小さい鳥
眠っていたアニスは肩を揺さぶられて目を覚ました。
「いつまで眠っているんだ、出発するぞ」
ロイの声だった。
がばっと飛び起きる。
男たちはしたくを済ませており、馬に荷物も乗せていた。
アニスは目をぱちぱちさせて目を覚まし、魔法陣を解こうと思ったが、すでに魔法は解けていた。
茫然としていると、ロイが言った。
「君の馬は?」
「あ、あの、わたしは身軽な生き物に変身します」
「え?」
四人がいっせいに声を上げた。マイケルが慌てて言った。
「やめた方がいい」
「俺の馬に乗せてやる」
ロイが馬から飛び降りた。アニスの細い腰を抱き上げ、馬に乗せようとすると、ジョーンズがそれを止めた。
「ロイ、待て」
ジョーンズはなぜか憮然とした態度でアニスを見ていた。
「僕の馬が一番大きい」
ジョーンズは優雅に馬から降りると、有無を言わせずアニスを自分の馬に乗せた。アニスは腰にまわった大きな手のひらを感じてびくりとした。
「馬は乗れるのか?」
背後にジョーンズがいる。アニスはドキドキしながら顔を伏せた。
「乗れます。もちろんです」
火照った顔を見られたくない。
背中越しにジョーンズを感じた。
しっかりしなきゃ、アニス。集中するの。
ジョーンズが軽く馬の腹を蹴り、軽やかに駆け出した。後に三人が従い、一行は進み始めた。
途中からマイケルが先頭を走った。
「どこへ向かっているの?」
ジョーンズに尋ねると、彼は答えた。
「まずはこの先の森を抜ける」
アニスは顔を上げた。光を覆い隠すような森が現れた。
「そのために朝一番に出発したんだ」
馬は一定の足取りで進んでいく。アニスはあたりを窺った。深い森だが、今のところ何も感じられない。だが、鳥も生き物も見えない。
奥に行くにつれ、森の様子が見えてきた。苔に覆われた大木、差し込む光は薄まっているが、美しい緑に囲まれている。
後ろからロイが言った。
「一時間あれば森を抜けることができる。町へ出るはずだ」
深い森ではないらしい。アニスは安心した。
「おいっ」
前を進んでいたマイケルが、突然叫んだ。
「誰か倒れている」
「嘘だろう…?」
ロイが小さく呟いた。アニスは体を震わせた。
「ああ…なんてこと!」
かよわい少女が横たわっていた。ジョーンズの体がこわばるのを感じた。
少年デニスが馬から飛び降りて少女に駆け寄った。兄のロイがデニスの馬の手綱を持っている。
「どうだ? 無事か?」
「生きてるっ」
デニスが答えた。アニスも彼らに近寄った。まだ、幼い少女で傷だらけだ。
「どうして? 誰がこんな事を…」
「この子の親はどうした」
マイケルが言った。少女は灰色の質素なドレスを身にまとい、顔は抜けるように白かった。髪の色は漆黒でさらさらだ。こんなに美しい少女は見たことがない。
アニスは呟いた。
「この子、人間じゃないわ」
四人はアニスをちらりと見て、首を振った。
「何を言うかと思えば、人間じゃないだって?」
マイケルが呆れて言う。
「だったら、なんだ。精霊か?」
「精霊でもなさそうだけど…」
マイケルが抱き起こした少女は全身に傷を負っていた。かすり傷で致命傷はなさそうだったが、体が冷たい。
デニスが上着を脱いで少女に着せた。
アニスはぶつぶつ言いながら、少女をじっと眺めた。
「うーん…」
「とにかく進もう。ここでじっとしているわけにはいかない」
ジョーンズが口を開いた。
「この子の親を探さなきゃ」
デニスが言った。
「もちろんだ、きっと探しているだろう」
ジョーンズは頷き、デニスが馬にまたがり、マイケルから少女を受け取った。
「この先にある町に行くしかない」
デニスは、少女が羽のように軽いのに驚いていた。長いまつげは濡れたように雫がついており、赤い唇は半開きになって小さく呼吸している。
「綺麗な子だ」
隣に並んだマイケルが言った。
アニスは、馬の背にまたがったまま相変わらず唸っていた。その時、少女がうめいて目を開いた。
「あ、目を覚ました」
デニスが声を上げる。一行は立ち止った。
少女はびっくりした顔であたりを見渡している。体をぶるぶる震わせて、デニスにしがみついた。
「人間を怖がってない…」
アニスが呟く。
ジョーンズは、先ほどからタンジーがぶつぶつ言うのを聞いていて、大きくため息をついた。
「人間だろ」
「うーん…」
アニスは首をひねる。
「美しすぎるわ」
ひがんでいるんだ、とジョーンズは思った。
「さあ、進むぞ」
ジョーンズの声に一行が先へと進む。ふと、アニスの耳に囁くような声が聞こえてきた。
怖い。怖い。落ちてしまった。
ママはどこ。ママが恋しい。
わたしはここにいる。
わたしはここにいる。
怖い。怖い。落ちてしまった。
ママ、ここよ。ママ、ここよ。
わたしはここにいる。
わたしはここにいる。
「何て言っているのだろう、綺麗な声だ」
デニスがうっとりと言った。少女が歌っている。
「どこの国の言葉だろう」
マイケルが首を傾げた。ジョーンズも目を閉じて、少女の声に聞き惚れて頷いた。
「顔だけじゃなく、声も美しいんだな」
皆には分からないんだ!
アニスは驚いて、背後のジョーンをじっと見つめた。
「なんだ? その細い目で僕を見つめるな」
ジョーンズがすごんだ顔をする。アニスは肩をすくめた。
「いえ、何でもないんです」
ジョーンズったら、タンジーには冷たいのね。
アニスは外見がいかに大事なのか、身に持って思い知らされた。
少女がさらに歌い始めた。しかし、先ほどとは違い、しわがれた老婆のような声だった。
待っている。
心を奪ったあなた。
あなたはいない。
空っぽの場所を眺めると、涙が出るわ。
待っている。
声が変わろうが、姿が変わろうが、
待っているぞ。待っているぞ!
一行は黙り込んだ。
「ジョーンズ?」
アニスがそっと窺うと、
「黙れ」
と叱られる。
しゅんとして、アニスは他の男たちを見た。
四人は真顔で何を考えているか分からない。
少女は歌い終えると、デニスの腕の中でしくしく泣き出した。