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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[一] 怪物の島と南の国 
3/110

03 塔を壊す

 後ろに従えた男たちの何人かが、重い鉄の塊を地面に据えて、そこから何かを組み立てていった。二つの大きな車輪の真ん中に丸い大きな円柱状の筒を備えた黒い大きな鉄の塊。ルビーが見たこともないそのシルエットはなぜかしら禍々しい。

 そのとき──。


 塔の後ろから一人の少女が姿を現した。

 さっきルビーの前に現れた少女だった。まっすぐな漆黒の髪を風になびくままにして、夜の闇のような目で、男たちを見据える。


 ルビーはそこで再び、太った男に言われた粗末な服という言葉を思い出した。少女もまた、シンプルな麻の服を着ている。チュニックというにはかなり長めのほっそりとしたシルエットのワンピースだったけれども、素材はルビーの着ているものなんら変わらない粗末なものだ。おまけに彼女は靴を履いていない。

 思わずルビーは人々の中から、さっき彼女に失礼なことを言った太った男の姿を探したが、ちょっと目立つぐらい恰幅のよい男は、どこに紛れてしまったのか見当たらなかった。

 

 少女は無言で黒い鉄の塊に歩み寄ると、それにすっと手を触れた。

 信じられないことに、彼女が手を触れたとたん、黒い鉄の塊はバターか何かのようにぐにゃりととろけていびつに地面に垂れ下がった。

「大砲が……」

「大砲が曲がったぞ」

 塔を囲む男たちの間に、ざわめきが広がる。


 少女は中心にいる“閣下”を冷やかに見た。

「この塔に何が封印されているのかを、知らないわけじゃないでしょうね?」

「しかし、それはあなたが負うべきものではないはずだ」

「わたしは好んでこの役割を引き受けたのよ。帰って、アルベルト」

 男の顔が歪む。どうやら笑おうとしたみたいだったが、ルビーの目には唇を捻じ曲げただけのように見えた。


「塔の中のものはグレイハートに持ち帰らせる。あなたにはおれと来てもらう」

「人間にこれを扱うのは無理。邪気に当てられていずれこのものと同化してしまうわ。もしそうなったら、あなたの国も無事ではなくなる」

 少女はそう言うと、“閣下”の傍らに控える黒ずくめの小柄の男の前に歩み寄った。

「あなたが賢人グレイハートね。どうか顔を見せて」


 グレイハートと呼ばれた男は、頭を振って顔を覆う黒い布をばさりと取った。まだ若いのに老人のような白髪だった。赤銅色に日焼けした顔の中央に斜めに走る、深くえぐれた大きな傷あと。傷あとはまだ新しく、赤っぽいピンク色をしていて生々しい。

 グレイハートは物憂げに頭を下げた。

「非礼をお許しください、緑樹の王よ。普段は人を驚かせないために、またわたくしを見る者を不快にさせないために、顔を布で覆っております」

 少女は首を振った。

「賢者とまで呼ばれたあなたが、なぜこんな愚かな男の提案に与するの?」

「人の世には人の世のことわりがあります、緑樹の王よ」

 男は明快な答えを避けた。


 少女はグレイハートの青灰色せいかいしょくの目を覗き込んだ。

 ルビーには彼女が人の心を読みとろうとしていることが分かった。人魚の長老も、いつもそうやって人魚たちの心を見透かすのだ。だからルビーは長老とは不用意に目を合わせないように気をつけている。

 少女の小さな赤い唇に、微笑みが浮かぶ。


「脅されているのね。そう、妹を人質にとられて」

 それから少女はくるりと“閣下”の方に向き直った。

「あなたは歳を取るごとにどんどん馬鹿になっていくのね、アルベルト。脅して人にいうことをきかせることしかできないなんて」


「あなたに心配をしてもらう必要はない。それよりもあなたは自分の身支度の心配をするがいい。持っていくものがあれば今のうちに用意をしておくことだ。おれはあなたの本当の名前を知っている。あなたを手に入れ、あなたの力を手に入れるのだ」


「あなたには無理」

 少女は微笑んだ。

「もしもとなりの賢者さまがわたしの名を知れば、緑樹の力をあやつることが可能でしょうけど、教えてはいないのでしょう?」

「そんな必要はない」

 “閣下”──少女がアルベルトと呼ぶ男も口元だけで笑った。

「グレイハートの役割は、封印を解き、ここに閉じ込められたものを取り出して持ち帰ること」

 そして彼は手を振り上げ、隣の賢人に合図をした。

「行け」


 ドオン、と塔に重い衝撃音が走った。

 アルベルトの合図と同時に、というよりもむしろ、それは合図よりも早かったように見えた。

 グレイハートが黒い服の陰で小さく手を振ったように見えたとき、既に塔はバリバリとひび割れながら崩壊していた。注意深くグレイハートを見ていたルビーでさえ、気配のようなものしかわからなかった。だから周囲を取り巻く人々の目には、彼が何かしたようには映らなかっただろうと思う。


