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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[四] 一座の巡業と貴婦人の旅立ち
59/110

59 奴隷商人ギルド

「本人が行くと言ったんだよ」

 ルビーの追求にもひるむことなく、副座長はぶっきらぼうに言った。

「子どものないご夫婦のところに引き取られていったんだ。火焔吹きだって死ぬ前に同意していたんだからな。あの子は芸人に向いていなかったから、ちょうどいいんじゃないかと喜んでたんだ」


 副座長は火焔吹きを看取ったのだとうそぶいているが、本当は火焔吹きの最期には立ち会っていないのではないかとルビーは疑っている。

 けれども疑いを口に出してみたところで、根拠のない言いがかりだと一蹴されるだけだとも思う。

 行先を教えてほしいというと、断られた。それでも知りたいのだと食い下がるルビーに対し、副座長は顔をしかめて舌打ちをした。


「いいかげんにしてくれ。いいか、行き先は教えるなとカナリー本人から強く言われているんだ。あんたには関わりたくないそうだ。これは本人の願いなんだからな。ロビン、あんたもカナリーにあんだけ嫌われてるってのに、なんでそんなにしつこいんだ?」


 そこでルビーは、座長はこのことを知っているのかと聞いた。座長は、カナリーとルビーにコンビを組ませて空中ブランコ乗りにするつもりだったからだ。そして、座長は自分の思いつきが気に入っていたらしく、ずいぶんとこだわっていたようにルビーには思えたからだ。


「関係ない」

 副座長は噛みつくようにそう答えた。

「そんなのおまえの知ったこっちゃないだろう? 第一、座長が留守の間のことは一切おれが仕切っていいことになってるんだ」

 結局、副座長は何も教えてくれず、しまいには邪魔だから出て行けと叩き出された。

 ルビーは他の座員にも当たってみたが、副座長以外のだれ一人として、カナリーがどこのだれに引き取られていったのかを知る者はいなかった。


 その日の練習は後回しにして、親方とは角突き合わせて話し合った。

「売られた可能性がある」

 ルビーの説明を聞いてすぐに、親方はそう結論づけた。

「子どものいない夫婦が養子をもらうのなら、普通はもっと幼い子どもが対象だ。あの子はもう15歳なんだろう? 働いていてもおかしくない年齢だ。つまり、どこかで働かせるために連れていかれたんだ」


 親方のいうことはもっともだと、ルビーも思う。

 そもそもカナリーは火焔吹き以外に身寄りがいなくて、見世物小屋に身を寄せたのだと聞いている。そんなにタイミングよく引き取り手が見つかること自体がおかしい。


 なぜかその場には、ハマースタインのお屋敷の警備兵であるスキンヘッドのロメオもいた。

 ちょうど見世物小屋までルビーを送ってきてくれたものの、着いてすぐにカナリーがいなくなったことを聞いたため、帰らず、そのまま話し合いに参加していた。

 関係のない人間が話し合いに加わる必要はないのではと不審顔の親方に、そうでもないのだとロメオは説明した。

 きのうハマースタインの奥さまと契約更新して、ロメオがルビー専門の護衛を担当することが決まったのだそうだ。ルビーがこの件に首を突っ込むつもりなら、当然ロメオも手伝うことになるのだと言われた。

 ルビーは奥さまからまだその話を聞いていなかったので、それは確定なのと聞き返したら、正式に決まったことだとロメオは頷いた。


 奥さまは、幾人かいるお屋敷の警備兵のことは、とりわけ大切に扱っている。特にロメオに対しては日頃から絶大の信頼を寄せているように見える。

 聞いた話だと、彼はまだまだ20代前半の若者だそうだ。だが、見た目が人間離れした岩のような巨漢であるため、老けてみられがちだ。実年齢よりも老けて見えるということは、頼もしく見えるということでもある。決して美形とは言い難い恐ろしげな容貌であるため、奥さまからの容赦ない誘惑にさらされるという憂き目にも遭わずに済んできているらしかった。それが幸いしてかどうか、彼はお屋敷に勤めてもう何年にもなるそうだ。


