48 新しい後援者
見世物小屋の巡業は、最初は陸路で出発する予定だった。ところが出発の日まで十日足らずに迫ってから、大型の船を一隻貸し出すというスポンサーが現れ、急遽、海路を辿ることとなった。
さらに、そのスポンサーは複数名に膨れ上がった。新たに連名となったものは二人いた。そのうちの一人に、現職の建設大臣であるジグムント・デュメニアの名前が挙がっていた。
大型の船を一隻。その話を最初に持ちかけたのは、他でもない、ブランコ乗りアートの長兄だった。彼は国内では中央から南部にかけて手広く商売を続けて成功させていて、さらには諸外国との取引にも手を広げていた。そして、隣国リナールの複数の港を始めとする各国の貿易港との交易権を保有していた。
例の問題ありのゴシップ紙は、早速それらを記事にした。
『貿易商パウロ・ロガール氏、幼かった異母弟をサーカスに売った過去を悔い、助力を申し出る』
『建設大臣は依然として舞姫に執心のご様子。金と権力にものをいわせて見世物一座ごと抱え込む』
『豪商と空中ブランコ師、試される兄弟の確執』
『権力者の罠。美姫に忍び寄る魔の手』
食堂でそれを読んでいるアートにレイラがつかつかと歩み寄り、ひったくって見出しを一瞥したあと、その場で破り捨てるのを、ルビーは目撃した。
「あーあ、もったいない」
目の前で紙吹雪と化していくタブロイドを見ながら、アートはぼやいた。
「この前訪ねてきたジョヴァンニくんとジゼルさまの続編も載ってたのに……」
「続報じゃなくて続編かい」
辛辣な口調で、レイラはそう返す。
「フィクションだってわかりきってるのに、なぜ読むのさ? やつらをつけ上がらせるだけじゃないか」
「ぼく一人が読もうが読むまいが、連中のやることは変わらないよ。それに、インタビューなしででっち上げた記事の割に、どこから仕入れてきたんだか、真実が時折混ざってるんだよね」
「あんたがいつ、ここに売られてきたんだよ? でたらめもいいとこだろ?」
アートは返事をする代わりに、曖昧に笑ってみせた。
「そういえば……」
アートの様子を見ていて、レイラはふと思い出したらしい。
「この間から、何かの記事をチェックしてるんだっけ? 見たい記事って、一体どの記事なんだい?」
「まだ読んでなかったよ」
アートの笑みが、苦笑に変わる。
「影も形もなくなるほど紙面を引き裂いてからそれを聞かないでほしいんだが……。舞姫、きみは男らしいがさつな性格だから、女性特有のヒステリーには縁がないとばかり思っていたが、実は男女両方の欠点を兼ね備えているんだな。実にきみらしい」
アートに向けて、レイラの鉄拳がうなる。アートは椅子の傍らにひょいと身をかがめて、それをかわした。
***
出港前の慌ただしい空気の中、座長はアートのほか数人の座員を従えて、ちょうど新都に滞在中のアートの兄を訪ねて、挨拶に出向いた。レイラ、ルビー、カナリーのほかに、箱女と鳥女も同行した。
出資の意図を確認することも兼ねての訪問だった。タイプの違う美しい娘3人と、奇妙な容姿を持った二人の女を並べて、相手が何に心を動かされるのかを、座長は図るつもりのようだった。
表敬訪問はごく形式的に終わり、利潤が出た場合の配分の取り決めについても最初申し出た通りで相違ないことが確認された。15歳離れているというアートの長兄は、少女たちにもフリークスにも特に心を動かされた様子はなかった。
30代半ばという年齢の割に見た目が若く、アートをそのまま渋くしたようなハンサムな大商人は、すでに妻帯者で子どもも二人、亡父の放縦を戒めとして、理想的な家庭人であろうと日ごろから心がけているのだという話だった。
兄弟水入らずの話があるだろうからとアートを残し、出発の準備に追われる座長たちは先に帰っていったが、ルビーとカナリーは彼とともに残された。