 男たちの視線はおもに、顔に傷のある賢者ではなく、黒髪黒い目の謎めいた美少女の方に釘付けだったから、なおさらだ。

 衝撃音に驚いた何人かが思わず後ろを向いて逃げ出したが、塔は横倒しに倒れるのではなく粉砕されて一気に崩れ落ちたため、下敷きになるものはいなかった。

 走って逃げたものたちが、恐る恐る戻ってくる。

 が、そのあとがいけなかった。


 夏の日差しが何かの影に遮られて、木漏れ日のようにゆらゆらと揺れている。日差しの中、黒い層を幾つもつくりながら、空気でできた黒いカーテンのようなかたまりが、崩れた塔の真上で波打っていた。ルビーの目にはそれは、空に映し出された昆布の森の半透明な幻影のように映る。黒い塊をすかして見る太陽は、グレイがかった不吉な色をしている。


 突然それは大きく膨らんだ。

 まるでタコが墨を吐いたときのように、黒い塊は中身が吹き出すように膨張し、セピアの闇であたりを押し包む。

 ルビーはまるでセピアの海の中を泳いでいるように感じた。それと同時に、ここは何か恐ろしいものの胃袋の中のようなものだと気づく。

 どいつを狙おう。

 どれから餌食にしよう。

 暗闇の中で、禍々しい何かが舌なめずりをする気配がする。


 が、グレイハートは闇の中、人々に囲まれて、今度ははっきりと片手を振り上げた。手には短い杖。


 その瞬間、膨張した闇が、杖の先にぎゅるぎゅると吸い込まれていく。

 吸い込まれながらも闇はぐにゅぐにゅと波打って、抵抗するそぶりを見せた。この地に踏みとどまろうとして人に巻きつき何人かを地面に引きずったあげく、すべて杖の中に吸い込まれた。

 そして──。

 今度は杖が、グレイハートの手の中に吸い込まれたと思ったら、彼は目を閉じばったり倒れてしまった。


「なんてこと!」

 立ちすくんだ少女が、アルベルトを睨む。

ヒトの中にあれを封じるなんて」

 男は少女の怒りに燃える眼差しを受け止めて笑った。


「大砲を曲げて使えなくしたのは緑樹の王、あなただ。グレイハートが塔を全壊させてあのものをひといきに解放した以上、一気に封じ込めるしか策がなかったのではないか? おれが具体的にそう指示をくだしたわけではないぞ」


「あなたにはわかっていたはずよ。賢者さまに命じれば何が起こるかが。高波を起こして停泊中の船を沈められたくなければ、部下をすべて連れて、いますぐこの地を立ち去りなさい」


 少女の背後から、ぶわりと風が巻き起こる。風と共に崩れ落ちたがれきが塔の形に浮き上がる。無数の石くれは重力を無視して中空にとどまり、まるでこれから人々を襲いかかろうと待ち構えているかのようだ。

 少女のワンピースのすそがはたはたと風にはためいた。

 男たちはおびえ、後ずさった。

 それとともに、地面に倒れたままのグレイハートの身体がふわっと宙に浮く。


「わたしは塔の代わりとしてこの者をこの地にとどめおき、彼を穢れから救う方法を探ることにするわ」


「グレイハートは国に連れ帰る」

 圧倒的な力を見せつける少女を目の前にしても、アルベルトは動ずる気配もない。

「あなたはグレイハートの意識を読みとったのではなかったか。彼には小さな妹がいる。他に身寄りもなく、彼の帰りを待っている。任務を遂行し、彼が帰還すれば、妹は手厚い国の保護を得られるだろう。彼が任務を放棄し途中で逃亡したならば、妹は孤児院に送られる」

 そこで、アルベルトは面白そうに少女を見て、言葉をつないだ。


「わが連邦国は統合されたばかりでね。中でもグレイハートの出身国は貧しい小国だった。孤児院の環境改善にまで、なかなか手が回らない。孤児院の問題ばかりでなく、いろいろな面で立ち遅れているが、政府の要職から逃亡者の出た国だということになれば、なにかと今後の便宜が図りにくくなるだろうな。もし彼に意識があれば、何を置いても帰還しなければならないと言うだろう」


 無言で見返す少女に、アルベルトは勝ち誇った笑みを浮かべた。

「一緒に来ていただこう、緑樹の王。この男の内側に封印されたものは、あなたの助力なくば外に漏れ出すかもしれないのだろう。そうすれば賢者どのを救い出すどころではなくなるのではないかな」


 なおも少女は男を睨みつけた。が、ふうっと息を吐くと、仕方ないといった顔で肩をすくめた。

「あなたは愚かだけど狡猾だわ」

 風がやんだ。中空に持ち上げられたがれきが次々と、ゆっくり地面に降り、少し転がってただの石くれに戻った。

「けど覚えておいてね、アルベルト。わたしはあなたのこと、大嫌いなの。それに、あなたがあの森を焼き払ったときのことは忘れない」


 男は無表情のまま少女の言葉を聞いていたが、ルビーには彼が微かに身じろぎをしたように見えた。

「緑樹の王、あなたが──」

 口を開きかけて、彼は言い直した。

「おまえがおれの手をとり妻として国に赴く気がないのならば、これからおまえは家臣としておれにつき従うということになる。名前を呼ぶな。元首と呼べ」


「アララーク連邦国国家元首閣下」

 淀みなく、冷たい声で少女は答えた。

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