60 決別の夜
それから続く3日間のうちに、ルビーはロメオとともに街を走り回り、これまでにないほどたくさんの人たちに出会った。
ロメオは実に頼りになる捜査の相棒だった。
カナリーが消えた晩に辻馬車が呼ばれていたことを、座員の一人の話から突き止めた。副座長とカナリーを乗せたと思われる辻馬車を捜し出して、御者に話を聞いた。
取り引きがなされたと思われる店を突き止め、担当の給仕から聞き出して、取り引き相手の人物を特定した。
話を聞く相手によって、ロメオは鮮やかにその態度を変えた。ときには作り話で相手の気を引き、金品を握らせて懐柔したりもした。そのずば抜けた容貌を利用して、さりげなく相手を威圧することもあった。
親方は、日中に行う捜索には同行しなかった。というよりできなかった。
アートが自分の代りにルビーに空中ブランコを教えてほしい、と話を持ちかけたときは、時間ならあると安請け合いをしていた彼だった。ところが、結局こちらでの建築の仕事に引き続きかかわってしまったらしく、ルビーの稽古はその合間を縫ってのこととなってしまっている。
にもかかわらず、きっちり指導にあてる時間は絶対に必要だといって、親方は譲らなかった。
稽古の時間はちゃんと取るべきだ。これから空中ブランコで生きていくつもりなら、空中技に費やす時間は、常に日常の一部でなければならない。そうでなければ命にかかわる。
親方はその信念だけはゆるがせにするつもりはないようだった。
日が暮れてからは、ルビーの代りに親方がロメオと行動をともにした。
夜間は連れて行ってもらえないルビーは、せめて日中はなるべく捜索に時間を費やしたいと思ったから、練習は毎日の早朝に当てることにした。親方はかえって時間の都合がつけやすかったらしく、出勤前に毎日見世物小屋に寄って、ルビーの特訓にアドバイスをくれた。
バランスを取って歩く訓練。筋力をつけるトレーニング。身体を柔らかくするストレッチ。日々それらの精度を上げていく努力を続けるとともに、ルビーは実際に一定の時間を大天井で過ごすことにしている。
逆立ち歩行や、側転、バク転の指導も受けた。大天井で普通に歩いたり走ったりするのと同じ安定感でそれらをこなせるようになることが、さしあたってのルビーの目標となっている。
ロメオは朝ルビーを送ってくれたあとは練習が終わるまでずっと、見世物小屋に停めた馬車の中で仮眠をとっていた。ルビーの決めた早朝練習スケジュールに一番迷惑をこうむったのは、朝に弱いロメオだったかもしれない。
カナリーを捜すにあたっては、事前に奥さまの許可をいただく必要があったが、最初に事情を話したとき奥さまは、うらやましそうにこうつぶやいた。
「警備兵のロメオと人探しするなんて、楽しそう」
「楽しみでするわけじゃありません」
カナリーの切羽詰まった事情を考え、ルビーは思わずそう反駁した。
すると奥さまは重ねて主張した。
「でも、きっと楽しくてよ。だってロメオと一緒なのですもの」
この3日間で、どうして奥さまがあんなことをおっしゃっていたのかをルビーは理解した。それとともに、ロメオは実は只者ではないのだと、ひしひしと実感するようにもなった。
喧嘩が強いのは見たまんまだったが、なかなかどうして口も立つ。相手を怒らせて一触即発の空気の中で、今度は無言で圧力をかけてびびらせたあと、ちょっと持ち上げて安心させて口を割らせる。
やり取りのタイミングというか、その間合いを測るのが上手いのだ。
繁華街の一角の店の奥で、副座長は女と取り引きを交わしていた。表向きはとある宿の女将さんだったが、裏で女衒を生業としている女だった。彼女はその副業を、特定の娼館とだけ秘密裏に取り引きを交わすというやり方で営んでいるらしい。そういったやり方をする奴隷商人は、ギルドには所属していない可能性が高いとロメオは言った。
女衒という言葉も娼館の意味も知らなかったルビーに、ロメオはひどく言いにくそうに、それらのシステムを説明してくれた。若い女性を相手にその種の説明をしなければならないことは、彼にとってひどく不本意なことであるらしかった。
