エレメント・クイーン
エヴァ……星の女王。三つの世界のエレメントの均衡を保つ者。その命と生涯を祈りにかける。
ソルブア…穢れた黒い男。冥王より祝福を受けた。ハルヘンデルダ。
アーチ…星の賢者の最年少。強い。
テレキ…アーチの召使い。
カフガ…星の賢者の一人。謎。
ミヤンダ…カフガの召使い。ハルヘンデルダと星の民のハーフ。
やや肌寒い。
ブルッと震えた体を黒いマントで覆い男は石畳の上を歩き出した。
正方形の同じような石がキッチリと並べられこれがなにか使わずとして古代の人間が作り出したと思うと恐怖すら湧いてくる。
男は沈黙を守っていた。その身のこなしの一つ一つにもだ。
足音が全く聞こえず皆無の世界に凡人ならば狂ってしまうだろう。
今夜は新月だった。
世界の力が満ちたその日は夜空に浮かぶ祝福の女神は顔を覗かせていない。
本当の闇に生きるものならば月の光など太陽より眩しい。
まがいものの肩書きに男はため息さえつけなかった。
真っ黒な身体を隠すように男は階段を降りていった。
ここから地下へ行ける。
さすがに彼でもこの暗闇に閉ざされた階段を降りていくことはできなかった。
足元を照らせるものはないかと彼は周りを見た。
すると壁に張り付くロウを見つけた。
長い間そこにあったため溶けたロウに埃がつもり濁った色であった。
高熱の火を僅かに灯したその儚い火が男の目を映した。
曇った黒い目だった。
いや、漆黒というべきか。
彼は黒い手でロウソクを掴みその光を頼りに下へ降りていった。
「エヴァはどうやら限界のようですね」
その頃城の最上階。
「賢人」と呼ばれた四人の人間とそのそばに着く召使三人は、星の元明かりをつけずつぶやいていた。
「ええ、日に日に衰弱していっています」
「あーあ。またかよ。これで何人目?テレキ?」
「…おそらく109人目…」
青年…いや少年だろうか。賢人の四つの玉座の一つに座る少年は背後にひかえる男に聞いていた。
そんな彼を隣にいた女が睨みつけた。
長い黒髪を流し、メガネで隠した素顔。得体の知れない女が姿勢よく立っていた。
「……なに?」
少年はその視線に気づいたようで、女を睨み返した。その嫌悪に染まる顔が青白く染まる。
彼らの足元が青白く光だした。
数人の召使がざわめいた。本来ならこんな仕掛けなどないのだが、少年もその背後にいたテレキという青年も動じず黙る女を見ていた。
「チッ…気味の悪い…穢れた女め」
その言葉に女の目が大き開いた。
眼鏡の奥で瞳が揺らぎ緑色の目が垣間見得た。
青白く光る床。
なぜ光るのかはわからないが、
この黒髪の女が怒りをあらわにしていることがわかる。
彼女の緑色に隠された左目が本性を表すように金色に染まる。
「…これが噂の〈境界の女〉か。噂通り怪しげな目をしてるじゃないか」
少年は半ばだらしなく沈み込んでいた身を起こしにやけた顔で女を鼻で笑った。
「…フッ。ハルヘンデルダごときが、この僕に勝てるとでも?ハンターの僕に?笑わせないでよ、異端者の分際で!」
「……貴様…」
女の唇からもれだす声と息。か細くだが深い声音が賢人たちの部屋に反響する。
下から照らされる彼女の表情からしてかなり不機嫌なのだろう。青白い肌が際立ち、冷たい怒りで緑色と金色の目が血走る。
「_________やめなさい、ミヤンダ」
女は驚いて隣の男に振り返った。
ダークスーツに身を沈め整った顔と東洋人よりの雰囲気は穏やかで、細い目がいつも微笑んでいるように曲がっている。
賢人の一人、カフガ=ナイトリバーだ。
女、ミヤンダは彼の連れであった。同じような服を着ていてはたからみたら恋人同士にもみえる。
カフガは糸目で彼女の緑色と金色の目を見つめた。
「アーチ、この子はハルヘンデルダではないんだ。見ての通り普段はオッドアイではないからね。その言葉は禁句だ」
「……」
「ミヤンダ、能力をとめなさい」
