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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[六] アンクレットと人魚の涙
89/110

89 これからのこと

「さて、これからのことについて話そうかね」

 水蛇のおばあちゃんは水蛇の女の子たちをぐるりと見まわしたあと、ルビーに向かって呼びかけた。

「小さな人魚の娘。アウローラの末の妹よ」


 アウローラというのは人魚の長老の名前だとさっき教えてもらった。人魚の海ではだれもが彼女を長老と呼んでいたから、ここに来てから初めて聞いた名前だった。


「あんたは風を操れるんだろう。ここで少し、それを練習していくといい。この川の水面まで上がっていってね。緑樹の王はこれから太陽の塔に向かわれる。賢者たちに会われてこちらにお戻りになるまでの間、あんたはこの水蛇の都に滞在することになるからね」


 風を操る練習?

 ルビーにはおばあちゃんが何を言おうとしているのかよくわからなかったけれども、そんなことよりもモリオンのことのほうが気になった。

 モリオンが太陽の塔に向かったのはなぜか、カナリーは一緒に連れていくのか、いつ帰ってくるのか、帰ってくるまで待っていても、ロメオとジュリアを助けに行くのに間に合うのか……。

 疑問が次々とわき起こったが、いまのルビーには聞き返す術がない。

 ただ首を傾げるばかりのルビーに、おばあちゃんは説明する。


「あんたの声の魔力を人間に取り上げられた話は、緑樹の王から聞いたよ。あんたの魔力そのものはその人間からどうにかして取り返すしかないんだが、その代わりといっちゃなんだが、巧みに風を操ることで、声をつくることはできるはずだ。もっと正確にいえば、風の音を限りなくあんたの声に似せる、ってことになるがね。いまのままではほかの精霊や人間たちと意志の疎通がやりにくくて不便だろう。どうだい? 練習していかないかい?」


 そんなことができるのだろうか?

 練習って、どうやって?

 考えてもみなかったことを提案されて戸惑うルビーに、おばあちゃんは笑いかけた。


「もちろんあんた自身の本当の声じゃないし、魔力をまとうことができるぐらい精度を上げるのは難しい。というよりできないと思ってた方がいいだろう。また、たとえば物質界の水の中なんかじゃいままでのようにしゃべることはできないよ。あんたは水も操れるんだろうが、水の音を人の声に似せるのは、風を似せるよりうんと難しいから短期間では無理だろう。けれども人間の国では、風がうまく操れたらそれでほぼ用が足りるんじゃないかね」


 おばあちゃんは、次にモナの方を向いた。

「モナ。あんたは人魚につきそって、その練習を手伝ってあげなさい。過去視かこみの魔法の応用だよ。練習中、人魚の記憶の中から人魚の声を引き出して、再現してあげるといいよ。あんた自身の魔法の練習にもなるからね」


 モナは黙って頷いたが、代わりにマナが口を開く。

「おばあちゃん。聞いていいかしら?」

「なんだい?」

「緑樹の王は数日でこちらにお戻りになるとおっしゃったのでしょう? だったらそんなに練習の時間がないと思うんだけど。モナの魔力を磨くのならば、転移の魔法が先じゃないの? 転移先の時間が定まらないんじゃ、不安定で困ると思うわ」

「もちろんその練習も必要だね。それはマナ。あんたが手伝ってやりなさい。ただし、物質界への転移みたいな大がかりなものではなく、この川の周囲だけでの転移の練習にとどめ置くことだ。もう一度モナが時空を超える力をつかうときは、緑樹の王がご助力くださる予定だから心配はいらないよ」


「それも疑問なんだけど。緑樹の王はどうしてご自分で転移なさらないの? なぜあたしたち水蛇なんかの力が必要だとおっしゃるの?」

「一緒にいた人間の娘を、無事に送り届けるためさ。人間は弱いから、とにかく制約が多いんだ。あと、あの人間の娘の身につけている守護石とあたしら水蛇の相性がよいっていうのもあるだろうね」

「だってあの翡翠はそもそも緑樹さまがあの子に施されたものでしょう?」

「マナは気づかなかったかえ? あの守護石は水の一族に属するものだ」


「えっ?」「あれっ? そうだった?」「気づかなかったわ」

 女の子たちは顔を見合わせる。


「あんたたちに読み取れなくても無理はないよ、緑樹さまの御言葉みことばはとても強い光だからね。守護石の本質が隠れてしまうほどに。それはともかく、これは重大な話なんだが──」


