黒い騎馬隊
(どこへ行くのっ?)
妖精は答えなかった。
アニスが目をやると、小道の先にあるという池が見えてきた。
池にはたくさんの鳥が生息していた。
(鳥に頼むのね)
アニスが一人ごちると、妖精が頷いた。
「私が鳥の背中に乗って城まで行くよ。その方が早いと思うんだ」
妖精はそう言って地上へ降り立った。アニスは、ラベンダーを寝かせてから、ハッと顔を引き締めた。
水面では鳥たちの羽ばたきで騒がしい。
(何があったの…?)
ラベンダーを守るように引き寄せようとした。その時、手に力が入らないのに気付いた。髪の毛を奪われた分、力も失ったような気がする。
妖精は一羽の鳥を捕まえた。白鷺の首にしがみつき、何やら囁いている。
(なんて言っているの?)
妖精が答えた。
「見張り番の鳥が逃げたって」
(見張り番?)
「アレイスターに飛んだって」
(ここから近いのね)
アニスは安堵した。ローワンを呼び寄せるより、アレイスターへ行く方が早いかも知れない。
(アレイスターが近いのなら、わたしたちを連れて行って)
「池の向こうの山を越えれば、アレイスターだ」
アニスは山を見上げた。
黒々とした大きな山だった。歩けばひと月近くはかかるだろう。
(あなたなら超えられる?)
妖精は首を振った。
「無理に決まってる」
「ん……」
その時、ラベンダーが顔をしかめて目を開けた。
(ラベンダーっ)
「アニス?」
ラベンダーは起き上がろうとしたが、力が入らずに顔に手を当てた。
「ここは?」
(アレイスターはあの山の向こうよ)
アニスの言葉にラベンダーは必死で目を開けたが、意識が朦朧としていた。
「わたしおかしいのかしら、アニスが男の子に見えるわ」
アニスは肩をすくめた。
(間違いじゃないかも。髪の毛を妖精に取られちゃったのよ)
「よく分からないけど…」
ラベンダーは苦しそうだった。
(大丈夫?)
「ダメみたい。すぐには動けないわ」
(何か欲しいものはある?)
「ワインが飲みたいわ…」
(え?)
アニスは一瞬、聞き間違いかと思った。
「いいえ、何でもないのよ…」
ラベンダーも恥じたように顔を逸らす。しかし、アニスは、ラベンダーの持っている袋を見た。彼女は確かに、ワインが欲しいと言ったのだ。
(探してあげるわ)
ラベンダーの持っていた袋を見ようとしたが、するりと抜けてしまう。
(ねえ、妖精さん、この袋の中からワインを取り出して、ラベンダーに飲ませてあげて)
妖精は袋の中身を確認すると、たくさんの食べ物と赤ワインを見つけた。
グラスに注いでラベンダーに差し出す。
弱っているラベンダーは起き上がれず、アニスは残っている力を振り絞り、ラベンダーの体を起こして背中を立たせた。
グラスを持ってもらう。ラベンダーはワインの香りを嗅ぐと、口に含ませてごくりと飲んだ。
顔に血の気が戻り、ほんのりと赤い顔になる。
(大丈夫?)
「ええ」
ラベンダーは、頷くと自分でもう一杯注いだ。
(そんなに飲むと酔うわよ)
「これくらいじゃ酔わないわ」
ラベンダーは飢えたようにワインを飲み干すと、あっという間に空になってしまった。
アニスは青ざめた。
(信じられない、あなた全部飲みほしたわ)
「疲れていたのね」
ラベンダーが何気なく言ったが、それどころではない。
お酒を飲んだことのないアニスにとって、ワインを一本空けるということはとんでもないことだった。
(わたしと同い年よね、確か)
「ええ、18歳よ」
ラベンダーはとろんとした顔でアニスを見たが、ぼんやりとしている。
(飲み過ぎよ)
「平気よ」
ラベンダーはすっと顔を上げた。
「アレイスターはあの山を越えたらいいと言ったわね」
(ええ…でも)
「行くわよ」
(待って)
アニスは、慌てて押しとめた。その時、妖精の王女であるラベンダーに向かって、一羽の白鷺が大きく翼を広げて優雅にお辞儀をした。ラベンダーはそれを見て顔をしかめた。
「なぜ、ここにローワンがいるの?」
(え?)
