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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[三] 見世物小屋と首相の使い
44/110

44 残酷な遊び

※44話~46話に残酷なエピソード及びグロテスク表現があります。正直けっこうエグい。要警戒。

 ルビーは黙りこくって、どこに向かうのかもわからない馬車に、ゴトゴトと揺られていた。

 さっきレイラから聞いたたくさんの言葉が身体の中に詰まって、重く膨れ上がっていくような気分だった。

 話に聞いたような過酷な出来事を経てなお、レイラはなぜ、強さを失わずにいられるのだろう。過去を語っていたときの彼女の強い眼差しを、ルビーは思い出す。


 アートに確認したいことがあったが、口に出すきっかけがつかめない。事情を知らない隣のカナリーに聞かれていい話だとも思えない。


 馬車に揺られながら、アートとカナリーは他愛もない話をしている。きょうは、アートの口調からいつもの素っ気なさは影をひそめ、以前の柔らかさが戻っているようにも聞こえる。ロビンばかりをひいきする、とさっきカナリーに言われたことについて、何か思うところでもあったのだろうか。

 それにしても、会話の内容は、ルビーの耳にはさっぱり入ってこない。

 どうでもいい話をしているのだ、とも思う。

 二人のやり取りは、ルビーの意識の表側をするすると滑り落ちていってしまう。会話の内容に集中できないのだ。


──貴族の残酷な遊びって言葉を聞いたこと、あるだろ。


 耳に残る言葉はすべて、レイラの声の残像だ。


──具体的な方法は様々だ。だが、その本質の部分で、人を極限状態まで追い詰めて行動させる、一種の心理ゲームのようなものだとあたしは思ってる。自分自身の経験や、人から聞いた話を照らし合わして考えてたどりついた、あたしなりの結論なんだけどね。


 天蓋を大きく開けた馬車の客席に、うららかな午後の日差しが降り注ぐ。

 なのに、胸の内側に落ちた大きな錘はゆらゆらと、ルビーの心に陰りを落とす。


***


 ジョヴァンニが、時間があまりないといったせいか、レイラの説明は、ひどくあけすけで率直だった。

 リナールのアドレイア伯爵の息子エルダーに友人のクローディアが見初められたところから、レイラの話は始まった。

 クローディアが愛妾として囲われものになり、踊り子をやめたこと。彼女にはたくさんの召使のいる大きな屋敷が与えられたこと。レイラもまた、クローディアの話し相手として同じ屋敷に移り住み、そこから舞踏団の詰め所に通うようになったこと。

 最初の頃はクローディアは、屋敷の女主人として贅沢をさせられて、我が侭放題の甘やかされ放題に見えたこと。けれども愛妾というのは表向きのことで、彼女はエルダーとその仲間たちの間での残酷な遊びの道具にされていただけだったこと。


 レイラはクローディアがエルダーに逆らわないための実質上の人質だったこと。逃げたり逆らったり、だれかに真実を漏らしたり、自殺を図ったりすれば、レイラも同じ目に遭わせるといって、エルダーから陰で脅されていたこと。その一方で、彼女に贅沢をさせ、高級なドレスや装飾品をふんだんに買い与え、かつての仲間の前で幸せな女を演じるように強要していたこと。

 元来特別病弱なわけでもなかったクローディアが、屋敷に移り住むようになってから、寝込む日が次第に増えていったこと。それもエルダーにエスコートされて出かけて行った翌日は大抵寝込んでいたこと。また、もともとは肉づきの良かった彼女が次第にやせ細っていったこと。不審に思ったレイラは問い詰めたが、はぐらかされて、笑われて終わったこと。それでもどうしても気になって、こっそり人を使って調べたこと。


 自分の雇った調査員から聞いた話をすぐには信じられなくて、結局確かめに行ったのだと、レイラは言った。

 クローディアとエルダーの乗る馬車の、後ろの荷台の下に隠れて夜会が行われているというサロンに忍び込んだ。広間まで忍び込むことはできなかったが、何か残酷なことが行われているのは、庭に漏れてきた音と気配で半ば想像がついた。 

