54 再会
レイラの話が出たところですぐ、建設大臣はルビーの用件に再び話題を戻した。
きのうのいきさつについてルビーは、なるべく手短にまとめながら説明をする。
大臣はルビーの話に、真剣に耳を傾けてくれた。
町医者に痛み止めを渡された話をしたら、処方箋は出されなかったか、と大臣に問われた。そこでルビーは、きのう痛み止めとともに渡された老医師の書き殴った紙切れを出してきて渡した。残りの痛み止めそのものは、チェロ弾きがロクサムの服のポケットに直接突っ込んだと言っていたから、そのことも大臣に伝えた。
ドラティア提督は、ルビーの訪問目的が貴族の政権奪回とやらのぶっそうな話とは無関係であることの確認だけ済むと、ルビーを医務室に残したまま、どこかに行ってしまった。
昼前には船は出港するのだという。
提督は旅には同行しないので、船長やほかの乗組員たちと、もう少し打ち合わせがあるのだという。
ルビーはデュメニア大臣に連れられて、座員たちのいる客室へと向かった。
船内の廊下は小さな明かり取りの窓によってだけではなく、見たことのない四角い金属製の燭台の灯に照らされてほの明るい。
大臣と並んで歩いていたルビーは、四角い金属の枠の中で燃える炎の燃料が気になって、通りすがりに上からつい覗き込んで見た。
「カンテラだよ」
傍らの大臣が説明をしてくれた。
「燃料は油だ。倒れたり強い風にあおられたりすると自然に消えるようになっている。また、容器の構造上、倒れても燃料はこぼれないようにつくられている。船上での火事を防いでくれるんだよ」
「この油は、静かに燃えるんですね」
火炎吹きの吹き出す華麗な炎を思い出しながら、ルビーは聞いた。
「油にもいろいろあるからね。きみが興味があるようなら、できれば船の動力機構についても案内をしてあげたいが、出港が近い。時間がないから、ロクサムのところへまっすぐ行くよ」
「はい。お願いします」
幾つかある客室を順に捜していくと、ロクサムはすぐに見つかった。彼は大部屋のうちの一つに寝かされていた。部屋の隅の方でいろんな荷物に挟まれていたが、それでも一応毛布をかけられていた。
ほかに人影はない。
港から船が出発するというのは、一つの大きな行事だ。人々は皆甲板に上がり、陸地に向かって手を振ろうとその瞬間を待ち構えているのだろう。
ルビーが覗き込むと、気配を感じたのか彼は目を開けた。
ルビーの姿によっぽど驚いたのか、ロクサムは思わず身を起こし、次の瞬間痛そうにもう一度うずくまる。
「ロクサム、大丈夫?」
「ロっ、ロビン……どうしてここに? おいら、ロビンは留守番だと思ってた」
「留守番よ。まだ船は出港してないわ。見送りにきたの。それと、お医者さまに診ていただこうと思って……」
「お医者?」
「ええ。この船にはお医者さまが乗ってらっしゃるの。今回のスポンサーのドラティア総督が手配された乗組員の1人で、船に乗った人が病気になったら、診てくださるのですって」
「昨日よりはだいぶいいんだ。痛み止め、効いてる。もう、半分以上使っちゃったけど……」
「まあ、これは1日に何包も飲んでいいものじゃないわ」
ルビーは老医師の説明がロクサムに伝わっていなかったことに戸惑いながら、ロクサムに手渡された薬の包みを確認する。
全部で20包入っていたものが、半分どころか、もう6包しか残っていない。
デュメニア大臣は、横から手を伸ばして、その包みを取り上げた。
「こちらはわたしが預かっておこう。必要なら1日ぶんごと持参するよ」
いぶかしげに顔を上げたロクサムに、ルビーは口を添えた。
「この船の船医さんなの。ロクサムのことを診ていただけないか、いまお願いしたら、一緒に来てくださったの。巡業中でも、どうしても辛かったら、船医さんに言ってね」
「ロクサムだね。船医のジグだ。どこがどう痛むのか、ちょっと診せてもらっていいかな?」
大臣は傍らに膝をついて屈み込み、ロクサムの腕をとって脈を測った。
後ろからそれを見ていたルビーは、廊下からだれかが歩いてくる足音に、振り返った。
ドアの向こうの人物は、入口のところで立ち止り、いぶかしげに顔を上げた。
「人魚ちゃん?」
水の入ったコップを持ち、廊下からちょうど入ってこようとしてしたのは、舞姫レイラだった。
いぶかしげに細められたレイラの目が、隣の建設大臣の姿を映した途端、今度は丸く見開かれる。
「特使! なんでここに?」
自分の言葉に違和感を覚えたのか、レイラは慌てて訂正する。
「違った、いまは特使じゃなくて建設大臣か……いや、そんなことはどうでもいい。なんであんたがここにいるのさ。いや、今回のスポンサーの一人だそうだから、どこにいたってかまやしないけどさ。だけど、もうじき船は出港するんだろ?」
「舞姫フラニー」
脈をとっていたロクサムの右腕を静かに床に降ろしてから、デュメニア大臣は立ち上がった。
「ずいぶんご無沙汰していたが、きみが元気そうでなによりだ。今回わたしは船医として見世物一座の皆さんの旅に、同行させてもらうこととなった。いまのわたしは大臣ではない。ジグとだけ、呼んでくれないか?」
「え? ええっ? 旅に同行だって? 大臣じゃなくて船医? だってあんた、国の仕事は? それに、どうして人魚ちゃんが一緒に?」
