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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[六] アンクレットと人魚の涙
88/110

88 モナの魔法

「わしには呪いがかけられておる」


 なぜか楽しげな口調で、太った男はその物騒な言葉を口にしていた。


「カルナーナと共和政府のために、わしは魔力と残りの一生を使わねばならんのだ。わしが倒した術師の呪いだよ」


 ルビーがそれを見たのは、大きな川の底の、水蛇の都の会議所の大広間でだった。

 水蛇の少女モナが、おばあちゃんの助力を得て、ゆらめいて光る水の幕のただなかに幻影を映し出して見せたのだ。


 いまはもう崩れ落ちてなくなっているはずの古い塔の足元で、言葉を交わす2人の魔法使い。

 あの日崩れ落ちる寸前、一度だけルビーが見たのと同じ南の島の塔は、こうして改めて見ると、なお一層古びておどろおどろしい。

 幻影の中のカルロ首相は本物の10分の1ぐらいのサイズだったが、本物そっくりに、せかせかとしゃべって動く。

 賢者グレイハートも同じぐらいの大きさだ。顔の真ん中を斜めに走る、大きくえぐれた生々しい傷あとは、いつかの夏の日の、ルビーの記憶そのままだ。


「賢者どのには、以前カルナーナで過ごされた時期がおありとのことだが、革命直後の動乱期について詳しくご存じか? ……初代首相ルミノッソというのは、革命の中心人物の1人でもあった人物だがな、ルミノッソが王室を凌駕する権力を振るうことができたのは、優れた術師があの男の側についていたからだった。優れた術師は現カルナーナにも何人かいるが、あやつはけた違いであったよ」


 ルビーの目の前で再現されたカルロ首相の復讐譚は、そんな風に始まった。




 モナは、これまで一度も魔法を成功させたことがないのだと言っていた。それなのに、カナリーをつれていきなり時空を超えて、半年近くも前のカルナーナの南の島に飛び、姿消しの魔法を自分とカナリーの両方にかけた。戻ってきてからは変身した人間の姿を披露してみせ、そのあと動いてしゃべる幻影をつくりだしてルビーたちに見せてくれている。


「緑樹の王が近くにいらしたせいだろうね」

 水蛇のおばあちゃんは、そう言って目を細めた。

「間近で御力みちからに触れ、触発されたんだろう。なんにせよ、よかったよかった」


 水蛇のおばあちゃんは年齢は300歳を超えていて、人魚の長老と同じぐらいの年だということだった。だけど見た目は人魚の長老よりもずっと歳をとっていて、まるで人間のおばあさんみたいな姿をしている。

 波打つ黒髪と漆黒の蛇の鱗はつやつやしていて、ルビーの首にかかったナイフの黒曜石みたいだ。だけど両手や顔に刻まれたしわは深い。笑うと口の周りがくしゃくしゃになったが、優しそうな笑顔だった。


 半年前を映した映像の中、カルロ首相と賢者グレイハートは、モリオンのことを緑樹の王、緑樹さまなどと呼んでいた。そして、モリオンはここでもマナたちやおばあちゃんにそう呼ばれている。


 そのモリオンだが、いま、この場にはいない。

 トンネルの出口が水の底だと知って、戻ってきたカナリーが出て来るのを尻込みしたためだ。

 モリオンは大きな空気の泡でカナリーを包んで、蔦で編んださっきの舟の上にそのまま連れて行ってしまった。それきり2人とも戻ってこない。 


 だからモナのつくり出した10分の1サイズの幻影をここで見ているのは、ルビーとおばあちゃんのほかには同じ水蛇の少女のミナとマナだけ。

 竜族の人たちも、もう帰ってしまっていた。


 水底に幻影を浮かべる魔法は、人間の国でいうところの過去視かこみの術のもとになる魔法の一種なのだと、マナが横から教えてくれた。

 マナは精霊界を太陽の塔まで旅をして、塔に住む賢者さま方に会ってきたのだという。そこでたくさんの話を聞いてきたのだそうだ。また、塔の中には"図書館"というものがあるらしくて、そこでさまざまなことが学べるのだという。だからマナは人間界についてもよく知っている。

