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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[一] 怪物の島と南の国 
9/110

09 座長からの呼び出し

 翌日と翌々日は、座長はどこかへ出かけているらしく、皆の前に姿を見せなかった。

 その間、見世物小屋は縮小運営された。

 大ホールでは昼と夕方の2回興行が催されたが、火焔吹きや火の輪くぐり、猛獣使いなどの危険を伴う演目が省略となった。1日目についてはブランコ乗りがいなかったので空中ブランコも省かれた。


 代わりに、背中の大きく曲がったこぶ男や、気味の悪いピンクのトサカが額から生えた鳥女などが観客の間を練り歩いてチップを集めて回った。

 それに合わせてルビーも駆り出される予定だったが、副座長が確認に来て、尻尾がなくなってしまったことがわかったので、その日と次の日との2日間、ルビーは放置された。


 1日目はルビーは放置されていることにも気づかず、昏々と眠りつづけた。

 眠りの中で、ルビーは尖った口と綺麗な背びれの大きな魚となって、大海原を悠々と泳ぎつづけた。北極の海を渡り、遠い深海に潜り、知らない大陸の向こうの海にまで旅を続けた。凍るような月の下をくぐり、ぎらぎらと銀色に輝く日差しに照らされながら青い波を超え、どこまでも飛ぶように進んだ。


 2日目の昼になってやっと、ルビーは目を覚ました。

 朝のうちにロクサムが届けてくれたのだろうか、食べ物のトレイが枕元のチェストの上に置いてあった。

 パンは乾いてパサパサで、スープは冷めて果物はすっかりしなびていだが、気にせずルビーはそれらを口に運んだ。それらの食べ物は、おとなしく食べ物の顔をしていて、決して語りかけてきたりしない。ただそれだけのことが、今のルビーにはありがたかった。


 身体の中に、大きな魚がいるような感覚があった。一つの器の中に二重に重なって、二重に存在しているような、違和感とも何ともつかない奇妙な感覚だった。

 けれどももう、アシュレイはルビーには話しかけない。

 なぜなら眠っている間にすっかり、アシュレイの記憶はすべてルビーの中に根を下ろし、ルビーの記憶と混ざり合って同じになってしまったから。

 涙ももう乾いていた。

 心にまだ穴が開いた感じがして、刃物で突かれたみたいにきりきり痛んだが、その痛みにもそのうち慣れて、自分の一部となってしまうのだとルビーは思った。



 大きな公演の行われる大ホールは敷地のほぼ中央に位置している。その入口に向けて昼の回の公演を待つ人々が、長い列をつくっていた。

 大ホールの周囲には小さな小屋が幾つか並び、それぞれ小銭を払って中に入れるようになっている。小屋によって中の様子が少しずつ違う。檻があったり、板の柱ごしやカーテンの隙間から覗けるようになっていたり、単に柵で隔ててあるだけだったりする。ルビーがときおり入ることもある小屋もあって、そこでは柵の向こうに小さな水槽が用意されている。


 ルビーは小屋の前にいる呼び込みの横をすり抜けて、一つ一つ中を見て回った。ロクサムの姿はどこにも見当たらなかった。あとは大ホールしかない。めったになかったことだが、きょうは大ホールにいるらしい。何かの演目に出演するのだろうか。


 小屋を一通り見て回ったあと大ホールの前まで戻ったら、既に入場が始まっていた。ルビーは人の流れについて中に入った。


 ルビーも大ホールの演目に出演する日が半分ぐらいはあった。そういうときは透明なガラスを張った大きな水槽の中に入れられる。出演しない日は、さっき見て回った小屋の一つの中の、浴槽ぐらいの大きさの上から覗ける水槽に入れられる。

 なので、見世物小屋に来てからもう何十日も経っているのに、他の人間の演目をちゃんと見るのはこれが初めてだった。


 大玉転がしが大玉に乗って、舞台の上を縦横無尽に走り回る。今にも転びそうで転ばないひやひやさせるパフォーマンスをして見せたかと思うと、一転して全く危なげなく大玉の上で逆立ちをしたりダンスを踊ったりする。

