再会
地下鉄の地上の出口から出ると、かつては花街として栄えていた街は、再開発によりガラス張りのオフィスと無機質なマンションが立ち並ぶ街に変わっていた。
修司は空を見上げた。
街路樹の桜が青い空に映えていた。
日没は6時にまで伸び、まだ陽は高く、やわらかな光が差し込んでいた。
修司は中学生の頃、この街で暮らしていた。
(さて、どこだったっけ)
修司は目当ての店を覚えているか自信がなかった。
すると偶然、路地裏から猫が出てきた。
修司のことを見上げると「にゃーお」と鳴いた。
猫は背を向けると進み始めた。
「連れて行ってくれるのかい」
修司は猫に導かれるように昭和の風情を残す路地裏の飲み屋街に足を踏み入れた。
修司が舞冬に再会したのは、中学の同窓会だった。ちょうど卒業から30年目だった上に創立70周年にもあたり、それを記念して大々的に開催された同窓会だった。1次会はホテルで同期全員でのパーティで、2次会はクラスごとに分かれた。
舞冬は遅れて参加して来た。
「ひさしぶり」
修司を見ると舞冬は笑顔を見せた。
「どうしている? 元気?」
「まあまあさ。君は?」
「母の店を継いだの」
「えっ?」
舞冬の母は駅前で小さい飲み屋を一人で切り盛りしていた。よく店の開店前に晩御飯をごちそうになった。修司の両親が共働きだったので、母が忙しい時はカップラーメンやパンで夕食を済ませることを知った舞冬が誘ってくれたのだ。修司は舞冬と二人でカウンターに並んで座り、大皿に盛られた肉じゃがやピーマンの肉詰めなどをおかずにして晩御飯を一緒に食べた。
なつかしい思い出が蘇った。
「店はお母さんと?」
「うんうん。母はもう高齢だから引退よ。私が一人でやっているの」
「そうなんだ」
「いろいろあってね。私、出戻っちゃって。他にできることも無いから母の店を継ぐことにしたの」
舞冬は高校卒業後すぐに結婚したと風の噂で聞いていた。修司はまだ学生で、結婚などずっと先のことだと思っていた頃だ。その話を聞いた時に、別に舞冬とは付き合っていた分けでもないのに妙に胸が痛んだのを昨日のことのように覚えている。
「今度、店に来てよ」
「ああ」
猫の姿は消えたが、見慣れた路地裏に着いた。
時計を見た。
もうすぐ5時になるところだった。
修司は、思い切って店の引き戸を引いた。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうから声がする。
顔を上げた舞冬は、一瞬だけ目を見開くと、すぐに笑った。
「本当に来てくれたんだ」
あの頃と変わらない声だった。
ただ、その奥にあるものは、あの頃よりもずっと深く静かだった。
「近くまで来たから。お店、もう開いている?」
「もちろんよ」
修司はカウンターの端に座った。
客はまだいない。店内には、出汁の匂いと微かな木の香りが漂っていた。
「こんな時間に来るなんてどうしたの」
「今日は花見だから」
「お花見? 他の人は?」
「一人でだ」
「本当に?」
舞冬はおかしそうに笑った。
修司はそれ以上のことは言わなかった。言えば、何かがこぼれ落ちてしまいそうだった。
舞冬は手際よく包丁を動かしながら言った。
「ちょうど桜、見頃だよ。そこの寺の裏」
「知ってる。さっき見てきた」
店の近くにある寺の境内の桜は満開だった。
風もないのに、花びらが静かに落ちていた。
「昔はもっと賑やかだったね」
「うん。そうね。夜になると、提灯がずらっと並んで三味線の音がして」
「今じゃ想像つかないな」
「でも、桜だけは変わらないね」
その言葉に、修司はうなずいた。
修司は持ってきた紙袋をカウンターに置いた。
「これ、お店を継いだお祝い」
「え?」
舞冬は手を止めると袋を開けた。
中から小さな招き猫の置物を取り出した。
白くて、片手を上げていて、どこか愛嬌のある顔の猫だ。
「……縁起物ね」
舞冬は柔らかく笑った。
「ありがとう」
「商売、うまくいくように」
「そういうの、信じるタイプだったっけ?」
「いや……」
修司は言葉を濁した。
舞冬は招き猫をカウンターの端に置いた。
「いい顔してるね、この子」
「そうか?」
「うん。無理してない顔」
その言葉に、修司は苦笑した。
「無理してない、か……」
自分はどうだろうと思った。
家に帰れば、言葉を交わすことのない妻がいる。
喧嘩をすることもない。ただ、何も無い時間だけが続いている。
それでも一緒にいるのは、壊す理由も勇気もないからだ。
「ねえ」
舞冬が言った。
「桜ってさ、なんであんなにきれいなんだと思う?」
修司は少し考えたが、答えは出なかった。
「散るからじゃない? ずっと咲いてたら、あんな風には見ない気がする」
「……あの頃さ」
修司はぽつりと言った。
「もし、違う選び方してたらって思うことある?」
舞冬は少しだけ手を止めた。
「あるよ」
それは、あまりにもあっさりとした答えだった。
「でもね」
包丁の音が、また静かに響き始める。
「思うの。今の自分があるのも、その度ごとの選択でできてるんだって」
修司は何も言えなかった。
「後悔って、消えないけどさ。形は変わるんだよ。たぶん」
舞冬は顔を上げた。
「こうして修司とまた会えたのも、全部含めての“縁”なんじゃない?」
カウンターの上の招き猫が、光の中で小さく影を落としている。
縁起物、それは、運を呼ぶものではなく、縁を思い出させるものとどこかで修司は聞いたことがあった。その意味を、少しだけ理解した気がした。
それから、たわいもない話をしながら、修司は舞冬にお酌してもらい酒を飲んだ。
日が暮れると店に客が来た。
「また来るよ」
他の客が来たのを潮時に、修司は立ち上がりながら言った。
「うん。いつでも来て」
舞冬が笑顔で送ってくれた。
外に出ると、夜桜が風に吹かれて散っていた。
昼の光の中で見るよりもずっと幻想的で儚く夢のようでもあった。
修司は振り返らずに歩き出した。
何かが変わったわけではない。
それでも、同じではいられない気がした。
桜は散る。そしてその花の下で人は何度でも違う歩き方を選ぶことができる。
そんなことをようやく受け入れられる歳になったような気がした。
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以下のURLから視聴できます。
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