旅のはじまり
ジョーンズから目を離さないように、様子をうかがっていると、どうやら、カッシアに戻らずアレイスターへ向かうことにしたようだった。
宿の主人の情報によると、カッシアは弟にしばらく任せると言っていたらしい。ジョーンズが屈強な男たちを数名選ぶのを見て、さらに確信をした。
アニスは迷わずジョーンズを追いかけることにした。
ここを離れるにはタンジーの叔父に魔法をかけなければいけない。タンジーの魔法はヘンテコで少しやっかいだ。
心配させないようにうまくかけたつもりだったが、逆に心配させる魔法をかけたようだった。
魔法がかかったとたん、叔父はめそめそ泣き出した。
「婿が見つからなくてもすぐに帰っていいんだよっ」
涙を流しながら叔父が叫ぶ。タンジーは優しい親戚に恵まれたようである。
「さて」
宿を出てから、アニスは姿を変えようと思った。
ここで難題が出てくる。
アニスであれば何にでも変身できたが、タンジーはヘンテコな魔法しか使えない。カラスになりたければ、スズメになれ、と魔法をかけるべきか。
「一か八かよ」
アニスが目を閉じて、自分に魔法をかけた。
《あーっ》
自分の姿を見て悲鳴を上げた。
小鳥のつもりがトカゲになっている!
魔法が思うように使えない。
歯がゆさに苛立ったが、魔法をかけなおしている暇はない。馬の準備をしているジョーンズたちの元に急いだ。
ここからアレイスターまでは、どのくらいかかるのだろう。旅をしたことがないアニスは不安になった。
ミモザはきっと、瞬間移動でアレイスターへ向かったはずだ。その後は?
ミモザはアニスの使い魔だ。自分の元へ戻ってくるのだろうか。
それに、ミモザが黙って行ってしまったことが、不思議でならない。
アニスは考えを巡らせながらも、ジョーンズの馬の尻尾にぴょんとしがみついた。馬は気付かずに、一行は出発した。
トカゲの体は小さくていいのだが、まわりの音が聞こえ辛かった。誰が何をしゃべっているのか、分からないのである。
近づきたいが、馬にしがみつくので精いっぱいだった。
やはり、トカゲはまずかったか。
馬の速度は一定でしばらく走ってから、ようやく走るのをやめた。
休むことにしたらしい。前方に大きな川が見えている。アニスもくたくただった。
馬たちが川の水を飲んでいる間、男たちは腕を伸ばしたり腰を伸ばしたりと休みを取っていた。
アニスは馬から飛び降りてぺたりと地面を這うと、草の中に隠れた。体の色が草の色に変化する。
なるべく男たちの話しが聞けるように、サササと音もたてず近づいた。
男たちは、皆、筋骨隆々とした体格の持ち主だったが、アニスにはジョーンズしか見えていなかった。
その時、汗をかいたジョーンズが上半身裸になり、川の水で汗を流し始めた。
アニスは思わず小さな両手で口を押さえた。
《やだっ》
「ん?」
まさか、聞こえるはずがない。
しかし、ジョーンズは首を傾げてアニスが隠れている草叢をじっと見ている。
《信じられないっ》
かさかさと草の陰に隠れると、ジョーンズがトカゲか、と呟いた。
ああ、なんてこと、ジョーンズの体が目に焼き付いて消えないわ。
なんとかしてっ。
アニスはうめいた。
頭を抱えて、草の陰で隠れていると、突然、ぽつっと何かが落ちてきた。
え?
