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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[七] 少年とエルミラーレン公爵城(仮題/執筆中)
108/110

108 再びのエルミラーレン城

 強くイメージするだけでよい。

 ロビンはそう言っていた。

 ロメオは今度こそはと心を落ち着けて、なるべく正確に思い描く。

 エルミラーレン公爵城の、消毒液の匂いのする白い部屋。銀縁のメガネをかけた陰険そうな白っぽい男。ベッドの脇に控える主治医。茶色い髪の小柄な少女ジュリアと、その傍らに寄り添う子猫のアゲート。ロメオたちを阻む、影のように印象の薄い護衛ら。

 そして──。


 いままさに、ロメオの身体は床に倒れ込もうとしていた。

 色を失った顔でぼんやりと立ちすくんでいたはずのジュリアが振り向き、大きな悲鳴を上げる。


「きゃあああぁぁぁっ!ロメオさんっ!!!」


 ジュリアは思わず叫んでしまったあとで、はっとして自分の口をふさぎ、病床の男を振り返った。

 子猫のアゲートが病床の男に飛びかかる。小さな生き物のアタックによって男の肩が押される。それだけのことで男はバランスを崩し、その半身はたわいなくベッドの上に倒れかかっていく。


 一方ロメオは床に激突する瞬間かろうじて受け身をとって頭部を衝撃から守り、くるりと身をひるがえして起き上がった。軽くジャンプしてみる。それからコキコキと肩の関節を鳴らす。強くぶつかりはしたが、打ち身ぐらいのもので特にどこにも異常はない。


 どうにか自分の身体に戻ってくることができた。

 しかも、ロメオが身体から弾き飛ばされた瞬間から、どうやらほとんど時間が流れていない。


 彼らの主人が子猫に襲われているというのに、なぜか護衛の兵たちは動かず、ぼんやりとした顔のままだ。振り向いて声を上げる直前までのジュリアがそうだったように。

 子猫のアゲートは、倒れ込んだ男の背中を蹴って床に降り立ち、静かに歩いてジュリアの傍らに戻ってきた。さっきまで逆立っていた毛並みはもとに戻っている。


 ベッドの横にいた主治医はなぜかそわそわした様子で、しきりにあたりを見回している。

 ロメオに目を留めた医者は、少々ためらう様子を見せた後、ひょこひょことこちらに近づいてきた。


「もし、あんた。ここはいったいどこだね? わしはなんでまたこんなところにいるんだろう? わしの助手はどこにいるんだい?」

「ここはエルミラーレン公爵城だそうだぜ。あんたは病のアントワーヌ・エルミラーレン殿下のかかりつけの医者じゃねえのか?」


 ロメオの言葉に対し、医者は咎めるような口調になる。


「馬鹿を言っちゃいけないよ、あんた。アントワーヌ・エルミラーレン公爵は、25年前、暴徒によって命を奪われた悲劇の王族の名だ。その名前を軽々しく使うのは不謹慎ではないかね」

「おれじゃねえ。あんたの横の、そのベッドの上に倒れてる男が自分のことをそう名乗ったんだぜ」


 言いながらベッドに目をやったロメオは、身体をくの字に折って倒れ込んでいる男の頭髪の色が、さっきまでとは違っていることに気づく。

 アントワーヌ・エルミラーレンは白銀に近いごく淡い金髪だったが、今倒れている男の後頭部はきれいなはちみつのような金色に見える。

 医者がそれを助け起こそうとして、手を止めた。


「これは死体だね。まだ温かいが……いやしかし……」


 彼は戸惑った顔で、ぶつぶつと独り言を言った。


「どう見てもこれは、きのうきょう亡くなったばかりの死体ではないのだが……どうも死後2、3日は経過しているようだが、いやしかし、たったいま亡くなったかのように温かいのはどういったわけだろう?」

「その人、さっきまで動いて話もしていました」


 ジュリアが口を開いた。


「そして確かに自分のことを、王族の方の名前で乗ったんです。さきほど先生は、その人が身を起こすときに手を貸していました。覚えてらっしゃいませんか?」

「ううむ……」


 医者は顔をしかめ、頭に手をやった。


「何だかそんな記憶があるぞ。わしはこのベッドに横たわっている男の診察をしたぞ。それも何度も脈を測ったような……。しかし、脈がちゃんと打っていたのかどうかの記憶がない。ううむ……」


