74 合流
夜明け前の青みがかった薄闇の中だった。
待ち受けるロメオと親方の前に、4人の少女たちが姿を現したのは、ほとんど同時だった。
華奢な体躯の赤毛の少女と茶色い髪の小柄な少女は、建物の3階から裏手の塀に向け、ロープを伝ってするすると器用に降りてきた。
助け出す予定だったはずの少女が一緒でないことを男たちが不審に思っていたら、大柄な金髪の少女は見知らぬ黒髪の少女に伴われ、曲がり角の向こうから、壁ぞいの道に姿を現した。
「だれだ、あんた?」
「この方は占い師のマリア・リベルテさんです」
見知らぬ少女に向けてのロメオの質問には、いましがたロープを降りてきたばかりの茶色の髪の少女ジュリアが答える。
ロメオは警戒するかのように目を細め、黒髪の少女を眺め下ろした。
ジュリアのあとから降りてきたルビーは2重に垂らしたロープの片端だけをつかんで引っ張り、ロープを屋根から外して下ろそうとした。親方が横からそれを手伝う。
早朝のまだ人気のない路地に立つ面々を前に、カナリーは一瞬立ちすくんだあと、不審げにルビーと親方を見比べた。
「なんで……」
カナリーは一瞬気おくれした表情を浮かべたものの、あえて咎めるように声を張る。
「あんたがここにいるのよ、ロビン」
ルビーは無言のまま、ただ首を傾げる。
敵意のこもった視線で、カナリーはそれを睨みつけた。
「あたしを笑いものにするために来たのね!」
見当違いのカナリーの言葉にも、ルビーは返事をする術を持たない。それでも違うという意思表示のために、首を横に振って見せた。
代わりにモリオン──マリアと紹介された少女──が口を開いた。
「カナリー、さっき聞きたがっていたあなたの質問の答えだけど、ロビンなの」
カナリーはマリアにはちらりと一瞬目をやっただけで、すぐに視線を逸らせた。
視線を合わせようとしないカナリーの様子を気にする風もなく、マリアは説明を続ける。
「さっき、あの館の屋根裏の通風口でロビンと鉢合わせたの。屋根からあなたを助け出すために、忍び込んできていたのよ。あなたを助け出すことをわたしに託したのはロビンなの」
「嘘……」
言葉に詰まり、立ちすくむカナリーに、横からジュリアが言葉を添えた。
「マリアさんが言っているのは本当のことです」
カナリーを囲む他のメンバーの顔を、ルビーは見回した。
正確にはルビー一人がカナリーを助け出そうと動いていたわけではない。
館に忍び込んだのはルビーだけではなくジュリアも一緒だった。屋根の上にある通風口への入り口をこじ開けたのは親方だった。ロメオだって、ここから出発するための馬車を用意してくれている。みんなで協力し合って行動してきたのだ。
けれどもその場にいる誰も、それを大した問題だとは考えていないようだった。
隣では親方が、ジュリアの言葉に同意するべく、うんうんと頷いている。
ロメオだけは何を考えているのか仏頂面のまま腕組みをして周囲を見回していたが、どちらにしても異を唱える気はなさそうだった。
「なんで……」
なおもきつい目つきのままでルビーを凝視していたカナリーだったが、その表情が徐々に戸惑いの混ざった複雑なものに変わる。少女は途方に暮れたような声で、小さくつぶやいた。
「どうしてロビンが、あたしを……」
やはり無言で首を傾げるルビーを、カナリーは茫然と見返した。
と思いきや、突如としてカナリーは駆け寄ってきて、ルビーに飛びついてきた。
なんの準備もないまま大柄なカナリーに突然抱きつかれ、ルビーは手にしていた縄を取り落とした。バランスを崩してあわや倒れそうになったところを、とっさに親方が手を伸ばして支えてくれる。
「ロビン、あたし……あたし、ひとりぼっちになっちゃったの!」
カナリーはそう言うと、ルビーの首根っこにしがみついたまま、わんわん声を上げて泣き出した。
「なあ……」
ロメオが気がかりそうに声をかける。
「ここに長居するのはまずいぜ。さっさと別の場所に移動した方がいい」
彼はさっきから気になっている様子で、館を囲む道を2度、3度と振り返りつつ、あたりに目を走らせた。
「大丈夫よ」
すぐにそう答えたのは、やはりマリアだった。彼女は2、3歩進み出て、ロメオの巨躯を見上げた。
ロメオは改めて、いぶかしげにマリアをまじまじと見る。
