52 提督と船医長
奥さまが持たせてくれた直筆の手紙が効を奏したのか、ルビーは海軍提督みずからの案内で、港に停泊中の船に乗り、船内の医務室に通された。
そこで引き合わされた医者は、船医というよりも、船乗りというよりも、軍人のような雰囲気の男だった。服装は船乗りの着るありふれたものであったにもかからず、彼はまったく市井の人間に見えなかった。
首相官邸から派遣されてハマースタインのお屋敷に詰めている護衛官もそうだったが、びしりと姿勢がよく、身のこなしに隙がない。ルビーを見て穏やかな笑みを浮かべながらも、絶えずあたりを油断なく見まわしているような気配をまとっている。
端正な、貴族的な面立ちの男だった。といって、かのアントワーヌ・エルミラーレンのような陰険な印象はない。体格がよく、どちらかというと骨っぽい印象だったが、といって無骨というほどでもなく、立ち居振る舞いはスマートで洗練されていた。
赤毛──といってもルビーの透き通る炎の赤ともまた違う、濃い赤茶色の髪をしていて、その肌は赤銅色によく日焼けしていた。印象的なのは、太陽の光のような明るいオレンジの瞳だった。
海軍提督もまた大柄な男だった。こちらは海軍のものであるネイビーカラーの制服を身にまとい、帯刀している。制服には、将校の階級であることを示す飾りボタンがついている。
目の前に、軍人然とした偉丈夫が二人いる。ルビーは少々居心地の悪い思いで、海軍総督と紹介された船医を交互に見上げた。
ルビーが変だと思ったのは、ドラティア総督自ら案内役を買って出てくれたこともあったが、もうひとつは船医に対する提督の態度だった。
片や艦隊を率いる海軍提督であり、片や民間のために用意された一隻に乗船しているだけの船医であるにもかかわらず、ドラティア提督の態度はどこかかしこまって、目上の人に対するようなものであったのだ。
「船医長、客人をお連れしました」
ドアを開けて顔を出した船医に、提督は慇懃な口調でそう告げた。
「ハマースタイン夫人の使いの少女です。親書を携えております」
提督はジゼルさまからの手紙を開封したようすもなく、そのままこちらまで持ってきている。
考えてみればそれも変な話だ。
船の専属医にお願いしたいことがある、という訪問の主旨を、ルビーの口から提督に直接伝えはした。だが、貴婦人からの手紙のあて先はそれとは関係なく、提督本人もしくは船長になっているはずだ。
毎日の習いごとで読み書きがずいぶん上達したルビーだったが、奥さまの達筆な崩し字は、まだまだ読み取るのが難しいので、そうだという確証はなかったけれども。
「どうぞ、中へ」
船医は一歩下がって、総督とルビーに部屋に入るように促した。
「提督、それはあなたがご自身でご確認いただけますか」
差し出された手紙を押し戻しながら、医師は言った。
「それと、わたしはいまは一介の医者ですので、今後、敬語はお使いになられぬようお願いします」
「しかし……」
提督は一瞬渋面になったあと、ちらりとルビーに目を走らせた。
「うむ、そうだな」
「いえ、その娘でしたら大丈夫でしょう」
提督の態度を見てとって、船医はすかさず訂正を入れる。
「ハマースタインのところの赤毛の娘でしたら、かの者の使う魔術を退けたと首相から聞き及んでおりますゆえ。……ですが、一応本人の意思を確認した方がよいでしょうかね?」
言いながら船医は、ルビーに向き直った。
どこか野性動物のような輝きを帯びた明るいオレンジの瞳が射抜くようにまっすぐルビーを覗きこんでくる。
「はじめまして。わたしはジグムント・デュメニアというものだ」
「船医長!」
咎めるように提督が割って入ろうとしたが、それを手で制して赤毛の男は言葉を続けた。
「わけあって、今回の船旅に当たっての、見世物一座の出資者の一人となった。こちらにいらっしゃるドラティア総督と、豪商ロガールとの連名だがね。きみは、ハマースタイン家の養女、ロベルタ・ティンバールだね?」
船医に会わせるといわれて引き合わされた相手に、思ってもいなかった正体をいきなり明かされ、ルビーは目を丸くした。
現職の建設大臣で、ゴシップ紙の記事にもなっていた、舞姫レイラとの噂の相手でもある。
続けて彼が口にしたとんでもない言葉に、2度びっくりしながらルビーは答えた。
「あたし、養女じゃありません」
「そうかな。ハマースタインの奥方は、きみに家庭教師をつけて淑女教育をほどこしているそうじゃないか。ゆくゆくは正式に養子縁組を結ぶつもりではないかとの噂だが」
カルナーナ国民の噂好きは、庶民ばかりでなく軍人や政治家の間でも変わらぬものらしかった。
「それはありえないと思います」
慌ててルビーは否定し、いまの自分の立場について、説明を試みる。
貴族ではないとはいえ武功を成した軍人のいる名門の家系に、素姓のしれない、しかも軽業師を目指している娘を入れるというのは、カルナーナの人たちの身分というものに関する意識に照らし合わせてみたら、多分考えにくい。
が、ありえないと考える根拠について、うまく説明できたのかルビーにはわからなかった。
男は短く、「革新的な方のようだし、どうだろうね」と異議を唱えたものの、すぐに話題を変えた。
「ところで、きみは、わたしの正体を聞いてここにきたのか? 奥方は常人ならぬ力で知り及んだのかな。わたしが今回この船に乗っていることはまだ伏せていたつもりだったんだが」
「あのっ!」
そこでルビーは慌てて説明する。貴婦人の使いで来たわけではなく、面会を申し出たのは自身の頼みごとのためであることを。
乗船している座員に友だちがいて、病気で苦しんでいることも。なのに、ほかの人たちが彼を働かせようとしていて、心配なことも。
頷いて耳を傾ける赤毛の男にもっと詳しい話をしようとしたら、ドラティア提督に遮られた。
「船医──いえ、建設大臣! その少女の言葉をそのまま信用なさるのですか? ハマースタインの奥方は先だって、爵位を継ぐことを決めたと聞きましたぞ。これまで廃嫡を希望していたというのは、単なるポーズだったのではありませんか?」
ルビーはぎょっとして提督の顔をまじまじと見上げた。
彼は眉を吊り上げたいかめしい顔で、赤毛の男を凝視している。冗談を言っているわけではなさそうだ。
奥さまの口からは、直接はその話は出ていない。しかし、先日ジゼルさまに打ち明けられた「侯爵領に戻らなければならなくなった」という言葉の意味は、そういうことなのかもしれない。
赤毛の男は笑って、軽い調子でこう答えた。
「すべては首相のお考えがあってのことです。それに、わたしもかつては爵位を返上する前に一度襲爵しておりました。爵位返還はそののちにでも叶いますゆえ。それよりも──」
彼はルビーに視線を戻す。
「ひとつ確認させてもらっていいかな? ロベルタ嬢」
「ロビンです」
登録庁に記録されているロベルタ・ティンバールという名前には、ルビー自身まったく馴染みがない。そう訂正すると、男はもう一度頷いた。
「ロビン、きみは、秘密を守れるかな? ここで知りえたことを外部に漏らさないでいてもらえるとありがたいのだが」
問い掛ける瞳は、できるかではなく、秘密を守る意思を持っているか、と言外に問うていた。
「秘密とは、だれに対しての秘密ですか?」
ルビーの質問に、男はかすかに眉を上げた。
「貴族に対してだ」




