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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[六] アンクレットと人魚の涙
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87 いまへ戻る道

 最初は、どう見てもカナリーにはニセモノにしか思えなかったカルナーナの首相だった。けれども話の内容を聞いているうちに、なんだかだんだん本物のような気もしてきた。

 白い髪の若者を相手に、国がどうの、条約がどうのと、やたら難しい話をしていた。


 ひとしきり話しこんで終わるかと思っていた彼らの対談は、そのあと再び白髪の若者の妹の話題に変わり、さらにはかつての首相の”復讐譚”とやらに移り、なかなか終わりそうにない。

 話の内容など、カナリーにはどうでもよかった。

 そんなことよりも、2人の男の見た目の方が、よっぽど気にかかった。


 初めて見るカルロ首相の姿は、ある意味カナリーにとっては衝撃だった。

 カルナーナで一番偉い人が、こんなに醜く太った男だなんて、絶対間違ってる。

 こぶ男のようにふた目と見られないほどひどい醜男というわけではなかったが、目も鼻も口も肉に埋もれていて、少なくとも美男子には見えない。手も足も胴体も丸々としている。特に腹のまわりがひどい。


 カルナーナの首相は、国民の投票で決まる。

 カナリーには投票権はないが、もしも投票権があったら絶対こんな男には入れない。アートのお兄さんのようなスマートでかっこいい大人がいい。


 そして、もう1人の男には、顔の中央に醜い傷あとがある。丈長の真っ黒いローブも気味悪いし、顔は若いのに真っ白な髪をしているのも不気味だ。


 それにしても、なんだって彼らはまた、こんな草ぼうぼうの廃墟のような場所の、崩れそうな変な塔の前でわざわざ話をしているんだろう?


 カナリーの希望は彼らの会話に出てきた”緑樹さま”だ。彼らのいう緑樹さまがマリアのことなら、マリアがあの変な光る水の流れる世界からこの島に戻って来さえすれば、カナリーは助けてもらえるのだ。

 マリアはきょうじゅうに戻るはずだと、太った男は言っていた。


 でも、マリアは本当にこんな変なところに住んでいるんだろうか?

 どこかに家があるのかもしれない。島の中には、ここよりももっとましな場所があるのかも。ちゃんと整備されていて、綺麗な海が見えて、住みやすい場所が。

 男たちがここを去ったら、モナと一緒に島を捜してみよう。

 

