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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[一] 怪物の島と南の国 
13/110

13 留まる理由

「相談っていうのは、人魚ちゃんをここから逃がすって話なんだね」

 最初に口を開いたのは、ルビーではなく舞姫だった。

「でも、どうやって?」

「ぼくの知り合いのところにかくまう」


 ブランコ乗りの言葉に、舞姫は呆れたように首を振った。

「アート、あんた、まっすぐ疑われちまうよ? ていうか、たとえ逃がしたのがあんたじゃなくてもあたしが座長だったら真っ先にあんたを疑うから」

「証拠がなければ捕まらないよ。それに、登録されているのは人魚で、人間の女の子が逃げたわけじゃない。髪を茶色く染めて、別の町の知り合いのところに連れて行くつもりだ。追跡の手もそこまでは伸びないだろう」

「そっか。ま、このあたりは茶色の髪が一番多いもんね」

 納得したように舞姫は頷いた。

「けど、あんたの知り合いってどういう知り合い? 男なの? 女なの?」


 聞かれてブランコ乗りはいぶかしげな顔になる。

「女性だよ。なぜ、そんなことを聞くんだ?」

「なんでって、そりゃ、あんたが口先三寸で丸めこんだ女のところにこんな美少女連れていってごらんよ。ややこしい事態になること必至だよ」


 ブランコ乗りが何か言い返そうと口を開きかけたのを遮って、ルビーは言った。

「待って。あたし、ここを出て行くつもりはないわ」

「なぜだ?」

「どうして?」

「なんでさ?」

 3人の視線が、一斉にルビーに集まる。


「だって、行くあてもないし……」

 考えて、うまくまとまらなかったけど、ともかく思ったことを口に出してみる。

「あたしだけが逃げ出す理由がないもの」


「理由なら言った。きみにはまだ印がついていない。つまり今のきみなら逃げられる」

「おれも言った。ここにいたら、死ぬまでこき使われる。カルナーナの法律は、場末の見世物小屋までは届かない。死んだら墓もなく、町はずれの荒野に埋められる。それに──」

 ナイフ投げは、途中から、やや強い口調になる。

「きょう、おれはあんたを見殺しにしようとした。長い間、他人に従うことに慣れ切ってしまうと、必要なときに、自分でそう動きたいと思うようには動けなくなってしまうんだ。そのことの怖さを、きょうおれは再確認したところだ。だから、ここには留まるな。だれかに従うしかない運命を、あえて選ぼうとするのはやめてくれ」


「そりゃ違うだろ」

 即座に舞姫がそう返す。

「あのとき、あたしは後先考えず座長をシメるつもりだったけど、あとになって考えりゃ、そんなことしたって何の解決にもならなかった。あたしを止めようとしたあんたの行動は間違っちゃいないよ」

「そうじゃない。そういう意味じゃないんだ」

 もどかしげに、ナイフ投げは言葉を詰まらせる。


 ルビーは、水槽の中から見回したときの、見世物一座の一人一人の顔を思い浮かべた。決してこちらを見ようとしなかったナイフ投げの表情とともに、あてもなく水槽の周りをぐるぐると回っていたロクサムの苦悩に満ちたまなざしを、再び思い出す。

 

