裏切り
タンジーは言葉が見つからなかった。
わたしは、何を求めていたのだろう。
ジョーンズの後を追いかけることで精いっぱいだった。
それだけでよかったのに、二人が仲良くしている所を見ているだけで、胸が苦しい。
間に入って、邪魔をしたい衝動に駆られる。
そんなことする権利はないのに。
ふいと背を向けると、宿からミモザが出てくるのが見えた。
ミモザの姿を目にしたとたん、締め付けられる思いに駆られ、涙がにじんだ。
「ああ…っ」
ミモザの姿にこんなに心を打たれるなんて。
タンジーはもつれる足を必死で動かしミモザに駆け寄った。
「ミモザっ」
すがりつくようにミモザに抱きつく。
ミモザのいい匂いがする。温かい体から力を感じられる。
わたしの精霊。
「……離れなさい」
「え?」
タンジーが顔を上げると、自分を冷たく見下ろすミモザの目があった。
「どうしたの? わたしよ、アニスよ」
「そんなことは分かっている」
ミモザの冷たい声に体が凍りついた。
「どうしてそんな冷たい声を出すの? 会いたかったのに。あなたが必要だったのよ」
「タンジーよ」
「わたしはっ」
アニスよ、と言おうとしたが、ミモザが手を上げて口を開かないようにした。
「んぐっ、んっ」
「あなたの魔法はもうわたしにはききません。わたしはもう、あなたの精霊ではない。アニスの精霊です。わたしはアニスの言うことしか聞かないし、タンジーのために働くことはない」
――何を言っているのっ。
タンジーは魔法を解こうとしたが、ミモザの力に及ばない。
「その目は?」
ミモザがタンジーの瞳に気づいて、怪訝な顔をした。
「誰から奪った」
タンジーは目を見開く。
「全く、余計なことばかりしてくれる」
ミモザは吐き出すように言って、タンジーの目に手のひらを当てた。
手が触れている部分が、焼けつくように痛い。
「んっ。ふぐっ」
目玉を焼かれているようだった。
意識が遠のきそうになると手が離れた。
タンジーは解放されて後ろにひっくり返った。
「こんな危険なものをお前が持っているなんて…」
何も見えない。真っ暗闇で手をかざしたが、感覚はあるが見えなかった。
「わたしに…何をしたの…?」
弱々しい声しか出ない。
「感謝するのだな、お前のような下賤な者には扱えない魔法だ。わたしがもらっておく。それから…」
ミモザの声がぴたりと止まり、足音が去って行った。
タンジーは、ゆっくりと誰かに抱き起こされた。
「タンジーっ」
ロイの声だった。
「ロイ…。目が見えないの…」
「なんだって? 大変だっ」
軽々と抱かれ、移動し始める。
「どうした?」
マイケルやデニスの声がしたが、ジョーンズの声はなかった。
「何かされたらしい」
「ひどい…」
「何があったの…?」
誰もその問いに答えてくれなかった。
ドアがバタンと閉まり、ベッドに寝かされた。
「それはこっちのセリフだ。少し目を離したと思ったら、目を焼かれて倒れているなんて」
「目が…?」
「誰か、医者を呼んでくれ」
「俺が行ってくるよ」
デニスが言ってドアが閉まった。
タンジーは、ショックのあまり涙が出た。
「泣くなよ。泣いたら、ケガがもっとひどくなる」
優しく額を撫でられる。タンジーはゆるゆると首を振った。
「やめて、優しくされたら…もっと涙が出るわ…」
「眠るんだ。君の魔法は使えないのか? かわいい魔女さん」
「わたしはかわいくなどないわ…」
ロイの優しい声が胸に響く。
タンジーは次第に意識が遠のいた。
目が覚めた時、タンジーは自分の目に包帯が巻かれているのを知った。その部屋は静かで生き物の気配はなかった。
誰もいないのだ。
タンジーは不安になって、ゆっくりと起き上がった。
包帯のせいで何も見えない。
部屋はしんとして、少し肌寒かった。
夜なのか昼なのかも分からない。
動こうとすると、机の角に手が当たり、びっくりして体をすくめた。
動かない方がいいみたい。
タンジーはベッドに座ると、息を吐いた。
力が出ない。
ミモザが裏切るなんて。彼しか頼る人はいないのに。
何がどうなっているのか。
ミモザは、自分をタンジーと呼んでいた。