 身体の異様に柔らかいぐにゃぐにゃ女が不思議なパントマイムを披露してみせる。と思ったら女は用意された小さい箱の中にパタンパタンと身体をたたんで入ってしまった。


 指揮者の扮装をした男が出てきたかと思うと、男のタクトに合わせて犬の集団が、歌でも歌うようにリズムをつけて鳴く。そのあと揃って平均台を渡り、平行に並べられたハードルを越える芸を見せる。

 怪力男は目の前に差しだされたいろいろなものを、次々と破壊していく。しまいには丸太を真っ二つにし、10枚重ねた皿を上からこぶしで叩き割って見せた。


 ナイフ投げが華麗なナイフの技を披露する。まとになるのは綺麗な女の子。最初は見世物小屋の団員でやり、そのあと観客席から飛び入り参加を募る。それから3本のナイフを使ってのジャグリング。ジャグリングの最後は三つのナイフを宙高く放り投げ、落ちてくるところを華麗に受け取ってのフィニッシュ。

 舞姫のまいは楽器の演奏つきで、しかも四人の男性バックダンサーつきだったので、貴婦人の前で見たものとは全くおもむきが違っている。そして、バックダンサーが舞姫を宙に投げて受け止めるというアクロバットがついていた。


 ルビーはたくさんの観客の、おお、というどよめきの中で、目をみはり、彼らの芸を見続けた。

 大ホールでの演目は、基本的に鍛錬のたまものだ。ちゃんとした演目として見るのは初めてだったが、ルビーは彼らが夜間などに人知れず練習を続けているのを知っている。


 空中ブランコ乗りが出てきたときの声援はひときわ大きかった。わけても女性の黄色い歓声がすさまじい。彼は舞台で気取ったお辞儀をしたあと、梯子をするすると登って天井に取り付けてあるブランコにぶら下がったと思うと、次から次へと、違うブランコに飛び移り始めた。普通に飛ぶだけではない。アクロバティックに身体をひねったり、逆さになったり、丸くなって中空を回転したりしながら、幾つものブランコを縦横無尽に飛びまわる。


 まるで白い大きな鳥のようだと、見上げるルビーは思った。

 天井の横に取り付けた明かり取りから差してくる反射光で、空中でのブランコ乗りの顔がよく見えた。その整った横顔は、今までルビーが幾度も見てきたイヤミなにやにや顔ではなく、一度も見たことのない真剣な表情をしていた。


 時にはブランコではなく、垂直に下ろしたロープに片手でつかまっただけの状態で次に飛び移ったりもした。まるで落ちかけているような演技を見せたあと、さかさまの状態で片足をロープの端に引っかけることで天井に留まって見せたときは、あちこちで大きな悲鳴が上がった。

 ブランコ乗りの空中技は、死と隣り合わせのとても危険なものだ。それでいて所作の一つ一つは洗練され、美しさを損なわない優雅な動きをする。人々はそれに魅了され、酔いしれるのだとルビーは知った。


 最後にブランコ乗りは、服のポケットから出したロープを天井の釘にひょいとひっかけながら、そのロープにつかまって壁の梯子まで一気に飛び降り、それからまたするすると舞台まで下りてきて、もう一度気取ったお辞儀をして見せ、舞台から引っ込んだ。


 そのあとこぶ男のロクサムと鳥女が出てきて、チップを入れる箱を抱えて、観客席の周りねり歩き始めた。何人かの子どもが手を伸ばして、こぶのように丸く突き出たロクサムの背中を触ったり軽く叩いてみたりしている。

 対照的に、鳥女のトサカには、そのぶよぶよとした形と色が気味悪いからなのか、鳥女の顔そのものが怖いせいか、触ろうとする子どもはだれもいなかった。


「ロクサム!」

 こぶ男が近くを通るとき、ルビーはそちらに向けて大きく手を振ったが、ロクサムはルビーに気づかなかったのか、終始違う方向を見ていて、そのうち別の列に行ってしまった。



 二つの公演が終わったあと、観客のほとんどが帰路に着く時間になって、やっとルビーはこぶ男を見つけた。宵闇の中、ルビーはこぶ男を追いかけた。

「ロクサム待って。半分持つってば。ねえ、ロクサム」

 こぶ男はゾウの餌と水を運んでいるところだった。短い足でちょこちょこ歩くこぶ男に、ルビーはすぐに追いついた。ルビーは彼の腕から、ゾウの餌がこんもりと入った大きな丸い籠を取り上げた。


