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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[一] 怪物の島と南の国 
11/110

11 見習いへの格下げ

 舞姫はゆるくウェーブのかかった暗い色合いのブロンドの髪ときれいな青い目をしていて、すらりと背が高い。全体的にほっそりとした体型なのにも関わらず、胸元と腰の重量感はルビーの倍ぐらいある。そして、その胸元と腰のくびれを強調するような短い丈の服を、いつも着ている。

 だから、ルビーに貸してくれた服も、これ以上は短くできないだろうというほど丈の短いショートパンツと、深く襟ぐりの開いた袖のない短いシャツだった。いつも舞姫がかっこよく着こなしているはずの服は、ルビーが着ると、パンツはぶかぶかでシャツの胸元もだぶだぶだった。

 貴婦人の夕食会のときから着ていた絹のドレスは、衣装係が回収に来た。洗濯をしてから衣装箱にしまって、また何かのときに使い回すらしい。


 舞姫は今、ルビーの隣で、ベッドの縁に腰掛けてナイトパックをしながら、長い髪を櫛で梳かしている。


 ついさっきまでルビーは舞姫らとともに、座長や副座長や補佐役を交えた気づまりな夕食会に、強制的に参加させられていた。おかげで、あとでもう一度ロクサムを訪ねて、さっきのよそよそしい態度がどうしてなのかを聞こうと思っていたのに、できなかった。

 何人もの人間を巻き込んで喧々囂々(けんけんごうごう)の言い合いになった夕食会のあと、ルビーは舞姫の部屋に連れて来られた。

 一座の花形から一転、見習いに格下げになることが決まり、座長がルビーから個室を取り上げたためだった。


 といって、ルビーのこれからの身の振り方がはっきり決まったわけではない。とりあえず何かの見習いからのスタートになるらしかったが、それが空中ブランコなのか、踊りなのか、大玉乗りなのかははっきりしなかった。

 人魚だったルビーは自分の部屋の中を移動するのにさえ苦労していた。人間になった彼女に一体どれほどの身体能力があるのかについて、だれも知らなかったのだから無理もない。


 ルビーは座長から、きょうから大部屋で雑魚寝だと言い渡されたが、舞姫が反対して、自分のところに連れて行くと言った。

「格下げのメンバーはいじめられやすいからね」

 隣の席に座ったルビーの耳元で、舞姫はそうささやいた。

「みんな普段から特別待遇をやっかんでるからさ。大部屋に移されたとたん、服や持ち物を隠されたりするんだ」


 座長がルビーをどこかに売り払うという案を引っ込めた一番大きな理由は、夕食の席で舞姫がふと漏らした一言にあった。

「ねえ、理由はわかんないけど、突然人間になっちゃったんだったらさ。突然また人魚に戻っちまうってのもありえるんじゃないの? 人魚が生まれつきなのか、これまで魔法かなんかであんな姿にされてたのかは知らないけどさ」

「あたしのは、生まれつきの姿よ」

「そうかい。そりゃ、大変だったね」

 人魚の言葉に、舞姫は同情した様子だった。


 北の海にいたときには、ルビーは自分の姿について疑問に思ったことなどなかった。同じ海の底に、人魚は他にも多く棲んでいたし、北の国の人間たちにも人魚の存在は、知れ渡っていたように思う。

 いや、知れ渡るというほどではなかったのかもしれない。でも、少なくとも北の漁師の一部は一族の存在を知っていて、大小の船を波間に駆って、人魚を追いかけ回していた。


 ところがこの大陸の南端の国では、人魚は海にいる超自然の生き物の一種であるという漠然とした認識以外には何もなく、北の果てに棲むルビー達一族のことは全く知られていない。まして、その肉を食べれば不老長寿になれるなどという恐ろしげな話も聞いたことがない。


 小さな小屋の水槽でルビーが見世物にされるとき、口上師が客に、おもしろおかしく人魚の生い立ちを説明する。けれどもその文言の中にも、人魚についての真実が織り込まれることなどほとんどない。

 口上師によるとルビーは、その母親が大量に魚を食べすぎたことによる呪いで、尻尾を持って生まれついたことにされていた。人魚は自分の罪を直視できない実の親から川に捨てられ、海に流れ着いてイルカに育てられ、人間の若者と出会って恋に落ち、悲恋ののち別れ、放浪の末ついにはこの見世物小屋に辿りつき、ここを安住の地として暮らすことになったのだ、という荒唐無稽な物語が、淀みなく語られる。

 口上師のつくり話を信じる客もいなかっただろうが、といって、本当のことを知りたがる客も特にいなかった。尻尾が本物かどうかを疑っているものすらいた気がするが、それを確かめることにも人々はさほど熱心ではなかった。


 大抵の人の反応は、「綺麗、でも可哀想」ぐらいで、もの珍しい人魚の姿そのものを見ることだけで満足して帰っていく。ルビーが伝説の海の生き物であれ、単に生きていくのに不自由に生まれついただけの人間であれ、自分の目を楽しませてくれるならば、南の国の人々にとってはどちらでもよいと思われているみたいだった。