 もしかすると、ルビーよりもよく知っているかもしれない。




 過去を現すモナの魔法の中、いつかの夏の日に粉々に砕けてしまった塔の前で、カルロ・セルヴィーニと賢者グレイハートは会話を交わす。塔に封印されている人魚のなれの果てだというものについて。あの日ルビーの尻尾に嵌めることになるアンクレットについて。若者の青灰色の瞳を覗き込んだモリオンが口にしていた、グレイハートの小さな妹について。


 彼らの会話をルビーは、不思議な心地で聞き入った。映像の中のアンクレットは禍々しいほど真っ黒で、いまルビーの左足にあるものと色が違っている。

 そしてまたルビーは、まじない通りで魔具を売っていたおばあさんの言葉も思い出した。


──アンクレットは最初は半透明の乳白色、次に青紫、黒、白、そして深紅に変わったんだよ。

──これをつくったのはアルビノの若者だね。ほう、アストライア聖王家の出身だ。

──10年前の聖王家の滅亡が、大陸じゅうを巻き込んだ戦乱の幕開けだったんだね。


 それとともにルビーの思いは、あのとき一緒だった大男のロメオと小柄な少女ジュリアへと飛ぶ。さっきの切迫したモリオンの言葉が頭をかすめた。


──すぐ戻らなくちゃならないわ。ロメオとジュリアがどこか別の場所へ連れ去られたようなの。


 モリオンはカナリーと、舟の上でルビーを待っているのかもしれない。

 一刻も早くロメオとジュリアのところへ駆けつけるために。その出口を捜しに行くために。


「まあ、落ち着きなさい、人魚の娘」

 幻影を目の前に、そわそわ落ち着かない様子のルビーに、おばあちゃんは声をかけてきた。

「さきほど緑樹さまから事情はお伺いしてある。今後のことも相談済みだよ。あんたたちを滞りなく物質界に送るためにもいまは、モナの力を磨く必要があるんだ。いましばらくつき合っておくれでないかい?」


 おばあちゃんと、モリオンと、さっきまで水蛇の都に滞在していた竜族の人たちの代表と。

 その3人だけで行われた短い話し合いの中で、ルビーたちのいま置かれている状況をモリオンは説明していたらしい。


 ルビーが気もそぞろになっている間にも、映像の中の会話は進んでいく。

 モナは目を閉じじっとしている。おばあちゃんの言葉は聞こえていないみたいだった。"過去視かこみの魔法"に集中しているのだ。開け放たれた窓から流れ込む光る水に、モナの男の子のように短い水色の髪だけが揺れている。

 ミナもマナもおとなしく、モナのつくり出した映像を見ている。


 予言の力を持つという賢者の妹の話はほとんど聞き逃してしまったルビーだったが、カルロ首相の"呪い"という言葉が耳に飛び込んできて、再びルビーの意識は過去の映像に引き戻された。




 当時を生きた年代の人間の語る革命は、血なまぐさく生々しい。

 共和政府の初代首相づきの術師を倒したというエピソードで始まったカルロの話は、そのあと革命当初まで遡っていった。


 それは当時、王政派を徹底的に排除しようとしていた革命政府に、家族や親せきを根こそぎ惨殺されたというものだった。

 老人から女子どもに至るまで、粛清は徹底していたのだという。


 カルロ首相の一族はそもそも革職人のギルドに所属していて、政治とはまったく関係のない位置にいた。

 革靴、革製の鞄、革製のベルト、革製の馬車の縁飾り等を手掛ける集団で、わけてもカルロの父親は、腕のよい靴職人だった。腕が認められて引き立てられ、若い頃から長年、王室御用達の靴をつくってきた。

 そのため革命軍に王政派だとみなされて、一族まとめて処刑されたのだという話だった。 


 革命のころ、カルロはちょうど隣国リナールに留学していたのだそうだ。

 カルロは長子だったが、指先がさほど器用とはいえず、そのため早くから父のあとは1歳違いの弟が継ぐことに決まっていた。

 彼が南部に下り、船旅で国を出たのは、革命の勃発する直前の27年前。王家にいただいた推薦状を手に、庶民の子弟とともに王侯貴族も学ぶ学園に入学を許されたのだということだった。


