102 喰らうもの
そこはどうでもこだわるべきところなんだろうか……。
呆れ返った彼の眼差しを気にする様子もなく、ジゼルは嫣然と微笑んだ。
「以前誘惑しそこねたのは少し残念な気もするけれども、だからこそ、あなたはこうして力を貸してくれるのですものね。幸運だったと言うべきでしょうね」
その言葉にはロメオは首を振った。死んでしまっては幸運も何もないではないか。
「あんたはもうちょっと──なんていうのか、相手を選ぶべきだったんじゃねえのか? あの専任護衛官は、あんたのことをずっと疑っていたんだろう。変にちょっかいをかけて警戒心を増長させることさえなかったら、ここまでの敵意を向けられることなくやりすごせていたかもしれねえ」
いまさら咎めてもどうしようもないことだったが、ここではそう考えることが、即口に出すことになってしまう。
「そうね」
ジゼルは首を傾げた。
「そうかもしれない。でも、あなたたちも悪いのよ。だってあなたたちが、ハリーを遠くに逃がしてしまったのですもの」
ナイフ投げのハロルド・レヴィンは奴隷だった。腕のよい芸人であったにもかかわらず、見世物小屋の座長から不当に搾取されていて、10年働きつづけても自由を買い取る目算を立てることの叶わぬ状況だった。
だから強引に──法に触れるやり方で──彼はその境遇を脱出し、奴隷解放同盟はそれに力を貸したのだ。
「ハリーは口数の少ない人で、自分のことはあまり話そうとしなかったけれども、なぜかしら、わたくしが何者かを、正確に理解してくれていたのよ。彼はわたくしが"喰らうもの"だと知っていた。まるで以前同じように、"喰らうもの"の近くにいたことがあるかのように。その手助けをしたことがあるかのように。彼は、ごく自然にわたくしが何を必要としているのかを知っていて、呼吸をするかのようにそれを与えてくれていたわ。それでいて彼は、わたくしに対する嫌悪感も恐れも持たなかった」
ジゼルがいつもより饒舌に見えるのは、やはり彼女にとっても、考えることと口に出すことの境界線がなくなっているからなのだろう。
「わたくしたち"喰らうもの"は、自分たちの内側に飼う強力な魔力にこの肉体が飲みこまれて消えてしまうのを防ぐために、ほかの人たちの内側にある綺麗なエネルギーをかすめ取らなければならないの。それも多くの魔力を振るうほどに、より多く際限なくもぎ取らなければならなくなるわ。
相手からそれを奪うためにはは、ふたつの条件があるのよ。1つには相手と直接触れられるぐらいの近い距離にいること。もう1つは相手の心が平常心とは遠い状態にあること──何かに熱狂していたり、強い恋慕や憧れを抱いていたり、逆に激しい憤怒や憎しみに囚われていたり……。相手のその感情は必ずしも自分に向いている必要はないけれども、直接感情を向けてくる相手から奪い取る方が、どちらかといえばたやすいわ。
これまでにも、貴族の中で強い魔力を持つ者たちは、それぞれの国や領土で多くの民を虐げてきたわ。それは彼らにとって強い負の感情の方が、相手を選ばずたやすく引き出しやすかったからなのでしょう。周囲の人たちの気持ちを常につかんで離さないような、飛びぬけて魅力的な人物でもないかぎりね。
我がブリュー侯爵領も、代々にわたって理不尽に痛めつけられて苦しんだ領民、そのあげく命を落とした領民たちの慟哭の上に栄えてきた。わたくしたちは一見は人に似ているけれども、本当はいびつで不完全でグロテスクな異形のものなの」
ロメオは以前にも一度、貴婦人からそのような話を聞いたことがある。それでも以前の彼女は、ここまで直裁なものの言い方はしていなかった。
「ねえロメオ」
貴婦人はふと真顔になって、ロメオに聞いてきた。
「いつだったかあなたは、夫のグレッグがこのことを知っているのかと尋ねたことがあったたわよね。あのときのわたくしは、どうやって夫に説明すればいいのかわからないと答えたわ。あなた、覚えてる?」
ロメオはその問いに無言で頷いた。