「これから話すことは他言無用だぜ」

 ロメオはそう前置きをして、もう少し詳しい話を親方に伝える。

「ゆうべ、首相から要請があってよ。奥さまのブリュー侯爵領入りが前倒しになることが、急遽決まったんだ。

 ロビンは侯爵城へは同行せずに、当初の予定どおりひと月ほどは、街にとどまることになる。その間、空中ブランコの特訓を続けられるってわけだ。師匠、あんたの都合が悪くなけりゃだがな。そのあと一座に合流するために、リナールの巡業予定地を目指す予定だ。

 使用人は執事を筆頭に、ほとんど全員奥さまに同行することが決まった。ハマースタインの屋敷は無人になる。だから、街に残っている間はロビンもおれも、見世物小屋に移ってきて空いた部屋を借りて住まわせてもらえねえかって話になっててよ。きょうあすにでも、ハマースタイン邸から正式な使いを出して、一座に申し入れをするつもりだって奥さまに言われたところだ」


 話を聞いて、親方は難しい顔になる。

「正式にここに申し入れをする前に副座長のことを、あんたの雇用主の耳に入れといたほうがいいんじゃないか? 今度のいきさつを聞いた限りじゃ、やつはロビンに対してだってどんな悪だくみを仕掛けるかわからんぞ」

「ああ、そのつもりだ。だから話を聞きてえんだが、まずいかな?」

 そういうことなら、と親方は納得したようだった。


 きょうはルビーは親方の都合に合わせ、午前中だけ見世物小屋にいて、お昼にはお屋敷に戻る予定にしていた。時間にして3時間足らずだ。どのみち迎えに来る時間まで、ロメオは近くの市場あたりをぶらぶらして時間をつぶすつもりだったらしい。

 髭面で長身で筋骨隆々とした親方と、その親方のさらに2倍ほども筋肉をつけた、ごつい格闘家のような強面のロメオが並ぶと、これから一体どこの道場に殴り込みに行くのかと聞きたくなるような、ものものしい雰囲気が漂う。

 そこにルビーが混ざることで、一見どういった集まりなのかよくわからなくなった3人組が、椅子に座り、食堂の一角を陣取っていた。


「あいつ──副座長だったか? あの澄ました野郎をぎゅうぎゅうに締め上げて、力づくで吐かせたらどうかな」

 真面目な顔をしてロメオがそんな物騒なことを言うので、親方は苦笑した。

「そんなことをしても、恐らく警察を呼ばれて終わりだろうな。それに、あんたも暴力沙汰は自重した方がいいんじゃないか? ここに住まわせてもらうかもしれんのだろう?」

「師匠、あんた以前、見世物小屋にいたんだよな? だったらあの糞野郎が、ほかにも悪だくみをめぐらすところに出くわしたりはなかったのか?」


 ロメオの質問に、親方は首を振った。

「副座長はおれは知らん。5年前、おれがいたころはまだ幹部ではなかった。どこで見世物小屋に入ってきたのか、いつ座長の次の地位についたのか全然知らん」

 黙って聞いていたルビーは、思わず親方の顔を見た。親方が副座長を知らないというのは、ちょっと意外だった。副座長は他の幹部の人たちとともに、ずっと以前から見世物小屋にいたのだと思っていたのだ。