 強い確信を持ってもう一度問い質して、今度は真実をつきとめた。

 レイラは、そのときクローディアの着ていた露出部分のほとんどない貴婦人のドレスを、強引に引き剥がした。その下に隠れていた、無数の傷痕、鞭の痕、焼印の痕。趣味の悪いグロテスクな地獄絵の刺青。

 言葉を失ったレイラを前にして、露出部分の多い舞台衣装などもう二度と着ることができないんだと、クローディアは泣き崩れた。

 問題はそんなことじゃなくてあんたが殺されるかもしれないってことだよ。事を荒立てることにしり込みするクローディアを、そう説き伏せて、レイラは逃亡を計画した。

 最初の逃亡計画は国外に向かうものではなかった。伯爵領を出て、リナールの知人を頼って王都に移り住む予定にしていた。


 けれどもクローディアは心の奥底に、いつのまにか強い恐怖心を植えつけられていた。エルダーに逆らうことを恐れたクローディアは、土壇場でレイラを裏切った。

 彼女の告げ口で二人は囚われた。二人の逃亡に手を貸すはずだった舞踏団の仲間の男が引き据えられてきて、目の前でなぶり殺しにされた。


 凄惨な拷問に耐えきれず、泣き叫びながら殺してくれと懇願する相手に、エルダーは薄く笑いながらささやきかけた。

 舞姫フランを恨むと言え。こんなことに巻き込んで、最低の女だと言え。未来永劫許さないと言え。呪い続けてやると言え。そうすれば、おまえの苦しみを終わらせてやる。

 男はレイラに対する呪詛の言葉を撒き散らしながら、こときれた。


 その日を境に、レイラとクローディアの立場は逆転した。

 レイラは舞踏団をやめさせられた。普段は屋敷に閉じ込められて、夜会と称した悪趣味な集まりに、クローディアの代わりとして連れて行かれ、なぶりものとなった。

 といって、クローディアは相変わらずエルダーの愛妾で、レイラがその話し相手だ、という身分に変わりはない。

 クローディアはレイラの計画した逃亡を密告することによって、遊びの道具の立場から、エルダーの手下の立場へと昇格したのだった。


「でもね」

 物思いにふける顔で、レイラは言い加えた。

「クローディアのときと違って、結局あたしは鞭だの焼印だので傷つけられたりナイフで肉をえぐられたりまでのことはされなかった。まあ、それなりにひどい目には遭ったけどね」


 理由は、途中で父君のアドレイア伯爵が介入してきたからだという。

 そのころまでにレイラは舞踏団で、一座の中心で舞を舞わせてもらえるようになっていた。伯爵の舞踏団はよく宮廷に呼ばれて行っていたという事情もある。

 ちょうどカルナーナとアララーク連邦の停戦が間近だといわれていた。宮廷では頻繁に国際会議が催されていたのだった。リナールが会議の場に当てられた理由は、この国がカルナーナの西に位置する隣国にあたるということが大きい。

 25年前の王政から共和制への移行の際、カルナーナの首都は中央に位置する王都から、南部の港町への遷都がなされている。カルナーナの東と南は海だから、隣接する国の中ではリナールが一番カルナーナの首都に近いという地理事情もあった。

 その地理事情のためリナールは、戦争ではずっと割の合わない目に遭ってきていた面もあったが、当時の状況はそれともまた違った。近々取り結ばれる平和調印に立ち会うため、各国からの大使として貴族たちが集まってきていた。彼らは多数の供のものを連れ、リナールの宮廷に滞在し、活発な文化交流を交わしていたのだ。

 進駐軍ではなく各国の大使が駐在することにより、リナールでは金品の流通が盛んになり、国が潤うという恩恵にあずかっていた。


「リナールの王さまが伯爵に言ってきたんだ。宮廷に詰めているお偉いさん方があたしの舞を所望してるって。ありがたい話だったよ。そんで、エルダーは好き勝手にはできなくなって、ほどなくあたしは舞踏団にまた通わせてもらえるようになった。ただし、これまでのことには口をつぐんでいるようにっていう条件つきだ。あいかわらずその屋敷に住むってのも条件のうちだ。今度はクローディアが、あたしにいうことをきかせるための人質ってわけだ」


