池の中
池の方を見ていると、浅瀬に白い鷺が立っているのが見えた。
「あれは?」
(どこにでもいるコサギだな)
「こんな夜更けに魚を取っているのか?」
しかも、アレイスターが眠る池の魚を。
白鷺は黒いくちばしを池に向けて足を小刻みに揺らしながら、ちょっとずつ進んでいた。瞬時にくちばしで突いて、小さな魚を上手にとっていた。
一心不乱で魚を捕食する姿を見ていると、あることに気付いた。
「墓はなんの反応もしていませんね」
(当たり前だ。鳥に反応してなんになる)
池に入ることはできるのだ。墓を暴こうとすると、魔術が作動するのか。
ジョーンズが試しに石を投げてみた。
水の波紋が広がり何も起こらない。しかし、石にびっくりした白鷺が羽ばたいて羽音が静かに音を立てた。
(鳥を脅かして何をしている。バカ者め)
アレイスターは自分を怒らせようとしている。
ジョーンズは息を大きく吸った。
「あなたは少し黙っていて」
(フンっ)
大きく鼻息を鳴らしているが、顔はにやにやしたままだ。そこへ、先ほどの白鷺がゆったりと羽ばたいてジョーンズの近くへやって来た。
ぴょこぴょこと長い脚を動かして、近づいて来る。
鳥がこんなに近くに来たのは初めてだ。
白鷺を見ていると、鷺の輪郭が崩れ、短い手足、白いドレスを着た幼い少女へと変化した。
あっけにとられると同時、全身に鳥肌が立った。
アレイスターも怪訝な顔で少女を見ている。
まだ、十歳以下の少女は、ジョーンズのローブに手を伸ばした。
カエデのような小さい手のひらが不気味に思えて、ジョーンズは思わず後ずさりした。しかし、少女の手は執拗にローブを握ってくる。
「やめろっ」
ジョーンズがその手を振りほどこうとすると、少女が呟いた。
「ご主人さま」
ローブを握っている手が徐々に大きくなっていく。みるみるうちに少女は成長し、アニスと同じくらいの女性に変化した。
(ほう…)
アレイスターが組んでいた腕を解いて、物珍しそうに少女を見ている。
(鷺の妖精か)
妖精かどうかは知らないが、灰色の瞳、白に近い銀髪はとても長く地面に届きそうだ。薄い唇は薄桃色で、まっすぐに伸びた鼻筋、綺麗な少女だが、表情が乏しい。何を考えているのかさっぱり分からない。
少女はひざまずいた。長い髪が地面いっぱいに広がり波間のようにうごめく。
「何を…」
ジョーンズが顔をしかめた。
(使い魔じゃろ、お前の)
「僕の? 使い魔と言うのは、自らやってくるんですか?」
(時と場合じゃ。お前の潜在意識が呼び寄せたんだろう)
ジョーンズは首を振った。
自分が意識をしてもないのに、魔力が勝手に作動しているのか。
むしゃくしゃして少女を見下ろす。
美しいが無表情で気味の悪い少女だ。
「名前は?」
「エヴァンジェリン」
少女が答えた。
「ご主人さま、ご命令を」
エヴァンジェリンが静かに言う。
無表情の妖精と口の悪い亡霊。
味方はこれだけか。
アレイスターは、エヴァンジェリンの前に姿を現し、自分が見えるかと聞いていた。
エヴァンジェリンがこくりと頷くと、二人は何か話し始めた。
「ご主人さま」
エヴァンジェリンは細身で、自分より頭二個分低かった。彼女は、ぬっと目の前に立って、ジョーンズを見上げた。
なんだか、睨まれているようで、ジョーンズは顔をしかめた。
「…な、なんだ?」
「今、アレイスターさまから聞いたのですが、アストラル投射を試すのがよろしいかと思われます」
「は?」
初めて聞く言語だ。
「まさか、ご存知ないのでは?」
エヴァンジェリンの細い眉がピクリと上がる。
嫌味な使い魔だ。
ジョーンズは微かに頷くと、少女はふうっとため息をついた。
「い、今、ため息を…っ」
「お静かに、今はそれどころではないのです。アニス王女をお助けしなくては」
妖精の割に言葉遣いが丁寧だ。
「アストラル投射とは、あなたの肉体から意識を分離させることでございます。時間や空間、重力に妨げられることもなく、ご主人さまの自由に意識を動かすことができます」
「そんな難しいことを僕ができるのか」
自信なさげに言うと、エヴァンジェリンとアレイスターが同時に息を吐いた。
この二人、むかつくな。
ジョーンズは思った。
