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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[一] 怪物の島と南の国 
15/110

15 下働きの仕事

 次の日早朝、起床係が舞姫の部屋のドアをノックした。

 ベッドですやすやと寝息を立てている舞姫を起こさないように、ルビーはそっと部屋を出た。

 空には満天の星がまたたいていたが、東の地平線のあたりが少しだけ明るくなりかけていた。

 きょうからルビーは見習いの立場だった。まずは朝食の支度などの下働きの仕事を手伝うように、座長じきじきに言い渡されていた。


 厨房に行くと、料理長がもう来ていて、新しい水を汲んでくるように言われた。

 汲んだ水を大鍋に張り、薪を運んで火を起こし、朝食の材料を次々と入れるのを手伝った。そうこうしているうちに何人かの人がやってきて、ここはいいと言われ、洗濯係のところに行くように指示された。


 慣れない洗濯は、水運びより薪運びよりずっと骨が折れた。

 洗濯物は大量で、ごしごしこするのに力を使った。洗濯女は細かいやり方にうるさく、ルビーが洗った衣類をチェックしては、仕上げが不十分だと言って何枚もやり直しをさせた。

 洗濯女が籠を抱えて物干し場との間をせわしなく行ったり来たりしている横で、ルビーはひたすらあらゆる衣装を、それぞれ指示される通りの方法で洗い続けた。


 洗濯場に朝の光が差し、それがずいぶんと高くなる頃、やっとあと何枚かで洗い終えるというところで、使いの子どもが呼びに来た。舞姫が朝食をとるから同伴するように、ということだった。


「まったくいいご身分だね、新米のくせに」

 洗濯女は残り数枚をルビーから受け取りながら、不満げにつぶやいた。

「ごめんなさい。あとお願いします」

「明日はもっと手際よくして、呼ばれる前に洗い終えるんだよ」

 言われてルビーは頷いた。やり直ししなくて済むぐらい上手くできるようになれば、もう少し早く仕上がる気がした。


「ひと働きしてきたんだね。御苦労さま」

 食堂のテーブルに座って舞姫は、ルビーをひと目見るなりくすくす笑った。

「鼻の頭に石鹸の泡がついてるよ、人魚ちゃん。それにシャツが濡れてる。部屋に戻って着替えておいでよ。待ってるからさ」


 自分の服をまだもらっていないのだとルビーが言ったら、引き出しを適当に開けて、どれでも好きなのを着ていいからと言われた。戸惑って見返すルビーに、舞台衣装はしわにならないように全部つるしてあるから大丈夫、たたんであるものは普段着だからどれでも構わないのだと、重ねて舞姫は説明した。

 ルビーはシンプルなデザインでかつ、なるべく丈夫そうな布地で破れにくく、汚れても目立たなそうな地味な色の上下を選んで身につけた。


 朝食のあとも呼び出されて作業の続きをやった。早朝男連中が割った薪を薪置き場に運ぶ仕事。それぞれの小屋の掃除と雑巾がけ。犬の世話の手伝い。あちこちたらい回しにされて、とりとめもなくいろんな人の仕事を手伝った。

 休演日だったから見世物小屋全体はまったりとした空気に包まれていたが、そんなこととは無関係に、際限なくルビーは用事を言いつけられて、ときに失敗し、叱られ、やり直すように言われながら、働き続けた。

 食事のときだけは舞姫に呼ばれ、舞姫が食べ終わるまでしっかりつき合わされたから、その間だけテーブルについて休みがとれたが、それ以外は立ち通しの動き通しだった。


 昼食のあと水汲みを言いつかったとき、一度だけロクサムを見かけた。ところがロクサムは大きな荷物を抱えて急いでいる様子で、ルビーが話しかける間もなく小走りで走り去ってしまった。


 日が暮れて、くたくたに疲れ果てたルビーはやっとの思いで部屋に帰りつき、干しわらの寝床に倒れ込むようにして眠りについた。


 忙しい日は4日続いた。

 最初に下働きの仕事をした日の翌日から3日続けて興行日だったが、ルビーは準備と裏方を手伝わされた。昼の部が終了して客をホールから追い出した後は、大急ぎで他のメンバーとともに客席を掃いて回った。

 4日間ずっと下働きの仕事が忙しすぎて、空中ブランコはもとより舞姫からも大玉転がしからも、何一つ教わる時間など持てなかった。


 ロクサムもつかまらなかった。水運びや小屋の掃除などで動き回っている途中、その姿が視界の端をかすめることもあるにはあった。でも、どうにも出くわさない。

 避けられているような気もしたけれども、ロクサムはロクサムで、いつも誰かかから用事を言いつけられて働きどおしなのをルビーは知っていたから、はっきりと避けられているともいえない。


 この用事が終わったらロクサムを捜そう。これが終わったら。この次が。お昼の公演が終わったら。きょうの興行が終わったら。後片付けが終わったら捜してみよう。夕食のあとで。

 そう思いながら飛ぶように一日が過ぎ、気がついたらくたくたで、転がり込むように部屋に戻って、シーツに身を沈め泥のように眠る。毎日がその繰り返しで過ぎていった。


 ところが5日め、早朝の起床係はルビーを起こしに来なかった。

 ルビーが自分から起き出して厨房に行くと、他の手伝いはもうみんな来ていて、料理長には遅すぎると叱られ、やることはもうないと言って追い出された。

 洗濯女のところに行くと、きょうは手伝いに来ないと聞いていたんだけど、と怪訝そうな顔をされた。

 不審に思いながら手伝っていると、水槽に放り込まれた日にルビーを呼びに来たあの女の人が、また呼びに来た。

「あんた何やってるの。きょうは作業はなしだよ。聞いてないの?」

「聞いてない」

「座長が呼んでる。出かけるんだってさ」

「どこへ?」

「そんなこと、あたしが知るもんか」


 座長のところを訪ねて行くと、昼食のあとで出かけるから準備するようにと言われた。

 出かける準備といっても、持ち物など何もない。

 この前ナイフ投げやブランコ乗りが心配していたように、登記所に連れて行かれて焼印を押されるのかもしれない。あとで舞姫にタトゥーのペガサスを見せてもらったときにもう少し詳しく聞いた話によると、焼印を押された日は熱が出て、2、3日は起き上がれずに寝込む場合が多いらしい。


 だったらきょうは何がなんでもロクサムを捕まえて、話を聞かなくちゃ。ルビーはそう考えた。

 きょうはまた、休演日に当たっていた。


 見世物小屋の公演は3日続いたあとに1日休演日が入る。休みのあとは2日連続で公演を行い、また1日の休演日。3日1日、2日1日の繰り返しで、公演日と休演日が繰り返されるように組まれている。

 3日連続で公演をした次の1日は安息日と呼ばれている。安息日というのは、見世物一座の間でだけの呼び名というわけではなく、町中の人みんながお休みをとる日として知られている。しかし、見世物小屋の安息日と町の人たちの安息日とは、実は1日ずれている。町の人たちの安息日の翌日が、見世物小屋の安息日なのだ。


 安息日といっても、座員に仕事がないわけではない。

 あちこちさがしまわってやっと見つけたロクサムは、奥の裏庭でゴミを燃やしていた。

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