アニスはあたりをきょろきょろした。ローワンの姿はない。
(酔っているのね)
「いいえ、酔ってなど…」
ラベンダーは口をつぐんだ。湿った生温かい空気と共に、池の向こうから黒い騎馬隊が現れた。
瞬時に、空気が穢れた。
アニスは、ラベンダーを見た。鳥たちが一斉に飛び立った。
騎馬隊の持つ矢が一羽の鳥を狙った。
「やめなさいっ」
ラベンダーが杖を取り出し、一振りすると、矢を射ぬこうとした騎馬が燃えあがった。
つんざくような雄たけびが辺りを包み込んだ。アニスはその鋭い声に耳を押さえた。
燃えあがった騎馬の後から、残りの騎馬隊が一斉に池の中に飛び込んだ。
奴らはアニスたち目がけて突進してくる。
ローズマリーの妖精は悲鳴を上げて飛び立ち、たちまち見えなくなってしまった。
涎をまき散らした赤い目玉の黒い馬と、黒い兜にマントを羽織った獣たちは、ものすごい勢いで池を渡ってくる。
(ラベンダーっ)
アニスは恐怖に震えあがった。
ラベンダーは杖を持ちかえると、呪文を唱えた。池の水が盛り上がり騎馬隊に襲いかかる。
列を崩した騎馬隊の一部は水の中へ消えたが、その後から再び現れた。ラベンダーは杖を振り上げた。その時、頭上から悲鳴が聞こえて、見上げたラベンダーの隙をついた騎馬が猛烈に突っ込んできた。
ラベンダーの体が宙を舞った。
(やめてっ)
アニスがとっさにラベンダーに抱きついて、力の限り彼女を守った。
池の水が干上がるほど、狼のような咆哮が聞こえたかと思うと、騎馬隊が一瞬で塵となった。
アニスは顔を上げて、あっとうめいた。目の前にたくましい体を持つ、ローワンが真っ青な顔で立っていた。
「ラベンダーっ」
アニスからラベンダーを奪い、胸に抱いて頬を叩く。
アニスが近寄ると、鋭い目で睨まれた。
「ローワン…」
ラベンダーではない女性の声がしてアニスが振り向くと、空色のナイトドレスを着たリリーオブが立っていた。
アニスは口を開けて、リリーオブを見つめた。
なぜ、彼女がここに…。
あんぐりとリリーオブを眺めた後、ローワンを見つめた。
ふつふつと怒りが沸いてくる。
本当だったのだ。ローワンはテレポートキーで、リリーオブの寝室へ行ったのだ。それから先のことなど知りたくもない。
(この野獣、その汚らわしい手でラベンダーに触れないでっ)
アニスがローワンの肩を押し返そうとしたが、触れることができない。
「一体何があったっ」
ローワンは大声で吠えたが、アニスも負けじと言い返した。
(あなたが浮気している間、わたしたちは死んでいたのかもしれないのよっ)
「お前のせいだろうがっ」
アニスは、ローワンの頬を叩こうとしたが、無駄だと分かり手を下ろした。
アニスは、こぶしを握り彼に説明をした。
(…アレイスターへ向かっていたラベンダーが突然意識を失ったの。それで、ローズマリーの茂みに落下したのだけど、わたしにはどうすることもできず、ハーブの妖精に頼んだら、妖精がここへ連れて来た…。ラベンダーは意識を取り戻したんだけど、ワインが飲みたいと言って…。その直後、騎馬隊が現れたのよ。戦ううちにあなた方が現れて、ラベンダーは何かに気を取られた瞬間、騎馬隊に跳ね飛ばされたの)
ローワンの顔がこわばり、噛み切れそうなほど唇を噛んだ。
「俺のせいだな…」
彼は悔やんでいるようだった。
そうよ、あんたがリリーオブを連れてきたから、気を取られたラベンダーがケガをしたのよ。
アニスはそう叫びたかったが、思いのほか、ローワンが後悔しているようなので、ぐっと言葉を呑んだ。
(なぜ、彼女を連れて来たの…?)
かろうじてそれだけ言うと、ローワンはそれに答えずに、ラベンダーをそっと抱きあげた。
「ラベンダーをアレイスターへ連れて行き、介抱してもらう。様子がおかしい」
(ワインのせいよ)
「なんだと?」
(ラベンダーは、ワインを一気に全部飲み干したのよ)
「嘘だろ…?」
ローワンは困惑してラベンダーを見つめた。ラベンダーはぐったりとしたまま動かない。
(生きているんでしょ?)
「当たり前だ」
ローワンが怖い顔で答えた。彼は小鳥のひなを抱くように、自分の肩口にラベンダーの頬をそっと乗せると、アニスを睨んだ。
(最初から俺が連れて行くことができなたなら、こんな結果にはならなかった)
片側にはリリーオブがぴったりと寄り添っている。ローワンはリリーオブの腰をしっかり抱き、アニスの手首をつかんだ。
アニスは、その腕を振り払いたかった。しかし、アレイスターへ戻らなければならない。
唇を噛みしめ、ローワンから目を逸らす。ラベンダーのことを思うと心が痛んだ。
なぜ、ラベンダーがあなたから離れようとしているのか、考えた事はある?
ローワンに聞きたかったが、ラベンダーを助ける方が先だった。
「行くぞっ」
ローワンが叫んだ。
一瞬で、四人の体は舞いあがり、ラベンダーとは比較にならないスピードで山を越えていった。
アニスは涙をこらえきれず、アレイスターへと向かった。