「けど、ナイフ投げ、あなたは助けてくれたわ」

「それは、こいつが来たからだ」

 ナイフ投げは、目でブランコ乗りを示した。

「自分からは、動けなかった。あんたを助けるために、行動を起こすこと自体を思いつかなかったんだ」

「そんなのあたしも全然思いつかなかったけどね」

 ため息をついて、舞姫は言い諭すような口調になる。

「てか、ハル、少し落ち着きなよ。あんたはアートと一緒に人魚を助けたし、人魚は助かってここにいる。何の問題があるんだい? ねえ、人魚、あんたもそう思うだろ」

 彼女は振り返って、ルビーに同意を求めた。


 3人の目が、ルビーに向いた。ルビーは息を吸って、一呼吸おき、それからゆっくりと口を開いた。

「二人とも、さっきは助けてくれて、ありがとう。それから舞姫も。座長に抗議してくれてるのが水槽の中から見えてた。ありがと」


 3人の反応はそれぞれだった。

 ブランコ乗りはルビーに感謝を述べられたことがよっぽど意外だったのか、きょとんとした顔でルビーを見た。

 反対にナイフ投げは、不服そうな、何か言いたそうな顔をした。

 舞姫は笑顔で首を横に振った。

「よしとくれ。助けたのは男連中で、あたしゃ何にもしちゃいないよ」


「聞きたいことが、幾つかあるんだけど」

「どうぞ」

 舞姫が促した。


「もしもだけど、あのままあたしが水槽で死んでたら、どうなってたの?」

「どうって、どっかに埋められてたんじゃないかな」

「聞きたいのは埋葬の方法じゃないの。お金で買われた人間を、買った人は殺してもいいことになってるの?」

「まさか」

 舞姫は首を振った。

「でも、座長は殺人として届け出はしないだろうから、実質おとがめなしじゃないかな。居合わせた人間にも口裏を合わせるように言うだろうし」


「そしたらみんな、座長に言われたように話を合わせるの?」

「役人かなんかが調べに来たら、そうするんだろうねえ。でも実際そういうことが起こったとして、いちいち調べに来るかねえ……」

 舞姫は首を傾げた。

「なんていっても見世物小屋だからねえ。危険な出し物も多いし、事故はつきものだからね。出し物の練習中に誤って溺れたってことで、適当に処理されるんじゃないかね」


「きのうみたいなことって、前にもあったの? 練習中の事故のことじゃなくて、だれかが座長に逆らって殺された、とか……」

 舞姫は、答える代わりにナイフ投げを見た。

「ハル、そういうことってあったかい? あんたは10年以上ここにいるんだろ」

 ナイフ投げはしばらく黙って考えていたが、やがて首を横に振った。

「知っているかぎりでは、なかったと思う」


「わかった、ありがと、ナイフ投げ。一つ思ったことがあるの。座長は確かにあたしが溺れ死んでもかまわないと思ってたみたいだけど、別に殺すつもりはなかったんだと思うの。多分、追い詰められたらあたしが人魚に戻るんじゃないかと思っていただけ。だからもしあたしがあのまま溺れていたら、多分水から引き上げてもらえてたと思う」


「あの調子じゃ、間に合わなくておだぶつの可能性の方が高かったと思うけどね」

 舞姫は憮然とした表情で、腕組みをした。

「畜生。やっぱ一発ぐらいケリ入れときゃよかった」


「だが実際、ここでの暮らしはそう悪くはないんだ」

 少し憂鬱そうな調子で、ナイフ投げは言った。

「贅沢はできなくとも三度のメシはつくし、飢えることもない。寝る場所もある。三日に一度は湯あみもできる。服も支給される。座員同士の交流もある程度自由で、パフォーマーの扱いは実力主義だ。買われた身分だからといって、理不尽な暴力を振るわれることもない。春と秋には巡業もあるから、ある程度の人気が示せてそれに参加できたら、町から町へと旅もできて、退屈もしない」


「まあね」

 舞姫が、同意するように頷いた。

「炭鉱なんかに連れていかれたら悲惨だって聞くもんね」

「だが、おれはここに長くい過ぎた。知らないうちに飼いならされてることに気づかず、自分を見失ってしまっていた気がする」


「もう一つ聞いていい? これも、もしもだけど、逆にあたしが座長を殺していたら、どうなるの? たとえば薪割りの斧かなんかで座長の頭をかち割るとかして」

 ルビーの口からさりげなく飛び出した少々過激な言い回しに、舞姫がヒュウと口笛を吹いた。

「言うね、人魚ちゃん」


「それは死罪だよ」

 まじめな口調でブランコ乗りが答えた。

「買われた人間が、所有主を殺したら死刑になる。どんな状況でも、例えば殺されそうになって反撃したとしても。そこは以前の法律のまま変わってないよ」


「じゃ、買われたのでない人が、座長を殺した場合は?」

「市民同士のそれは町の裁判所に連れて行かれて面倒な裁判にかけられるんだ。場合によっては死罪になるけど、情状酌量されて、ならない場合もけっこうある」

「だったらもし、市民が貴族を殺したら?」

「市民同士の場合と同じだよ」

「カルナーナの現首相は平民の出だ。他国との兼ね合いもあって、貴族は優遇されている面もあるが、基本的な権利についてはこの国では平民は貴族と同等だ」

 ブランコ乗りの返事に、ナイフ投げはそう言い添えた。


「わかった。そういう決まりが目に見えないところでナイフ投げを縛ってたのね。でも、ナイフ投げは座長に逆らってあたしを助けてくれたし、それってやっぱり勇気がいったと思うの。ありがと、ナイフ投げ。それに、あなたが言いたいことも、わかったと思う。あたしもこれから気をつけることにする。だれかに従うことに慣れてしまわないように。自分をなくさないように」