「なんでそう言える」
「安心して。追っ手は来ない。あの娼館とは正式な契約解除の手続きを済ませて出てきたから」
「どうやって? てかあんた、本物のマリア・リベルテか?」
「どうしてそう思うの?」
首を傾げて聞き返すマリアに、なおも鋭い視線を向けながらロメオは答えた。
「素顔を見せたことがねえと聞いている」
「それ、どこ情報?」
返事につまったロメオを見上げて、マリアは微笑んだ。
「わかったわ。あなた、後方支援者なのね」
「よせ」
ロメオは低く制止の声を漏らすと、再びちらりと周囲に目を走らせた。
カナリーはルビーにしがみついて泣きじゃくっている。ルビーは戸惑い顔で受け止めている。ジュリアは不思議そうにそれを見ている。親方は手もとに戻った荒縄を素早くまとめて麻袋にしまいながら、少女たちを見守っている。
マリアとロメオのいまのやり取りを気に留めた者は、どうやらいないらしい。
「素顔を見せていなかったのは本当よ。いまはだれかに依頼されたわけじゃなくて、個人的な理由で行動していたのだけど」
マリアはロメオの傍らに来て、小声でそう返した。それから振り返って目でジュリアを示す。
「さっきあの子に見破られてしまったの。同じ人物だって。顔の一部のパーツを一度見たら覚えられて、同じ人物かどうかわかるんですって。あの子、敵に回したら怖いけど、味方として心強いのではなくて?」
「彼女はカルナーナ政府専属の秘書官だ」
「まあ」
マリアは肩をすくめ、厄介な相手に正体を知られてしまったかも、とつぶやいた。
「カナリーの救出を、だれかから組織が依頼されたわけじゃねえんだな?」
念を押すロメオに、マリアは違うわ、と答える。
「個人的に助け出したい人が、ほかにいるの。そのためにはそちらの子──カナリーの助力がいるのよ」
「カナリーが? 一体またなんで?」
およそなんの役にも立たねえだろうあの子は。
ロメオの質問も後半の独り言もまるで意に介さぬ様子で、マリアはにっこり笑った。
「それより移動用の馬車を裏通りに待たせてあるのでしょう。乗せてもらえる? 協力してもらう代わりに、わたしもあなたたちのもう1人の尋ね人を捜すために、力を貸すことができると思うわ」
ロメオはすぐには返事をせず、考え込む顔で眉根に皺を寄せた。
マリアは重ねて尋ねた。
「あの子──ジュリアの弟が行方不明なのでしょう?」
途端にジュリアがさっと顔を上げて、マリアとロメオを交互に見た。"弟"という単語を耳が拾ったらしかった。
「わたしの探している人物は、恐らくカナリーがあの娼館に連れてこられる前に閉じ込められていた宿のどこかにいるはずだわ。カナリーを連れて捜しに戻って、いまから救出する。そんなに時間はかからないと思う。そのあとすぐ、あなたたちの人捜しに協力する」
ジュリアに聞かれていることを意識してか、マリアはやや丁寧に説明の言葉を重ねた。
「マリアさん」
マリアの言葉が終わるのを待って、ジュリアは問い掛けた。
「ジョヴァンニの──弟の行方って、占いでわかりますか?」
マリアは頷いた。
「どれだけ役に立てるかはわからないけど、出来ることはやってみるわ。よければジュリア、あとで詳しい話を聞かせてくれる? ロメオ、いまはまず、カナリーの閉じ込められていた宿に向かいたいの。用意した馬車を使わせてもらえないかしら?」
「ロメオさん、わたしからもお願いします!」
ジュリアが頭を下げたので、ロメオは慌てた。
「いや、お姉さん、あんたの頼みを断るつもりはねえが、いまはみんな疲れてる。そろそろ仮眠が必要だ。第一あんただって、ゆうべは一睡もしてねえ。人間は不眠不休で何日も動き続けられるようにはできちゃいねえんだ」
「時間がないの。接触の痕跡がカナリーに残っているうちに、追跡したいの」
「接触の痕跡? なんのこっちゃわからねえが、そりゃ、あんたの特殊能力で察知するたぐいのもんなのか」
「来ればわかるわ」
マリアはそれについてはここで説明をする気はないらしかった。
「一緒に来るのはカナリーだけでもいいけど、あなたはどうしたい?」
最後の言葉はジュリアに振ったものだ。迷いもためらいもなく、ジュリアは頷いた。
