黒い魔女
ジョーンズはぐったりとして横たわり、鏡の前で髪をかき上げるタンジーを見ていた。
目は動かせるものの、指先ひとつ動かせない。
すると、突然タンジーが立ち上がり、全裸のまま部屋の中をくるくると回り出した。
「アハハハハ、奪ってやったわ。セント・ジョーンズ・ワートの末裔よ」
タンジーは何を言っているのだろう。いや、彼女はタンジーじゃない。黒い魔女だ。
見たこともない女性が狂ったように裸で踊っている。
タンジーの姿を借りた魔女は手を伸ばしてジョーンズの顎を上げると、真っ赤な毒々しい唇を近付けた。
「お前の魔力、全て奪った。お前はもう王女を探すことも愛することもできない。指先ひとつ動かせまい。さあ、時が満ちた」
黒い魔女が両手を上げた。細かい粒子が魔女を取り巻くと、ビロードの赤いドレスをまとい、黒髪をひとつにまとめ上げ、背の高い女性が姿を現した。
「タンジー…」
ジョーンズが呟くと、魔女は大声で笑った。
「タンジーはもういない。わたしはメランポードよ。カッシア領土のジョーンズ・グレイ。お前は二度と、故郷へは戻れまい。ここで死ぬのだから」
ジョーンズの体がベッドから引きずり出される。見えない力によって柱に吊るされた。
「さあ、お前が持っている鍵をもらうぞ」
魔女が、ジョーンズの服をはだけさせ、肌をなぞった。
長い爪の先がお腹に突き刺さる。
血が滴り、その血を味わいながら、メランポードは爪を食い込ませた。
ジョーンズの絶叫が聞こえた。
「痛いだろう。ふふふ」
その時、メランポードが悲鳴を上げて手を抜いた。
指の先が溶けて曲がっている。
「鍵を守っている呪文がやっかいだね」
メランポードは魔法で指を元に戻すと、腰に手を当てた。
「やはり、王女が解かないとダメか」
ひとりごちると、ドアの方を見た。
「もうすぐナーダスとこちらへ向かっているな。楽しい所を見せてやろう」
メランポードは、タンジーの姿に戻ると、ジョーンズを解放してベッドに寝かせた。その上に覆いかぶさる。
「さあ、王女よ、貴様のかわいいお顔が歪むのが目に浮かぶわ」
タンジーはにやりと笑った。
ジョーンズの体はぐにゃりとしていて力が入らず、うつぶせのまま気を失いかけていた。
何も知らないアニスは、ナーダスと宿の方へ向かっていた。
「大丈夫かい?」
ナーダスが心配そうに聞いてくれる。アニスは頷いたが大丈夫ではなかった。
自分の体が傷つけられるよりもっと恐ろしい気持ちに駆られていた。
足が震えている。
自分を叱咤しながら歩いたが、他人の足のようで進めない。
怖い。ドアを開けるのがこんなに怖いなんて。
兄の部屋の扉を開けた時よりも、恐怖を感じていた。
ドアの向こうは静かだった。隣に立つナーダスの額にも汗がにじんでいる。
「開けるよ」
ナーダスが言って、ドアをそっと開けた。
「ジョーンズ?」
ノックしないで大丈夫だったかしら、と顔をのぞかせたアニスは、ベッドで寝そべるジョーンズと、それにまたがるタンジーを見て口を押さえた。
「いやっ」
目を逸らし、部屋を飛び出そうとすると髪をつかまれた。
いつの間に背後に回ったのか、タンジーが鋭い爪で自分の首をつかんでいた。
「待っていた、王女よ」
口を塞がれ、足が宙に浮いた。
タンジーのどこにこんな力があったのか。
タンジーは、アニスを床にたたき落とし足で踏みつけた。
その時にはタンジーは姿を変えていた。
見たこともない女性がアニスの頭を踏みつけている。
アニスはドアに立ちつくすナーダスを見た。
ナーダスは首を振った。
「これは…妹じゃない」
そう言った兄に対して、妹は笑った。
「妹だよ。もう、魔女見習いじゃない、生まれ変わったの。あたしは力を得たからね。でも、セント・ジョーンズ・ワートの力を持ってしても、鍵の呪文を解けない。アニス王女、あんたの力が必要だ」
「あなたは…誰?」
アニスはうめいた。
「あたしはメランポードよ。覚えておいてと言いたいところだけど、あんたは今日死ぬからね」
メランポードは、アニスの頭をさらに強く押し付けた。
アニスは押しつぶされそうになりながらも、手足を動かしたがどうにもならない。
「さあ、呪文を解くんだ。でないと、この男を殺す」
ベッドから浮き上がったジョーンズの腹からは血が出ていた。
「ジョーンズっ」
アニスは悲鳴を上げた。
「なぜ、こんなひどいことをするの?」
「欲しいものを奪って何が悪い」
この邪悪な魔女に何を言っても無駄なのだ。
アニスは、泣きながら力を振り絞った。
「ノアを取り巻く魔法の力、全て解放します」
メランポードはその言葉を待っていたかのようにアニスから離れると、ジョーンズに飛びついて、彼の腹に爪を立てた。
「やめてっ」
ジョーンズの腹に爪が食い込み、鍵に触れるとそれを強引に引っ張りだした。
ジョーンズの体から一気に血が溢れだす。
どさりとジョーンズが床に倒れた。
「殺さないでっ。お願い、やめてっ」
アニスの叫び声にナーダスがはっとして、ジョーンズの体に飛びついた。シトリンを押し当てて、止血をする。
シトリンが光り、ジョーンズの体から徐々に血が止まっていった。
メランポードは鍵に夢中で、その手は喜びで震えていた。
アニスは体を起こしたが、めまいが止まらなかった。ふらりと床に手をついて頭を押さえた。
「やったわ、鍵が手に入った!」
メランポードは鍵を右手で握りしめ、左手は壁に手をついた。
「冥界へ通じる扉よ、実体化せよ」
メランポードの呪文により、鈍色をした両開きの扉が姿を現した。
アニスはかすむ目を押し開けて、阻止しようと体を起こした。
「風の魔法よ、全力で魔女の力を封じるのです」
勢いよく風が吹き込んで、扉に向かっていく。部屋中の物が扉に山積みになっていった。
「小賢しいっ」
メランポードはそれらを追い払い、アニスに向かって力を放出した。
「きゃあっ」
アニスが吹き飛ばされ、再び床に倒れた時だった。赤い炎が背後から飛んで来た。メランポードの手が燃えて、鍵がぽとりと床に落ちた。
「くそっ」
メランポードは、慌てて鍵を拾い上げる。
「お師匠さま…っ」
アニスの前に立ちふさがったのは、フェンネルだった。
「アニス、わたしは待っていたのだよ」
アニスは、フェンネルの銀色のシルクのローブに手を伸ばした。
フェンネルは、メランポードから目を逸らさずに銀色の杖をトン、と叩いた。
魔女が悲鳴を上げた。
メランポードの手首が切り落とされる。フェンネルは鍵を奪い、その手首を燃やした。
「ぎゃあっ」
メランポードの立っていた床が消えて、魔女の姿も一緒に消えた。
「油断してはならぬ。奴は必ず鍵を取り戻しに来る」
扉を消して元の壁に戻した。
「アニス、ジョーンズを守りなさい」
「はい」
アニスとナーダスは両脇からジョーンズを抱えて外へ移動した。
宿の人々が人質とならないよう、できるだけ人気のない森に移動した。