「クローディアさんが裏切ったのが原因で、あなたも連中からひどい目に遭わされたのではないのですか? それなのに、レイラさん、あなたはその人を助けるために、悪いやつらが出した条件を呑んだのですか?」

 それまで眉をひそめて話を聞いていたジョヴァンニは、驚いた顔で問いかける。


 少年のまなざしを、レイラは静かに受け止めた。

「暴力は人間の尊厳と魂の自由を奪う。あたしの友人は暴力でその誇りとまっすぐな気質を潰された。容赦ない暴力にさらされて心がねじ曲がる恐怖っていうのは、多分直面したものでなきゃ、想像できないようなことなんだと思う。あたしだってもし解放されることなくあのままクローディアとまったく同じ目に遭ってたら、同じように心を潰されて、やつらのいいなりになってたかもしれない」


 サファイア色のレイラの瞳に炎が宿る。

「あたしは連中に奪われたクローディアの魂を取り戻したかった。もちろんやつらに言われたまま黙っているつもりなんてなかったけど、現実の問題として相談したからといってどうにかしてもらえるような相手がまわりにいるとも思えなかった。だから、そのときはそいつらの言いなりになりながら、クローディアを連れ出すチャンスを窺うしかないと思ってたんだ」


「ジョヴァンニ、あなただって──」

 不意にジュリアが横から口を開く。

「エルミラーレン殿下に操られてアートさんを殺そうとしたのでしょう? なのに、不問にふしていただいて、いまでは親しくさせていただいているじゃないの」

「いや、それは姉さんこの際関係ない話ですから。それに幸いというか必然というかロガールさんは怪我をしたわけではなく無事だったわけで……でも舞姫さんはその女の人を逃がそうとしたせいで理不尽な暴力にさらされる羽目になったわけですから……」


「いや、ジュリアの言いたいことはわかるよ」

 レイラは微笑んだ。

「貴族は──貴族の全員がじゃないが、力をふるうものたちは、あたしたちを羽虫の一種かなんかのようにしか思ってないんだ。そこにはためらいも惑いも、同じ人間としての痛みもない。暴力で相手の心を捻じ曲げて操ることと、術をかけて操ることは、一見別のもののように見えても、魂の自由を奪うっていう意味での本質は同じじゃないかな。

 あたしがクローディアに対して何も思わなかったっていうと嘘になる。でも、それとこれとは分けて考えなきゃいけないと思ったんだ。クローディアは犠牲者だ。そこは間違えちゃいけないってね。

 あれは、噂なんかでよくささやかれている貴族の残酷な遊びってやつだ。あいつらは多分、ゲーム感覚でそれをやるんだ。

 あたしは自分で体験したことのほかに、あとで人からもいろんな話を聞いたよ。あいつらにとっちや、ひとを踏みにじることなんてなんでもない。方法なんかいくらだってあるんだ」

 レイラはそこで一旦言葉を切る。息を詰めて聞いていたジョヴァンニは、黙ってレイラの次の言葉を待った。


「でも具体的な方法についてはここでは割愛させてもらうよ。そういう話はお嬢さん方二人は知らなくてもいいことだと、あたしは思うし、ジョヴァンニは直属兵の先輩のだれかにでもこの話をして、過去カルナーナで起こった貴族にまつわる出来事についても聞けばいいと思う」


「始めに言いましたように、話す必要のない相手には、この話はしません」

 ジョヴァンニはそう答えながら、テーブルの下で、ぐっとこぶしを握り締める。

「舞姫さん、きょうはあなたからこんな辛い話を聞き出すことになってしまい、本当に申し訳ないです。まして、先輩方に問い合わせてみることなどできません」

「ジョヴァンニ、あんた、ほんとに生真面目だねえ。けど、あたしは結局助かったんだ。なんとかクローディアをそこから救い出すことだってできたから、全部が辛い話ってわけでもない。もちろん、取り返しのつかないこともある。あたしたちに手を貸そうとしてくれた仲間をみすみす死なせちまったっていうのもあるから、助かったあたしたちだって、もとのように仲良くってわけにはいかなかったしね。まあ、貴族のやり方について先輩に聞くときは、個人名を伏せて話してみるって方法もあるんじゃないかね。そのへんはまかせるけどさ」


