合流
翼は狼の口からするりと抜け出し、シスルに向かって飛んでいく。
そのままシスルの体に巻き付くと、彼女は空に向かって悲鳴を上げた。
一瞬、まばゆく光ったかと思うと、真の姿になってシスルの姿が現れた。
地上まで届く長い赤毛、唇は赤く燃えているようだ。目つきが鋭く、魅入られたジョーンズは身動き一つしない。
シスルは優雅に歩き始めたかと思うと、腕の中にジョーンズを閉じ込めた。
止める事もできず、ジョーンズを奪われてしまった。
シスルは、ジョーンズに口づけをすると、一気に精気を奪っていった。
「いいのか、魂が抜かれておるが」
魔法使いの声にハッとする。
「ダメっ。わたしのジョーンズに手を出さないでっ」
タンジーは叫び、手を振り上げた。とたん、シスルの体が吹っ飛び、ジョーンズが崩れ落ちる。
タンジーは妖精に飛びつくと、すぐさま唇を押しつけ、ジョーンズの魂を取り戻した。意識していないのに、魂と同時に彼女の力も奪っていた。
次第に、シスルの金色に光る瞳が薄れ、目が白く濁っていった。
あ……。
タンジーは止めようとした。しかし、シスルが呟いた。
――続けて、そのまま、私の力を奪って。
気付いた時には、タンジーの瞳は紫色に輝いていた。
シスルの力が弱まり、彼女がぐったりとする。
タンジーはすぐにジョーンズの元へ駆け寄った。無我夢中で、彼の唇に自分の口を押しつけて魂を込めた。
ジョーンズの唇は温かく柔らかかった。
初めての経験で、タンジーは胸が張り裂けそうになった。
味わうように、ジョーンズの唇に触れていると、彼が目を覚ました。
タンジーは慌てて離れた。
ジョーンズはぽかんとしていたが、やがて、タンジーとキスをした事に気付くと、目を吊り上げた。
「君は…、なんてことをするんだっ」
怒鳴られ、タンジーは後ずさりする。シスルはぐったりしており、ジョーンズは彼女を抱き起こした。
「ありがとう…」
シスルが言った。
彼女の瞳は輝きを取り戻し、茶色の穏やかな瞳に変わっていた。
表情も柔らかくなり、妖精はタンジーたちに向かって、深々とお辞儀をした。
「あなたのおかげで本当の姿を取り戻せたわ。私は普通の姿をしていたのに、美しいものに魅入られてしまった。弱い心を付け込まれたの」
タンジーは紫の瞳を瞬かせた。
「その瞳を誰にも奪われないで。それには魔力がある。あなたにしか抑えられない」
魔力。
確かに、瞳に力があふれている。
気がつくと、ジョーンズがじっと見ていた。
タンジーは目を逸らした。
見つめられているのに、慣れていなかった。
「ありがとう」
シスルはそう言うと、翼をはためかせて東の方角へ飛び立った。タンジーは、安堵した気持ちで彼女を見送った。
「ああ…」
その隣で、魔法使いが大きくため息をついた。
「あの妖精には聞きたい事があったのに」
ぶつぶつと呟く。
「しかし、あの妖精だけではなく、森はざわめいている。秩序が乱れ始めているからだ。あの妖精のように、何者かに操られている事に気づいていない輩も多い」
魔法使いは、使い魔を呼び寄せた。
狼の背中に乗る。
「どこへ行くのです?」
タンジーが尋ねた。
「東へ行く。あの妖精を追いかけるのだ。また、どこかで会うだろう」
魔法使いはそう言うと、狼とともに消えて行った。
入れ替わりに遣いに出した灰色の虫が戻ってきた。
タンジーはほっとして、ジョーンズを見た。
「ジョーンズ?」
振り向くと、ジョーンズはぼんやりしている。
「どうしたの?」
「あ、ああ」
「虫が戻って来たわ」
「は?」
「マイケルたちよ、この森を抜けた町の宿で待っているわ。暗くならないうちに行きましょう」