 男たちのいる場所は、カナリーたちが隠れている草むらから意外に近く、ちょっとした気配で気づかれてしまう気がした。

 だからカナリーはずっと頑張って、息を殺してじっとしていた。

 それなのに、さっきからモナが、何か言いたそうにカナリーの腕を引っ張るのだ。


 さっきまでガタガタ震えていたくせに。

 カナリーは舌打ちをしたくなったが、それすらも彼らに聞かれそうでできない。


 ところがモナは、とうとう我慢ができなくなってしまったらしく、腕を引っ張りながらカナリーに顔を寄せて、耳元で小さく囁いてきた。

「カナリー、あれを見た? さっきのあれって、あのアンクレットだったよねえ」

 カナリーは無言でギッとモナを睨みつけた。もっとも姿が見えないので、全く意味をなさなかったが。

「野いちごの髪の女の子が左の足につけてるやつ。なんでだか、色が全然違うけど」


 モナは、白い髪の賢者が太った男に渡した黒いバングルのことを言っているらしかった。

 カナリーにもあれが、ロビンが足に嵌めているものとよく似た形のものだということぐらいはわかる。

 でもロビンのアンクレットは、あの綺麗な赤い色はともかく、デザインは何の変哲もないただの輪っかだ。似たようなものなど、いくらでもごろごろしているではないか。

 色違いのものがここにもう一つあっても、何の不思議もないはずだ。

 どうしてこの娘は、危険をおかしてまでそんなくだらない話を耳打ちしてくるんだろう。


 さらにモナは、意味のわからない言葉を口にする。

「転移先の場所はよくても、時間が間違っちゃったんだよねえ。だからねえカナリー、あたしたち、一度戻って転移し直した方がいいよねえ」

「ちょっとモナ、黙んなさいよ」

 一層小さく声をひそめて、カナリーは注意した。黙って聞いていると、モナは際限なく話しかけてきそうな気がしたからだ。

「怖い人たちに見つかったら大変じゃないの」


「あのねえ、さっきからなんか大丈夫みたいなんだねえ……」

 やはり小声ではあったが、モナの声にはさっきまでの緊張感はない。

「だってねえ、カナリーの緑のバングル、いままた光ってるでしょ?」

「え?」

 さっきまで、すべてが透き通って姿を消していたはずだった。カナリー自身も、身につけている服も、靴も、もちろんバングルも。

 なのに、腕から手首のあるあたりで、半透明の緑の蛇が、ぼんやりとした光を放ち始めている。


「なんで?」

 完全に姿が消えていると思っていたのに。

 手元の蛇のバングルがこんなに光っていては、目の前のあの男たちに見つかってしまう。

 カナリーは落ち着かない気持ちで、前方を仰いだ。


「あのねえ、緑樹さまの御力が、カナリーを守ってくれているんだよ。そばにいるあたしのことも、おんなじに守ってくれてるんだねえ。だから、さっきと違って暑くないよねえ? 見えない膜がまわりにできちゃったみたいだねえ。さっきまでは強い日差しと夏の熱風が吹きつけていたのに」


 やはりモナは際限なくしゃべる。さっきカナリーが止めたのに、全く気にしていない様子だ。

 きっとこの子は少し鈍くて頭の回転が遅いのだ。


「さっきこっちに転移してきた瞬間も光って、カナリーのこと守ってくれてたねえ。急に別の場所に出たときに、カナリーが気持ち悪くなったりしないように。野いちごの髪の女の子の足の赤い石も、カナリーの緑のバングルとおんなじなんだよねえ。野いちごの女の子をずっと守ってきたんだねえ。でも、緑樹さまがおっしゃったとおりだったねえ。あれをつくったのは、本当に人間の、白い髪の賢者さまだったんだものねえ。あたしたち、どうしてだか野いちごの女の子が初めて人間の国にやってきた日のちょうど前の日まで、飛んで来ちゃったんだねえ……」


 白い髪の若者が太った男に渡した黒いバングルがロビンのアンクレットなのだと、モナはあくまでも言い張りたいらしい。鈍い上に、きっと思い込みも激しいのだ。

 カナリーはイライラしながらも、とりとめのないモナのおしゃべりを聞いているしかなかった。


 いいかげんにして! なんでもいいから黙りなさい。

 よっぽど声を荒げて叱りつけようかと思い始めたそのとき、2人の後ろで声がした。


「モナ、こっちよ。早くこっちに戻ってらっしゃい」

「あっ、ミナだ!」

 隣でモナがぱっと振り向く気配がした。

「どうしたの? ミナ、どうしてここがわかったの?」


 続いて振り向いたカナリーが見たのは、異様なものだった。

 何もないはずの空間に、突然ぽっかりと闇のトンネルが口を開けている。暗緑色の髪と黒っぽい鱗の蛇女が、闇の中空に浮かんで、こちらを手招きしている。

 その様子はカナリーの目にはこの上なく不気味に映った。


「どうしてじゃないでしょ。1人で勝手に物質界に飛ぶなんて、危ないったら!」

「1人じゃないよう。カナリーが一緒だよう」

「人間の女の子なんて、何の力もないんだから、単なる足手まといでしょ。ていうか、あんたたちの姿、こっちから全然見えないんだけど。人間の女の子の腕の緑の石が浮かんでるだけで。もしかして、姿消しの魔法なの? モナがやったの?」