 レイラは少し目を細め、微笑んだ。

「そういえばさ、人魚ちゃん、いつだったかあんたには、あたしのペガサスのタトゥーを見せただろ。あれは最初、あっちで悪魔をイメージしてエルダーたちに彫られかけたものだったんだ。カルナーナに逃げて来て、腕がいいと評判の彫り師に見せたら、ペガサスに変えて続きを彫るっていう案を持ちかけられた。けど、あそこまで見事な出来になるとは最初、思ってなくてさ。仕上がったのがあまりに綺麗だからあたしゃみんなに見せてまわりたいけど、彫りものの場所が場所だからねえ」


 凄惨な話の途中だというのに、レイラの笑みは茶目っ気を含んでいる。


「カルナーナは豊かな国だ。ペガサスのタトゥーひとつを見ても、職人がどんだけプライドを持ってやっているかがよくわかる。それがお貴族さまの支配から抜け出したことと、関係があるのかないのかはわかんないけどさ」


「それでも、王家はまだ、カルナーナの民にとって別格なんです」

「そうみたいだね」

 ジョヴァンニの言葉に、レイラは頷く。

「カルナーナ王家の血筋の、すべてが途絶えているわけではないんだろう? そっちの筋から男の足跡を辿ってはみなかったのかね」


「政府が把握している王家の生き残りについては極秘事項になります。が、現在王家の生き残りとして認められている人物と、ハマースタインさまのお屋敷に現れた男とのつながりも、いまのところ、確認されておりません。

 戻ったら、王家の血を引く人物で、リナールに嫁いだ女性がいたかどうか、もしくは養子として隣国にもらわれていった人物がいたかどうかを、記録をもとに調べてみたいと思います。また、そういった人物がいたとして、アドリアルの領主と関係があるのかどうかも」


「リナールでのあたしの本名を知っていたのは、舞踏団の一部の人間と──クローディアと……」

 そこでレイラは少し顔をしかめたが、落ち着いた声で言葉をつなぐ。

「エルダーと、多分伯爵も知っていただろうね。けど、夜会に顔を出していたエルダーの仲間の貴族たちについてはどうだかわからない。エルダーがそいつらに話す理由もない気がするし、知らないんじゃないかと思うが、確証はないね」


「その……夜会のメンバーの中に、この肖像画に似た人物はいませんでしたか?」

 ジョヴァンニはややためらいがちに、そう尋ねてきた。

「わからない」

 レイラは首を振った。

「正直に言うと、あたしはエルダー以外の、ほかの連中の顔は全く覚えていない。覚えていないし、思い出さないようにもしてきたんだ。気にしないようにしてはいるけど、まあ、思い出したくもないできごとだったことには違いないからね」

 すみません、とうなだれるジョヴァンニに、レイラはいいって、仕事だろ、と笑った。

「けど、うーん、人魚ちゃんが危ないかー。ちょっと待っておくれ。なんか思い出せることってないかな」

 腕組みをして、レイラは目を閉じる。


「そういえば……」

 不意にレイラは顔を上げた。視線だけ動かして、周囲の様子を窺うと、やや声をひそめた。

「いま、思い出したことがあるよ。あたしが舞踏団に戻される前、伯爵とエルダーが交わしていた、よく意味がわからないやりとりがあった。生贄がどうのこうの、準備が整うのどうのって。それと、もう一つ」


 レイラは少し迷っているような顔になって、さらに声をひそめる。

「これは本当にあったことかどうか、あたし自身確証がない。一応耳に入れておくが、ただの夢だったのかもしれないということを念頭に置いといてくれ」

 彼女は一旦言葉を切り、ゆっくりと息を吸い込んでから、ほとんどささやくような小さな声で言った。

「アドレイア伯爵邸の地下室であたしは、化け物を見た」

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