噂をすればお姉ちゃん
私立渡良瀬高校の生徒と会話をしてはならないと、近隣の女子校の生徒は徹底した指導を受ける。
渡良瀬高校は男子校だ。つまりサルだ。サルが多数派を占める。
偏差値四十以下、底辺校であるため、素行不良の者もいるということだ。
サルである上、素行不良なのは最悪の組み合わせと言えよう。
主に下半身をもてあまし、発散の方法を知らない彼らは、凶悪な存在であると目されても仕方のないことかもしれない。
社会の目というのは多感な年頃の少年にの目は、大きな力に映る。権力に反抗するロックに傾倒する時期も、思春期と重なることが多い。
高校に、桂木真人という生徒が在籍している。
高校一年にして身長百七十を越え、細い眉、切れ長の目。細面の顔立ちでやや神経質そうな印象を与える。事実、せっかちで何事も予定通り進まないと気が済まない。
こんなエピソードがある。
公立の高校受験の当日、真人は同じクラスの女子と共に受験会場に向かっていた。
「財布忘れた」
いわんや真人はそんな初歩的なヘマをしない。狼狽えたのは同行の女子だ。
「ねえねえ、どうしようどうすればいい私」
真人はその女が嫌いだった。普段、ファッションと、軽薄な音楽の話で盛り上がる人種だ。上目遣いで助けを求めれば救いの手がさしのべられるのが当たり前だと思っているのだろう。
「俺の財布を持っていけよ」
真人はぶっきらぼうな口調で、がま口の財布を手渡した。
「ええっ……、いいの!? でも桂木君は?」
大仰に驚くその女の口元が緩むのを真人は見逃さなかった。感情を抑えた低い声で告げる。
「知り合いに持ってきてもらうから」
そんな当てはなかったが真人は女と別れ、駅に残った。試験は遅刻し、不合格。
その女は真人の第一志望だった高校に合格し、真人は適当に決めた滑り止めですらなかったサルの巣窟とあだ名される渡良瀬高校に通うことになる。
英雄的な理由で財布を渡したわけではない。
ただ女の自己本位な理由に、立ち会う忍耐がなかったまでである。
それならサルになろう。真人はそう割り切ることにした。
三
渡良瀬高校一年B組の教室では、今日も今日とてサルが狂騒を繰り広げていた。
談話の内容は、女子に関することが全て。いかに上等な雌を物にするかでマウントが決まるのであれば必死になるのも頷ける。
さりとてそのような僥倖に恵まれるのは、ほんのわずかな雄だけだ。
一握の砂が指からこぼれ落ちるように、淘汰された多くの雄はルサンチマンを抱え生きていくしかない。雄のサルだけが這いずり回るこの牢獄で。
「暗い顔してるねえ?」
小麦色の肌をし、金髪の少年が机に手を突いた。大塚榮太郎。冬にもかかわらず、肌が黒いのは日サロで焼いているからだ。だがチャラいわけではなく、成績はクラス上位をキープしている。それでも通過儀礼でもある玉砕覚悟の合コンに参加していないことで、クラスの地位が高いとは決して言えなかった。
榮太郎に見下ろされる形で座っていた少年が、刃物のような目つきでにらむ。桂木真人だ。彼はクラス委員を任じられていたが、クラスメートたちのロッカーの使い方が悪いというので、担任に小言を頂戴し気が立っている。
「何か用か。ロッカーはきれいに使え」
「俺は綺麗好きだぜ。清潔感のない男は嫌われるってな」
榮太郎は、確かに他のクラスメートに比べてロッカーを整頓している。それでも真人の基準からしたら落第だ。扉が壊れてグラビア雑誌がはみ出ている。
「何で君らは言われたことすらできないんだ。サルめ」
「俺らはサルじゃねえ。俺がサルならお前もサルだ」
逆襲に動じることなく、真人は榮太郎を押し退けて立ち上がる。
「どこ行くの。もっと話そうよ」
「予備校。悪いか」
真人の父は医師だが、息子に同じ道に進んで欲しいとは要請していない。それでも二つ違いの兄は医大に進んだし、漫然とその道に進むと考えて準備を始めている。
「いいんちょ、少し頭堅すぎんぜ。たまには遊ばんと」
合コンに及び腰の榮太郎に言われても説得力がない。彼には合コンはおろか浮いた話も聞かない。ホモを疑う者すらいる。
「大塚はやけに余裕があるみたいだけど恋人いるのか」
「俺には姉ちゃんがいる」
真人は恋人と姉を並列に扱う榮太郎の論調に疑念を抱いた。思い過ごしかもしれないが。
「姉ちゃんはいいぞお、何でもしてくれるからな」
骨抜きにされたような笑みに、真人は寒気がした。
時は金なりという言葉を真人は座右の銘にしている。無駄話にさく時間が惜しくなった。
誇らしげな榮太郎をおだてて話を締める。
「俺には兄しかいないからわからん。うらやましいよ」
「だろう? 貸してやろうか」
真人は無視するも帰路を榮太郎はしつこく食い下がる。
「まあ遠慮するな」
「してない。どけよ」
噴火のような苛立ちが表に出て、周囲の注意を引いた。
真人は女の話が好きではない。それゆえ、クラスで浮いている度合いは榮太郎と比して変わらないのかもしれない。
ホモであると名指しされたことはないが、どうでもいいと思っている。所詮はサルの戯言だ。
衆人監視の目から逃げるように校舎を出た。
赤煉瓦の校門の真ん中に、見慣れぬ人を認める。
グレーのチェスターコートに重たそうなマフラーを巻いたスレンダーな女性だ。奥二重、卵型の輪郭に、色白で口元のほくろが艶めかしい。何頭かのサルが遠目から涎を垂らしている。今に襲われるぞ。
サルの巣窟に片足をつっこむ女性の浅慮を、横目で軽蔑してから真人は歩き過ぎようとした。
女性は真人に気づくと猛烈な勢いで近づき、その進路をバスケットボールのディフェンスのように阻む。そのしつこさは榮太郎を彷彿とさせた。
そして突拍子のないことを言い出した。
「真人君、はじめまして。私は、みのり。貴方のお姉ちゃんだよ」
姉弟揃って常軌を逸している。真人は開いた口がふさがらない。
「私がお姉ちゃんです」
自称お姉ちゃんは、真人の背中に手を回し、抱きすくめた。柔軟剤とは違う香りが鼻をくすぐる。
真人の反撃を完全に封殺する手段は、明快にして恐ろしい効果を上げた。