「とにかく──」

 親方は難しい顔で腕組みをする。

「ああいった手合いはえてして一筋縄でいかないものだ。今回のことも証拠が残らないように用意周到に立ちまわっているはずだ。締め上げて簡単に吐くとは思えない」

「へえ、そうかな?」

 なおも不満げなロメオに、親方は違う提案を持ちかけた。

「それよりも、ギルドに直接当たってみてはどうかと思うんだが」


「ギルドってえと、奴隷商人ギルドのことか?」

「ああ、手違いで売られてしまった少女がいるかもしれないといって、調べてもらったらどうだろう」

 ギルドと聞いて、今度はロメオの方が難しい顔になる。

「親方、あんた、奴隷商人ギルドがどういう組織か知らねえんだな」

「どういうことだ?」

「ありゃあ、とんでもねえ閉鎖的な組織だぜ」


 ロメオは親方とルビーを交互に見ながら、両方に向けて説明をくれた。


「まずあいつらは、顧客の情報は外部に漏らさねえと思った方がいい。しかも、買い取られた人間は近隣での取り引きはされねえことになってんだ。すぐに組織の別のグループの人間に引き渡されて、別の町に連れていかれて売買されるから、足取りもつかみにくくなってる。しかしまあ、今回はギルドが関わってねえ可能性もあるんじゃねえか」

「なぜそう思う?」

「ギルドを利用した場合は、法に照らし合わせての一定の制約があるからさ。まるで無法組織みてえだが、奴隷商人ギルドの手がける売買は原則的にはとりあえず合法だ。特にカルナーナ正規市民の売り買いに関しては、市民権による制約を守るためのガイドラインを設けているという話だ。といって、外の人間が突っついても動きゃしねえがな。

 ギルドに加入している商人を通すよりも、違法な裏取引の方が簡単に、高額で買い取ってもらえることもあるのさ。だから、危ない橋を渡る人間が絶対いねえとは限らねえ。けど、まあ、高額で取り引きされる価値があるって場合だけだな。あの糞野郎がどこにどれだけあの金髪娘を吹っ掛けたかは知らねえがな」

 そこまで言うと、ロメオは不機嫌そうに、鼻に皺を寄せた。


「ギルドもギルドを出し抜く違法な組織だか個人だかも、多分、一筋縄じゃいかねえ。その副座長とやら以上にな。ていうか、あいつ殴り回しちゃ駄目かなやっぱり。それか、もういっそ、このまま放っときゃいいんじゃねえの?」

 言いながらロミオはルビーを見た。


「あの子、この間はえらい剣幕でわめいていただろ。ロビン、あんたを嫌いだとかなんとかさ。おやじさんが亡くなって取り乱してたのはわかるが、なんというかなー、あの態度はねえんじゃねえか? 苦労して探しにいっても、きっとこれっぽっちも感謝なんかされないぜ。悪態つかれて追い返されるだけじゃねえか? 第一本当に、運よく引き取り手が見つかったかどうだかで、ここにいるのが嫌になって、もらわれていったのかもしれないぜ」


「ロメオといったか。あんたは関係ないかもしらんが、あれは一応おれの空中ブランコの孫弟子にあたる。ここにいるロビンのきょうだい弟子だ。もっとも本人は、あまり空中ブランコをやる気はなさそうだったがな。連れ去られたのか自由意思で去ったのかの確認ぐらいはきちんとしておく必要があるんだ。あとで弟子のアートに説明するためにもな」


 ルビーは考えた。もしかすると本当に、肉親を失ったことで、カナリーが自暴自棄になってしまって、副座長のもちかけた話に安易に乗ってしまったのかもしれない。

 それでもカナリーは言っていたのだ。アートの空中ブランコのパートナーになりたいと。練習に身が入らなかったのは事実だけれども、必死な顔でルビーに頼みごとをしてきたカナリーの、アートに向ける気持ちが嘘だったとはルビーには思えない。


 ルビーがカナリーに関して責任を感じる理由は二つある。

 ひとつは火焔吹きを助けることができなかったことへのせめてもの償いのようなものをしたい気持ち。レイラに託された願いを果たすことができなかったというのもある。そして、その気持ちの中には、ルビー自身がもっと早い段階で副座長の悪だくみに気づいていればという悔恨が混ざっている。自分の判断一つでこの事態は防げていたかもしれないと考えると、ルビーは苦い思いでいっぱいになるのだ。


 もうひとつは、アートの代りに動くという意味合いがある。出港の日、もしもアートが火焔吹きのことを知って船を降りていたら、必ずカナリーを探し出して、いま彼女がどんな状況に置かれているのかを確かめているに違いない。