 と、おばあちゃんは、低い声で切り出した。

「いいかい、ミナ、マナ、モナ、よくお聞き。川の王が亡くなられたのだ。緑樹の王はさきほどその最期に立ち会われた」

 3人の女の子たちは、もう一度顔を見合わせた。

「竜族の方たちが急に帰ってしまわれたのは、緑樹の王からそれを知らされたからなんだ。そして緑樹の王は、そのことについて相談をするために、これから太陽の塔の賢者さま方のところに向かわれる」

「川の王が亡くなられたって……でも、だとしたらなぜ、精霊の川のエネルギーはこんなに満ちて──」

「カナリーは? 緑樹さまと一緒に太陽の塔まで行くの?」

 違う質問でマナの言葉を遮ったのはモナだった。

 おばあちゃんはまず、モナに質問に答える。


「人間の娘は太陽の塔までは連れて行けないから、緑樹さまがうまく説得できたら人魚の娘とともにあたしらのところで預かることになる。ほどなく戻ってくるだろう。説得できなければどこかの陸の一族のもとに預けていくとおっしゃっていたがね」

「いまカナリー、さっきの舟の上だよねえ? あたし、ちょっと行ってきていいかなあ?」

「行ってきてって、行ってどうするのよ?」

 いぶかしげな顔でモナを見るミナに、モナは相変わらずおっとりした口調で答えた。

「陸の一族のところに行くよりも、あたしたちといようよって、誘ってくるんだよ。駄目かなあ?」


「無理なんじゃない? あの子、水の中で息ができないって信じ込んじゃってたみたいだし。人間の念じる力って、こっちじゃ思わぬ形で具現化することがあるんでしょ? 無理に連れてきたらほんとに溺れちゃうかもしれないわ」

「でもねえ、せっかく仲良くなったんだから、どこかよそに行くよりも、あたしたちといる方がカナリーにとってもいいと思うんだよねえ。それに、野いちごの女の子だってここで一緒だからねえ……」

「仲良く、ねえ」

 ミナは肩をすくめた。

「あの子、あたしたちのことすごい目で見てたけど」

「いいだろうモナ。話をしておいで」

 おばあちゃんが頷いたので、モナはぱっと笑顔になる。

「うんっ! あたし行ってくる」

 モナは水蛇の尾をひらひらと揺らして水を泳ぎ、開け放たれた広間の扉から出ていった。


 ミナはそれを見送ると、ため息をついた。

「全くモナは、あの人間の女の子のどこが気にいったのかしら?」


 それまで黙ってそのやりとりを見ていたマナが、口を開く。

「あたしちょっとわかるけど」

「どうして?」

「あれね、保護者意識だと思うわ。モナはあたしたちの中ではずっと末っ子だったから、世話を焼く相手ができて嬉しいのよ。ちょっとお姉さんになったような気がするんじゃないかしら?」

「だって面倒ごとが嬉しいだなんて、気が知れないわよ」

「あら、そうでもないんじゃない? あたしたち、これから人間の国のある物質界に行くんだから。もしカナリーがここに留まるんだったら、人間の考え方を知るいいチャンスだと思うわ」


 マナの言葉に、ミナは再びため息をついた。

「多分あたしは、モナが気が優しいから心配なんだわ。あの人間の女の子、水が怖いとか弱っちい割に、無駄に気が強そうなんだもん」

「いいじゃない。そんなのも、いずれ人間の世界で経験しなきゃいけないかもしれないことの予行演習だと思えば。それに、本当にモナがあの子を持て余してどうにもならないようだったら、あたしたちがちょっとサポートしてあげればいいとも思うし……」

 それに、とマナは言い足した。

「そもそもカナリーがここに残るっていうかどうかわかんないし」

「まあ、そうだけど……」

「あたしはちょっと興味あるけどな。さっきモナが見せてくれた太った男の昔話、カナリーはモナと一緒に実際に聞いてきたんでしょ? それ聞いてどう思ったのかなーとかね。あたしたちには太った男の説明していた革命っていうものが異様で異常な出来事に思えたけど──」


 そこでモナは、黙って聞いているばかりのルビーに視線を向けた。

「人魚の女の子。あなたにとってもそうだったでしょ? 」

 突然話を振られたルビーは、とっさに頷くこともかぶりを振ることもできなかったが、マナはルビーのリアクションを待たず、話を続けた。

「──人間にとってああいう話はどんなふうに聞こえるんだろうって、カナリーにとってもあれはやっぱり普通じゃないことなのかしら、とかね。だからあたしも、もう少しカナリーと話をしてみたいの」