 舞姫にとってもルビーは理解できない海の生き物ではなく、不自由な姿を持って生まれた可哀想な女の子に見えていたらしかった。


 遅い夕食会が終わってすぐ、ナイフ投げは、シーツでくるんだ干しわらの寝床をルビーの個室から持ち出して、舞姫の部屋に運び込んでくれた。

 舞姫がくつろいでいる横で、ルビーはシーツの上に足を伸ばし、部屋の壁にもたれて座った。

 疲れていたから本当は横になりたかったけれども、さっきナイフ投げが来たときに、あとでまた顔を出すと言っていたから、眠ってしまうわけにはいかなかった。

 相談がある。そう、ナイフ投げは言っていた。


 ルビーはシーツの上に伸ばした自分の脚を、まじまじと観察した。尻尾に大きな怪我をしてからは初めての変身だったが、消えてなくなることのない尻尾の醜い傷痕は、見たところ人間の姿には全く投影されていない。すんなりとした両脚は以前のままに滑らかに白く、擦り傷一つなかった。


「ねえ、人魚ちゃん」

 舞姫が、話しかけてきた。

「その足のアンクレット、以前尻尾にはめてたやつと同じやつなの? 前はそんな色じゃなかったよね」

 顔をあげると、舞姫は心配そうな顔で、じっとルビーを見ていた。


「男どもが来る前に聞いちゃっていいかな。ぶっちゃけあの奥さまに何かされたの? おととい迎えに行ったときあんたが泣いてたって、アートが──ブランコ乗りが言ってたんだ」

 ブランコ乗りをアートと呼んだ舞姫は、ルビーのために言い直した。


「貴族連中ってのは変態が多いからさ。ただ、あたしが見たところじゃ、これまであの奥さまはそんな感じじゃなかったんだけどね。金離れがいいし、あたしらへのもてなし方もスマートだし、わがままは言わないし、ずっといい客だった。まあ、屋敷に残った男どもと何をどうしてるかなんて具体的な話を教えてもらってたわけじゃなかったけどさ。ねえ人魚、やっぱり、あいつは間に合わなかったのかい?」


 舞姫は、人間の男と女がするようなことをルビーが貴婦人にされたのではないかと心配している様子だった。

 多分、あのとき貴婦人はそうするつもりだったのだろうとも思う。

 あの日ルビーは夕食のメインディッシュになってしまったアシュレイのことで頭がいっぱいで、貴婦人のこともブランコ乗りのことも、どこか遠くで起こっている出来事のようにしか感じられなかったのだけれども。


 ルビーは目を見開いて、かぶりを振った。といってアシュレイのことを舞姫にどう説明すればいいのかがわからない。

「ブランコ乗りは間に合ったわ。奥さまとは何もなかった。あたしはただ、奥さまとは関係のない別のつらいことがあって、それを思って泣いていただけなの」

「そっか。そうだね。つらいことってあるんだよね」

 ルビーには漠然としか説明できなかったが、舞姫はそれで納得してくれたらしく、うんうんと頷いた。

「間に合ったんだったらよかったよ」


「あのときブランコ乗りが戻ってきたのは、あたしを助けるためだったの?」

 今さらな質問だったけれども、ルビーはそう口に出して、舞姫に問いかけた。

「そりゃそうさ。あたしらは芸人だからお得意さんと寝ることだってある。けど、あんたみたいな若い子が、今からそんな真似をすることはないんだ。若いうちは好きな相手とだけ寝てりゃいいんだ。座長に何を言われても、ぬらりくらりと逃げてりゃいい」


「若い子っていうけど、舞姫はあたしとそんなに歳は違わないと思う。ブランコ乗りだって」

 ルビーは首を傾げた。ナイフ投げはもう少し歳が上に見えたけど、舞姫とブランコ乗りは20歳をそんなに過ぎているようには見えない。


「あたしは積極的に逃げてるさ。座長はすぐ金に目がくらむから結構揉めるけど、強気で通してる。ま、ブランコ乗りだったら多情だから女に関してなら何も問題ないよ。むしろあの男には、好きじゃない女を捜す方が難しいんじゃないかね」

 あっけらかんとそう言うと、舞姫はけらけらと笑った。


「あたし、ブランコ乗りにお礼を言ってない。それに、きょうだって助けてもらったのに無視しちゃったし」

「あんたはあいつの軽口が気に障るんだろう」

 聞かれてルビーは頷いた。

「最初からすごい馴れ馴れしいんだもの。あのキザったらしい言葉づかいとか聞いてると、なんだか背中がゾワゾワしてくるの」


 ルビーの言葉に舞姫は、もう一度けらけら笑った。

「あんな調子でも結構な数の女がなびくから、いい気になってるんだろうね。けど悪いやつじゃないよ。軽いしお調子者だけどさ。まあ、一度ぐらい女から肘鉄ひじてつ食らわされんのもあいつにはいい薬だね」


 気にしない、気にしない。そう言いながら、舞姫はパタパタと手を振った。

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