見上げると、いつの間にか空は灰色となり、雨雲が空一面を覆っている。
あっという間に雨が降り出した。小雨だったが、男たちは濡れないようにと洋服を着始めて、移動する準備をしていた。アニスも慌ててジョーンズたちに後れを取らないように走った。
お腹は空くし、喉もからからだ。だんだんみじめな気持ちになってきた。
《はあー》
大きなため息をついた時だった。
アニスの目の前に、雨の雫がふわふわと飛んできた。
――早く逃げた方がいいよ。ここは危険だ。
雫の精霊だった。
透明の雫は、アニスに訴えかけた。
―あの男が狙われている。
《え? どういうこと? あの男ってジョーンズのことなの?》
―急いで、君が守りたい人が危ないよっ。
アニスは仰天して草の陰から顔を出した。
魔法を解いて、タンジーの姿に戻ると、大慌てで馬に乗ろうとしているジョーンズの前に飛び出した。
馬がびっくりして前足を上げる。
「ジョーンズっ」
叫ぶメイドを見て、男たちはびっくりした顔をしている。
「早く逃げて、ここにいると危険よっ」
大声でわめくと、従僕たちが周りを囲んだ。
「何事だっ」
アニスは思わず手を振り上げた。魔法をかけた覚えもないのに、従僕にめがけて馬の背に乗せた荷物が浮かび上がった。
「わっ」
男たちは仰天して飛びかかってくる荷物を交わした。
すると、背後からジョーンズよりも身長のある男がアニスを羽交い絞めにした。
「押さえろっ」
両手をつかまれ、アニスははっとした。荷物がぼとぼとっと落ちた。
「どういうことかな? 通称、いい魔女さん」
ジョーンズの目がぎらりと光り、自分を睨みつけていた。
アニスは、あわわと口を開いた。
雨の中、捕まった手を後ろにまわされると、両手首を縛られた。
アニスは目を剥いた。
「ち、ちょっと、なぜ、縛る必要があるのっ。男が四人も集まって、かよわいレディを縛るなんて、変態、最低、ばかーっ」
あまりにうるさいので、ジョーンズが呆れて首を振った。再び、アニスが口を開こうとしたので、従僕の一人が口にハンカチを押し込んだ。
「んぐっ、むむーっ。むむーっ。ふがふがっ」
あまりに暴れるので、四人は顔を見合わせた。ジョーンズがため息をつく。
「自由にさせてやれ」
口が自由になったとたん、アニスはわめいた。
「なんてことをするのっ。野蛮人、縄を解きなさい」
「魔女なら、たやすいことだろう?」
サラサラの茶色の髪の毛をした男がアニスに囁いた。
ジョーンズとは違うかなりの美形だ。彼は顔がとても整っている分、冷酷な印象を受けた。
アニスは、一重の瞳をぎろりと吊り上げると男を睨んだ。キーキー声がほとばしる。
「縄を解かないと、後悔するわよっ」
アニスがわめいたとたん、草叢から真っ黒で大きな獣が歯を剥いて飛び出してきた。
「うわっ」
男たちがさっと分かれて、腰に帯びていた剣を抜く。
獣は黒くじっとりと濡れていて、大きな牙が生えていた。四肢にも同様に長い爪が伸びている。
「なんだこいつはっ」
従僕が叫んだ。
ジョーンズは、アニスを守るように前に立ちふさがった。アニスは、はっとして獣を睨みつけた。
先ほどの美形が、剣を構えて獣に飛びかかった。剣は牙に当たり、跳ね返される。次に、従僕の中で一番体格のいい男が飛びかかった。
「ロイっ」
ジョーンズが叫んだ。
ロイと呼ばれた男は走り込んで剣を振り上げると、獣の腹に目がけて振り下ろした。剣は腹に突き刺さった。しかし、剣の先だけ刺さり、獣は両手を振り上げて暴れるとロイが投げ飛ばされた。
「くそっ」
もう一人の従僕は少年で、彼は勢いよく獣の顔にめがけて剣を振りおろしたが、牙に当たっただけでびくともしない。
「こいつ、手ごわいぞっ」
ロイが叫んだ。
「ジョーンズ、わたしの縄をほどいてっ」
アニスが叫んだ。
ジョーンズは我に返って、アニスを縛っている縄を切ろうとした。
「ジョーンズ、逃げろっ」
ロイの叫びに、ジョーンズはさっと回避する。地面に爪が食い込み、土がえぐり取られる。
アニスの目の前には獣が涎を垂らして唸っていた。ロイがすかさず剣を振り上げて、獣の背中に飛びついた。獣が暴れる。そのすきにジョーンズがアニスを引っ張り上げ、走り出した。
「これをほどいてっ」
アニスが叫ぶと、ジョーンズが短剣で縄を引きちぎった。
自由になったアニスは振り向くと獣に向かって両手を広げた。一瞬、獣の体が動かなくなる。
「今よっ」
獣の背中にしがみついていたロイが、首筋に剣を振りおろす。一撃で喉まで食い込み、獣が悲鳴を上げると、どしーんと大きな音を立てて倒れ込んだ。
獣はすうっと消えていった。