「ハリーに出会ってからわたくしは、彼を見るたび、この人ができたことを夫に対してできないと、理解してもらえないとどうして決めつけてしまっていたのだろうと、何度も考えてしまったのよ」
しかしそれは無理からぬことであったようにロメオには思えた。
「あんたがその特異体質──とでもいうのか?──について知らねえ相手への説明も理解を得るのも難しいってえ判断は、至極まっとうだとおれは思うがな」
それともうひとつ。
ハルについてのジゼルの話を聞いたロメオには、思い当たることがあった。
「それに、おそらくだがナイフ投げの場合は事情が特殊だと思うぜ」
「どういうこと?」
「それはやつが10年前に滅びたアストライアの生き残りだからじゃねぇのか? それでやつは知ってたんじゃねえのか? 不相応な魔力を持てあまして困るやつがいるってのをよ」
不思議そうに貴婦人はロメオを見返した。
「ハリーが滅びたアストライア王国から来たかもしれないというのなら、それはわかるわ。アストライア人の特徴は黒い髪と黒い瞳だって聞いたことがあるもの」
「浅黒い肌と、長い手足と、彫りの深い整った顔立ちもな」
ロメオはそう補足する。
「黒髪と黒い目の民族は、東南にある別の大陸や、アララーク連邦内でも一部の山岳民族などにもいる。だが、彼らはアストライア人と違ってずんぐりしていたり、どちらかというと平面的な顔つきだったりだ」
「ハリーがアストライア王国の出身だとして、どうしてそれが彼が"喰らうもの"を知っていた理由になるの?」
10年前、アストライア聖王家は消失した。そのときかの国では強い魔力を持った多くのものらが、身の内に余る魔力の制御の方法を失い、貴婦人のいうところの"喰らうもの"に変化したのだ。
ロメオはそう考える。
アストライア王国の滅亡について一般に知られている話はまた違っている。王家の断絶に乗じてアストライア国内の貴族らが醜い覇権争いを繰り広げた末、魔力を暴走させて国を破滅に導いた、というものだ。
貴族同士の争いに周辺諸国が参戦し、それはやがて大陸全体を巻き込む戦乱へと発展していったとされている。
アストライアの国土は貴族らや各国の術師らがぶつかり合うという最悪の形での戦いにより食い荒らされ、そのほとんどが焦土と化し、その地に生き残ったアストライア人の数はわずか500人足らずだったという話だった。
戦乱に収拾をつけたのが、新しく台頭してきたアララーク王国だ。
新興国らしく合理性を好み、術師に頼らない近代兵器を伴う人海戦術により、他国を次々と制圧していった。
アストライアの消失には、3つの周辺国が直接関与したといわれている。それら3つの国は゛には重い戦争責任があるとされ、戦乱終結時にはアララークの属国とされた。各国の都市に軍の駐在員が配備され、為政者に対しては課税、国民に対しては徴兵あるいは文人の徴集など、さまざまな条件を飲まされた。
ちなみにカルナーナもアララークの配下に下ることとなったが、他の国ほど厳しい条件は課せられず、自治権も認められている。
現在大陸内でアララークが属国として支配していない国は、北方3国のうちのメリルヨルデを除く2国のみとなる。その2国以外の8国が属国となり、それにアララーク本国を加えた9つの国がアララーク連邦国と呼ばれている。
アストライア王国には新王は立てられず、アララークはそこを自国の直轄の地と定めた。つまりアストライアという国はすでになく、いまはアララーク本国の一部に数えられている。
とはいえアララーク先王の王妃がアストライア聖王家の王女であり、現王アルベルトは聖王家の正統な血を引くものである。わずかに残されたアストライア王国の国民にとっても比較的納得のいく決着のつけ方となったといえる。
そこまでが、これまでロメオがさまざまな人から得た伝聞の概要なのだが。
貴族が覇権争いのため魔力を暴走させたという点については曖昧な上、不自然だ。
そうではなく、聖王家が滅びたことにより、自らの魔力をコントロールする術を失った貴族たちがそれを暴走させて国の秩序が崩壊したのではないだろうか?