 ルビーがとっさに頷くことができなかったのは、革命に関するエピソードが、ルビーが人間の世界で聞いたいろいろな話と比べて特別だと思えなかったからだ。

 記憶にもないほど幼いころ見世物小屋に売られ、みんなから苛められて育ったロクサムのこと。実の父親ブリュー侯爵の仕掛けた陰謀で殺されてしまったという、ジゼルさまの旦那さまの話。舞姫レイラとレイラの友達だった女の人と、隣国リナールの伯爵にまつわる話。子どものころ奴隷市場に売れらたアートと、彼がそこで出会ったロゼッタという女の子の話。

 それからカナリーのこと。

 カナリーにしても、見世物小屋の副座長の悪だくみのせいでおじさんの火炎吹きを失い、怪しげな女術師のもとに売られ、あやうく娼館で働かされそうになっていたのだ。


 そして、どこかの貴族の指示のもと、捕えられて人間を食べさせられ続け、その猛毒のため精霊としての意識も記憶も失い、何か別のものに変貌を遂げようとしていた川の王。


 といって、それが日常なのかといわれると、ルビー自身がそんな極限のような日々にずっとさらされてきたというわけではない。

 

 それに──。

 と、ルビーはまた思い出す。

 ルビーが尻尾の怪我がなかなか治らなくて辛かったときに、なけなしの小銭で薬を工面してきてくれたロクサムのこと。見世物小屋の座長に水槽に閉じ込められて溺れかけたとき、ふたを開けて手を差し伸べてくれたアートのこと。

 ロクサムが背中の痛みで苦しんでいるときに、お医者さんを連れてくるための算段をつけたくれたチェロ弾き。率先して荷物を運ぶ手伝いをしてくれた火炎吹き。舟の上でロクサムの世話を焼いてくれていたレイラ。

 ルビーが広場で歌を歌ったとき聞いてくれた人たちは、病気の友達のためにといって小銭をたくさん出し合ってくれた。

 

 人間の国についてルビーが経験してきたさまざまな出来事については、単純に首を縦に振ったり横に振ったりするだけでは伝えようもないことが多すぎる。


 カルロ首相のことについても、きっとそうだ。

 首相が賢者グレイハートに言っていた「呪い」という言葉は気になったが、現在の彼がいやいやカルナーナの国の首相をやっているようには見えない。五体をバラバラに切り捨てられ、穴に投げ込まれたという恐ろしいエピソードで会話は途切れてしまったが、きっとそのあとで彼を変える出来事が何かあったのだ。


「ねえ、おばあちゃん、あの太った男のことだけど」

 ミナがおばあちゃんに聞いたのは、ルビーがちょうどそう考えていたときだった。

「人魚の女の子は、あのとき賢者さまが持ってこられたバングルをいま足につけているのよ。人魚のバングルを過去視の魔法で見たら、さっきの続きがわかるんじゃないかしら?」


 おばあちゃんはそれには答えず、ただ聞き返した。

「ミナはさっきの話の続きが知りたいのかい?」

「ええ。だって、太った男が本当に言いたかったことはあのあとのことじゃないかと、あたし思うんだもの」

 ミナの言葉に思わずルビーは、横からこくこくと頷いた。


「そうだね。だが無機物で、しかも強力な魔具ともなると、生きたものの意識を読み取るよりも格段難しくなるからね。熟練が必要なんだ」

 残念そうな顔になるミナに、おばあちゃんは言った。

「賢人グレイハートの兄弟子だった男があのあと何を話したかはともかく、革命のあと、あの男に何が起こったのかは知っているよ。以前老グレイハートに聞いたことがあるんだ。もう10年以上も前になるがね、先代の人間の賢者がここにちょっと滞在したときのことを、あんたたちは覚えているかい?」


 3人の女の子たちは、それぞれ首を横に振った。

※1/31訂正 具象化 → 具現化

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― 新着の感想 ―
[一言]  古蔦さん、こんばんは。少し慌ただしくしていたとはいえ、一月も留守にしてしまいほんとうにすみませんでした。それに、私こそこれからの日々を彩ることのできるお話をたくさん聞かせてもらえてとても嬉…
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