 すると、ロクサムは立ち止まり、なぜかおどおどとルビーを見上げた。

「駄目だよ。人魚さんに、そんなもの持たせられないよ」

「人魚って呼んでって言ったじゃない」


 ルビーは構わず籠を両手で持って歩き始めた。

 彼は小脇に抱えていた餌の籠のほか、水のたっぷり入った二つの桶を、それぞれ両手に持っていた。籠を取り返そうとして一旦地面に下ろした桶を慌てて持ち直し、ロクサムは小走りでルビーのあとを追った。


「それ、おいらの仕事なんだ。返して、人魚さん」

「あたしは今、何も仕事がないの。手伝わせてくれたっていいでしょ?」

 ロクサムは困った顔になる。

「人魚さんの綺麗な服が汚れちまうよ。それに、おいらが怠けていると、猛獣使いが怒るんだ」

「ロクサムは怠けてないじゃない。仕事をさっさと済ませて一緒に晩ご飯を食べましょうよ」


 こぶ男はびっくりした顔で、ぶるぶると大きくかぶりを振った。

「人魚さんと一緒にごはんなんて、とんでもない」

「嫌なの?どうして?」

「だって……みんなに笑われるよ、あんたが。おっ、おいらなんかと一緒にいたら」


「言ってる意味がよくわかんないんだけど、ロクサム。みんなってだれ? あなた、これまであたしのところに来て、いろいろ世話を焼いてくれたじゃない? そのときあなたはみんながどうのこうのって一度だって言わなかったわ」

「だって今まであんたは、自分で歩くのも不自由だったし、どこにも出かけられなかったから……」

 こぶ男は口ごもった。

「だ、だから……もしかしたら、おいらでも話し相手になれるかと思ってたんだ。そ、それに、尻尾に大きな怪我をしてて、可哀想だったし」

「ねえ、ロクサム、不自由でも可哀想でもなくなったあたしには、もう用がないって言ってるの? だったら怒るわよ」


 ルビーは立ち止まってこぶ男の方を向いたが、ロクサムはうつむいて、ルビーを見ようとしない。

「あたしたち、友だちじゃなかったの?」

「だって、そんな完璧な素敵な脚ができて普通に歩けて、ブランコ乗りや舞姫さんと一緒にお得意さんの夕食にも呼ばれて、もうおいらは人魚さんに必要ないじゃないか」


 友だちだと思っていたのに。ロクサムが友だちだと思っていたから、自由にどこにでも出ていけるのに、出て行く代わりにこの見世物小屋に戻ってきたのよ。

 ルビーはそう言い募りたかったが、こぶ男はうつむいたまま、ルビーをぐるりとよけて、また歩き始めた。

「お、おいら、急いでるから、話はあとにしてくれないかな。ゾウはたくさん水を飲むから、水をあと5回は運ばなきゃなんないんだ」



 取り上げた籠を抱えたまま、ルビーは黙ってロクサムを追った。

 ゾウ舎の前に、猛獣使いがいた。猛獣使いの隣に女の人が立っていて、二人で何か話をしていた。

 と思ったら女の人はぱっと顔を上げて、ルビーを呼んだ。

「いたいた、人魚。捜してたのよ。あんたの部屋にまで行ったのに、いないんだもの」

 いつだったか、ロクサムがなけなしのチップをはたいてルビーに薬を買ってきてくれたことを教えてくれた女の人だった。


「いましがた座長が戻ってきて、あんたを呼んでるわ。あんたの尻尾がなくなっちゃったのを知って、座長はおかんむりだよ。これからどうするつもりかを聞きたいから詰め所に来い、だってさ」

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