ミモザ
朝食を済ませて、ローズとアニスは馬車に乗り込んだ。
ジョーンズも一緒に乗り込んで、二人の前の席に座っている。
馬車の中では、アニスはむっつりと口をつぐんで窓の外を見ていた。
ローズは、朝早くに起こされてまだぼんやりしていた。
「この馬車は外見はひどいが乗り心地は悪くない」
ジョーンズが気まずい雰囲気を壊そうと話しかけたが、アニスは答えない。代わりに、ローズがもそもそと答えた。
「ええ、特別にあつらえているものですから」
「ミス・ローズ。朝を食べていないからお腹が減ったのでは?」
ジョーンズが気遣うと、ローズはゆるゆると首を振った。
「いいえ、朝はあまり食べないの。太るから」
「そんなこと気にする必要はありませんよ。あなたは今のままで十分魅力的です」
「でも、太ると醜いでしょ」
「太った女性は嫌いじゃありません。むしろ、好みのタイプかもしれない」
ローズは何も答えなかった。目を閉じてうとうとしている。
ジョーンズは、何も言わないアニスを見つめた。
怒っているのだろうか。
アニスの足はジョーンズが貸したぶかぶかのブーツを履いたままだ。
足元を見られていると気づいて、アニスがじろりと睨んだ。
「足が蒸れるわ」
「僕たちはいつもこんな思いをしているんだ」
「知らないわ」
アニスは、頬杖をついて外の景色を眺めている。田園風景が続いてばかりで、町らしき影はない。
「後、どれくらいかかるの?」
「馬車は飽きたかい?」
「休みたいの」
ジョーンズは考える顔をして馬車を止めるよう指示をした。
「少し、水辺で休もう」
アニスがほっとした顔をした。ローズはすっかり寝入っていた。
馬車を下りると、少しでいいから一人になりたいとアニスが頼んだ。ジョーンズ渋ったが、目の届く位置なら構わないと言った。
アニスはまるで、兄のようだわと思いつつ、ジョーンズの視線を背後に感じながら、なるべく見えない水辺に移動した。
ジョーンズに優しくされると、胸がざわざわした。
本当に、彼に甘えていていいのだろうか。
ブーツを貸してくれたり、馬を貸してくれたりと、初対面なのに親切にしてくれる。
アニスは水辺に座ると息を吐いた。
これ以上、彼をだましているのが辛い。本当のことも話さずに、どんな危険が待っているか分からない自分たちと一緒にいては、迷惑をかけてしまうかもしれない。
アニスは口を噛んだ。
ジョーンズに別れを告げて、なるべく早く離れた方がいいのではないのか。
彼と別れる。
つきりと胸が痛んだ。
ジョーンズとの会話が楽しくて、かまってくれると心があったまった。
どうしちゃったの?
離れたくないのだ、と思った。
ジョーンズのそばにいると、心地よくて楽しい気分になる。
「ああっ、だめだめっ」
アニスは元気よく声を上げた。手を合わせ目を閉じると呪文を唱える。
「姿よ消えろ」
自分の姿を誰にも見えないようにする。一番、得意な魔法だ。城ではいつもやっていた。
「ミモザ、ミモザ」
胸に手を押さえて名前を呼ぶと、精霊が姿を現した。少しだけ金色が薄れている。
(アニス、ご無事でしたか)
「ねえ、これからどうすればいいの?」
(わたしはあなたの願いどおりにしました)」
アニスの胸がどきりとする。
「わたしの願いどおり?」
(ええ)
ミモザは言葉には出さなかった。
アニスは頬が熱くなり、戸惑いを隠せなかった。
「じゃあ…」
彼は運命の相手なのだろうか――。
アニスは強く願ったのだ。結婚もせずに死ぬのは嫌だと。
(わたしはあなたの願いどおりにし、あなたを守ってくれる人物の元へ送りました)
「ジョーンズがわたしを守ってくれるの?」
(ええ、そうなります)
「でも、ジョーンズは魔法使いではないわ。どうやって戦うの?」
ミモザは真剣なまなざしでアニスを見つめた。
(わたしを信じていないのですか?)
「信じないわけにいかないわ。わたしの精霊だもの」
(では、信じてください。あなたはどんなことが起きても彼から離れてはいけません。彼のそばにいてください)
「ミモザ…」
「その男は誰だ」
突然、ジョーンズが現れてアニスは驚いた。
まただわ!
彼には何か特別な力があるのだ、と確信した。
アニスは、ミモザをちらりと見た。
ミモザは、無表情のまま相手を見つめている。
「彼がミモザよ」
「ミモザ?」
ジョーンズが記憶をさかのぼっているのが分かる。
「…前に言っていた精霊か」
「ミスター・グレイ」
ミモザがしゃべった。
アニスは驚いてミモザを見つめた。
「こちらの女性は、パースレイン国の姫君です。わたしは彼女付きの従僕でして、ミス・アニスを探していたのです」
ジョーンズがびっくりした顔でミモザを二度も見直した。そして、彼が嘘を言っていないと知り、改めてアニスを見て首を振った。
「アニスが姫なはずがない。口が悪くやんちゃだ。ミス・ローズの方がよほど姫に見える」
「ミス・ローズも姫に違いなく、そして、こちらのミス・アニスも姫なのです。信じられないでしょうけど」
一言よけいだったが、それが真実に聞こえたのだろう。ジョーンズは驚きを隠せないようだったが、すぐに怒りに変わった。口調が鋭くなる。
「それは失礼を致しました。知らなかったもので、許してください」
「あなたは姫たちを救ってくれました。国は今、危険な状態です。お二人はまだ、国に戻ることはできません。ぜひ、あなたに彼女たちを守ってもらいたいのです」
ミモザの言葉にジョーンズは怪訝な顔をした。
「なぜ、わたしに頼まれるのです?」
「あなたしかいないのです」
ミモザは恭しく言い、自分は一度国に帰って姫たちが無事でいたことを伝える、と立ち去った。姿が見えなくなり、残されたアニスは茫然と立ったまま、ミモザの言葉を反芻していた。
「つまり、君たちの護衛をこの僕が授かったってことだな」
アニスは我に返った。
ミモザはとんでもない事を言って消えてしまった。
「心配しないで、わたしは自分の身は守れるから」
迷惑をかけまいと言ったのだが、顔を上げるとジョーンズが目を吊り上げて見ていた。
「怒っているの? どうして?」
「どうしてかって? お姫様、なぜ、自分の正体を明かさなかった。君は狙われていたんじゃないか」
「わたしは、自分の身は守れると言ったはずです」
「いいか、ミス・アニス」
「アニスで結構よ」
「よく聞くんだアニス。僕は君の精霊に頼まれたんだ。君を守ると。間違っても自分の身は守れるなんて、高飛車なことは二度と言わないことだ」
何も知らないくせに、と唇を噛んだ。
わたしが魔女の資質を持っていることを知ったら、彼は驚くことでしょう。
その時、一瞬だったが、お腹の鍵が熱く燃えたような気がした。
アニスは、瞬間、表情をこわばらせた。
それに気付いたジョーンズが心配そうに見つめる。
「どうした?」
「なんでもないの」
アニスは血の気の失せた声で答えた。
立っているのがやっとだった。
兄上、何か伝えたいことでもあるの?