「…はい」
青白い光が徐々に消えていく。
空から降り注ぐ星の光。それが本来この会議を照らす自然の灯火であるが、一切だれ一人の顔を確認することはできなかった。
「それでなんの話だったかな?」
カフガの声がした。
「新たなエヴァを見つけなければなりません。両世界に存在する『星の女王』を…」
賢人の女の声がした。
「それで?候補は?まさか、エレメントの強い女をあてずっぽうに探していくつもり?」
少年、アーチはバカにするように笑う。
「________あてならついてるぜ」
真っ暗闇。
だれ一人として顔が見えない。
だが四つの玉座に座る賢人の最後の一人は怪しく微笑み緩む口元をみなに見せつけていた。
だれもが言葉を飲み込み黙り込んだ。
「どうやら、ザコどもが動きだしたみてぇだな…奴らより早くエヴァの原石を手に入れろ、賢人ども」
「ザコ?…やつらまだ懲りてないのか」
「俺につけられた傷が疼いてんのさぁ。そして俺のこの顔につけられた一生消えない屈辱の末路もなぁ……」
男は隻眼の左目の傷を指先でなぞった。
その顔がおぞましい怒りの色に染まっていた。
地下は地上より冷えていた。
マントをつけていても冷えた風が男の体を刺していた。
ロウソクのわずかな明かりは足元を照らすだけで、男は道を歩く。
彼が通りゆく道には様々な彫刻が施されていた。古代人がその技術を最大に生かしたモニュメントのようなものだ。
歴代のエヴァたちや、エヴァを迎えに来る天使たちを細やかに飾り付けてある壁画を男は横目で見た。
世界には三つの世界がある。
エヴァがくくる「星の世界」。
創造された近未来都市「太陽の世界」。
雪女が守る「第三世界」。
とくに第三世界は不思議で、どこにあるかさえままならない。そしてそこに住み着くのは女ばかりで〈境界の女〉も得体の知れない一族の一つである。
星の世界を守る「星の女王」はどの世界にも存在するエレメントの大いなる輝きを手にしており、その知恵と神々しい姿はこうして称えられるほど美しいのだ。
男は途中まで来て足を止めた。
足元を見るとロウソクよりも眩しい光が照らされている。
男はそれが目的のものだとわかり、ロウソクを捨てて足ですりつぶした。
城の地下。それよりも奥。そこには星の女王が眠る場所がある。
男ははるばる第三世界より参った使者であり、星の女王たるエヴァへ挨拶をしに来たのだ。
エヴァを取り巻く四人の賢人になどまったく興味はない。だが彼らがいるとエヴァとの対面を許されなかっただろう。
光のない黒い目は真っ直ぐと光源を見つけ出した。
玉座の元、グッタリとした女がいた。
白銀の髪の毛は床に着くほど伸びていて、青い絹のドレスに身を包み疲れきった顔で目をとじている。
「…エヴァ」
男は沈黙を破った。
音のない世界の突然の来客にエヴァも驚いてその目をゆっくり開いた。
灰色の目立った。だが星の女王の灰色の目は澄み切っていてその目で見られれば驚いて声もなくなる。
男は軽く頭を下げた。
「エヴァ。星の世界を統べる女王よ」
「…どなた?…いえ、見たことあるわ…」
聞き取りにくい声が聞こえた。
弱り切った女王は言葉を話すことでさえ困難であった。それでも生きていることを不思議に思う。
淡く光るエヴァの玉座は水晶でできていて彼女が小さく見えるほど大きい。これほどの水晶は見たことなかった。
この玉座に100人もの歴代の女王たちが腰を下ろし一生を過ごしたのだ。
男はマントのボタンを外した。
ばさっとマントが冷たい石の床の上に落ち、男の体があらわになった。
「!…」
エヴァは声を出さずに驚いた。
男の体は真っ黒であった。もちろん来ている服も黒いが、彼の体は首の下からまるで焼け焦げたように黒に染まっていた。
呪われた体である。
エヴァは息を飲んだ。おもい体を少し起き上げ頭の片隅にあった記憶が呼び覚まされた。
