茶色の魔法使い
翌朝、妖精は先に起きてタンジーを見つめていた。
体力が戻ったのだろう。体が人と同じくらいの大きさに戻っていた。彼女は手足が長く、タンジーの頬を優しく撫でていた。
「おはよう」
タンジーが目覚めて挨拶をすると、妖精は頷いた。
「助けてくれてありがとう」
人間の声とは違って、澄んだ美しい音色だった。
「あなた、名前は?」
「シスル」
「素敵な名前だわ、シスル」
シスルは目を伏せると、涙をこぼした。
「翼を奪われたの」
「分かるわ。誰に?」
「森にいる茶色の魔法使い」
タンジーは昨日、助けてくれた魔法使いを思い出した。
なぜ、彼がそんな酷いことをしたのだろうか。しかし、彼にはきっと嫌われているだろう。森の中をめちゃくちゃにしたからだ。
そのことを伝えると、シスルは首を振った。
「彼に奪われたの」
どうしていいか迷っていると、シスルはしくしく泣きだした。その時、ドアをノックする音にハッとした。ドアの向こうからジョーンズの声がする。
「タンジー、朝食の用意をした。食べないか」
「ありがとう。でも、いいわ。食欲がなくて…」
タンジーが断ると、ジョーンズは立ち去るかと思ったが、もう一度ノックして部屋に入って来た。シスルを隠す暇もなかった。
ジョーンズは妖精を見て、ショックを受けたように立ちつくした。
「あ……」
妖精の美しさに見惚れている。無理もない。こんなに美しい人はめったにいない。
「ジョーンズ、彼女はシスルよ。シスル、彼はジョーンズ」
シスルは涙を拭いてお辞儀をした。
ジョーンズは、シスルに歩み寄ると彼女の手を取って挨拶をした。
「はじめまして、ミス・シスル」
「彼女は、その…」
タンジーが説明しようとすると、シスルに阻まれた。
「はじめまして、ジョーンズ。あなたなら、私を助けてくださるかしら」
シスルが顎を引いて、澄まして言った。
タンジーは唖然とその姿を見つめた。すると、魔法でもかけたのだろうか、ジョーンズが目を吊り上げて、タンジーを睨みつけた。
「女性が困っているのに、君は見て見ぬふりをするのか」
「そんな…」
「では、私の願いをかなえてくださるのですね」
シスルの目がきらきら輝く。ジョーンズは頷いた。
「当然です、ミス・シスル」
「ありがとう」
シスルがにっこり笑うと、あたりに花の匂いがふわりと舞った。
妖精の魔力は恐ろしい。
タンジーは肩をすくめた。
ジョーンズの目はシスルから離せないでいる。
美しいってすごい力を持っているのね。
タンジーは、自分のみすぼらしい姿を見下ろして苦笑した。
ジョーンズが、タンジーを好きになる可能性は全くないと気付いた。
気付いたとたん、タンジーの胸に差し込むような鋭い痛みが走った。バラのとげをうっかり刺してしまったような、鋭い痛みだ。
せめて、ぼさぼさの髪を櫛でとくぐらいしておけばよかったと思う。
黒髪を三つ編みにしただけのタンジーとは違って、金髪をシニヨンにまとめて白いうなじを出したシスルは綺麗だった。
ジョーンズは、タンジーを見下ろした。
「ところで、タンジー、マイケルたちはどうなった? まだ、会えないのだが」
灰色の虫が戻ってこない。タンジーは左右に首を振った。
「ごめんなさい、まだ、報告がないの」
「そうか」
ジョーンズはすぐにシスルを見つめる。
「先に、この女性を助けなければ」
「そうね」
タンジーが頷くと、シスルはにっこりと笑い、ジョーンズの腕に手をかけた。
「ありがとう、ジョーンズ」
すぐに出発するため、ジョーンズは馬の用意をした。自分の馬にシスルを乗せると、ひらりと飛び乗り馬を走らせた。
シスルは、ジョーンズの腕にすっぽりと抱かれて、気持ち良さそうに目を閉じている。
タンジーは胸がチリチリしたが、なるべく意識しないようにした。
鹿毛の痩せた馬でゆっくりと後ろを追いかけたが、ジョーンズは見向きもしない。
タンジーは自分に言い聞かせた。
いいのだ。もう二度と、彼に愛される事はないのだから。
気を引き締めると、茶色の魔法使いの居場所を鷹に案内させる事にした。鷹はジョーンズの前をゆっくりと飛行している。
森の中は、小鳥たちや妖精の歌声が聞こえた。奥深くになるにつれ、妖精の歌声が少しずつ強くなっていた。声に取り込まれると、意識を失う可能性がある。
徐々に森の色が濃くなってきた。緑がだんだんと暗くなり、光が遮られあたりはひやりとしてきた。空気が澄んでいる。
ピイーッ、ピイーッ。
鷹が鳴いて、木の枝に止まった。ジョーンズとタンジーはその場に止まった。
タンジーは馬から飛び降りた。
ジョーンズも降りてあたりを窺う。その時、鷹が飛び上がり、どこかへ消えた。すると、静かに茶色の魔法使いが現れた。
彼の杖に鷹が止まっている。魔法使いは鷹を優しく撫でると、鳥は飛び去った。
「何か用か」
魔法使いは不機嫌に言った。眉をひそめる。
「まさか、その妖精の翼を取り戻しに来たのではないだろうな」
「そのまさかです」
タンジーが答えると、シスルが茶色の魔法使いに向かって走り寄った。魔法使いは杖を振り上げると、シスルの体が空に舞った。
「やめてくださいっ」
タンジーが驚いてシスルを助けようとした。魔法使いが杖で制止する。
「この妖精はよからぬ事を企んでいる。世の男をたぶらかし、魂を抜き取るのだ。翼が戻り、本当の姿になった時、すぐさまお前たちをかみ殺すだろう」
ジョーンズは呆れたように首を振った。
「まさか、彼女がそんな事をするはずがない」
「しないという証拠があるのか。確かに翼を奪ったのはわしだが、そうする必要があったのだ」
「彼女はわたしの手の中に落ちて来たんです。偶然だとは思えません」
タンジーが凛とした声で言った。
「白い魔女よ」
魔法使いはタンジーを睨んだ。
「お前の力でこの妖精を抑え込めるのなら、わしは奪った翼を返してやる。できなければ、妖精は再び男たちの魂を食らうだろう」
シスルの悲しい顔がタンジーを見つめる。
助けてあげたかった。本来の姿でいられない事がどんなに苦しいか知っている。
「本当なの? シスル。あなたは男性の魂を食べるの?」
「好きでやっているんじゃないわ」
シスルが答えた。
「魂を奪えと命令されたからよ」
その答えに魔法使いが険しい顔になった。
「なんだと? その命令した者とは誰だ」
「言えない。言えない魔法をかけられているから」
シスルは首を振った。彼女の苦しみを解いてあげたい。
タンジーは決めた。
「お願いします。シスルの翼を返してください」
「抑え込めるのか」
「わたしの命に代えても、彼女を助けます」
タンジーの真剣な顔を見て、魔法使いはしばらく考えていたが頷いた。
「よかろう」
魔法使いが口笛を吹くと、使い魔が現れた。彼の使い魔は茶色の狼だった。狼の口は白い翼を咥えており、翼はバタバタと暴れていた。
「わたしの翼っ」
シスルが叫んだ。
瞬間、金色の瞳が輝き、それに反応して翼がいっそう大きく暴れ出した。