところ。成績は負けるけど、でも僕はこんなくだらないダジャレを言い続けるほど子供ではない。
僕はジトッとした横目でFを冷ややかに見つめた。
「言うことナース!」
「プッ!」
吹き出した。
くっそう!こんな事で笑うなんて、なんだこの敗北感。
Fはケラケラと笑うとやっと退屈そうにしていた僕に行き先を告げた。
「よし、Y。病院に行こう!」
「なんで病院?って、ナース繋がりか?」
「ま、そんなとこ。Yは幽霊見たがってただろ?病院なら大抵いるからな。本当は見えているのにYが気がつかないだけかもしれない。俺が判定してやるよ。」
「おおっ!」
僕は身を乗り出した。
Fには霊感がある、らしい。
本人にしか見えないから「自称」と付けられても文句ない話なんだけど、子供の頃から幽霊やお化けの話をこれでもかというくらい話してくれていた。あまりにもリアルなので信じざるを得ないというか、たまに僕も巻き込まれているというか。
でも魅力的な提案だった。
霊感ゼロの僕は常々思っていたのだ。
僕もFのように幽霊が見えたらなぁって。
でもおかしな事件には巻き込まれて後から「ヤバかった。」なんて教えてもらう事くらいはあるけど、本当のお化けや幽霊だって証明できるようなものを見た事は一度もない。やっぱりオカルトマニアとしては不可思議な体験もしたいじゃないか。
だから今度こそ幽霊を見るチャンスだと思ったんだ。
僕達は止めてあった自転車に跨り、一路、市民病院への道を走り出した。
ペダルを漕ぐ足にも力が入る。
久々にワクワクしていた。
病院に着くまでの道のりがいつのまにか自転車レースになってしまった事は言うまでもない。
…
市民病院の中は涼しかった。
かなり混み合っていたけど、それ以上にロビーの椅子が埋まっているような気がするのはきっと気のせいなんかじゃない。おじいちゃんおばあちゃんの何人かはきっと世間話しながら涼みに来てるな、これ。
幽霊いる?いる?なんて目を輝かせてキョロキョロしている僕をFは「しっ!」と窘めた。
「まあ落ち着け。そしてこれから話すことをよく聞くんだ。」
「うん。」
僕達はロビーの外れにあるベンチを見つけて腰掛けた。
「まずここは病院なんだから静かにする。いいな。」
「うん。」
「次に周りの人をジロジロ見ない。それは生きている人だって嫌な事だろう?」
「わかった。」
「大声を出したり騒いだりしない。追い出されても文句は言えないからな。」
僕はそのほかにもいくつかあった約束をFに必ず守ると誓った。
まぁ、そりゃそうだ。ここは公共の場なんだから。
こうしてコソコソと僕等の病院ウオッチングは始まったのだった。
基本的にロビーからは出ない方針だった。手術室や入院患者が居る病室にも興味はあったけど、さすがに面会でも無いのに入らせてもらえるとは思えない。
それでも「ここで十分だよ。」とFは言った。
昼のロビーは明るくて少しも怖さは感じない。これが夜なら立派な肝試しになっただろうに、と、僕は少しだけ残念がっていたが、Fに言わせれば皆、雰囲気に騙されてるそうだ。
「昼も夜も関係ないよ、いつでもいる。そもそも人間は夜行性の生き物じゃないだろう?夜になったら出てくるってもんでもない。」
らしいので、昼間でも居るところには居るのだろう。それでも夜に見やすくなるのは、
「ああ、それなら受信側の問題だな。」
というわけらしい。よく分からんけど。
…
「Y、顔も目も動かすなよ。お前の右斜め前、受付のカウンターの端にいる人数は何人だ?」
「家族連れのところ?お父さんとお母さん、子供が一人で三人。」
3歳くらいの女の子を連れた親子。ポロシャツを着たお父さんと花柄ワンピースのお母さん。仲よさそうな家族しか僕には見えない。
「うーん、オッケー。」
いや何が?何がオッケーなの?