「大変! すぐに助けに行かなくっちゃ」
話を聞いて慌てるルビーに、ロメオは渋い顔になった。
「まだ連れて行かれた先までは特定できていない。できたとしても、助けるのは難しいぜ。やみくもに突撃しても、追い返されるだけだ」
聞き込みで明るみになったカナリーの行き先は、目撃談を辿る限りでは、女の取り引き相手の娼館どはなく、女将自身の宿だった。
女の経営していた宿に一旦連れられていったところまでは、目撃者を捜して辿ることができた。きらきらしい金髪の、お人形のように綺麗な少女は、その場にいるだけで通りすがりの人の目を引いたらしい。
だが、そこから先がわからない。
わからないというよりも、宿の敷地に入ったところで、ふっつりと少女の行方は途絶えていた。
女将の宿は特に色宿などではない、旅行者が泊まるだけの普通の宿泊場所だった。下働きをさせられているなどという様子もなく、どこかの部屋にいたという目撃者も出てこない。 順調に行方を辿ることができるかと思われた捜索は、そうして突然行き詰った。
ハマースタインの奥さまの出発日は、すぐ目の前に迫ってきていた。
明日には執事を含むほとんどの使用人とともに、お屋敷をあとにする。
船医として船に乗り込んだデュメニア大臣からルビーが聞いたことと同じ内容を、奥さまは首相から伝えられていた。そのうえで、なるべく早くブリュー侯爵城まで来てほしいと要請されたとのことだった。
副座長の悪だくみの話をロメオから聞いたジゼルさまは、自分たちのいない間、二人が見世物小屋に泊まらせてもらうという案を、あっさりとひるがえした。
その代わり、見世物小屋から歩いて行ける距離にある宿屋に予約を取った。1階が小料理屋になっているアットホームな宿だ。隣り合わせで2部屋分。ルビーとロメオは、あすからひと月ほどそこに滞在することになっている。
最後の日。1日走り回って日が暮れる頃帰ってきたルビーに、奥さまはお願いがあるのと言った。
「歌を歌ってほしいの、ロビン」
意味がわからなくて見返すルビーに、ジゼルさまは微笑んだ。
「朝までずっと」
「ずっとですか?」
「ええ、いまから、ずっと。歌ってもらえる?」
「いいですけど……」
これまで聞いていなかった曲数を、ここでまとめて聞いてしまうということなのだろうか?
そう尋ねると、違うと返された。
曲は何でもいいのだと。同じ曲を繰り返してでもいいし、違う曲でもいい。ただ、途切れさせないように、ずっと歌い続けていてくれさえすれば。
「どう? できる?」
やってみますといいかけたルビーに、奥さまは首を振って念を押した。
「やってみる、では駄目。途切れることなく朝まで歌い続けると、約束してちょうだい」
首相から遣わされている護衛官によると、奥さまは潜在的に大きな魔力を持っているらしいが、ほとんどの魔術は使えない。それでも、言葉に魂魄を乗せるやり方は、いつかの手ほどきの際にマスターしたらしかった。
「わかりました。奥さま、お約束します」
奥さまの放つ言葉に乗せて働きかけてくる強い魔力を感じながらルビーは、そのことに何の意味があるのかわからないまま、頷いた。
ロビンというのはルビーの本当の名前ではない。
だからかつてはそれを理由に、襲撃者アントワーヌ・エルミラーレンの発する言霊の魔術を撥ね退けた。
けれどもその一方で、ロビンという名前をルビーは受け入れ、自分のものとして人間の世界で使っている。そのためかどうか、奥さまと約束を取り交わしたその瞬間から、ルビーは自分の内側の何かが強く引き寄せられるのを感じていた。
あるいは奥さまが、ロビンという名前をルビーに与えたその人であることも、魔力が強く作用する原因だったのかもしれない。
奥さまの言った、朝までずっとというのは、本当にそのままの意味だった。
休みながらではない。ルビーはずっと歌い続けていることを要求されたのだ。
ロクサムに教えてもらった2つの歌。楽団の人たちから教わった歌。裏方の女の人に聞いて覚えた数え唄。ほかの座員がきまぐれで教えてくれた歌。声楽の先生に習った歌。耳に留めた流行歌……。数々の歌を、ルビーは延々と歌い続けた。