聖王家がなぜ"聖"王家と呼ばれていたかについて、ある逸話をロメオは聞いたことがある。アストライアにおける王位の継承は血統によってのみなされるものではなく、国を統治するための特殊な鍛錬を必要とする、というものだ。アストライアの王はけた外れの魔力を持つとともに国民すべてのために祈る聖職者でもある、とも言われていた。
継承されたその鍛錬がどのようなものであるかはわからないが、貴族らの持つ魔力の暴走を抑えるためのものと考えれば腑に落ちる。
10年前のアストライアに起こった混迷というのは、聖王家が消失したことにより王族や貴族が身の内に余る魔力の制御の方法を失い、"喰らうもの"に変化したことによるのではないだろうか。彼らは民をかばい守る存在から、搾取し喰らう存在となり下がってしまった。リナール、アルグリッド、ナルキア、カルナーナなどの周辺国の貴族らが、当時すでにそうであったように。
「そうね」
貴婦人は物憂げな表情で少しうつむいた。
「ロメオ、ハリーはあなたの考えているように、10年前の滅びる直前のアストライアから亡命してきたのかもしれないわね。もしかしたら彼のよく知っている人が、大きすぎる魔力とその器のバランスを崩して"喰らうもの"と化してしまったのかもしれない。それでも──」
そうしてジゼルは静かに言葉をつなぐ。
「ハリーにできたことがグレッグにできなかったわけがないと、わたくしは思ってしまうの。いいえ──確かに結果はわからない。本当のことを話していたとして、夫がわたくしを受け入れてくれていたかどうかなんて……だって、あのころのわたくしは、そんなこと試してみようとすら思わなかったのですもの。
あのころのわたくしは本当に愚かで、あの人にわたくしの正体を打ち明け、何か対策を講じる必要があるかもしれないなど、考えもつかなかったのよ。あの人が──グレッグが生きてさえいてくれれば、生きていてわたくしのことを好きでいてくれて、情熱的な気持ちをずっと向けていてくれさえしたらそれだけで、わたくしはこれまでそうであったような、醜くおぞましい、忌まわしい生き物であることから決別できるのだと──永遠に決別できたのだと、そう思い込んでいたのだわ。
それに、きっと本当は夫に知られたくなかった気持ちもあった。過去に幾度も火遊びを繰り返してきた身持ちの悪い女だと知っていてあの人はわたくしを愛してくれたけれども、本当はわたくしがおぞましい化け物で魔力を使うたびに生贄を必要とするなどということを、ただ本当に知られたくなかったの。
あの人の命を奪ったのはお父さまだけれども、わたくしと駆け落ちしたことで貴族という化け物を敵に回さなければいけなくなったあの人に、何の情報も与えず手立てを講じることもさせず、無防備なままで悪意に満ちたこの世界に放り出したのはわたくしだったのだわ」
ロメオは軽く目を見張る。
目の前でそういいつのる貴婦人の姿が、いつしか先ほどとすっかり違ってしまっていたからだ。
きちんと結いあげていたはずの髪は乱れるままに、痩せこけて憔悴しきった青白い顔にはくっきりと隈が浮かび、唇はかさかさになってひび割れ、大きな眼ばかりがぎらぎらと血走ってロメオを覗き込む。
それはいまの──最近のジゼルの姿ではなかった。
夫であるグレゴール・ハマースタイン大佐を失った後、怪しげなまじない通りを始めとして魔道具屋や情報屋、あるいはさまざまな裏稼業を営むものらの集まる場所へ足しげく通い、見世物小屋にまでも足を伸ばし、捜し出した術師を家に招いて、大佐の形見の品を検分にかけたころの彼女。
見世物小屋から何人もの若い男を指名して、屋敷に呼びつけ寝所に引き込み、"毒婦"として週刊誌を賑わせる一方で、やつれた目元を黒いヴェールに隠して屋敷に引きこもるようになった頃の──。
貴婦人の後ろにあるのは石の壁と古びたマントルピース。
