失敗
「消えた…」
ジョーンズが呟いた。
「ほらね、わたしの言った通りでしょ」
四人が一斉にアニスを見た。
アニスはびくっと体をすくめた。
いつの間にか雨はやんで、日が差している。日はだいぶ傾いており、この先、さらに森の中を進むのは困難だと思われた。
「手短に話せ」
ジョーンズが警戒した顔で言った。
「あなたの命が狙われているの」
アニスはできるだけ慎重に答えた。
「なぜだ」
「え?」
アニスは答えられなかった。
雫の精霊が教えてくれたが、理由までは聞いていなかった。
「今のは、お前の仕業じゃないだろうな」
ロイが胡散臭そうな口調で言った。アニスはむっとする。
「わたしじゃないわ。精霊が教えてくれたのよ、あなたたちが危ないって」
「精霊だって?」
美形の男性が眉をひそめた。
「君は魔女なのか」
「わたしは…見習いなの…」
アニスはぼそぼそと自信なさげに答えた。
「あなたを守りたいの、ジョーンズ」
まっすぐに顔を上げてジョーンズを見つめる。その細い目には力がこもっていた。
ジョーンズは驚いていた。
目の前にいる頭の悪そうなメイドが魔女見習いで、自分を守りたいとここまでついて来たとは……。
にわかに信じられなかった。
「君の目的は?」
「あなたを守るためよ」
小さな手足をもじもじさせて、アニスは答えた。
「一緒に連れて行って。邪魔はしないから。お願いよ」
「どうする? ジョーンズ」
美形の男性が聞いた。
「たぶん、彼女は断ってもついて来る気がするけど」
少年が肩をすくめる。ロイも大きく頷いた。ジョーンズは力なく息を吐いた。
「分かったよ。ただし、君の身は自分で守ってくれ」
「いいのね? やったあっ」
アニスがぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「だいぶ日が暮れた。今夜はここで野宿しよう」
ジョーンズが仕方なさそうに言うと、ロイが驚いた顔をする。
「ここで? さっき襲われたばかりじゃないか」
四人は一斉にアニスを見た。
「だ、大丈夫よ」
アニスは小さく答えた。
「魔法陣を組んで、あなた方を守るわ」
「君が? 魔女見習いにそんなことができるのかい?」
「できると思うわ…」
たぶん、とアニスはさらに小さく呟いた。
というのも、タンジーの肉体でどれほどの魔力を扱えるのか分からなかった。
ジョーンズはそれについては何も言わず、怖い顔をして、アニスの方をじっと見つめていた。
「明日の朝、できるだけ早くに出発しよう」
ジョーンズが静かに言って、薪を集めに行った。残ったアニスは、魔法に使えるハーブを採取しようと思った。サシェにしておけばいつでも利用できる。
川辺にはいろんな花や草が生えていた。それらを少しずつ摘んでいると、四人が戻って来た。
落ち葉や薪をまばらに置いて、火打ち石で火をつけると、最初は小さな火だったのが、徐々に大きく燃えていった。
アニスは四人から少し離れた場所に座って静かにしていた。すると、美形の男性がアニスに声をかけた。
「こっちにおいで、おチビさん」
アニスはむっとして口を尖らせた。
「わたしはチビじゃありません」
すると、一番年上のロイがにやりと笑った。
「風邪ひくぞ、火に当たった方がいい」
アニスは、そっとジョーンズを見たが目を逸らされた。
胸に痛みが走る。困惑すると、座っていた少年も手招きをした。
「遠慮しないで、おいでよ」
アニスは気後れしながらも男性たちの中に加わった。
「ありがとう」
お礼を言うと、美形の男性がパンとミルクを分けてくれた。お腹が空いていたアニスは、むせ込むように急いで食べた。
「お腹空いていたんだね」
少年が言う。アニスは恥ずかしくて俯いた。
「ところで、君はどうやってここまで来たんだ?」
美形の男性が尋ねた。
「こっそりあなた方を尾けていたのです」
