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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[三] 見世物小屋と首相の使い
41/110

41 近衛兵の少年

 今度もレイラの反応は、ルビーよりはるかに早かった。

「そりゃ、無理ってもんだ」

 どう返答しようか一瞬考えあぐねたルビーの横で、歯に絹を着せないレイラは、ぽんぽんと言いたい言葉を返していく。


 何を考えてるんだい、とか、人魚ちゃんが必死になって技の練習を積んでるのをすぐ横で見ててよくまあそんな勝手なこと思いつけるね、とか、座長やアートはあんたの考えを承知してるのかい、とか、レイラの言い方には忌憚がない。

 しかしカナリーはへこまなかった。

「ずうずうしいのはわかってるわ。それでもあたしにはほかに方法がないんだもの。それに、アートとあたしはお似合いだって、みんな言ってるわ。並んだときの背の高さだって釣り合いが取れてるし。舞台に立つと、美男美女で、きっと見栄えがするって」


 またしても「みんな」だ。

 しかし、どういう「みんな」かがとっさにわからなかったルビーと違って、レイラにはなんのことかわかったらしかった。


「カナリー、火焔吹きにおべっか使う連中は、養い子のあんたにもおべんちゃらを言うんだ。あんたにはじつのある言葉をくれる相手とそうでない相手の見分けがつかないのかい?」

「アートとあたしがお似合いだっていうのを、おべんちゃらだっていうの? だれが見たってわかるような本当のことなのに? ロビンはそりゃ、それなりに可愛いけど、小さくて痩せっぽちだし、髪だって金色じゃなくて変わった赤だし、アートと組んでも舞台映えしないと思うわ」


「いいじゃない。あたしはカナリーと組むんだもの」

 やっとそこで、ルビーは言葉をさしはさむことに成功する。

「アートとは釣り合わないかもしれないけど、カナリーとあたしが組むんだったら背丈が頭一つぶんも違うわけじゃないし、問題ないでしょ」

「嫌よ」

 カナリーは鋭い声で叫ぶように言い返してきた。

「あんたと組むなんて、絶対嫌」

「どうして?」

「アートはあんたばっかり可愛がってえこひいきしてるじゃない。それを横で見ているあたしの身にもなってよ」


 そのとき──。


「ぼくは君たちをえこひいきしてるかい?」

 不意に、食堂の戸口のところからアート本人の声がした。

「そんなつもりはないんだが……」

 カナリーはぎょっとした様子で振り向いた。とともに、知らないうちに大声になっていたことに気づいたらしく、決まり悪そうな顔になる。


「おや」

 代わりにレイラが人の悪い笑みを浮かべて、ちょうど入口のところに立った背の高い男に声をかける。

「社長出勤とはたいそういいご身分だね。けど、きょうの演目は、もう決まってしまったからあんたはお呼びじゃないよ」

「それはいいんだ。きょうは、このあともう一度出かける予定にしてるから」

 言いながらアートは後ろの廊下を振り返った。

「ジョヴァンニ、ジュリアさん、どうぞ中へ」


「すみません、ロガールさん自らご案内いただいて……」

 心底恐縮したような声とともに入ってきた小柄な少年の、見覚えのある顔に、ルビーは目を丸くした。ナイフ投げの逃亡騒ぎのあった日、貴婦人の館に来ていた少年兵だった。


 ルビーが驚いた理由はもう一つある。

 彼の着ていた制服が、あのときのチャコールグレイの憲兵の制服ではなかったからだ。あどけない顔をした少年が代わりに身につけているのは、漆黒の布地に深いブルーの縁取りをして、金のボタンのついたスマートな制服だった。

 それは、貴婦人の館に詰めている護衛官が最初の日に着ていたものと、同じデザインのものである。つまり、国家元首を取り巻く近衛兵の制服だ。

 しかも、憲兵のときのお仕着せのだぶだぶとは違って、彼の身に合わせてきちんと採寸して仕立てたものだ。


 アートに促され、ジョヴァンニと、彼に続いてもう一人の人物が食堂に入ってくる。

 少女だった。ジョヴァンニと同じように小柄だったが、彼よりも一つ二つ年上に見える。ふっくらとした頬と、あどけない印象の丸い目が、ジョヴァンニによく似ている。こちらも仕立てのよい濃紺の女性用の制服を着ている。それは、家庭教師が見せてくれた絵本の中で、政府の秘書官が着ていたものと同じものだ。


「ロビンさん」

 ジョヴァンニは目ざとくルビーを見つけて駆け寄ってきた。

「先日の、ハマースタインさまのお屋敷では、本当にみなさんにご迷惑をおかけしました」

 少年は、礼儀正しく頭を下げた。


 アートと少女が後ろから追いついてくる。


「ジュリアさん。舞姫のレイラと、あとの二人はぼくの弟子たちです。ジョヴァンニ。きみには紹介しなくてもわかってるだろうけど、そちらの奥に座っているのが舞姫のレイラだ」