そこはロメオも見慣れたハマースタイン邸の居室のひとつだ。
しかし一瞬でその背景は消え、彼は再び夕焼けの風景のただなかに投げ出された。
呆然とするロメオの目の前に、再びアルカイックな笑みを浮かべたジゼルが現れ、静かにこちらを見ていた。
諦念をたたえた澄んだまなざしで。どこか明るい表情で。
「エルミラーレン公爵城に肉体を置いてきているせいね。あなたの"過去視"の力が安定しなくて、ちょっと遠い昔にまで飛んでしまうのだわ」
「"過去視"?」
「王族の男の力に触発されたのではなくて?」
「どういう意味だ?」
ジゼルはまるで、ロメオ自身が妖しげな術を使って過去を見ているかのような口ぶりだ。
貴婦人はロメオの心を読んで、にっこりと肯定の笑みを浮かべる。
「ええ、そのとおりよ、ロメオ」
「これはジゼル、あんたがやってることじゃねえのか?」
「そんなわけがないでしょう? わたくしのエネルギーはすべて尽きたとさっき説明したところよ」
「おれにはそんなわけのわからん力はねえ」
そう繰り返すロメオを、貴婦人は不思議そうにまじまじと見た。
「だとしたら、そうね……」
彼女は考え込むように少し目を伏せる。
「エルミラーレン公爵の力かしらね。あの男が移心交換の術に失敗したせいで、彼の持つ魔力を、あなたが一時的に奪い取ってしまったのかしら。めったなことでは失敗しない術を失敗するなんて、よほどあなたと性質が合わなかったのね。よくわからないけど、術をかける相手が王家の血を引いてさえいれば、移心交換の術がうまくいくというわけではないのでしょう」
「ちょっと待て」
貴婦人の口にする不穏な言葉をロメオは聞き咎めた。
「おれが王家の血を引くってのはやつのでたらめだと思うぜ?」
ジゼルは微笑んだ。
「あの男の言葉は偽りだらけだけれども、あなたが王家の血を引いているのは本当。古くから王家に仕えてきた武家があって、その武家の起源は初代の王の臣下に下った兄弟だと言われているの。モルデウ家はその古い武家の傍系の1つ。王城の古文書の記録にもあると聞いているわ。何代か前に、王族の姫がブリュー侯爵家に輿入れをしてきたときに、姫の護衛として南部に同行してきた。それから私たちの先祖に仕えてくれるようになったのよ」
「聞いたこともねえ。しかし仮にその話が本当だとしても、初代の王の兄弟が最初から臣下になったのなら、王家とは言わねえ。そりゃ王国が始まったときから武家だったってことじゃねえか」
「あら、そこは大した問題ではないのではないかしら? 王家と先祖を同じくするという意味では同じことではなくて?」
貴婦人は首をかしげる。
「ロメオ、少なくともいまのあなたが強い魔力を帯びた存在で、わたくしの導き手としてここにいることは事実なのよ」
ジゼルはちょっと言葉を切ってから、言い加えた。
「その"過去視"の力でもって、こうしてわたくしに、わたくし自身の最期の瞬間を見せてくれたのですもの」
何をどう答えてよいかわからず無言のままの彼に、彼女はふわりと微笑んだ。
「ねえ、ロメオ、あなたにもう1つ、お願いをしてもいい?」
「……なんだ?」
「ロビンからわたくしの預かってきた人魚の魔力を、あの子に返してやって」
自分にできることであれば──と、ロメオが返答する間もなく、貴婦人は途方もない頼み事をさらりと口にした。
「どうやってだ?」
ロメオは術師ではない。魔法や魔術に関してはずぶの素人だ。貴婦人はロビンの声の魔力と言っていただろうか。そんなものが、自分にうまく扱えるはずがない。
たとえ貴婦人の言うように、エルミラーレン公爵の持つ魔力を現在一時的に自分がまとっているにしても。
「方法は任せるわ」
彼の内心の戸惑いは伝わっているはずだろうに、ジゼルはこともなげにそう言い放つ。