「じゃあカウンターの奥、扉があるだろう?あそこの横に立っている人は見えるか?」
「・・・誰もいないけど?」
「よし、オッケー。」
いや何がオッケー?じゃあさっきのオッケーもオッケーなの?
そのほかにも点滴打ちながら歩いてくる人なんかがいたりしたらしいのだが、残念ながら僕には何も見えない。
さんざん試してやっぱり無理だと諦めた時、僕の口からは自然と「なんかごめん。」という謝罪の言葉が漏れていた。
「いいんだよ。Yはそれでいいんだ。
逆になんかすまなかったな、ぬか喜びさせちゃたかもしれない。
ここに来ればYでも見られるかと思ったんだが、やっぱり見えないものは見えないか。」
「うん。」
「まあ、俺に言わせれば、見えないYの方が羨ましいけどな。」
そう言ったFは少し困ったような顔をしていた。
「そんな事ないよ。だって凄いじゃん、幽霊見られるなんて。」
「そうでもないぞ、見られる人なんてごまんと居る。
俺の見ている幽霊って、いわゆるホラー映画に出てくるような怨霊っぽいのじゃなくて、普通の人なんだよ。
まあ、中には顔色悪いのや怪我してるのとか不自然なのもいるけど、大抵は普通の人。生きている人間と区別なんかつかないんだ。
ただ、こうして答え合わせをすると俺にだけ見えている事が分かる。ああ、あれって実在しない人なんだ、と、後からわかるんだ。」
これは子供の頃にも聞いた事のある話だ。Fの見る幽霊は呪ったり祟ったりするような霊じゃなく、分類するならば地縛霊と呼ばれるものがほとんどだった。
そりゃそうだ、こんな事件のジの字も無い平和な田舎町で怨霊なんて発生するはずもない。
Fはそういう霊達を見て、「死んだ事に気がついてないのかなあ。」とか「まだ生きていたかったのかなあ。」とよく感想を述べていた。
「なぁ、Y。幽霊ってなんだろうなぁ?」
Fはしみじみとそう言った。
僕は質問の意味を理解できなかった。なに?幽霊って・・・霊だろ?人の魂が抜け出したものとか・・・他に何がある?
そう答えるとFは「ふむ。」とまた考え出した。
「人の魂ね、魂。たしかに魂があると仮定すればその可能性はあるな。動物霊なんてものも居るから犬にも猫にもキツネにも魂があるのかもしれない。」
僕は力強くウンウンと頷いた。
「じゃあ鳥にも魚にもプランクトンにも魂はあるのかな?微生物はどうだ?大腸菌にも魂があるならきっとこの世界は大腸菌の幽霊で埋め尽くされているはずだな。」
「嫌だよそんな世界!」
「大腸菌は無念だろうなぁ、ビフィズス菌に負けて悔しいと思ってるだろうなあ。ビフィズス菌に復讐してやるぅって怨霊になってるかもしれないなぁ。」
嫌な怨霊だ。そんなもので世界が埋め尽くされているなんて考えたくもない。
「ま、それは冗談として。」
じゃなきゃ困る。
「魂って概念はとても都合がいい反面、穴だらけだ。命の重さが平等だと言うならきっとそれは魂も平等にあるのだろう。でも現実は都合のいい魂しかこの世には現れていない気がするんだ。」
「都合のいい魂?」
「人とか犬とか猫とか、さ。中には付喪神みたいに無機物にまで魂が宿ると定義しておきながら、こういった大腸菌の幽霊は見向きもされない。」
コイツ大腸菌好きだな。
「そうだな、むしろ“宿る”と言うからには最初全ての生物には魂なんて無いのかも知れない。
まだまだ未熟なYはきっと魂入ってないんだろうなぁ。」
「あるよ!魂あるよ!」
証明しろと言われてもできないけど、無いって言われるとなんだか空っぽにされたような気がして否定したくなる。
でもFの疑問も最もだ。魂っていい加減な存在なんだなあ、と思わざるを得ない。
魂がある、魂が抜け出て霊になるんだと思っていた。子供の頃からそう信じていた。
でもその大前提が崩れてしまうとなお、幽霊ってなんだかよくわからない存在になってくる。
そんな僕の疑問を感じ取ったように、Fは切り口を変えた。
「次によく言われるのが“残留思念”とかかな。強い念がその場に残って形作っているという説。
人間とか犬とか猫とかの強い恨みや無念な思いが、空気とか物に宿る。サイコメトリーとかで読み取る奴だ。思念はただの思念だが幽霊やオーブみたいな存在はそれがビジュアル化したものって考え方だ。
思念の強さで残り具合が決まるから、より強くて大きな思念を持つもの、脳が発達した存在ほど残りやすく現れやすくなる。
これなら人間の霊が多い理由にもなる。」
「それだ。」
「答えを急ぐなよ。この場合問題になるのはその念が“何に記録されているか”だ。
少なくとも空気じゃ無い。空気だったら風に吹かれてどっか飛んでっちゃうからな。空を見上げたら幽霊が飛んでるなんて一度も見たことないし。物体や地面に残ってると仮定するとさっきみたいに歩いている幽霊や例えば家にまで付いてくるなんてお化け話の説明がつかなくなる。」
空気でも地面でも無いのにそこにあるもの?そんなものあるの?