混乱状態のレイラに、大臣は手短に説明をする。
「実はある目的があって、素性を伏せて匿名で船に乗り込むことになったのだ」
それから大臣はルビーを振り返る。
「ロビン嬢は、さっき船医としてのわたしを船まで訪ねてきただけだよ。病人が乗っているから診てほしいと彼女に頼まれて、ここには診察に来たところだ」
その言葉でレイラは、水を持ってくるという当初の目的を思い出したらしかった。
「ああ、そうだ、こぶ男、水をもらってきたからまた薬を飲むといいよ」
「すみません、舞姫さん」
横になったままのロクサムは、困ったような、申し訳なさそうな顔になる。
「けど、薬はもう飲んじゃだめだって……」
ロクサムとレイラがこちらを見たので、ルビーはあとの言葉を引き取ってレイラに説明する。
「お医者さまから言われていたの。本当はあの薬、1日に3包までしか飲んじゃいけない薬なの。うまくロクサムに伝わってなかったみたいなんだけど」
「なんだって?」
舞姫が顔をしかめた。
「こぶ男、あんたきょうは、2時間おきぐらいに、これ飲んでなかったかい?」
「おいら……知らなかったんだ……」
ロクサムはしょげた顔になる。
「よく効く薬は副作用も大きいからね」
大臣がなだめるように言った。
「痛み止めは中毒性もあるから続けて飲むのはよくないとされているんだ。しかし、さしあたって深刻な副作用も出ていないようだし、これから経過を見るから心配しなくていい」
「ならいいけど、そもそもあんた医者だったっけ?」
レイラが歯に絹を着せぬ調子で聞いてきたので、デュメニア大臣は苦笑した。
「医師ギルドには所属していないが、薬品の知識ぐらいならある。また、実際に施術が必要なときに備えて、有能な助手が2名同行しているよ」
「つまり、あんたはニセ医者だが、その代わり本物の医者も乗り込んでるってことだね」
為政者でお偉いさんである大臣を前に、ズケズケとものをいうレイラの言葉を、ルビーはただ目を丸くして聞いていた。
しかし、当のデュメニア大臣は特に気を悪くした様子もない。同じ"長"と名前がついていても、座長や黒髭の憲兵隊長と違って威張った雰囲気を持たない人物だった。そして、威張っていなくてもなぜか怖いカルロ首相などともまた違っている。
彼は微笑んで、むしろ楽しげな口調になる。
「フラニー、変わりのないきみとまた再会できて、わたしは嬉しいよ」
大臣の言葉にレイラは一瞬鼻白んだような表情を見せたものの、軽い調子で返す。
「フラニーじゃない。いまはレイラだよ。ジグって呼べばいいのかい? 船医さんでいいんじゃないか? ああ、船医が複数乗っているんじゃ紛らわしいか」
それで、ルビーは思い出した。さっき大ドラティア提督が大臣を船医長と呼んでいたのは、複数の医師が乗船しているからだったのだろう。
「しかし、こぶ男には口止めしておくとしても……」
そう言いながらもレイラがロクサムを見たので、ロクサムは慌てた様子で、うんうんと頷いた。
レイラはそんなロクサムの様子を確認してから、もう一度大臣に向き直る。
「見世物小屋のメンバーは200人以上いる。中にはあんたの顔を見知ってるものもいるだろうから、名前を伏せてっていうのも無理があるんじゃないかい? あんたが船内をウロウロしたら、そのうち噂が広がるんじゃないかねえ、建設大臣にそっくりなやつが乗ってるってさ。あんた、結構目立つから。いかにも貴族って感じの見てくれだし」
「どうだろうね」
そう、大臣は首を振った。
「似ててもまさかと思ってくれるさ。まあ、噂になったらなったでなんとかなるだろう。どの道船はもう出港するからね。それと──」
と、彼は正面からレイラに向き直る。
「舞姫、わたしは君と話がしたいんだが、いま、時間があるなら少し、待っていてもらえないだろうか?」
「話? あたしゃ別にいいけど……」
レイラは落ち着かなさげな表情で、ルビーを見やる。
「もうじき出港だろ? 人魚ちゃんをはしけに送っていった方がよくないかい?」
大臣は、懐中時計を取り出して、確認した。
「では、そのあとで少し、時間をもらえるかな?」
「オッケー。人魚ちゃんはあたしが送って行くよ。で、そのあとここに戻ってきたらいいかな?」
レイラの言葉に、大臣は頷いた。
大臣は再びロクサムの傍らに屈み込み、横になった彼の曲がった背中に手を当てた。
「医療とは違うが、少しの間、痛みを取ってあげられると思うよ」
ロクサムはやぶにらみの目で、不思議そうにデュメニア大臣を見上げる。
黙っているロクサムの代わりに、レイラが横から覗き込んで尋ねる。
「魔術かい?」
大臣は頷いた。
「ただ、そんなにしょっちゅうはできない。プールしておける魔力に限界があってね。我々は体内に魔力を溜めすぎると人としての姿形を保てなくなるんだ」
「なんだいそりゃ」
いぶかしげに、レイラは聞き返した。
「まるであんたが人でないみたいな言い方だね」
「魔力は使い手の人としての器を壊す。それを制御するための技術が魔術で、制御できる人間を術師と呼ぶ。だが、貴族と呼ばれる血統のもののなかには、しばしばそのバランスが悪いものがいてね」
言いながら、大臣はちらりとルビーを見た。
大臣はそれ以上は何も言わなかったが、ルビーには大臣が何かを伝えたがっているような気がした。