「…分かった。やるよ」
「当然でございます。アニス王女をお助けするのです」
妖精に聞きたいことはいろいろあったが、それよりアニスが先だ。
「で? どうやるんだ。その…」
「アストラル投射です」
「それだ」
「眠ってください」
「なに?」
「目を閉じるのです。わたしが誘導致します。使い魔を信じて、ご主人さま」
すぐには、信じられない――。
しかし、方法がないのなら言うとおりにするしかない。
目を閉じて横になった。地面は冷たい。
ジョーンズは、次第に両手両足がずっしりと重くなったように思えた。ぐっと目を閉じて、鼻から息を吸うと大きく息を吐いた。
瞼が重たい。すぐに眠れそうだ。
ジョーンズの体はまだ癒えておらず、安らぎを求めていた。
アニスのことを思い描いた。
ジョーンズは、膝にアニスを乗せて彼女の髪を撫でていた。柔らかくていい匂いがする。
彼女が振り向いてほほ笑んだ。指を絡めると、アニスの指は細く貝殻のような爪を持っていた。
アニスに指輪をプレゼントしなくては。
そう言うと、彼女が笑った。
(アニス…)
アニスの名前を呼んだ時、ジョーンズは急に体が動かないことに気付いた。
(くっ)
もう一度、腕を持ち上げると今度はすんなりと上がった。
地面に手をついて体を起こすと、目の前にエヴァンジェリンの冷たい顔があった。
(脅かすな)
立ち上がり、自分の体を見下ろす。
「ご主人さま、よくできました」
お見事、と言ってぱちぱちと拍手をする。
(どうも…)
どうやらアストラル投射とやらがうまくいったらしい。確かに、自分の肉体を見下ろすことができている。
眠っているジョーンズの姿は、青白く、顔は傷だらけだった。
おまけに腹からは血が出ている。
痩せた肉体を見つめ、これをアニスが見たら嘆くだろうと思った。
「ご主人さま」
(うん)
エヴァンジェリンが白鷺へと変身した。真っ白い羽と黒いくちばし、長い足を優雅に動かして振り向いた。
――わたしがご案内します。
(潜れるのか)
――潜りませんよ、墓の上まで案内するだけです。そして、わたしの持っている力を最大限に生かして、あなたを守ります。
最大限の力はどれくらいあるのか。白鷺の姿からは想像できない。
(信頼しているぞ)
――お任せを。
白鷺の目はきらりと光った、ような気がした。
エヴァンジェリンはひらりと羽を広げ、池の中央まで飛び立った。
ジョーンズはその後を追って、池の中に飛び込んだ。
実体ではないので、水の抵抗も冷たさも何も感じなかった。しかし、肌がちりちりした。
嫌な気分だ。一秒もここにいたくない。
水面あたりは何もないので、もっと奥深くに潜った。潜るにつれ暗さは増していく。地面にはたくさんの骸骨が沈んでいた。
寄り添うように重なった骸骨、顔だけだったり、どこかの部分だったりと、哀れな魔法使いたちの残骸だ。
突然、背中が重くなった見上げると、黒い影がのしかかっている。
ジョーンズはパニックに陥った。しかし、頭上から鋭いくちばしのような槍が突いてきて、それらは散り散りになった。
助かった、と安堵するが、もしくちばしが自分に当たったらと思うとぞっとする。
エヴァンジェリンに感謝するが、きつく睨み上げてさらに深く潜った。
深いところに苔にまみれ、鎖できつく縛られた墓があった。
ジョーンズは、墓石の文字を読み取った。
ジュリアン・アレイスターとある。
これはアレイスターの墓だ。アニスはどこだ。
ジョーンズは、腐乱した死体と折れた木々、他にもわけのわからない浮遊物をかき分けたが、これだと思う物はなかった。
(どこにある)
焦って体が頭上へと引き寄せられそうになった。
(まだだ。でも、早くしないと魔法が解けそうだ)
アニスっ。
ジョーンズは、ぐっと目をつぶった。
目の奥に光り輝く物が見える。
手を伸ばしてそれをつかんだ。小さい魚だった。しかし、ジョーンズは実体がない。それは、するりと通り抜けていった。
(あっ)
と、叫んだ時、空からくちばしが突いてきて、小さな魚は捕らえられた。
エヴァンジェリン!
ジョーンズが怒鳴った。
――信じて、ご主人さま。
エヴァンジェリンのか細い声がして、聞こえなくなった。