「…ソルブア…ソルブアね?」
「…はい」
思わず声も体も震えた。エヴァは嬉しさに疲れきった笑みで古き友を迎えた。
「ああ、ソルブア…なんとなつかしい。第三世界の門番の一族、〈境界の女〉の奇跡の子…」
「エヴァよ。私もとてもなつかしい。あなたがこんな美しくなり、そしてお互い老いた」
ソルブアは黒い体でエヴァに近づいた。
その目に徐々に光が宿り始めた。彼にも人間らしい感情があるからだ。
それは愛する者を見つめる目だった。
再会の感動にエヴァは涙さえ流した。
「あなたにずっと謝りたかった……星の民を許してほしい。あなたたち第三世界の民たちの無礼の数々を」
「許そう。世界でたった一人の友の願いだ。私が代表して許そう」
エヴァは少し喋りすぎたのか息を切らした。そんな彼女のやつれた体をソルブアは穢れた黒い体で抱きしめた。
星の光が届かない地下の奥。
抱き合う二人の体は淡い星の色に包まれていた。まるで闇は彼らの再会を祝福しているかのように。
「…女王を守らなければならない」
ソルブアは言った。
「エヴァが退き、新たな女王が即位するだろう。そして第三世界でも冥王が目覚められた。彼らは互いに惹かれ合い、やがて〈パンドラの箱〉を開けることとなる。それを星の賢人どもは許さない」
「そんな…エレメントの均衡が崩れてしまうわ。もし若き女王と冥王が結ばれてしまえば星の世界と第三世界のエレメントはその姿を保てなくなる……それだけじゃない太陽の世界もやがてその地を照らす太陽自体が落下して滅んでしまう」
恐れをあらわにするエヴァをソルブアは強く抱きしめた。
黒い体が脈を打つ。漆黒の穢れた体はエヴァと違う美しさで魅了した。
「…逆だ、エヴァ。太陽の世界はなにをどう足掻こうが彼ら自身の力で太陽の進行は止められない。月の世界も新たな女王のために動き出すだろう」
「…なんてこと…」
「自分のことで精一杯なだけだ。二つの世界の中立に立つ第三の世界。それが私たち雪女と〈境界の女〉だ」
ソルブアはエヴァからはなれその弱り切った女の細い肩を優しくつかんだ。
ソルブアの黒い体をエヴァは細く緩んだ目で見た。誰もが表情をゆがませるその穢れた体を。
「だから、私の元に来たのね?」
「…」
「生憎だけど…この通り私はもう体を動かすことはできない。喋るだけで息が短くなる」
「エヴァ、愛しい星の女王よ。私はあなたを守るためにここへ訪れた」
ソルブアの瞳の奥…黒の中に潜む小さな翠と金の色が現れた。
ハルヘンデルダの証はその目だった。翠と金のオッドアイをもつ彼らは人々から忌嫌われ、そして神の使いとして敬れた。
「…ああ、あなたついに…」
エヴァは感激の声を漏らした。
グルグル回りながら彼の目はやがて穢れた黒が消え、美しい翠色と金色の瞳となった。
美しい男がそこにいた。
「…女王と冥王が協力すれば箱が開かれ、太陽はなんとか止めることができるだろう。あなたを守らなくてはいけない。この三つの世界を巻き込む危機を」
「歓迎だね!」
ハッとしてソルブアは後ろに振り返った。
だが途端に何かが襲いかかってきた。ソルブアもエヴァも関係なしに。
盛大に玉座が崩れる音がした。
「ドカァーン!…ブハッハッハッ」
「…アーチ…もしもエヴァに当たってしまっては…」
賢人の一人、少年アーチ=クラウンは少年とは思えないような恐ろしい笑みを浮かべた。
「どーせ死に損ないじゃん。今度は新しい女王のために新品の玉座が必要だね」
彼の召使テレキはため息をつきながら土煙の舞うエヴァの玉座に目を移した。
アーチは侵入者には容赦がない。少年の無邪気な好奇心が相手を攻撃してどうなるか、そして植え付けられた冷酷な判断や思考がぶっ飛んだことができるのだろう。
少年の実力はテレキが一番知っていた。なぜなら彼はアーチが赤ん坊のときからこの少年の召使と定められていたのだ。