「わたし、カナリーさんと一緒にマリアさんについていきます。なんでしたら、ロメオさんの用意した馬車で他の方は帰って休んでいただくとして、わたしはちょっと行って別の馬車を呼んできます!」
ジュリアにそこまで言われては、ロメオも譲歩せざるを得なかった。
***
馬車の中でもカナリーは泣くだけ泣いて、やがて泣き疲れて眠ってしまった。
「いい気なもんだぜ」
ルビーの横で、ロメオがそう、溜め息をつく。
「ほんの3日ほど前にロビンに向けてさんざん罵詈雑言を吐いたことなど、気にも留めてねえんだろうなあ……」
ロメオの言葉を聞きながら、ルビーはさっきのカナリーの言葉と、いつか見世物小屋で、水槽の中から救い出してくれたときのアートに向けた自分の言葉を重ねていた。
「どうしてあたしを助けてくれたの?」
グスグスと泣きながら、カナリーはルビーに聞いてきたのだ。
どうしてと聞かれても、確たる答えはない。レイラに火焔吹きのことを頼まれたから。亡くなった火焔吹きが大切に思っていた女の子だから。火焔吹きのことを気にしていたレイラや、アートが気にすると思ったから。
船の上でレイラがロクサムを看ていてくれたのも、多分同じ理由だ。同じ種類の感情だ。相手に対して直接の、特別な何かがあるわけではないのだ。
レイラはロクサムのことを苦手だと言っていた。にもかかわらず彼女がロクサムを気にかけてくれたのは、ルビーの気持ちを汲んでくれたからにほかならない。
──噛みつかれても大した痛手じゃないよ。
あたしがあなたを嫌っていると思っていたのにどうして助けてくれたの。そうルビーが聞いたとき、そんな風にアートは答えたのだ。
ルビーの気持ちは大した問題じゃない。相手との関係が変わることも望まない。彼はそう言ったのだ。助けたのは自分自身の問題だからと。
あのときのアートの返答にはルビーはむかっ腹を立てただけだったが、もしも同じ意味の言葉をルビーがカナリーにいま言ったとしたら、カナリーを傷つけてしまうような気がした。
カナリーは相当参っているように見えたし、いまごろになって火焔吹きが死んでしまったことを噛みしめているようにも見えたからだ。
一人は辛い。
少女の目が、そうルビーに訴えていた。
もっともルビーにはどのみち、カナリーにどんな言葉をかけることもできない。ロクサムを侮辱したことに対してのわだかまりは消えたわけでもなかったし、できることならもう一度文句を言いたい。いまのカナリーが、ルビーの言葉に少しでも耳を傾けてくれる気になったのだとしたら。
みんなが巡業から戻って、カナリーがブランコ乗りの弟子に戻って、またロクサムとカナリーが見世物小屋でばったり出会うことがあっても、二度と彼を傷つけるような言動をとったら許さない。そうはっきり口に出して言いたい。
けれども否定的な言葉であれなんであれ、いまのルビーには声に出して告げることはできないのだ。
そういえば、と、ルビーはさっきのカナリーの不可解な質問を思い返す。
カナリーはぐずぐずと泣きながら、ふと気づいたように身を起こし、どうしてだかルビーに聞いてきたのだった。
「ねえ、念のため聞くけどロビン。あんたってば、あたしを食べたりはしないでしょうね?」
食べる?
なんのことかわからないルビーは首を傾げるしかなかった。
ややあってカナリーは、いいわ、と首を振った。
あとの言葉は口の中でぶつぶつ言うだけの独り言だった。ロビンが変身するっていったってあんな大きな口が出来るわけじゃなし、考えすぎよね、とかなんとか。
どうやら一人で納得したようだった。
馬車の前側の座席にはマリアとジュリアが隣り合って座っている。
親方とは、馬車に乗る前に鍛冶屋街で一旦別れた。午前中に人と会う約束があるのだという。
あとでまた、宿の方に顔を出すことになっている。
カナリーがその意味のわからない質問をしてきたのは、マリアとジュリアが話をしているさなかだった。マリアはそのとき、ジョヴァンニの失踪についての説明をジュリアから聞いていた。
ルビーが実際に目の当たりにし、既に何度か話題にもなっていたアントワーヌ・エルミラーレン殿下の襲撃事件。その顛末をジュリアから聞きながらも、カナリーの声にもマリアが耳を傾けている気配を、そのときのルビーは感じていた。