そう言って馬に飛び乗った。優雅な手綱さばきで馬を操る。ジョーンズも、自分の馬に飛び乗り後を追った。
「急ぎましょ」
タンジーの後を追いながら、ジョーンズは、戸惑いを隠せなかった。
瞳の色だけでこうも印象が変わるだろうか。
タンジーは、相変わらずやせっぽっちで胸もなく、髪の毛はぼさぼさだが、紫色の瞳は、この世のものとは思えないほど、美しい。
光の加減で様々な色に変わり、思わずその瞳に見入ってしまう。姿かたちは醜いのに、瞳だけは別だ。
瞳を見ていると、吸いこまれそうになる。
ジョーンズは気を引き締めて、タンジーを追いかけた。
森の中をためらいもなく駆けていく。痩せた雌馬のどこにこんな力があるのか。
おそらく、魔女の力が作用されているのだ。
騙されてはいけない。タンジーは見かけは醜いが、力を持っている魔女だ。気をつけなければ、自分も知らない間に操られるかも知れない。
暗い森を抜け、日差しが少しずつ差し込んで来た。だいぶ、町の方へ出てきたらしい。
細い川を渡り、西に傾き始めた空を背にして駆け抜ける。ようやく、町へと出た。
タンジーに案内されて宿につくと、見慣れた馬が数頭つないであり、マイケルたちは外で待っていた。
「ジョーンズっ」
マイケルが、ジョーンズたちの姿を見ると、駆け寄ってくる。安堵した顔をくしゃりと歪ませて、抱き合った。
「すまない」
ジョーンズは謝った。自分だけが一人で行動したことを恥ずかしく思った。
「仕方ない。我々は操られていたんだから」
ロイが、ジョーンズの肩を叩いた。
「もう勝手な真似はしないと誓うよ」
ジョーンズの言葉に、ロイが肩をすくめた。弟のデニスが首を振る。
「俺たちも同じです。皆、あの時はおかしかったんです。なぜ、あんな気持ちになったのか、今でも理解できません」
「とにかく、皆が無事でよかった」
「タンジーのおかげだよ、ありがとう」
ロイが振り向いてお礼を言った。タンジーは恥ずかしそうに目を伏せている。その姿が愛らしく、ジョーンズはどきりとした。
どうかしている。タンジーを愛らしいと思うなんて。あの瞳のせいだ。妖精から奪った美しい瞳が彼女を別人のように輝かせている。
「タンジーはなんだか人が違うみたいだ」
ロイがあっけにとられた顔で言った。その通りだ、とジョーンズは言いたかった。三人と離れている間にいろいろあったのだから。
「日が落ちる前に合流できてよかった」
「宿に入ろう」
ロイが促すと、ジョーンズは頷いた。その時、宿の向こうから出てくる人物に目をとらわれた。
まさか…。
ジョーンズは立ち止り目を見張る。
「アニスっ」
彼は叫び、走り出した。
タンジーは、走って行くジョーンズを茫然と眺めていた。
わたしがいる。
金色の髪に、ミルク色の滑らかな素肌、形のよい唇でつつましく微笑んでいる。
タンジーは、骨ばった自分の手足と見比べて、丸みを帯びた柔らかいアニスの身体を見て、一歩後ろに下がった。
「あれは誰だ?」
隣でロイが不思議そうに首を傾げる。
あれは、わたしよ、と言いそうになり、口を押さえる。
「あれは…アニスよ」
「あれが?」
マイケルが口笛を吹く。
「美人じゃないか」
ええ、わたしと比べるとね。
皮肉な答えしか出ない。タンジーに失礼だわ、と自分に言い聞かせるが、比べてはいけない生き物に見えた。
「君は辛いだろう。あの姿を見るのは」
ロイが残念そうに言う。
「え?」
「君には残念だが、勝ち目はないな」
ロイの言葉がぐさりと胸を突いた。
「そうかしら。決めつけないで」
「魔法だってきかないさ、あの様子を見てれば分かる」
ジョーンズは、アニスの手を握りしめ、何か囁き、彼女がはにかむ。
ジョーンズの目は見たこともないほど優しく、とろけそうに見えた。