「いつも通り、かるーくしとめてやったぜ」
「さすがです。では戻りま…」
テレキは言葉を最後まで言えなかった。
土煙が上がる玉座を背後に男が鋭い目で目の前にいたからだ。
「なっ…!?」
アーチは気づいてない。
薄い緑色と黄色い瞳がテレキの視線を捉え次の次を読み取っていく。
「ハルヘンデルダッ…アーチ様危ない!」
テレキの本能がソルブアの脅威を感じ取った。
ソルブアは先ほど投げ捨てたマントを手に取りそれで空を切る。
真っ黒な体を覆うそのマントに隠される前に二つの瞳が輝きを上げた。
「〈黒の使徒〉」
バッとマントが何百羽の黒い蝶となり、まるで魚の群れのように大きな怪物を作り出していた。
アーチは驚いて悲鳴を上げた。
「なんだこれは!?…」
一匹一匹に魂が宿り赤い目が標的を睨みつける。
羽についた粉が黒い霧を生み出し、アーチたちに降り注いだ。
何度も何度も羽ばたいてみせては、その場で赤い目を光らせて主の敵を認識し蝶たちは毒の匂いを放つ。
アーチは突然目に痛みを感じて抑えた。
「痛いッ、目が焼けるように痛い!…」
「アーチ様!…くそッこの粉のせいか」
主人を守るべくテレキはアーチを腕の中にかばい、冷酷な目で見つめているソルブアに向かいエレメントを放つ。
「〈ソニックドラゴン〉!」
稲妻のようなものがテレキの手から放たれ、迷うことなくソルブアの元へ雷を上げた。
鳴り響く切れるような音が高い天井に反響した。
「…マリョカ、止めろ」
翠色の瞳が光り、そして翼を広げるように目から光が溢れ出した。揺れる光がインクがしみていくようになにかの模様を形作っていく。
異様な光景に黒い霧の中のテレキは目を大きく開いた。
「な、なんだっあの目は…」
翠色の翼はテレキの攻撃を軽く払う。その途端風が辺りを駆け抜けた。
その片翼の巻き起こす風が蝶の群れを跡形もなく崩す。
「うわぁああ!」
目を抑えるアーチを守りながらテレキは背中に冷や汗をびっしりとかいていて、腹の底から冷たい恐怖を感じた。
見たこともない技ばかりだ。
なぜマントが無数の蝶になる?そして蝶に毒があり、目を蝕む?そしてなんだあの得体の知れない翠の目は?
城の最上階で自分たちがバカにしていたハルヘンデルダもどきの女とは桁違いの強さだった。
これが第三世界に住まう不気味な一族……
「マリョカ、やりすぎだ」
ソルブアはそうつぶやいてから手に蝶たちを集めた。
それが繊維と変幻して先ほどのマントへ戻っていく。あの恐ろしい赤い目も毒もまるでうそのように。
ソルブアは二人の刺客が戦闘不能と判断するとぐったりと床に座るエヴァの元へ向かった。
ソルブアの見事な戦いをみていたのだろう。
美しい瞳を大きく開いて細い手で口元ん覆っている姿をみてソルブアは息を飲んだ。
「…ソルブア…あなた、冥王から〈祝福〉を?」
「はい」
「その瞳の翼…冥王があなたにそれを授けたのね?本当に冥王は目覚められたのね?」
信じられない、という顔をしているエヴァ。
それもそのはず。
冥王は何百年前に長い長い眠りについた。第三世界の危機を救うため自らの身を投げ捨てたのだ。
星の世界と太陽の世界。二つのエレメントを保ち結び続けるために冥王は冥界の扉を作り出し、そしてその扉の番人の一族を作り出した。
冥王は冥界の扉そのもの。
目覚めたとなればこの世界に破滅か祝福が舞い降りるかどちらか。
だがソルブアは首を振った。
「冥王は祝福を授けた。だがら次は破滅を授けなければならない。しかしかのお方はそのことを拒み、祝福を授けその命を絶ったのです」
「えっ…ではあなたが先ほど言っていた冥王が目覚められたとは、一体?……」
ソルブアはその質問には答えずエヴァをそっと抱き上げた。
時間がないとでも言うように彼はマントをまとい走り出した。
光の中に黒い点一つ。
ソルブアはそのまま闇の道を女王と共に駆け抜けた。