「お願いよ。これはあなたにしかできないの。あなたはわたくしの古い知り合いで、家臣としての行動ではなく、わたくしと敵対するための行動でもなく、本当に自由に動けるのですもの。きっとわたくしは、ブリュー侯爵城を包む闇の中にこのまま取り込まれてしまうでしょう。けれどもあの子の声は闇とは共鳴するものではないわ。だからあの城から救い出すことができるはず」
「やり方がわからねぇぞ」
「いま、わからなくてもいいわ」
どちらかというと抑揚のない貴婦人の口調の中に、切羽詰まった何かを感じたのは、気のせいだろうか。
「……いいだろう」
ややあって、ロメオは頷いた。
「できるだけのことをしてみよう。魔力の扱い方など見当もつかねぇがな」
どのみちブリュー侯爵領になるべく早く足を運ぶ必要があると考えたところだった。貴婦人が迎えた最期についての、アートを納得させる証拠のようなものを捜しに来なければならないのだ。ロビンと合流して連れてくるしかないだろう。
あわせて、協力してもらえそうな相手に助けを求めることも考えよう。ロメオはマリア・リベルテや、カルロ首相の姿を思い浮かべた。
あるいは術師を探して金で雇い入れる必要があるかもしれない。
ジュリアを連れてくることはできないだろう。弟のジョヴァンニとともに安全な場所を探して預けなければ。
いや、なによりもまず一番に、ロメオ自身が自分の身体に戻らなければならない。
ロメオはもう一度眼下のブリュー公爵城に目をやった。
黒い霧が急降下して城の屋上を包み始める。ジゼルの首を切り落とした専任護衛官は体勢を整える間もなく霧に飲み込まれ、意識を失って倒れた。
首のない貴婦人の身体と術の使い手だった専任護衛官は、霧に包まれても姿が変化する様子はなかった。なぜかその二人だけはくしゃくしゃに縮んでミイラ化することなく横たわったままだ。
路地にいたもう1人の術師が、異変を察知して王城を見上げ、振り返って通りの向こうを仰いだ。
と、彼もまた、先ほどの術師のように大きく跳躍し、いくつかの建物を飛び越える。
灰色の町警察の制服の若い術師が着地したのは、幾つかの交差点の向こうの建物の半地下にある小さな居住区の入口の前だ。ちょうどその中から、老婆と小さな女の子が出てきたところだった。
老婆はほとんど目が見えない様子で、女の子は老婆の手を引いて、やっとこさ2人で階段を上ってきたところらしかった。
若い術師は霧が地面に届く直前、老婆と女の子を掬うように片手で抱え上げ、素早く駆け出したかと思うと再び大きく跳んだ。残るもう片方の手を振って結界を張りながら、黒い霧の立ち込める城壁に飛び乗り、そののち城壁の外へ消える。
壁の向こうには乾いた荒野が広がっている。術師は跳躍を繰り返しながら、草の波の彼方へと消えた。
空から夕焼けの残りの最後の光が消える。
黒い霧は、人々が去った通りを大きく包み込んだ。
町の中央に位置する古城からも、染みが広がるように濃い闇色の霧が噴き出してきた。
日暮れとともに、まだらに空を覆う雲から、静かに、静かに雨が降り始めた。
干からびて転がっていただけだったいくつもの亡骸が次々にムックリ起き上がると、雨が降りそそぐ通りを徘徊し始めた。
彼らは何かを探し回るように前かがみになって、路地や広場やいろいろな建物の周囲を動き回ったが、そのうち幾人かはやがて、古城に入っていき、その屋上にたどり着く。
屋上には首のない貴婦人が崩れ落ちた先ほどの姿勢のままで横たわっている。少し離れたところには、意識を失った様子の専任護衛官が倒れている。
彼らは首のないジゼル・ブリューの亡骸の両の腕と、理由はわからないが五体満足のまま横たわっていた専任護衛官の両足をめいめいに持ち上げ、ズルズルと引きずりながら古城の中へと消えた。
通りに残されたものたちは、なおも何かを探すように町をうろつき続ける。
貴婦人の首を探しているのかも知れなかった。