「気付かなかったな…」
ロイが首をひねった。
「ぼくはマイケル。ジョーンズのいとこだ」
美形の男性が手を差し出した。アニスは手を差し出して握手をした。
「俺はロイ、こいつは、弟のデニスだ」
二人は兄弟だったのか。
ロイとデニスの年齢は離れているように思えた。
「わたしはタンジーです。よろしくお願いします」
デニスは、タンジーと年が近いように思われた。
三人と挨拶を交わしたが、ジョーンズだけは神妙な顔をしている。もしかすると、タンジーに命を狙われたという記憶が残っているのかもしれない。
アニスは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
マイケルが首を傾げてジョーンズを見た。
「ジョーンズ、どうしてそんなに不機嫌でいるんだ。ただの女の子じゃないか」
「いいんです、わたしの事は」
アニスが慌てて遮った。記憶が戻ると、もっと厄介だ。
「わたしは空気みたいなものですから」
「さっき言っていた魔法陣というのを見せてくれないか」
マイケルは魔法に興味があるのかもしれない。話が逸れてアニスはほっとした。
「任せてください!」
アニスはすくっと立ち上がると、石で地面に円を描いた。円の外側に九つの五茫星を等間隔に描き、円の中に九つの神の名前を書く。
「形は綺麗だな」
ふむふむとマイケルが頷いている。皆に、少し離れていてくださいとお願いして、両手をかざした。
心を落ち着かせる。
タンジーの姿でうまく魔法がつかえるだろうか。
不安がよぎったが、すぐに集中した。
「今宵、魔物を寄せ付けず、我々を守りなさい」
円陣が光り始め、大きく広がり、五人を中心にして魔法陣が広がった。
うまくいった!
アニスが安堵すると同時に、五茫星がやたらぴかぴかと輝いている。
「おい、まぶしいぞ」
ロイが怒鳴った。
アニスは青ざめた。
魔力が強すぎたのかしら。普通であれば穏やかな気持ちになり、円の中は守られて安心できる場になるはずが、明るすぎて落ち着かない。
「これで眠れるかな」
マイケルがぽつりと呟いた。眠れないな、とジョーンズがいらいらした口調で答えた。
「何とかしろ」
アニスは困惑した。
今まで魔法陣が失敗した事は一度もない。お師匠様にやり直しの魔法を教わったが、覚えていなかった。
「ごめんなさい」
謝ると、男たちがあからさまにため息をついた。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
アニスがうなだれると、男たちは仕方なくごろりと横になった。
アニスは途方に暮れていた。
タンジーの魔法はどこまで足を引っ張るのだろう。魔法陣が光り続けるなんて、襲ってくださいと言っているようなものだ。
魔法の仕組みをたどってみる。なぜ、光っているのか。五茫星に問題があるのだろう。
アニスはじっと光を見つめた。
土壌から発している波動が五茫星と共鳴しているようだ。やはり、魔力が強すぎた。
男たちを起こさないように、ひとつひとつの光の波動を遮って、力を抑えていった。
アニスは苦笑した。
お師匠さまに魔法を教わっていた子供の頃を思い出した。
フェンネルはいつも冷ややかに見下ろしていた。全て自分でやってみなさい、出来なければ教えて差し上げますと、慇懃な口調で言われた。その嫌味を聞くたびに、お師匠さまの力は借りるまいと頑張るのだが、やっぱり師匠は必要不可欠だった。
「タンジーにはお師匠さまがいないのね、きっと」
ようやく最後の光りが消えて、横になる男たちの顔が穏やかになると、アニスはぐったりして横になった。
ジョーンズが無事でよかった。
雫の精霊が教えてくれなかったらと思うとぞーっとする。
アニスはむくっと起き上がった。そーっと、ジョーンズの近くへ忍び寄る。できるだけ近くにいると落ち着く。
アニスはようやく目を閉じた。