自分たちがいたら兄弟水入らずではないのではとルビーは思ったが、座長があまりにもそそくさと帰っていったため、抗議する暇もなかった。座長はあとで、自分のいないところでどんな話し合いがなされたのかを、ルビーたちから聞き出すつもりでいるのかもしれない。
空中ブランコの弟子二人が巡業には参加できず南部に居残りになることは、すでに確定していた。
夕食の席では、座長の前では明かされなかった裏事情というのが語られた。それは商売敵の絡んだ話だった。
兄のパウロは常に商売敵らの動向に目を配っていたが、南部港からの他国との貿易に関する最大のライバルの動きが不穏だったので、特に気をつけていたら、見世物小屋のスポンサーになる話が持ち上がっているという。
気になったのでさらに探りを入れたら、多額に出資することで人事に関する権限を手中にして、人気芸人であるアートを演目から外す権利を手に入れて、それをネタに、現在競合している業種から手を引くように、パウロに圧力をかけるつもりであったらしい。
相手にするのも馬鹿らしいとは思ったが、自分と商売敵とのいざこざに巻き込まれて、万に一つでも弟が失業の憂き目に遭っては申し訳ない。
この際だからと一座にもっと好条件を示した上、出資の話を持ちかけた。とっとと約束をかわし、商売敵との取引の話を消滅に持っていった。
ついでだからと、海路での巡業を提案してみる。カルナーナの街道は馬車道が綺麗に舗装されていて移動は随分と楽だが、国境を越えた途端、そうではなくなる。ゾウやライオンなどの生き物や、生き物に与える大量の餌、大がかりな舞台装置、地芸人を始めとする従業員やお抱え楽団や、その他すべてを運ぶためには、海路に勝る手段はないのではないか。
そう提案したら、古くからの座員には船旅の経験があるということで、さしたる抵抗感もなく、受け入れられた。
関所と通行手形の件も問題ない。取引相手と懇意にしている情報屋が各港にいるので、訪問先での公演場所を探すことや、食料品や日用品などの調達もスムースに行うことを確約できる。
競合中の業種というのが、造船業だったから、二重の意味でパウロには好都合だった。
「しかし、あの座長ってのは、一体何者なんだ?」
ひとしきり話し終わったあと、アートの兄は首を傾げた。
「出資の話が決まってすぐに、建設大臣のジグムント・デュメニアが共同出資の案を持ちかけてきた。さらに西部のドラティア海軍総督も連名に連なるというじゃないか。さっき話をした感じでは、そんな各方面に顔の利くような大人物には見えなかったんだが」
建設大臣に直接会ったことがあるのかと尋ね返したアートに、兄は首を横に振った。会ったこともなければ、さしあたって会う予定もない。きょうを入れて3日間しかパウロは新都には留まることはできないので、多忙な大臣に面会する暇はなさそうだということだった。
しかし書面でのやり取りはきちんと行ったらしい。出資内容と一座の動向に関してこちらがかなりの裁量権を持つことを条件にしてよいかと打診したら、それでいいという返事だった。
海軍総督の出資は、パウロが一座に用意する船の装備に関するもので、モニターとして利用してもらいたいという内容のものだったから、少し意味合いが違うということだった。
ジグムント・デュメニアは座長の知り合いではなく、舞姫レイラの旧知であり、ルビーの憶測が間違っていなければ、アート自身とも知り合いだ。けれども彼が、そのことについて兄の前で口にすることは、少なくとも今回の食事の席では一度もなかった。
アートはただ、一座のメンバーにはそれぞれひいきの後援者がいる場合があるので、必ずしも座長つながりであるとは言い切れないのだということを、遠まわしに説明しただけだった。
兄弟の会話をルビーが聞いている横で、カナリーはやっぱり興味なさそうにしていた。彼女は退屈なのが嫌いなようで、始終落ち着かず、そわそわと服の襟もとをいじったり、食べ残したデザートをスプーンでかきまわしたりしていた。
***
カナリーが居残り組になることについては、彼女自身がなかなか納得せず、決まってからも少々揉めた。