「だから困ってるんだよ。空気じゃ無いまだ人類の知らない未知のもので世界が満たされている、なんて定義するのは簡単だけど、これ、ただの妄想になっちゃうからな。
それに強い思念ってどのくらいのものなんだ?俺が見ている普通の人はなんで特別な思念なんて出してたんだ?人を呪ったら確実に殺せるのか?人の思念なんて本当にその場に残るものなのか?」
いつもの通り、Fは考察しながら話をまとめていく。
勉強会をする時にはほとんどFは先生だ。答えを知っていて僕に教える。最初からFの中には答えがあって迷わずに僕に伝えてくれる。
でもこういう答えのない話の時、Fは本当に楽しそうに行ったり来たり、とりとめもない考えをつらつらと話している。僕に話すことでFの中でも答えがまとまってゆくのだろう。
ただ、この日のFはこの先に話を進めるのをとても嫌がっているようだった。この議題について答えを見つけることを躊躇っているようだった。
「あと考えられるのはお化けみたいな未知の存在なんだけど、これは考えだすとキリが無いから置いておいて・・・残るは・・・。」
「残るは?」
「うん。目の錯覚という説だ。気のせいだ。」
僕はガクッと肩を落とした。なんだよ、勿体つけてそんな結論ってあるのかよ。
そりゃ無いよ、と、いった顔をしている僕にFは少し寂しそうな顔をして微笑んだ。
「Yは見えなくていいなぁ。」
「?」
「幽霊は脳が見せているという説があるんだ。集団幻覚とかあるくらいだから、脳は時にはその場にないものまで作り上げて見せてしまう。
幽霊が俺にしか見えないっていうならさ、
俺が勝手に見ている幻覚かも知れないじゃん。
呪いとか怨念とか、幽霊話も大抵心当たりがある場合だよな。罪の意識とかが勝手に幽霊を作り上げてるんじゃ無いだろうか?本当は死んだら終わりで何もないはずなのに、生きている人間が勝手に見て勝手に怖がっているだけなんじゃ無いだろうか?」
この日、妙にFは怯えているようだった。
いやいや、それこそ妄想って話になっちゃうじゃん。
そんな事言ったら無関係の幽霊に通り魔的にやられちゃうケースとかあり得なくなっちゃうぞ。実は後からそこで首吊った人がいましたとか、いくらでもあるだろう。
「そ、そうだよな。」
やっとFはホッとした表情を見せた。
「俺はな、Y。
怖いんだ。
自分はおかしいんじゃないか?っていつも思ってる。
頭がおかしくなって幻覚を見ているんじゃないのか、何か脳の病気でもあるんじゃないか、って、
幽霊を見るたびに思うんだよ。
だからな、Y。
お前は見えなくていいんだ。
見えないままでいてくれよ。」
そう言ったFは少し怯えた目で僕の事を真っ直ぐに見つめてきた。
それは後にも先にも、この時しか見せなかった気弱なFの心からの頼み事だった。