 相変わらず礼儀正しいジョヴァンニの態度とは対照的に、アートの方は、あのときと違って、少年に対してずいぶん砕けた口調になっている。

 アートは少女とジョヴァンニにさっとその場のメンバーについて説明してから、レイラに話しかけた。

「レイラ、この前言ってた、きみのファンだっていうお巡りさん──もとお巡りさんで、いまは首相直属の警備兵のジョヴァンニだ。それと、こちらはそのお姉さんで首相官邸秘書官のジュリアさん」

「へえ、そりゃすごいね。その若さで飛躍的な出世だ」


 紹介されて立ち上がりかけた舞姫を、慌ててジョヴァンニは押しとどめた。

「どうぞ、そのまま。食事中に押しかけて申し訳ありません。実は、きょうは少しお話を伺いに来たんです。ぼくはほんとうはあなたのファンとして、公演の舞台に立つあなたにお目にかかりたかったのですが……」

 申し訳なさそうにそう切り出すジョヴァンニに、レイラはややうんざりしたように問い返した。

「またハルの逃亡の件かい? こっちは知っている限りのことは話したつもりなんだけどね」

「違います。きょうは別件で」

 言いながらジョヴァンニは、ぐるりと食堂を見回した。


 まだ昼過ぎだったけれども、公演が始まったばかりの時間帯のせいか、他のテーブルは空いていた。

 公演の日は、大体の芸人は昼前に食事を済ませてしまう。食堂のメニューは人気のあるものから順に品切れになっていくからだ。

 演目の端っこを飾る見習い芸人や裏方の人たちが暇を見つけて食堂に顔を出すのは、昼の部の中盤から後半に差しかかってからだ。

 その頃になる演目と関係のない下働きの人たちも食堂への出入りを許されるから、再び食堂は混雑を始めるが、いまは彼らの他にその場にいるのは、少し離れたカウンターの向こうで待機している"食堂のおばちゃん"だけだった。

 人の流れが途絶える時間は、食堂や厨房で働く人たちの休み時間でもある。彼らは朝が早いので、午睡を取っているのかもしれない。


「ロビン、きみに頼みがある」

 アートにそう声をかけられ、ルビーは首を傾げる。

「ジョヴァンニたちとレイラの話に立ち合ってくれないか」

 不思議そうな顔のルビーに、アートは言い加えた。

「きみはある程度事情を知っている。先日問題が起こったその場に居合わせたからね。レイラがこの人たちに誘導されて、レイラ自身にとって不利になるようなことを不用意に口にしたりしないように、隣で気をつけていてくれないか?」


 アートの発言は、客人を目の前にして失礼ともいえるものだ。しかし、ジョヴァンニはそれを気にする様子もなく、頷いて口を添える。

「ぼくからもお願いします、ロビンさん。これからぼくがしなけばならないのは舞姫さんへの職務質問なんですが、舞姫さんを威圧するのは本意ではないので、あなたに隣にいていただけたら助かります」

 

 優しげな面立ちの小柄な少年と少女が二人どころか束になっても、舞姫一人の方がどうみても迫力があり、威圧感では叶わないように思えた。しかし、近衛兵の制服というのがある種の権威を象徴しているのは間違いない。ジョヴァンニという少年の態度も雰囲気も、街兵だったころと変わりのない腰の低い丁寧なものであったが、彼を取り巻く周囲の態度はいままでとは違ってきているはずだった。少年自身もそれは肌で感じているのだろう。


「おやまあ、紳士的なこった」

 レイラは顔をしかめた。

「ハルがいなくなった日に大勢で楽屋に押し掛けてきた兵隊さんたちは、あたしが一人で休憩取ってるところを一斉に取り囲んで、やいやい喚き立てるばっかりだったけどね。立会人だのなんだのって気遣いは全くなしだったね」


「カナリー、ぼくたちは席をはずそう。食事の続きは楽屋でいいかな」

 アートは気軽な調子で、カナリーに声をかけた。

「きみのトレイはぼくが運ぶ。少し待ってて。飲み物を用意してもらうから」


 彼はカウンターの向こうで居眠り中のおばちゃんに、自分と客分の分の飲み物を頼むために声をかけた。

※正確な日本語での「近衛兵」というのは世襲制の君主に対する警備兵にのみ使われる言葉で、共和制の元首に対しての言葉なら「親衛隊」というのが正しいようです。明らかな誤用なのですが、近衛兵という言葉のイメージからこちらを使わせてもらっています。

カルナーナにおいては共和制の発足よりも軍の機構の方が格式が古く、王を守るのと同じ意識で近衛兵は元首カルロ・セルヴィーニを守護しています。(4/17)

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