火焔吹きはやはり体調が思わしくないということで、巡業には同行せず、居残ることが真っ先に決まっていた。残るメンバーは少数になるので、留守中はホールを開放しての興行は行わない。その代わり不定期で、街の広場に出かけていって、大道芸を行って日銭を稼ぐ。
アートの親方は、休暇で南部にとどまっている間はできるだけ毎日通って来てくれて、軽業の指導をしてくれるということだった。
だが、カナリーはアートについて行きたがった。
「叔父さんの体調が悪いっていったって、寝込むほどじゃないし、食事係だって洗濯係だって少しは残るから、あたしまで残る必要ないじゃない」
そう抗議するカナリーへのアートの返事は、にべもないものだった。
「はっきりいうと、巡業中はきみがいると足手まといなんだ」
「どうして?」
「移動中は雑用が多いから。雑用をスムースにこなすために、黙って手足のように動いてくれる弟子だったらいてくれた方がいいけど、きみはそうじゃないから」
「そんなことない。連れていってもらえるなら、あたし、雑用だって頑張って手伝うもの」
「なら、それを証明してくれ」
「どうやって?」
「きみが練習を始めてからもう、延べ日数で10日以上経つ。同じことの繰り返しではないということを証明してほしい。出発の日までに、練習場に張ってあるロープの端から反対の端まで、一度も落ちずに渡りきることができたら、きみの熱意を認めて連れていくことにするよ」
「待ってよ、アート。そんなの無理!」
「無理でもだよ」
「あたしは雑用を手伝うといったのに、どうして? ブランコの技は雑用に関係ないじゃないの」
「悪いけど、きみがどれだけ真剣にぼくのいうことを聞く気があるのかを、試させてもらいたいんだ」
「だって、そんなのひどいわ。そんなのロビンだってまだできていないのに」
「ロビンは残るんだよ」
「ロビンが残るのは、ハマースタインの奥さまの許可がおりなかったからでしょう? 奥さまさえ許せば、ロビンのことは最初から連れていくつもりだったんでしょう? そんなの不公平だわ」
しかし、アートは譲らなかった。
「では、こうしよう。ロビンがロープを渡り切れたら、ぼくはロビンの持ち主に、彼女を巡業に連れていけるように交渉することにしよう。そしてカナリー、きみが渡り切れた場合は交渉相手はいないから、そのまま連れていける」
あとでルビーはレイラに、二人のやりとりについて話した。するとレイラは断言した。
「そりゃ、あれだ。以前あたしがアートの頼みを断ったからさ」
頭に疑問符を浮かべてレイラを見るルビーに、レイラは澄ましかえった顔でこう答えた。
「陸路で巡業する場合は、座員は大体馬車の中や野営地のテントで雑魚寝だったからね。カナリーはアートの目の届かないところで、女連中に苛められる可能性があると思ったんだろう。人気芸人でもないのに火焔吹きの個室を横取りして使っているからっていって、反感を持っているやつらがいるのさ。加えてカナリーは子どもっぽくて我の強いあの性格だろ。ま、部屋については火焔吹きが好きで姪っ子に譲ってるわけだから、他人がとやかく言う問題じゃないとあたしは思うけどね」
実際にはカナリーは火炎吹きのきょうだいのでなく、いとこの娘だとルビーは聞いているが、レイラは省略したようだった。
「……だもんで、女部屋なんかでちょっと気をつけて目を配ってやってくれないかとアートに相談されたから、断ったんだ」
どうして? そう聞くルビーに、レイラは肩をすくめた。
「船旅のことはあたしゃ知らないけど、陸路だったらそもそも移動中は馬車に分かれて乗ってるし、離れてちゃ目も届かないだろ。面倒見るにはずっと一緒にいるようにしなきゃなんない。そうしたらあたしが疲れるから駄目だね。あたしゃ、人魚ちゃんやアートと違って子守りは性に合わないんだ。あんなお子様と始終一緒に過ごしたら、過労で寝込んじまうね」