 そのとき、病室の入口のドアがバンッと開いた。


「ジュリア姉さん!」

「マクシミリアンぼっちゃま!」


 大きな声でそれぞれの名前を叫びながら飛び込んできたのはジョヴァンニと、先ほど城へと案内してくれた初老の男だった。

 ジョヴァンニは、金色のボタンの付いた軍服のようなものを身に着けていた。黒地だが緑と黄色の二色の刺繍の縫い取りが全体を縁取っていて、上着の裾は長く、やや装飾過多のものだ。共和国の制服ではない。子どもの頃ロメオが絵本の挿絵で見た、カルナーナ王家に仕える騎士の服だ。

 ジョヴァンニはジュリアのところへ、初老の男はベッドへ急ぐ。


「ジョヴァンニ! よかった。あなた、無事だったのね」


 振り向いたジュリアのもとに駆け寄ったジョヴァンニは、姉の顔を覗き込んだ。


「姉さん、なんだか顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、ジョヴァンニ」

「南部からこの湖沼地帯まで一気に跳ぶ羽目になったんだ。お姉さんは"転移酔い"ってやつだと思うぜ」


 そう説明するロメオをジョヴァンニは見上げた。


「あなたはハマースタインの奥様のところの警備兵の方ですね。その節は本当にご迷惑をおかけしました。あなたが姉を連れてきてくださったんですか?」

「いや、おれたちをここに連れてきたのはあの──」


 とロメオは病人を抱え起こそうとしている初老の男の白髪の頭に目をやり、


「ベッドの傍らにいるあの老紳士だ。やつが術を使って馬車を南部からここまで一気に転移させんだ。おれはジュリアさんについてきただけだぜ」


 さっき医者はやりかけてやめたところだったが、初老の男は苦労して亡骸を抱え起こし、仰向けに横たえなおそうとしていた。


「マクシミリアンぼっちゃま、申し訳ございません。こんな状態のままあなたを放置してしまうことになってしまうなんて……」


 しきりに詫びながら奮闘する初老の男に歩み寄り、ロメオは手を貸した。仰向けにすると改めて、金髪の男の顔が赤黒くまだらに変色しているのがわかる。どう見ても遺体だった。死後硬直の時期はとっくに過ぎて、静かに腐敗が始まっている状態の。


「この人はマクシミリアンというのか?」


 ロメオがそう聞くと、初老の男は振り向いた。


「マクシミリアン・デュメニアさまです。カルナーナ共和国建設省のデュメニア大臣の弟(ぎみ)です。先日落馬し、全身を強く打って亡くなられました。どうやらわたしは遺体を操る魔のものに、先ほどまで自らの意志と思考を奪われ加担していたようなのです。南部にいらっしゃる兄君に訃報をお伝えすることも、亡骸をきちんと埋葬してさしあげることもできず、マクシミリアンさまを乗っ取って動かしていた怪しい男のなすがままでした。わたしだけではありません。マクシミリアンさまの屋敷に仕えていたすべての者らごと、この得体のしれない場所に移転してきております」

「侍従長さん」


 と、ジョヴァンニが男に声をかける。


「理由はわかりませんが、ぼくらみんなにかけられていたエルミラーレン殿下の術が、突如として解けました。侍従長さんはある程度状況を把握しておられてしっかりしていらっしゃるようにお見受けしますが、他の人たちはいま、混乱しきってなすすべがない状況に置かれているのではないかと思います。この城の人たちに状況を説明するのを、手伝っていただけませんか?」

「エルミラーレン殿下とおっしゃいましたか? ここは城なのですか?」

「はい。本人はエルミラーレン王兄殿下の血筋のものだと名乗っていました。城は秋の初めに人足のひとたちを連れてきて建てたものだと本人が話していました」


 ジョヴァンニが侍従長と呼んだ初老の男は考え込む顔で瞑目した。


「ぼっちゃまの身体を操る得体のしれない男を、主人だと思い込まされて仕えていたことは覚えています。ですが、どうも記憶がとぎれとぎれで意識が混濁していたような状況で、ぼっちゃまが亡くなられてからどれぐらいの間そういう状態であったのか、よくわかりません」