「カルロさまは、隣国リナールのその学園で魔術を学ばれたのですか?」

 グレイハートのその質問には、カルロは首を横に振った。

「教師の中には確かに術師もいたが、わしのは独学だよ。……のちに師グレイハートのもとで学ぶまでは、の話だが。学園には差別意識の強い教師が多く、貴族でもなければ武人でも術師の家系でもない子どもなどはなから相手にもされなかった。学生同士は貴族平民関係なく活発に交流していたがな」

「師匠とはどこで出会われたのですか?」

「わしが師グレイハートと出会ったのはカルナーナに戻ってのちのことだ」

「では、リナールで学業を修められてからカルナーナに戻られたのですか」


「いや」

 その言葉にも、やはりカルロはかぶりを振る。

「カルナーナに戻ったのは2年ほど経ったころであった。革命とともにリナールとの国境が閉鎖されたため、やむを得ずその地に留まり学業を続けておったが、カルナーナ王家が断頭台の露と消えたと聞き、知り合いのつてで密入国したのだ。そのとき学園を去ったあと、2度と戻ることはなかった」


 しかし故郷の地で変わり果てた家族と再会を果たしたのは、自らも革命軍に捕らわれて処刑されたあとだった。両の手足と頭を斧で切り落とされ、遺体として投げ込まれた穴の中でだったのだ。

 カルロ・セルヴィーニはその後の出来事を、手短にそう話した。


「処刑は公開で行われた。親父どのの処刑も公開で、同じやり方だったそうだ」

「手足を切り落としてから頭を刎ねたというのですか? 残酷な処刑方法ですね」

「うむ。だが、わしの場合はそのおかげでなんとか蘇生できたのだがね。頭から先に落とされ、そのあとで切り刻まれていたら、手足までは蘇生できてなかっただろう」


 カルロは話の先を急いだ。

「しかし、親父どのが残虐なやり方で処刑されたという事実よりも、そのときルミノッソの演説に、わしは腹を立てておったのだ。処刑の前に、あの男は集まった民衆を相手に演説を始めた。王家の庇護を笠に着て私腹を肥やす腐りきった商人の一族を根絶やしにすることは正義だと、国土を清め、再生するためには必要なことであると。わしは腹を立てていたが、それと同時にそんな演説で湧きかえった民衆の怒涛の勢いに恐れをなしたのも本当だ。ルミノッソは、正義、清廉、平等、など耳当たりのよい言葉を巧みに使って、民衆を味方に引き入れたのだと知った瞬間だった。

 親父どのは徹底して職人気質の男でな。使い手にとって履き心地のよい丈夫な靴をつくることに心血を注いでおった。私腹を肥やすことなどに、断じて興味はなかった。だが、そんな事実などこの男にとってはどうでもよいことで、民衆がその事実を知ることは永遠にないのだと──」


 と、不意にぷつりとセリフが途切れる。

 ゆらりと水の膜がぶれて、鋭いまなざしで語る太った男の幻影は姿を消した。

 純白の髪の賢者も、背景に移る崩れそうな塔の一部も、同じように消えた。


「途中までしか聞いていないんだよねえ」

 モナは振り向くと、困ったような顔でルビーを見た。

「すごい怖い話の途中だから、どうなったか続きが気になるんだけどねえ。ちょうどカナリーの腕の、緑樹さまの緑の石が光り始めたの。それで、あたしたちとあっちの世界を分ける膜につつまれちゃってねえ、声が遠ざかっていったからねえ……」


「いいや、十分だよモナ。上出来だ」

 おばあちゃんは、にこにこ顔でモナをねぎらった。

「そうかなあ?」

 褒められてなお釈然としない顔のモナに、ミナとマナも口々に言った。

「モナ、あんたすごいじゃないの!」

「あんたの過去視かこみは完璧だと思うわ」


 手放しの賞賛に慣れていないのか、モナはますます困った顔をして、救いを求めるようにルビーを見た。

※ 1/31訂正 そわそわ始めた → そわそわ落ち着かない様子の

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