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緑の瓶の正体は、作り方がわからなくなったナキリ族のまじない道具。
「え……それは、どうして……?」
恐る恐る尋ねると、アンドゥカはそっと顔を上げて、やっぱり小さな声でぽつぽつ話した。
「よくは、知らないんです。昔、あたしが生まれる前に、妖魔がたくさん出た時があって、そのときに、お師匠のお師匠が死んじゃって。お師匠はまだ、満ちる月の雫の作り方を知らなくて」
……えぇと、ちょっと整理しよう。なんだか分かりにくい。
「妖魔がたくさん、っていうのは《魔の氾濫》のことでしょうか、門倉さん?」
「じゃないかなぁ……お師匠さんっていくつ?」
アンドゥカはちょっと考えてから答えた。
「たぶん、四十歳の、ちょっと前くらい」
「てことは《魔の氾濫》のころは二十歳前、お師匠さんの弟子入りが十歳くらいとして、うーん……」
門倉さんは天井を見上げながらしばらく考えていたけれど、
「ないねー。妖魔の大量発生は公式記録に残るようになってて、そーゆーの一応、目ェ通すようにしてるけど……この辺の地域だと他にはなかったと思うよー」
と首を横に振った。
やっぱり、アンドゥカさんの言う妖魔がたくさん出た時期、は二十年前の《魔の氾濫》。
赤の瓶の時にも障害になっていた《魔の氾濫》が、ここでも道を塞いだ。わたしも生まれる前のことだから、どんなに大変な時期だったかは話でしか知らないけれど、この旅で二度目の壁となるなんて。まったくもう!
わたしはおじいちゃんの旅行手帳をめくった。緑の瓶を手に入れたあたりをざっと読みなおすと、一人の人物の名を見つけた。
『町とジャングルを案内してくれたのは、ナキリ族のまじない師ハビエル。真面目と思えば不真面目、不真面目と思えば大真面目な不可思議な男であった』
もしかして、このハビエルさんって人がアンドゥカさんの言うお師匠のお師匠……?
「アンドゥカさん、ハビエルという人を知ってる?」
「…………お師匠のお師匠がそういう名前だった、かも」
やっぱり。おじいちゃんが旅をした頃、五十年前のナキリ族のまじない師。計算は合う。
わたしは確信した。間違いない。緑の瓶は、ナキリ族のまじない師が用いる品なんだ。
こうなると、緑の瓶を手に入れるには作り方を取り戻すしかないけれど……
かなり……難しいかも。《放浪の民》同様、ナキリ族も文字を持たないと聞いている。すべて口頭伝承、生活の中で受け継がれていくもの。彼らがないと言ったら、ないのだ。
考え込んでいたら、アンドゥカさんがもう帰らないといけないと言い出した。そうか、大人の足で二時間は、子供の足だと倍近くかかってしまう。今すぐに出発しても、帰り着くのは日が沈んでからだろう。
恐竜は大丈夫なのかしら。
「恐竜避けのまじない、あるから」
なるほど。だから子供一人でもおつかいに出てこられるんだ。それに、そうだよね、そんなものでもないと、この辺りでは暮らせないだろう。
「アンドゥカさん、あの……明日訪ねますってお師匠さんにお話ししておいてもらってもいいですか?」
「……え……?」
困ったようにアンドゥカさんは首をかしげた。よその人はあんまり立ち入ってほしくない……とかかな。
「い、いえ、そんなこと、ないです。ただ……その。お師匠、ちょっと人嫌いなとこ、あって」
「……そう……でも、わたしもどうしてもお話ししたいことがありますから。それに今日アンドゥカさんに会わなくても訪ねてみるつもりだったから、話しておいてくれるだけでいいんです」
「は……はい。わかりました」
それから集落までのわかりやすい道を教えてくれてから、アンドゥカさんは帰っていった。町の出入り口まで見送ろうと思ったんだけど断られたので、その場で別れた。
人ごみに小さくなっていくアンドゥカさんを見送りながら、門倉さんが笑って言った。
「なんっつーか……ビックリだねぇ。行こうと話してるところに、見習いってコが来るなんてさ」
「そうですね」
うなずきながら、黄の瓶を得るために出会った半エルフのイスラングルさんの言葉を思い出した。
『――およそ幻と呼ばれるものは、求める者が引き寄せる部分が大きいのだ。得たい、出会いたいと願う心が、それにつながる道を示す。道を見つけることができる』
そしてこれがきっと、縁なんじゃないかと思う。
朝のジャングルは鳥の声がにぎやかだ。姿は見えないのに、たくさんいるのがわかる。
この時間、恐竜は肉食草食に関わらずおとなしいとはいえ、あまり長い時間じゃないだろう。太陽の光が朝とは思えないほど強い。気温が上がるのはあっという間だろう。歩いているせいか、全身じわりと汗をかいている。
村とウラナムを結ぶ道は足下は細い。でも薮が切り払われているので歩くのはらくだ。門倉さんを前に、黙々と歩く。
本当に黙々と。
いつもなら門倉さんがなんやかやとにぎやかにしゃべるので、こんなに静かに歩いたことは一度もない。話しかけようにもなんだか表情が険しいので、気後れしてしまう。どうしたのかな?
押し黙ったまま歩き続けて、やがて動物の声にまじって人の声が聞こえてきた。主に子供のはしゃぐ声。木々が少しずつまばらになって、集落の入口に着いた。
こんなジャングルのただ中なのに、村に囲いはない。いや、入口と同じ複雑な模様が彫り込まれた木の柱が、間隔をあけて立てられている。あれが囲いなのかな。
建物はウラナムと同じ木造だけど、床がずいぶん高い。子供が下を走り回れるくらいだ。高床式ってやつね。廊下が建物をぐるりと取り囲んでいて窓が大きい。入口には色とりどりの布がかかっているけれど、ほとんどの家が上げている。
いきなり門倉さんが大きく息をはいた。
「あー、恐竜が出なくてよかったー!気ィ張りまくって肩こったよもー」
ああ……そういうこと。表情が険しかったのは、警戒していたからなのね。本当に、意外と、まじめな人だ。
近くを通った人にまじない師のお家を尋ね、示された建物に向かった。
建物の造りはもちろん同じだけど、雰囲気がまったく違う。あちこちに植物が干され、玄関の布は他の家々よりも豪華だ。あ、よく見たらこの模様、村の入口の模様とよく似てる。
声をかけると、布を上げてアンドゥカさんが出て来た。
「あ……ルリさん」
「おはようございます、アンドゥカさん。お師匠さまに、お会いしたいんですが」
「はい……どうぞ」
階段で上に上がり、廊下に靴を置いて中に入る。外が明るい分、室内がひどく暗く感じる。目が慣れるまで時間がかかりそう。
「お客様です、お師匠。昨日、お話しした」
「わかっている」
男の人が一人、部屋の一番奥に座っている。
「まじない師ジンディだ。何用か」
暗い中、彼の瞳が光ったような気がした。