「気を抜かないで、大きな声で、しっかり歌ってね」
何曲歌い終わっても、ルビーが休むことは許されなかった。
「そのまま次の曲を。途切れさせないで」
奥さまの声はルビーの中の何かに直接働きかけてきた。歌いながらルビーは、目には見えない大きな力が自分の内側から溢れ、周囲を取り巻くように渦巻きながら流れ出していくのを感じた。
その日、ジゼルさまは喪服を脱いで、華やかな貴婦人のドレスに着替えていた。
よく似合っていたが、ハシバミ色のその目は石のように静かで、感情のようなものは底の方に沈みこんでいて読みとれなかった。歌が途切れそうになるたび、声が弱まりそうになるたび、奥さまはただ一言、続けて、とだけ静かに繰り返した。
それでも最初の何時間かは、アンクレットのサポートもあってか、何のさし障りもなく歌い続けることができていた。
また、歌うこと自体はルビーは好きだった。自分の身体の中をめぐる水が、浄化され、整っていくような心地がするのだ。背筋をすっくりと伸ばし、歌声に乗せて思いや感情や祈りを含む、心を揺さぶるもろもろのものを解き放つ。
けれども歌い続けるうち、次第に流れが強くなっていき、自分の器を超えたエネルギーの奔流になっていくことに気づいた。紡ぎ出す歌が、声が、響く韻律が、自分の内側の何かを絞りとって解き放つ力が増していき、次第に大きな負担を強いてくる。
声も次第に嗄れていき、最後にはひび割れたひどい声になっていった。朝方には喉を刺すような痛みに苛まれながら歌い続けることとなった。そうなってさえも、奥さまはやめていいとも、休んでいいとも言わなかった。
しかも、一切伴奏のつかない歌は、前奏や間奏のあいだちょっと休むということもできない。力を込めて、常に歌い続けなければならなかった。休むことなく。途切れることなく。終わりのない波のように。吹くことをやめない風のように。
喉が嗄れて、ひどく痛みだしてからも、言霊の魔術の契約に縛られているためか、ルビーは歌いやめることはできなかった。
魔力が研ぎ澄まされた魔術としてその場に作用するとき、ちっぽけな意思の力では押しとどめようのない大きな流れをつくることを、ルビーは知った。
痛みと疲労が重なり合って押し寄せてきて、しまいには立っているのもやっとに思えてきたが、そんなこととはまったく関係なく、憑かれたようにルビーは歌い続けた。声が嗄れても痛んでも、喉が裂けて血が噴き出るのではないかと感じても、変わることなくたゆまなく、声をとぎらせることすらなく。
「いいわ。ありがとう」
奥さまがやっとそう言ってくださったのは、広間の柱の向こうから、まばゆい朝日が差し込む時刻になってからだった。
喉が激しく痛み、立ちくらみがした。
崩れるように床に座り込むと、ルビーの意識はそのまま遠のいていった。
床に倒れ込んだルビーのもとに膝をつき、奥さまはルビーの頬にそっと手を伸ばした。
「本当は、こんな風に無理やりあなたから力をもぎとるようなことはしたくなかったのだけれど」
つぶやくような奥さまの声を、ルビーは夢うつつに聞いた。
繊細な細い指が、慈しむような動きで頬から額に滑り、ゆっくりとルビーの髪を撫でる。
「時間がないの。許してね、人魚。あなたにとってこれが、わたくしと寝所をともにすることよりはましなことなのかどうか、本当はわたくしにはわからない。でも、いつかあなたがだれかと恋に落ちたときに、このやり方でよかったと思ってくれるかもしれないから……」
奥さまのおっしゃる意味がわからなくて、ルビーは目を開けようとした。
けれども、聞き込みで走り回った昼間の疲労に、夜通し渾身の力で歌い続けた疲労が合わさったルビーの瞼は、意思に反して重く閉ざされたままだった。
「楽団の人たちへの約束を、果たすことができなくしてしまって、ごめんなさい」
薄れていく意識の中で、奥さまがそうつぶやくのをルビーはぼんやりと聞いていた。
それがジゼルさまと過ごした最後の時間になることなど、そのときのルビーには知る由もなかった。