「エルミラーレン公爵の末裔を名乗る人物が、突然、南部の首都のハマースタインの奥さまのお屋敷に現れたのはいまからおよそひと月ほど前になります。そのときに憑依されていたとある人の証言により、その人物はすでに"病で寝たきりの男"であったことがわかっています」


 ジョヴァンニの言葉に侍従長は、もう一度ベッドに横たわる男の亡骸を見やる。


「ぼっちゃまが落馬して息を引き取られたのは夏の終わりでした。このあたりは高地とはいえ、まだ気候が穏やかな季節でしたので、一刻も早く葬儀と埋葬を執り行わなければならないと、兄君のジグムントさまのもとに早馬を走らせようと、その算段を考えていたところまでは覚えています」

「季節はもうすぐ秋が終わろうとしています。侍従長さんは一刻も早くこちらの方のご遺体を埋葬されたいとは思われますが、ひとまずはこの部屋の窓を開け冷たい空気を入れることで、まずはほかの方の説得に力を貸していただけないでしょうか?」


 デュメニア大臣の弟が命を落としてからすでに何か月も過ぎている計算になるが、先ほどの医者の見立てでは死後2、3日経過後ということであった。

 アントワーヌ・エルミラーレンが乗り移っていた期間は時間が止まっていたということだろうか。歩けはしなかったがベッドの上で動いたり食べ物を摂取していたりができていたようなので、何か別の原理で一時的に生きているような状態にされていたのかもしれない。


「承知いたしました」


 初老の男は重々しい顔で頷き、自らの手でバルコニーに続く窓を開け放しに行った。

 次にジョヴァンニはロメオの方を向く。


「すみませんがハマースタインの警護のお方、あなたにもお手伝いいただけるでしょうか? 姉さんを助けてここに来てくださった方を使うのは心苦しいのですが、ここにいる守衛の人たちのように、呪縛が解けても自分の意志で動くことすらできなくなっている人もいるようです」


 ジョヴァンニの言うとおり、警備の男たちは魂の抜けた顔で始終ぼんやりと突っ立ったままだ。


「ロメオだ。ジョヴァンニと呼ばせてもらうぜ」

「わしはビクトールだ」

「パスカルと申します」


 頷いてロメオが名乗ると、難しい顔で話を聞いていた医師と窓を開け放ちに行った初老の男もそれぞれそう名乗った。


「ジョヴァンニ、わたしもお手伝いするから言ってちょうだい。混乱している人への説明は無理でも、意志を失ってぼんやりいる人たちを連れて行ってどこかで休ませるぐらいならできるわ」

「いえ、姉さんは休んでいてください」


 ジュリアの申し出に対し、ジョヴァンニは首を振る。


「ビクトール先生、すみませんがまずちょっと姉の状態を見ていただけませんか? 別の部屋へご案内します」

「ジョヴァンニくん、わしはよく覚えているような覚えていないような変な感じなんだが、城の中に医務室があった気がするんだが、きみは知らないかね?」

「あっ、わかります。正門のすぐ横の部屋で、ここからもすぐです。ご案内します」

「さっきの話だと、何やら術を使って南都から一気にこの湖沼地帯へ飛んだと言っていなかったか? わしが思うにこちらのお嬢さんは高山病ではないかね」

「ジュリアです」

「ジュリアちゃんは休んでいた方がよいとわしも思うな。ロメオくん、ジュリアちゃんをおぶえるか? ジョヴァンニくんは医務室へ案内してくれ」


 ビクトール医師はその場できびきびと指示しはじめた。


ロビン(ルビー) 主人公で人魚

ロメオ ハマースタインの奥様の屋敷の警備兵 なんかジュリアのことが好きらしい

アントワーヌ・エルミラーレン公爵 悪いやつ

ジョヴァンニ 元町警察で現近衛兵 エルミラーレン公爵に操られていた

ジュリア ジョヴァンニの姉で首相官邸書記官の1人

マクシミリアン・デュメニア デュメニア大臣の弟で死人 エルミラーレン公爵に憑依されてた

デュメニア大臣ジグムント ここにはいないけど味方の人

パスカル 侍従長 マクシミリアンの家臣だった人 城でエルミラーレン公爵に操られていた 

ビクトール 医者 城でエルミラーレン公爵に操られていた

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