 いや、それ以前にアートが見世物小屋にいたら、カナリーが人知れず行方不明になるという事態は避けられていたかもしれなかったのだ。


 火焔吹きが副座長の悪だくみにさらされていることを、レイラは故意にアートに告げなかった。

 それは、彼女なりの判断だったのだとは思う。

 レイラは、アートが船を降りて火焔吹きを救ったあと見世物一座に合流しようとしたときに、カナリーがお荷物になって彼が窮地に立たされるだろうと考えたのだろう。

 カナリーが連れて行ってと頼んだら、きっとアートは断れない。副座長の悪だくみから守ってやってくれと、火焔吹きからもよろしく頼まれるかもしれない。そうしたら、どんなに負担になっても、アートはカナリーを旅に同行させるだろう。

 レイラはそんな風に考えて、それをアートに知らせることなくルビーに託したのだ。


 同じ年頃のルビーの目から見ても、カナリーは幼い。無邪気ともいえるその言動は、どうしようもなく危なっかしくて、見ていてハラハラする。

 そして、そういうものを、たやすく他のだれかに託せるほどには、多分アートは、他人を信用していないのだ。

 自分で行動しなければ気がすまないというのは、多分そういうことだ。


 ふと、ルビーは気づいた。もしかすると、レイラの目から見ると、アートも危なっかしく映っているのかもしれない。


 以前からルビーには疑問に思っていることがある。

 ハマースタインの奥さまのところに夕食会に呼ばれ、一人残されてしまった日のこと。

 あのときアートは強引に押し掛けてきて、自分が代わりをするからといって奥さまを懐柔してしまった。

 もし、ルビーが呼ばれたのがハマースタインの奥さまではなく、だれか別の、たとえば男性の後援者だったらどうだったのだろう。

 アートはルビーを助け出すことを諦めていたんだろうか。

 違う気がする。自分が代わりをできない、そういう相手だったら、彼はもっと物騒な手段に訴えたのではないだろうか。

 賊を装って寝所に忍び込んで後援者を脅すか、もしかしたら喉首を掻っ切ることぐらいはやってのけていたのかもしれない。


 アントワーヌ・エルミラーレンの襲撃があった日、少年ジョヴァンニが操られて切りかかっていった剣を拾って手にした彼が、危なげなくそれを使いこなしていた姿を思い出す。

 ほっそりとした優美な立ち姿にそぐわない落ち着き払ったその様子は、彼が命のやり取りなどなんとも思っていないことを示しているように、ルビーには思えた。

 考え過ぎだろうか?


 そういえば、いま目の前にいるスキンヘッドのロメオも、あのときその場にいたのだった。

 ロメオはアートを助けようとして制止され、あっさりと思いとどまっている。あのときアートが決定的な危機にいるわけではないと、多分ロメオは知っていたのだ。

 目の前にいる大タコのような巨大な無毛の若者は、ルビーの知らないアートの別の面を知っているのかもしれない。


 そんなことをつらつらと考えていたルビーは、ふと我に返る。

 ロメオがルビーの知らないアートを知っていたからといって、それがどうだというんだろう?

 レイラから見て危なっかしかろうが、大人でなかろうが、少なくとも彼は、ルビーよりはしっかりとした大人だ。

 ルビーの心配は、余計なお世話のような気がした。する必要のない、まったく無駄な心配だ。そう思うとなぜかかえって、ルビーは苦しいような胸が締め付けられるような、わけのわからない痛みを感じて戸惑った。


 それでもルビーのできることだってある。

 アートが助けたいと願っているであろうあの少女を、代わりに助けるのだ。


「ロビン、あんたはどう思うんだ?」

 ロメオが振り向いて、ルビーにそう問い掛けたので、ルビーの物思いは中断された。

 ルビーは頷いて自分の考えを口にする。

「あたしも、カナリーに会ってきちんと確かめたい。ほんとに見世物小屋に戻る気はないのか、空中ブランコをやめるつもりなのかどうか」

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