「うん。あの人間たちが怖いかもと思ったら、なんかできちゃったんだよねえ」

「あの人たち、さっきマナが言ってた太った男と白い髪の賢者さまでしょ? 別に怖い人たちじゃないんじゃないの?」


「そうかなあ……」

 モナは言い返した。

「白い髪の賢者さまは、見た感じ優しそうだねえ。でも、太った男は、あたしはやっぱり怖いと思ったんだよねえ。だって見てたらときどき、怖い顔になるんだよねえ……」

「だったらなおさら、さっさとこっちに戻ってらっしゃい。あんたたちが通ってきた道を、いまマナがつなげ直してくれてるのよ。マナが間違えたり別のルートを開いたりしないように、緑樹さまがサポートしてくださっているわ」


 カナリーの肩から、モナの手が離れた。モナは蛇の身体を使って、手招きをする蛇女の方向へするすると移動を始めたらしい。

 カナリーはためらった。

 男たちの姿よりも、ぽっかりと広がる闇のただなかに浮いた蛇女の方が、気味の悪さでは遥かに上だったからだ。


 崩れ落ちそうな塔のそばで話し込んでいる男たちを、カナリーはもう一度振り返った。

 彼らはカナリーとモナに、本当に気づいていないようだった。手元で石が光っても、蛇女たちがこれだけ賑やかに言葉を交わしていても、あちらからはもう、見えないし聞こえていない。


「あのねえ、ミナ、太った男はときどき怖い顔をしてたけど、あの人の昔話はもっと怖かったんだよ。カクメイセイフっていうのに、一族を皆殺しにされたんだって。家族も、シンセキっていうのも、好きな人も、みんなみんな首を切り落とされて死んじゃったんだって。あの人自身も首や手や足を切り落とされたけど、魔力を使ってぎりぎり生きながらえたんだっていってたんだよ。人間の世界って、本当に怖いところなんだねえ。マナがこんなところに1人で来るのはやっぱり心配だねえ」


 モナの姿は相変わらず見えないが、すでに声は緑の髪の蛇女の隣から聞こえてくる。

 カナリーには興味を持てなかったカルロ首相の復讐譚とやらを、モナは一応聞いていたらしかった。さっきは聞き流していたので気づかなかったが、相当血なまぐさい話だったらしい。

 とはいえ、一度首を切り落とされた人間が生きているのはおかしい。それに、太った男は見たところ、手も足も普通についている。ちゃんと話を聞いていたわけではないからわからないけれど、太った男は何かの冗談を言っていただけかもしれない。

 悪趣味なジョークが好きな人間というのも、時々いるものだ。世間知らずのモナがそれを大真面目に受け取ってしまっただけで。


 蛇女のミナは、眉をひそめた。モナの言葉を真に受けたようだった。

「まあ、賢者さまたちは、そんな話をされていたの?」

「うん。あんまり人には話したことのない話なんだって。でも、あの人たちのお師匠さんが亡くなったら、どのみちキオクノケイショウだかで賢者さまにはわかることだからって、太った男は言ってたよ」

「あたし、いい知らせを持ってきたつもりだったんだけど、人間の世界がそんな野蛮な場所だったら朗報かどうかわかんないわね」

「いい知らせって?」

「緑樹さまが竜族の方たちを説得してくださったわ。あたしたち、3人で物質界に行けるのよ」

「すごいや! それ本当?」

「詳しい話は戻っておばあちゃんに聞くといいわ。さっさと戻りましょ」

「ミナ、あっち側の明るいのが出口なの? なんか来たときと違って長いトンネルだねえ」


 それからモナは大きな声で、こちらに向かって呼びかけた。

「ねえ、カナリーも早くおいでよう」

 姿は見えないが、声の響きで、モナがカナリーの方に振り返っているのがわかった。


 淡い緑の光を放つ小さな蛇を除いて、カナリー自身もまだ透き通ったままだ。モナに術を解いてもらうまえにここに置き去りにされたら、透明人間のままでいなければいけないことに、カナリーは気づいた。

 それに向こうにはマリアがいるのだ。1日待つ必要もないし、捜しまわる必要もない。


 アートがいるはずの南の海をあとにして、あの変な世界に戻るのは正直嫌だった。それでも、目の前の見知らぬ男たちに助けを求めるよりも、マリアのところの方が、まだしも幾分かは安全かもしれない。


 カナリーはそう思い直すと、トンネルの方向に一歩踏み出した。

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