「人魚ちゃん。あんた、ほんっとにここに残るつもりなのかい?」

 呆れたように、舞姫がそう聞いた。

 ルビーは頷いた。

「さっきも言ったけど、あたしだけが逃げる理由がない気がする。何がなんでもここを出てやらなきゃいけない急用があるのだったらともかく、外の世界に知り合いもいないし、今はここにいた方があたしにできることがある気がするんだもの」


 苦悩するロクサムの姿が、再び目に浮かんだ。貴婦人の家でそのまま出ていってしまおうかどうか一瞬迷った時も、頭をよぎったのはロクサムのことだった。

 具体的に何かができるとかできないとかいう大げさな話ではなく、友だちになったロクサムを置いてここを出るのが自分にとって何か違う気がするだけなのかもしれないということに、ルビーは思い至る。

 といって例えばロクサムを説得して自分と一緒に連れ出してしまうのも、それはそれで違う気がする。

 大体ロクサムがここを出てどこかに行きたいと思っているかどうかすら、ルビーにはよくわからない。


「当てならあるんだ、もしきみがよければ──」

「ブランコ乗り、それはあなたの知り合いで、あたしの知り合いではないわ」

 静かな声で、それでもきっぱりと、ルビーはブランコ乗りの言葉を遮った。


「あたしはあなたをよく知らないし、あなたにそこまでしてもらういわれはない気がする。この国の決まりに逆らって捕まるようなリスクを冒してまで、って意味だけど。それにあたしだけが逃げてもここにいる他の人たちの状況が変わるわけじゃないし、あたしよりも、他の逃げたくても逃げられない人が逃げる方が先じゃないのかしら。

 それよりブランコ乗り、あたしに空中ブランコを教えて」


 ブランコ乗りはどう返答しようか考えあぐねた様子だった。少し間が空いたあと、彼はぼそりとつぶやいた。

「かんべんしてくれ」


「言いだしっぺはアート、あんたじゃん」

 すかさず横から舞姫にそう突っ込まれ、彼は困った表情で言い返した。

「はずみで言っただけだよ。生半可なことじゃ舞台に出せるようにはならないし、失敗すれば命を落とす演目だし」


「けどブランコ乗り、あなたは舞台に出てるし、死なずに生きてるじゃない」

「ずっと続けていたら、多分いつか命を落とすよ」

 ルビーの言葉にブランコ乗りはそう反論したのち、言い直した。

「いや、必ずいつか、命を落とす」


「アート、あんた、そんなこと考えながら続けてんのかい?」

「いや、ぼくの話じゃない。ぼくは別にいいんだ。自分で体調管理をするし、続けられるかどうかの自己判断ができる立場だから。だけど、ここに買われてきて座長が最終決定権を持っている人間はもっと用心なきゃいけないし、危険な演目にはなるべく手を出さない方がいい。

 ていうか、赤毛ちゃん、そもそもぼくは、きみが承知すると思わなかったんだ。きみはぼくのことが嫌いみたいだから、ぼくと組むのは避けると思ったのに」


「あたしは馴れ馴れしくされるのが嫌なだけ」

 そう肩をそびやかしたルビーだったが、ふと疑問がわいた。

「あたしがあなたを嫌っていると思っていたのに、あなたは助けてくれたの?」

「そりゃ、ね」

 と、ブランコ乗りはため息をついた。

「いつもキャンキャン吠えてくる子犬が、水たまりにはまってじたばたしてたら助けるだろ。噛みつかれても、大したダメージじゃないよ」

「その言い方、なんかすごいむかつく」

「どれだけむかついても構わないから、空中ブランコは思いとどまってくれ」

「それは嫌」

「どうして?」

「やるって決めた」

「だから、なぜ?」

「わかんない」

 ルビーは目を伏せた。

「自分でもわかんないの」


 ブランコ乗りは腕組みをして、しばらく無言で考えていたが、顔を上げて聞いていた。

「今から行ってみる? 舞台の大天井おおてんじょうへ。実際に登ってみたら、きっと下から見るよりずっと高く感じると思うよ」

「いいの?」

 目を輝かせ、ぱっと顔を上げるルビーを、ブランコ乗りは、やっぱり困ったような顔をして見返した。

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