もう二度とアニスに戻れないなら、タンジーとして生きるしか道がなかった。
自分はその道を選んだ。
その時点で、ミモザとの契約が切れたのかもしれない。
いや、そうじゃない。ミモザはアニスの精霊だから、アニスの身体を持つ彼女の精霊になったのだ。
ミモザを失ってしまった。小さい頃からずっと一緒に育ったのに。
涙が出そうになって、慌てて押しとめる。
弱気になってはいけない。もう、わたしは姫ではないのだ。
――魔法。
魔法は使えるだろうか。
タンジーは、簡単な魔法を使おうとした。手をかかげた時、
「タンジー、起きたのか?」
と声がした。
ジョーンズっ。
タンジーはびくりとした。いつの間に部屋に入って来たのだろう。
気配も感じなかったし、ドアが開いたのにも気づかなかった。
「ええ…。大丈夫」
答えると、いきなり手を握られた。
かたい大きな手で、タンジーはびっくりしてその手を引っ込めた。
「すまない」
「いいの…。びっくりしただけだから」
タンジーは声の方に顔を向ける。しかし、思わず、顔を下に向けた。
醜い自分を見られたくなかった。
「傷ついた君にこんな話をするべきではないんだが、今、言わなきゃいけないから」
「何?」
不安すぎて、心臓が止まりそうだ。
「アニスと僕はカッシアに引き返す」
タンジーはほっとした。ジョーンズが安心できる場所に行くのなら、賛成だ。
「ええ…、それがいいと思うわ」
「そう言ってくれると助かるよ。カッシアに戻ったら、すぐにアニスと結婚式を挙げようと思う」
「結婚?」
今、彼はなんと言ったのだろう。タンジーは両手が震えた。
「…ああ」
「なぜ?」
息が苦しくなり、体を支えられず、タンジーはベッドに手をついた。
「結婚するの?」
「アニスが早く式を挙げたいと言うんだ」
「彼女のこと、もっと知りたいと願っていたんじゃないの? 会って間もないのに、結婚なんて決めていいの?」
ジョーンズの顔が見られたらいいのに。彼はどんな顔をしているのだろう。
幸せに満ち足りた顔? 目を輝かせてにやつきながら、本当はこの場をすぐにでも立ち去りたいという顔?
駄目だ。暗い方向へ考えないようにしないと。
それよりも、結婚を阻止しないと。
「結婚しないで、お願いよ、ジョーンズ」
瞬間、ジョーンズから怒りのオーラが発せられた。
タンジーは恐怖に慄いた。
「君は喜んでくれると思っていたが、そうじゃないんだな」
首を絞められるかと思った。ジョーンズの怒りが言葉で貫いてくる。
「そんなつもりじゃ…、わたしはただ…」
「聞きたくない」
ジョーンズは椅子に座っていたのか、静けさを破るように、椅子が音を立てて倒れた。
「君も連れて行こうと思っていたが、ここで別れよう」
「行かないでっ」
一人にされるのは嫌だった。
「わたしは鍵を持っているの。わたし一人ではこの鍵を奪われてしまう。冥界の扉を開ける銀の鍵は、私が飲み込んだのよ」
支離滅裂の事を言っているのは分かっていた。しかし、ジョーンズから離れてはいけない。
ミモザと決別した今、それは無効なのかもしれないが、ジョーンズのそばを離れたくなかった。
「銀の鍵?」
ジョーンズの怪訝な声が聞こえた。
「そうよ。黒い力を持つ者たちは、鍵を奪おうと企んでいる」
「なぜ、そんな大事な事を黙っていた。それに、なぜ、君が持っている。君がそんな大事な物を持っているから、僕たちは狙われるのか」
ジョーンズの声から、怒りを押し殺した気持ちが発せられた。
相手の顔が分からない。何を考えているのだろう。
言葉だけで取ると、わたしが全て悪いように聞こえる。
「くわしくは話せない。けれど、一人にしないで、お願いよ」
ジョーンズは黙り込んだ。
「…分かった。ロイを置いて行く。みんな、君が傷ついてとても悲しんでいる。君たちは、後からゆっくりとカッシアへ来るといい」
「あなたは一緒じゃないの?」
「アニスが…僕が他の女性と一緒にいるところを見たくないそうだ」
吐き捨てた言葉の後に静けさが響いた。ジョーンズは出て行った。
ドアがバタンと閉まる。
タンジーはうなだれた。